酒場にて
路上と比較して地下は気温が一定であり、風雨を凌げ、人の目も気にする必要がなくなる。そのため、住む場所を失った者の一部が地下水路に住み着くケースは少なくなかった。
また、地下の他に行き場のない者が真っ当な仕事に就いていることは極めて稀であり、地下水路に住まざる者が増えると、その中で序列が生まれ、やがて窃盗団を結成することもあった。
シャールの統治側は対策として、時には魔物を放ったり、わざと増水させて悪党を一掃したりといった乱暴な手段を取っとこともあるが、一般的には兵を定期的に巡回させて違法に住み着く者を排除していた。なお、無断侵入者も逮捕である。
「ケヴィン君、元気かしら?」
「水路に落ちるやんもんなぁ」
「あいつ、魔法で軽くなってるって言ってたのに、普通に立ち上がれなくて溺れてたよな」
「どんくさいわね。魔物から逃げるより気楽じゃないの」
「フローレンスさん以外、心配している人がいないのが凄いです」
「フローレンスも別に心配してないで」
「えっ、そうなんですか?」
「やぁね。元気かしら?と私は言ったわよ」
「ヤニック、フローレンスはそれっぽいことを口にしているだけよ」
「一番、人でなしじゃないですか」
彼らは待合室の中で好き勝手に話していた。頑丈な扉が部屋の前後にあり、そこには槍を携えた兵士が2名ずつ直立不動で立っている。
正面の扉の向こうで鍵が差し込まれる音がした。流石に会話を止め、皆は注視する。
下着姿の金髪の男が両腕を縄で縛られた状態で現れる。彼の視線は下向きで表情は分からなかった。
「もう2度と悪さはするなよ」
連れている者の素性を知らないのか、知っていても自分の役目を全うしているのか、牢の看守は乱暴にケヴィンを解き放つ。
「こんな屈辱は初めてだぞ!」
出迎えの者達に己の怒りをぶつけるケヴィン。安堵感が彼を爆発させたのだろう。
「まぁ、幸せな人生だったのね」
「ほんまやなぁ。2日もおらんかったのにな」
「ほら、近くで昼食にするわよ。話はそこで聞いてあげるから」
「お前ら! 俺を囮に逃げたことが分かってないとでも言うのか!?」
水路に転落した側からすると、助ける素振りもなかったことから、そんな恨み言を吐くのも不思議ではなかった。
「はいはい。お務めご苦労様」
キャロルが宥めるために酌をする。ケヴィンは彼女が持ってきた安い服に身を包んでいる。
「そんな苦労するまでおらんかったやろ」
「あぁ!? 何も纏わない裸になって、全身をチェックされたんだぞ! この俺がだぞ!」
「あらぁ、大変だったわね」
「私じゃなくて良かった。お嫁に行けなくなっちゃうところだったわ」
「キャロルは聖職者を目指しているから、嫁とか関係ないだろ」
「そうだったわ」
不満を高めたケヴィンは一気に酒を喉へと流し込み、空にした杯を激しくテーブルに叩きつけてから、再び叫ぶ。
「迎えも遅い!!」
「僕らが行っても追い返されるだけですからね」
「そうなんや。だから、お偉い人に一筆頼んだやわ」
「巫女長様、すぐに身元保証と弁解書を書いてくれたから助かったわ。見ず知らずのケヴィン君にも優しいなんて素敵よね」
「俺がやんごとなき者だからだ! 当然だろ!」
「そう思ってるなら身分を証明できる物を持って歩けよ」
「それはそれで大層だろ! 俺は冒険者になりたいんだ!」
「ん? ケヴィンはやんごとなき身を口癖の様に言うけども、本心は庶民みたいな生活がしたいってこと?」
「そうだよ! 悪いかよ!」
彼の想いを理解するのは難解で、且つ、どうでも良いことだったので、他の者達はそれ以上の深掘りをすることは止めた。
「良し。ケヴィンの解放祝いだ。たくさん飲もうぜ」
ポールが杯を付き出すと、皆がそれに倣って杯を前に出してぶつけ、一気に飲む。
その後、多めに注文していた料理が運ばれてきて、仲間の無事を一応祝福する流れとなった。
『こんな所にいたのか。探したぞ』
宴もたけなわ、そろそろ宿へという時間に黒尽くめの剣士が現れた。
「誰だよ、こいつ!」
赤ら顔で机に突っ伏していたケヴィンが叫ぶ。それを剣士ロックは仮面の上からでも分かる冷たい視線で一瞥して、再び並んで座るガインとフローレンスを見る。
「ロックさんよ。まぁ、お久しぶりね」
『あぁ。この男の傷も癒えたようで何よりだ』
相変わらずの無機質な声でヤニックの回復に触れた。
「どうやって、僕たちを見つけたんですか?」
『……勘だ』
そんな訳あるかいとガインは思いつつ、ケヴィンと違って、どこまでも己れを隠したがっているロックの想いを汲んで、突っ込まなかった。
「お前、たっかい治療院を紹介するならお金も置いていけよな!」
酔っていたポールが正当な主張をする。
『戦士の件も聞いている。すまなかった』
またもや短く答えるロック。治療費のために無用な依頼を受けてアシルが大ケガを負ったというポールが本当に言いたかったことを先回りした回答だった。
『明後日、また洞窟探索を頼みたい。行けるか?』
「酔いは覚めてるやろうから構わんで」
「えぇ。私もロックさんと一緒に冒険できるの楽しみだわ」
『集合は東門脇だ。夜明け前に馬車を用意して待っている』
用件を言い終えると、ロックは去っていった。
「んだよ。それだけのために来たのか?」
「僕たちをご指名での依頼ですよ。あの人、一応は僕たちを評価してくれているんですね」
「ケヴィン君も行くわよね?」
「あ? あぁ、地下水路じゃないなら行くぜ」
「僕も今回は油断しないようにします」
「明日はフリーになるのか?」
ポールがガインに訊く。
「当たり前よ。また逮捕されて行けなくなったら、ロックさんに申し訳ないもの」
代わりにフローレンスが答える。声の張りからして、かなりのやる気を感じさせる。
「そう言えば、明日、伯爵様の凱旋式があるらしいんですよ。皆で観に行きませんか?」
「それは面倒だわ」
「私もパス」
「えー、伯爵様を拝見できるなんて光栄なことで、これを逃したらいつになるか分からないんですよ。行きましょうよ!」
「ヤニックがそこまで言うんやったら仕方ないわな」
ガインが相手してくれたから私は大丈夫と、フローレンスは黙って肉を刺したフォークを口に運んで、やり過ごした。