凱旋の観覧
ドアが強めにノックされる。
ベッドの中でも姿勢よく寝ていたフローレンスは起き上がりはしなかったが、両目をぱちりと開ける。
「おーい。ヤニックが言ってた凱旋式を観に行くぞー」
ポールの声が聞こえた。フローレンスは居留守を決め込んで目を閉じる。
「居ないのか?」
「寝てるんやろ」
「おい、起きろ! 俺様が来てやったんだぞ! すぐに間抜け面を洗ってこい!」
この偉そうな人、誰だったかしらとか思いながら、フローレンスは体の力を抜いて眠りの世界に戻ろうとしていた。
「フローレンス、凱旋式で聖竜様への奉納舞があるらしいで」
聖竜の単語を聞いてぴくりと眉が動くも、やはり睡眠欲に身を任せるベッドの中の女。
「ケヴィンが美味しいものを奢ってくれるってさ」
「誰がお前らに金を使うか!!」
「日頃の礼をしろよ」
「昨日の支払いも俺だったろ!」
「金は天下の回りモンってゆーやろ」
「フローレンス、今日はドラゴンのステーキにしよーぜ」
意識は完全に落ちる直前だったというのに、彼女の反応は抜群だった。
「嬉しいわ。ケヴィン君、大好きよ」
ベッドを飛び出したフローレンスは戦闘時速度で着替えを終え、扉を開ける。
「払わねーからな!!」
「ケヴィン君、大好き……」
目を潤ませながらの上目遣いでケヴィンを見詰めるフローレンスに、ケヴィンは目を反らす。
「お、おぅ。食わしてやらぁ……」
生意気な小娘としか認識していなかったフローレンスが妙に可愛く見えてしまった。そのギャップにケヴィンは照れたのだ。
「やったー! いっぱい食べるわ!」
跳ねるフローレンス。それを少し複雑な感情で見守るポールと、憐れみを込めてケヴィンの肩に腕を掛けるガイン。
「金貨10枚じゃ足りへんかもやで」
「マジで俺にタカる気かよ!!」
道は既に人で溢れ帰っていた。両脇の建屋の上階の窓は開け放たれ、住人が花びらを撒く為に待機している。
隣国の地方都市を攻め落とした軍隊は、街の誉れとして歓迎されていた。それを率いていたのはシャール伯であり、街の英雄。
父の急死により家督を継いだ時には、年若い女性であった彼女を心配する声も出ていたが、今では女獅子とも称される程の勇猛果敢さを評価されている。戦場では常に最前線で戦い、自ら敵兵を手に掛けることも多くあった。常勝とは言えないが、着実に隣国の領土を刈り取っており、今日のシャールの繁栄は彼女のお陰である。
「スゲー熱狂だな」
「ですね。もう西門から入場しましたから、あっちから歓声が聞こえますよ」
ヤニックの親類が沿道に住んでいるということで、彼の仲間達もその家の屋上から観覧することができていた。
「これだけ人が多いと暗殺の心配もありそうだけど」
人々の熱気を冷やかすようにキャロルが呟く。
「シャールは昔から暗殺が多いんですよ。王都の連中の仕業って言われてますけどね」
「お、俺は関係ないからな!!」
「ケヴィンさんはそんなことをするキャラじゃないですよ。で、話を戻しますが、シャールも無能じゃありません。色んな所に衛兵が潜んでますから大丈夫ですよ」
「そうみたいだわ。あそこからも見張ってるわ」
フローレンスが指したのは伯爵の館であり、街で最も高い塔のあるところ。
「そうなんです。今代随一の魔道の求道者エルバ師匠も見張り役ですしね。安心です」
「ふーん」
キャロルは詰まらなさそうに声を出した。
やがて軍列が向かってくる。先頭は白馬に乗った金髪の女性で、それがシャール伯爵なのだろう。
片手で手綱を軽く握り、もう片方で民衆の歓声に応えている。色とりどりの花が舞う中で、堂々とした振る舞いは物語の中の英雄の様で、人々はそれを見て更に酔いしれる。
「あれって?」
「キャロルさんもそう思う?」
遠目でも気付いたのが魔力の扱いが上手いフローレンスとキャロルの2人であったのは偶然ではない。無意識的にも魔力感知が働いて分かったのだ。
「どうしたんですか?」
同じ魔法使いでもヤニックには先入観があった為に、気付くのに遅れた。
「あの顔は……ほんまいかいな」
次にガイン。
「どうした……あっ、あれ、ロックか!?」
ポールも理解する。倒れた大百足を喰らう時に見た彼女の横顔と、伯爵が同じであったのだ。
前を通り過ぎる時にシャール伯は一瞬だけ彼らと目を合わせた。
「ロックさーん!」
フローレンスの声は届いたはずだろうが、無視される。
「間違いないぞ、あれはロックだ」
「やっと巫女長が気を遣っていた理由が分かったわ。領主様やったんか」
「いや、でも、伯爵様はずっと隣国に遠征していたから僕たちと旅なんか出来ませんよ……」
「距離なんて転移魔法を使えばすぐよ」
「隣国までどれだけあると思うんですか? そんな距離を転移できる魔法使いなんて居ませんよ!」
「1人じゃ無理でもリレー形式で繋げば行けるわ。ヤニック、まだ甘いわね。ご自慢の師匠に怒られるわよ」
莫大な資金力を持つ者は貴重な転移魔法使いを集めて、情報伝達や移動、運搬に使用している。そして、持たざる者に対策されないようにそのシステムは秘匿されている。ヤニックが想像も出来なかったことも無理もない。キャロルも自分の教団での経験がなければ知り得なかったことであろう。
「シャール伯と知り合いだったのか?」
大百足との戦闘時には居なかったケヴィンが尋ねる。
「昨日、酒場に来たやろ。あの黒尽くめのロックが伯爵様やったんや」
「は!?」
「お名前はロクサーナ・サラン・シャール伯爵ですから、名前の最初の部分を取ってロックとしたんですね……。ちょっと安易です、とか言ったら殺されますかね」
「ちょっと、明日もあいつに誘われてたわよね?」
「うわっ。今まで以上に話し掛けにくくなったな……」
「何にせよ、何のために俺らと迷宮探索するんか理由は聞かなあかんな」
事実の衝撃に少なからず動揺し、思ったことを口にしていく。
「ふん。あいつより偉い俺が居るんだ。安心しろ」
「お前が偉いってのが信じられねーんだよ」
「ってか、本当にケヴィンは偉いのかしら」
シャール伯が過ぎ去り、戦利品の財宝の車列が続く。しかし、彼らはそれを眺めずに、剣士ロックの話を続けていた。
その中、フローレンスだけが口を閉じていることにガインが気付く。
「どないした、フローレンス?」
彼女は目を閉じていた。彼は苦笑しながら、肩を揺すって再度尋ねる。
「寝るんやったら帰ってからやで」
「違うの。今ね、聖竜様がわたしに話し掛けて来ていたのよ」
「「はぁ!?」」
いつも発言が突拍子のない彼女であり、今回も飛びっきりであった。
「本当かよ!?」
「うん。聖竜様は『久々に飛んだから疲れた。甘いものが欲しい』って」
「おい、王都育ちの俺にはその冗談の面白さが分からねーぞ! 誰か解説しろ!」
「シャール育ちでも分かりませんよ。えぇ、フローレンスさん、本当なんですか!?」
シャールにおける聖竜は街の守護者であり、大神殿に奉られている程の存在である。当然ながら、殆んどの者には聖竜の声を耳にすることはできず、聞こえた彼女は神に選ばれた特別な者となる。
その為、ヤニックは誰よりも驚いていた。