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アシルの退院

 昼に近い時間、宿の一階にある食堂でフローレンス達は遅い朝食を取っていた。シャールの地下水路探索の為に街中に住み始めて以来、ここが彼らの溜まり場にもなりつつある。

 ギルドと違って、窓からの日射しも明るく、いつも落ち着いた雰囲気で床が砂や泥や何かの油で汚れていることもない。


「ロックのヤツ、金払いが良いよな」


 麦の牛乳粥にスプーンを差しながらポールが言う。


「そうね。他の案件を受けなくても済むから、聖竜の探索に集中できるわ」


「僕はシャール出身だから聖竜様に強い興味がありますが、異国の出で、しかも別の宗教を信仰するキャロルさんも興味を持っているんですか?」


「白い竜の伝説は私の国にもあるし、聖書の話にも出てくるのよ」


「竜に乗る騎士が話の中心やけどな」


「竜に乗って青い空を飛ぶ。私もやってみたいわ」


「野生の竜を捕まえて、背に乗れば良いだろうに」


「あー、ケヴィンな。もうフローレンスはそれをやり終えてるんだ」


「そうなのよ。でも、乗せるのを嫌がるのよ。やになっちゃうわ」


 各々が好みの料理を好きに食べながら会話を続ける。


「今日は休息だよな」


「そやで」


「じゃあさ、アシルの様子を見に行きたいんだが?」


「一人で行きなさいよ」


「キャロルさん、冷酷ですね」


 口調からキャロルが冗談で言った訳ではないと判断し、ヤニックは咎める。


「俺も遠慮しておく。その男のことは知らんからな」


 ケヴィンは表向きの理由としてはそうは言ったが、実は自分の後釜が既に埋まったことでアシルが悲しむのではという配慮であった。


「皆も遠慮しておきなさいよ。前に見た時はアシルも無理していたのよ。会っても互いに未練を残すだけ」


 キャロルの言葉に同意したくないポールは別の者に声を掛ける。

 

「フローレンスは?」


「行くわ。アシル君があの女の子とお付き合いを始めたか知りたいもの」


「絶対無理よ。あれ、営業用スマイルだったもの」


「ほなら、ケヴィンとキャロルは夕方頃に竜神殿の方へ向かっておいてや。後で合流しよか」


「竜神殿? 何か用があったかしら?」


 キャロルはその青い眼でガインを見る。


「神殿の奥は巫女さんしか入れへん聖域らしいんやわ。聖竜様への手掛かりがあるかもしれへんから夜に忍び込みたいんや」


「罰当たり者ですよ、ガインさん」


「バレへんだら、構わんやろ」


「いや、フローレンスさんは聖竜様とお話できるんですよ。それも信じられませんけど、でも、フローレンスさんを通じて聖竜様に知られたら、僕らなんて一瞬で殺されるかもです」


「大丈夫よ、ヤニック君」


「どうしてですか!?」


 自分の声が意外に大きくなったことに気付き、ヤニックはバツの悪そうな顔をした。信仰心は薄いと思っていたが、それでも、聖竜への畏れはあったのだ。


「聖竜様に『どうして神殿の奥に入ったらいけないの?』って聞いたら『人間どものルールに我は関与せぬ』って教えてくれたもの」


「えー? 本当ですか?」


「本当よ」


「いや、信じられないですって」


「まぁ、ヤニック君はダメね。意気地がないわ」


「なんで、ここで意気地の話なんですか……。もう良いです。はい、僕も神殿に行きますよ」


「いや、忍び込むなら雨の日の方が良いだろう。足音が消え、人も出歩かないぞ」


 やんごとなき者の発想ではないだろと大半の者が思った。


「次の日に足跡が残るわ」


「む、そうか」


「でも、別の日にして。今日は休息日。私もたまにはゆっくりしたいのよ」


「分かったわ。今日も曇りがちで、月が隠れそうに思ったんやわ」


「んじゃ、とりあえず、アシルのとこに行こうぜ」



 何度か来ている治療院だが、彼らが宿泊している宿屋よりも立派な構えを見ると、やはりその豪勢さが目立つ。

 いつものように艶光りする受付のカウンターでアシルの訪問に来たことを告げて、案内を受けるつもりだった。


「昨日、退院されましたね」


 抜群の笑顔でそういった答えが返ってきた。


「折角のお見舞いでしたのに、退院の連絡と入れ違いになられたのでしょうか」


「いや、あいつ、ここを出ても行く所がないんだが?」


 思ったことをそのまま口に出すポール。


「そうは言われましても、傷は塞がりましたし、治療費も頂いておりますし、当院としては退院して頂けるまで快復されたことを祝福しております」


 次の句を発しなかったポールに変わって、ヤニックがポールの横から尋ねる。


「あのー、アシルさんとアシルさんが好意を持ってそうだった世話役の女の子って、どうにかなりましたか?」


「ちょっと分かりかねますが、当院では患者との恋愛は禁止されておりますので。すみません」


 眉を顰めての回答は、訊いた側も申し訳なく感じてしまった。


「退院後の行き先は分からへんか?」


 シャールでは聞き慣れないイントネーションと語尾に少し戸惑った受付の女性だったが、すぐに笑顔に戻って返してくれた。


「存じ上げません。ただ、シャール伯爵家の方がお迎えで、そちらの馬車に乗ってお帰りになられました」


「……あいつか」


 酒場でアシルの件を酔ったポールがロックを責めるように伝えたことを思い出す。


「良かったわね。ロックさんなら悪くしないわ」


「どうする、ガイン?」


「もちろん、アシル君に会いに行くわよ。ほら、あそこに居るのね」


 ガインよりも先にフローレンスは答えた。そして、遠くに見える何よりも高い尖塔の連なりを指差したのだった。

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