フローレンスの度胸
明らかに道に面した壁が高くなり、しばらく進んでも門に辿り着かない程の豪邸が立ち並ぶ。
連れ立って歩く見慣れない若者達を守衛は警戒と軽蔑を隠さない視線で見張る。
「やべーな。貴族街だぞ、ここ」
ポールが隣のヤニックに言う。
「歩いているだけなら大丈夫ですよ。どこかの家に呼ばれた冒険者って思われてますから」
そう答えたヤニックも落ち着かない様子ではあった。シャールに古くから住む者も訪れることのない地区であり、ここに邸宅を持つ者達が身分と権力の高さを利用して、些細な諍いで無辜の市井の人々が一方的に罰せられた事例を十分に知っている為である。
幸いと言うべきなのか、引き返す言い訳もないほど順調に、目的地に達してしまう。
広い堀に掛かる木製の橋。その両脇に槍を手にした4人ずつの衛兵が佇み、更に向こう岸には閉じられた巨大な鉄扉が控えていた。無論のことながら、伯爵の居城は高い壁にも守られており、その上には何人かの魔法兵や弓兵がフローレンス達を警戒していた。
「これは無理やで。戦時中やから入れへん」
「そんなことないわよ。人は話せば分かるものよ」
フローレンスは独り前へと進み、遅れてガイン、ヤニック、ポールと続く。
「止まれ!」
「この中に友達がいるのよ。知らない?」
フローレンスは歩みを止めない。
それを見た兵士達が横へ展開する。槍先は先頭のフローレンスに集中する。拘束される恐れから、ガイン達は足を止めた。
「知らん! 止まれ!」
「アシル君って言うの。片腕が無くて、馬車に乗ってこっちに来たと思うのだけど」
フローレンスは囲まれる。ガインの視界の端では、壁の上で兵が矢を弓に掛けたのも見えた。
「ロクサーナさんと約束したのよ」
「嘘を吐っ……本当か?」
衛兵は途中で言葉を飲み込んで、気持ち口調を丁寧にして尋ねる。
無論、見たことのない顔で、彼が知り得る貴族の家族ではない。しかし、小娘の堂々とした振る舞いからすると只の庶民ではない。
槍に怯まない女に対して迷いが生じていた。
「隊長……?」
心配そうに上司を見つめる部下。
もしも伯爵の知己であった場合、自分達が叱責される可能性がある為だ。
「お前、ロクサーナ様の名前を出したのであるから、虚偽であった場合は死ぬしかないからな。……伯爵様からの紹介状とか手紙ある?」
「ないわ」
「身分証明的なものは?」
「ギルドの登録証ならあるわ」
フローレンスはポケットから出した小さな金属板を衛兵長に近付いて手渡す。その間、槍はフローレンスに向けられていたものの、全く動かず、逆に衛兵達が彼女に恐れを為している様にも見えた。
「ちょっと待っていろ」
自分の槍を部下に渡してから、衛兵長は橋の向こうへと駆けていった。
待つこと半刻程度。
その間にフローレンスを囲む槍はなくなり、衛兵がどこかから持ってきた椅子に座っていた。
「ロクサーナさん、凄いのよ。大百足に立ち向かって、剣を構えてね、こう! 一刀両断にしてやる勢いだったわ。でも、それがね、そこのガインさんがタックルして、邪魔したのよ。ロクサーナさんの服がとても汚れてしまってね。それでね、聞いてる? この後も凄いのよ。ねぇ、ガインさん」
「フローレンスも凄いと思うで」
「そう。ありがとう。でも、ロクサーナさんは倒れたままで終わらないの。立ち上がると――」
フローレンスが饒舌であった。何度も同じ話を繰り返され、衛兵達も辛くなっていたが、直立不動でそれを聞かざるを得なくなっていた。
彼女の話には真実味がないのだが、それをこうも大胆に話されると、却って本当の様な気がしているのだ。
門扉が音を立てながら開き、その先に戻ってきた衛兵長が見えた。衛兵達だけでなく、ポールやヤニックも息を飲む。
皆の視線を浴びながら、衛兵長はフローレンスの登録証を丁重に返す。
「幸運でした。フローレンス様について私が上司と話をしておりますと、ロクサーナ様お付きの方が偶々通り掛かりになり、直接ロクサーナ様のご確認を頂くことができました。お通りください」
「ありがとう」
フローレンスは手招きで男3人を呼び、橋を先導する。
「スゲーな、フローレンス。度胸があるって言うか」
「いや、おかしいでしょ。お付きの方か通らなければ危なかったですよ」
「あれやで。フローレンスは武力行使してでも中に入る気やったと思うで」
「あはは……。まさか……」
「そうよ。まさかよ」
「ですよね」
「本当だぜ、ガイン。いくらフローレンスでもそんな事はしないぜ」
「正直ゆーたら、国境をどうやって抜けようか考えとったわ」
「本当ですか……」
「やる時はやる女やで、フローレンスは」
さて、門を越えると、何人かの男が彼らを出迎える。最も地位が高そうな真ん中の男がフローレンスに問う。
「我が主に何用でしょうか? お忙しい方ですのでご希望に添えないやもしれませんが」
「アシル君に会いたいの」
「承知致しました」
そう言ってから、頭頂が横になるくらいに恭しく頭を下げて彼はすんなりとフローレンスの希望に承諾した。