一撃必殺のフローレンス
微かに枝がしなった音がした。風のせいではない。
「上や!!」
誰よりも先にガインが叫ぶ。
多くの経験と力量を持つ仲間の反応も速い。
自称というのが幾分悲しいが、清浄なる魔術士キャロルは近くの樹木の裏に移動し、今まで我慢していた魔法の準備に入る。
既に腰のダガーを抜いて待ち構えているガインには及ばないものの、巨体のアシルも数回のバックステップで敵に相対しやすい位置を取る。そして、先程までクモの巣を払ったり、草影に潜む蛇や虫を叩いたりするのに使っていた長剣を抜く。
2年前まで学校に通っていたヤニックは彼らよりも実戦経験が浅い。だから、彼らの中では最も動きが遅かったが、そうであっても、敵の攻撃範囲から距離を取る。そして、魔力を増幅する自作の魔杖を掲げようとした。
勢いの割に魔物が降り立った際に音はしなかった。背に生える翼で着地直前に速度を落としたか、衝撃をうまく体に逃がしたか。
何にしろ強敵の予感をガイン達は感じる。
しかし、既に取り囲んだ状態である。負けはしないだろう。誰もがそう思う。
気掛りは……最後尾から行方が分からなくなったフローレンスの行方だけ。
魔物の瞳が一瞬だけ赤く光る。そして、その一瞬で狙いを定めたのだろう。
着地で折り畳まれた魔物の四肢が間髪を入れずに、直ぐ様に跳ねようとする。刃物を持っていないヤニックへと、闇と同化するための黒い体を捻る。
遅れて、キャロルの照明魔法が辺りを照らした。
魔物は怯まない。一人を拐って逃げることが可能と判断したようだ。
蝙蝠豹、その名の元となった骨の付き出した禍々しい羽を広げ、大きな猫型の顎を開いて、次いで四肢が地面を離れようとした瞬間。
自然落下以上の速さで何かが蝙蝠豹の背中に突き刺さる。骨が砕かれた音が響き、魔物の口から短い悲鳴が上がって、脱力した体は短い草々の上にドスリと落ちる。
何が起きたのか見えなかった。でも、誰がしたのかは分かる。
「おい! もう倒したのか!? 俺はクモの巣しか斬ってないぞ!」
「明日は木の枝も切らせて上げますよ」
「ヤニック! お前のよく回る舌を斬ってやるぞ!」
「ガインさん、助けてくださいませんか。人相とおつむの悪い暴漢に酷く脅されてます」
2人の会話を無視してガインは倒れた魔物に詰め寄る。
「フローレンス! お前、また作戦無視したやろ!?」
「違うのよ、ガインさん」
魔物の背に乗ったまま、腰を曲げてしゃがみ続けていた女が立ち上がり、ピョンと地上へ跳ぶ。肩までの鮮やかな金髪がサラリと揺れる。
ガインよりも小柄な彼女が彼の顔を見ると少しだけ見上げる形となり、潤んだ大きな眼もあって、まるで子供が真摯に許しを得ようとしているかの如くだった。
「後ろに居たままだと誰かが殺される気がしたの。だから、私、慌てて追い掛けて、でも、木の上で足を滑らせたら偶然に拳が当たったの」
「追い掛けたって、木の上をですか? こいつに気付かれないくらい音を消して?」
「うん。そうなの。落ちた先に魔物がいたから、拳でエイッて叩いたの」
素直過ぎる返答に誰もが無言となる。
彼らも冒険者として己れの腕に自負を持っているにも関わらず、それを遥かに凌駕し、且つ、自覚のない彼女の実力を改めて認識して薄ら寒いものさえ感じたのだ。
「さぁて、移動してお食事にしましょうよ。私、もうお腹ペコペコでバタンキューしちゃいそう」
60年後には王国の最終兵器と呼ばれる老婆にまで変貌してしまうフローレンスであるが、この時分はまだ若く、笑顔も姿も可愛いらしい娘であった。