ヤニックの退院後
退院したばかりのヤニックを連れて、フローレンス達は竜神殿に来ていた。治療費を快く出してくれた巫女長に礼を伝える為だ。
約束もせずに会って貰えるのか疑問はあったが、フローレンスがお礼をちゃんと伝えるべきだと主張したため、皆で向かうことになっている。
「疲れてない?」
キャロルはヤニックを心配する。
前回は異教徒であることを理由に神殿に入らなかった彼女だが、巫女長が一切気にしていなかったことから今回は同行している。
「大丈夫です。体が鈍ってるのは事実ですが、お日様の下を歩ける喜びの方が勝ってます」
「まるで牢獄に入ってたみたいな言い方やな」
「あはは。そうかもしれないですね」
ヤニックは数歩前を歩くフローレンスの所まで軽く駆け足した。
「ほら、完全に治っているでしょ」
「ヤニック君が復活して良かったわ」
横に並んだ彼にフローレンスは優しく微笑む。戦闘では豪快な振る舞いをするのに、青空の下での彼女の表情は全く別物で、魔道の探求に身を捧げるつもりのヤニックさえ、庇護欲が芽生えそうになる。
「叶うならば、アシルさんも復活して欲しいところですね」
「そうねぇ」
「あいつはまだ女に呆けてやがるからな」
アシルにも声を掛けたのだが、彼は入院継続を希望した。本人の意思が優先されるため、彼の退院の日は未定である。
さて、フローレンス達は神殿の広い中庭をすたすたと歩く。真ん中は大きな池になっており一望できるのだが、黒一色の服を纏った巫女達が出歩いている他は人の気配がない。
「参拝のお土産は如何ですか? お安いですよ」
一番奥の一番大きな建物の傍にある売店の前を通ると、売り子から声を掛けられた。彼女も同じ黒い服を着ており、巫女なのだろう。
「巫女長様に用があるのだけど、あの小さな小屋でよろしいかしら?」
フローレンスは指を差して尋ねる。
「そうですよ」
「ありがとう」
「御礼はこの練り菓子を1箱お買い上げ頂けると嬉しいのですが」
「それ、金貨3枚とかやろ。高すぎへんか?」
「そんな滅相もない。御霊験あらたかですから、お安いくらいです。聖竜様もお食べになったと伝説もある、竜神殿自慢の逸品ですよ」
「買うわ」
「フローレンス、自分の財布から出すのよ」
「もちろんよ」
金貨3枚。決して安くない。むしろ庶民では手の届かない値段だ。所属する冒険者ギルドでトップクラスの実力を持つ彼らの共有財産で金貨20枚ちょっとであることからも明らかで、フローレンスの持ち金では、払えば残りは金貨1枚になるくらいである。
「治療院に払ったお金と比べたら屁みたいなものだもの」
提示されていた額はヤニック1人で金貨50枚。それを巫女長は用立ててくれたのだ。
「お買い上げありがとうございました」
本日初の売上に、売り子の巫女はフローレンスへ満面の営業スマイルで送り出した。
小屋の扉をノックして、出てきた若い巫女に用件を伝える。
「こんにちは。巫女長様はいらっしゃるかしら?」
「どちら様ですか? お忙しい方なので、お約束をされていない方との面会はお断りさせて頂いております」
見るからに堅物そうな巫女は冷たく言い放った。
「ほら、俺が言った通り、アポがいるだろ。巫女長様は偉いんだぜ」
ポールがここぞとばかりに言う。応対している巫女に対して「俺は悪くないんだ」という必要のない自己弁護であった。
「ちょっとだけで良いんや。お礼を言わせて欲しいんやけど」
「私の方から伝えておきます。お名前をどうぞ。御礼の為に無礼で不躾な訪問っていうのもどうかと思いませんか?」
完全に言い負かされた。
「フローレンス、帰るわよ。また手紙でも書きましょう」
キャロルは踵を返そうとする。
その時、廊下の奥の扉が開いた。そして、訪問者達の顔を確認する。
「あら、貴方達? どうしたの?」
巫女長本人である。
「僕の入院費のお礼に来ました。どうもすみません。色々と迷惑をお掛けして、今もお掛けしてます」
すかさずヤニックが頭を下げる。これでフローレンスも納得するだろうとの思いだ。
「まぁ。わざわざ良いのに。でも、そうね。ケーシャ、彼らを部屋にご案内して。お茶も忘れずに」
「畏まりました。では、こちらへどうぞ。皆様、失礼致しました」
先程までは全く譲る気配がなかった若い巫女だったが、巫女長が彼らを知っていると分かり、丁重な態度で小屋の中へと導く。
案内された部屋にはローテーブルを挟む形で長いソファーが置いてあり、彼らは奥に位置する側に座るように言われた。
程なく、巫女長が室内に入ってきて、彼らの正面にゆっくりと着席した。
一通りの挨拶とお礼は終わり、今は雑談が始まっている。
「まぁ、貴方達は東方王国の出身なの?」
王都から見た時、シャールはブラナン王国の端にあり、北は帝国と呼ばれる国に、東は別の王国に接している。ブラナンの民が自国を指すときは単に『王国』と言うことが多く、それと区別するために、東の王国は東方という形容詞が付けられる。
「珍しいわね」
人の交流がない訳ではないが、厳しい山越えをする必要があるため、往来は決して多くない。
「白い大蛇に襲われたの?」
そんな話題になった。
「どこかで聞いた話ね……。確か……」
巫女長は立ち上がり、壁際の本棚を調べる。そして、古めかしい表装の書物を取り出す。
「あっ、これね」
開いて独り言を言う。そして、客にその頁を指し示した。
「何代も前の巫女長の日記なのよ。で、ほら、ここ。『白い大蛇と出会う。筆談で会話可能。聖竜様と同じ白い色だから、神殿の敷地で飼うことにした。驚くし、反対も有りそうだから皆には秘密』。でも、筆談ってペンを咥えるのかしら」
「ううん。人間の腕みたいなのが生えていたから、普通に持てるのだと思うわ」
「そうなのね……。人を喰らう魔物が神殿に……」
巫女長は頭を軽く横に振る。
「皆さん、私の勘違いだったわね。そんな危ない物が神殿には住んでいるはずがない。それでお願いするわ」
そう言ってから、茶を口にする。
「ところで、貴方達は聖竜様をお探しなのね? 何か手掛かりは見付かった?」
「何もないの。巫女長様は何かご存じない?」
「何百年も前の偉大なる巫女長ロルカ様の日記によると、地下水路を進んだ先で聖竜様とお会いしたと書いてあったわ」
その発言にガイン達は驚く。
彼らも文献調査をしていたが、そんな記載は一切なかったのだ。しかし、巫女長が適当なことを言う必要もない。
「秘密よ。白蛇さんの件を秘密にしてくれるのだから、その返礼よ。分かるかしら?」
白い大蛇について口外するなという意味でガイン達は受け取り、黙って頷く。
それに対して巫女長は明らかな安堵を見せた。
「それにしても、このお菓子、美味しいけど、随分と値段に釣り合わないわね。自分のとこで売っている物だけど……」
フローレンスから渡された、すぐ近くの売店の菓子を口にした巫女長の感想に、ガインは微妙な笑みで応える。
「そうなのよ。期待外れだったわ」
とんでもない相槌を打ったフローレンスには苦笑いで対処した。