魔族との戦闘
木々の間を素早く通り抜けて、フローレンスは仲間達の下へと向かう。
魔力の揺らぎから察するに、戦闘は既に始まっている。
「ガインさん、油断してなければ良いのだけど」
フローレンスはガインを信用している。だからこそ、依頼人である青年の横という自分のポジションを任せたのである。
「おい! どういうことだよ!!」
森全体を揺らすのでは、と思うくらいのアシルの大声が響き、実際に驚いた小鳥が飛び立つ。
敵に吹き飛ばされたポールは激突した木の下で咳き込む。折れた槍が彼の両手を離れて転がっており、それだけ強烈な一撃であったことが分かる。
「あはは。恐怖を怒りで塗り替えようとしているんですか?」
声は穏やか。しかし、嘲りを含んでいた。
「行方不明の仲間は居なかったってことで良いの?」
アシルの背に隠れる位置に移動しながら、キャロルが依頼者の青年だった者に尋ねる。
「えぇ。すみません。行方は分かっていますよ。見つかることはないでしょうが」
「お前の腹ん中やろか?」
鋭く前に出されたガインの短刀は、さらりと躱されて空を切る。
「掘り返されてたら獣の腹の中ですかね」
続けての足払い、その途中で飛び上がっての体当たり、短刀の2撃目、3撃目もあっさりと見切られる。
「墓は作ったってことでエェんやな」
相手からの反撃を察したガインは更なる連撃での深追いを中止して、距離を取った。
「あはは。そんなつもりじゃなかったのに、本当だ。弔ってましたね、私」
愉快そうに体を震わせて嗤う。笑顔かどうかは分からない。性格の良さが滲み出ているかのような落ち着いた雰囲気は最早無く、毛に覆われた熊の面がガインの隙を探す。
「ガイン、退けっ!!」
猛進。様変わりした青年を遅ればせながら明確に敵と認識したアシルが、大剣を振り上げながら駆ける。
その図体からは想像できないくらいの速さでガインの横を過ぎ去り、即座に剣を下ろす。
「結構、やりますね」
アシルの剣は青年だった者の表面で弾かれる。両断するつもりで肩から斜めに入れた衝撃はアシルにそのまま跳ね返り、彼の手首を痛めた。
「突きだったら、私でも吹き飛ばされていたかもですね」
「あぁ!? じゃあ、やってやるよ!!」
激昂するアシルだが、暫くは手の痺れを隠すので精一杯。中段に構えて相手の出方を探る。
「出来たのにしなかったんでしょ。ほら、私の後ろには彼が倒れてますもの」
青年だった者の指摘はその通りで、アシルが突きを選ばなかったのはポールの傍に敵を移動させない為であった。
「それって愚かしいですよ」
また声だけで嗤う青年だった何かは、その体を膨張させる。隆々とした筋肉が全身の衣服を破り、背丈が倍ほどになる。
ここが木々に囲まれた場所なら逆に動きにくくなったであろうが、彼が選んだ場所は、数年前に大木が倒れたばかりで未だ他の木々が大きく成長していない、森の中でもぽっかりと空いた場所。冒険者達の休憩場所として頻繁に理由されているのか、成長した草も少ない。
「私を倒せたかもしれない唯一の機会を逃したんですもの」
背が最も高いアシルでさえ、目の前の敵の臍に届くどうか。
「よく喋るわね!」
キャロルは詠唱を終えていた。
彼女がそう言った時には、氷塊が3つ、目に止まらない速さで青年だった者の体を貫通して破壊していた。腹と両足に大穴が開き、バランスを崩したそれが前向きに倒れる。
「お手柄や――」
「まだ!!」
更に距離を取るように、キャロルが前にいる2人に指示をする。
「2人は魔族とやったことは!?」
「ない! こいつは魔族なのか!?」
「俺もや!!」
キャロルは思わず舌打ちをする。魔族と対峙したことがないものは、その脅威的な回復力を知らないと言うこと。
予測通りに魔族は立ち上がる。血は流していない。傷口は真っ黒で、それも見る見る内に塞がれ、キャロルの激烈な奇襲も無意味なものと化したのが分かった。
「フローレンスはまだなの!?」
焦りを見せる彼女だったが、途端に表情を失って弛緩し地面に倒れる。
「痛かったですよ。じゃじゃ馬過ぎません、その娘さん」
「何をしたんや!?」
「分かりません? 人間には無理かな。魔力を奪ってみました」
この世の全ての物に魔力が宿り、体内の生命活動も魔力の助けに寄る部分が多い。魔族はキャロルの魔力を何らかの手段で奪ったのだろうとガインは理解する。
「分かるかッ、クソが!!」
「回収して撤退やで」
怒りに任せて前に出ようとするアシルをガインが慌てて止める。
「させませんよ。あはは、ここで苦痛に満ちて朽ちていきましょうか」
魔族は嗤う。そして、大振りの蹴り。
難なく避けたものの、暴風が幾枚もの葉を飛ばす。
「お待たせ」
その声は救いだった。
「おせーぞッ!!」
緊張が緩み足の震えが始まる予感がして、アシルは今一度吠えて、自分の心を奮い立たせる。
フローレンスが来た方向からは声と共に足音も聞こえ、増援にも期待できた。
「大きくなったわね」
すぐにアシルの前に立つフローレンス。
「貴女、余裕ですね。うん、特別にグチャグチャにしてあげます」
「まぁ。挽き肉がお好みなの?」
フローレンスの問いには答えず、魔族の手が上から襲い掛かる。棍棒のように太い腕が地面に叩き付けられ、大気が揺れる。
既にフローレンスは移動しており、魔族の後ろに回り込んでいた。
彼女以外に敵は居ないと確信していた魔族も振り向く。そして、太股へのフローレンスの連撃を無視して両手で掴み上げた。
「良い攻撃ですよ。痛かったですもの」
魔族の右足が激しく損壊していたものの、致命傷では全くない。血の通う生物ならば、大量の出血で力も入らない状態になっていたであろうに。
「さぁ、悲鳴を上げてみてください。それがご馳走です」
「そんな物でも食べられるのね。私も見習わないと」
魔族は引き裂くつもりでフローレンスをしっかりと持つ両腕を左右に広げようとしている。しかし、彼女は痛みを感じていないようだ。
「おやおや。だいぶ魔力で固めておられるのですね。体内の魔力の動き、分かりますよ」
今度はフローレンスが答えない。
「私、昔は雑技団に飼われる熊だったんですよ。人間になりたいって昔から願っていたら、こんな体になったのですが、昔は辛かったなぁ。狭い檻に閉じ込められて、出られたと思ったら鞭で叩かれ、観客に笑われ、普通の人間が羨ましかった。当時は自分も人間だと思ってましたからね」
「まぁ、玉乗りがお上手だったの?」
「僕の話を聞いてました? まぁ、それなりに上手でしたね。で、人間を恨んでいるんです。だから、早く苦痛に顔を歪めて死んでください」
「逃げた方が良いと思うわ」
「ん? あぁ、仲間に言っているのですか? 貴女が囮になって仲間を救う。あぁ、なんて無駄――」
魔族が頭を振ると同時に、大きな塊が通過し、向こう側にあった木の幹を粉砕する。
「無駄ですよ。あのじゃじゃ馬の魔法使いの為に時間稼ぎしていたんでしょ? 僕が気付かない訳がない」
塊はキャロルの放った氷だった。魔族の意図を察知した彼女は油断を誘うために倒れた振りをしていたのだ。フローレンスに注意が向いているのを絶好の機会として渾身の魔法を唱えたのだが、魔力感知に優れる魔族には通用しなかった。
「逃げた方が良いと思うわ」
フローレンスが同じフレーズを繰り返したのは相手を刺激するつもりなのか、ガインは分からなかった。
ただ、こういう時のフローレンスには従った方が良い。
既に立ち上がっているキャロルも大きく手を振って、ガインに下がれと伝えている。
「さて、その可愛い皮を切り刻んで剥いで骨だけにしましょう」
魔族はフローレンスの顔幅よりも長い親指を使って、彼女の顔に爪を突き立てようとしていた。
「もぉ、私はちゃんと言ったのを忘れないでよ」
「何を――オォォ!?」
突然、魔族の立つ場所に穴が開く。バランスを崩す魔族。
そして、地面から現れたのは白い大蛇。それが魔族の下半身を食い千切った。




