帝国とは何なのか
帝国。この言葉を聞いて、皆さんはどのようなイメージを抱くでしょうか。
おそらく多くの方が、帝国>王国という不等式を思い描いたはずです。そうでなくとも、帝国=大国という等式は頭に浮かんだのではないでしょうか。
しかしこの等式と不等式は、必ずしも成立するわけではありません。
その強大さから後世において大英帝国と称されていた時代のイギリス王国と、列強の仲間入りを果たしたばかりの大日本帝国。どちらの国力の方が上かは語るまでもないでしょう。
基本的に帝国という国が小国であることはありませんが、帝国より強い王国もあるということです。
さて。まず、皇帝とは何なのでしょうか。
皇帝という存在は大別すると二つあります。ヨーロッパの皇帝とアジアの皇帝です。この二つの皇帝は起源が違うため、意味は似通っていますが本質的には違います。
ナポレオンがその軍事的才能とカリスマによりフランスの世襲皇帝に就任するまで、ヨーロッパでは皇帝はローマ皇帝位の継承者のことを意味しました。ロシア皇帝や神聖ローマ皇帝などが有名ですね。
東ローマ(ビザンツ)帝国を征服したオスマン皇帝メフメト二世はローマ皇帝を名乗りましたが、キリスト教国ではないのでローマ皇帝位の継承者とすべきかは微妙です。
日本語の『皇帝』を意味する英語の『エンペラー』やフランス語の『アンプルール』、トルコ語の『インパラトール』は、ローマにおける最高命令権保持者を指すインペラトルが語源になります。
また、皇帝を意味するロシア語の『ツァーリ』やドイツ語の『カイザー』は、共和政ローマの終身独裁官カエサル(人名)が語源です。
以上のような語源が示すように、ヨーロッパの皇帝はローマ皇帝の継承者だけだったわけです。
ロシアはヨーロッパじゃなくない? という突っ込みはなしでお願いします。一応ロシアはヨーロッパだから……ね?
なお『カエサル』という称号はローマ帝国でも皇帝を意味しましたが、正帝ではなく副帝の方です。正帝は『アウグストゥス』です。
次にアジアの皇帝の由来ですが、これは皆さん知っているでしょう。秦が中国を統一した時、秦の王は王より上の称号として『皇帝』という単語を造り、これを名乗り始めました。いわゆる始皇帝です。
日本の天皇やモンゴル皇帝 (ハーン)とかも東アジアにはありますが、これはどちらも中国の皇帝に強く影響を受けています。なので元を辿ると、アジア圏の皇帝は中国皇帝になります。まあ、中国が大きすぎましたね。
古代ペルシアのシャーハンシャー(諸王の王)もアジアの皇帝ではありますが、皇帝を二つに分類するならばローマ皇帝か中国皇帝のどちらかになります。
前置きは終わりです。本題に入りましょう。帝国の条件とは何か、です。
一般的に、複数の地域・民族を絶大的な力により支配し、歴史にその名を刻んだ大国は、帝国と名乗っていなくても後世において帝国と呼ばれます。前述した通り、大英帝国とかです。
イギリスは過去一度も皇帝を君主として戴いていた歴史はありませんが、パクス・ブリタニカの時代はイギリスが大きくなり過ぎていたため、後世において大英帝国と称します。
ちなみにイギリス王室の王太子を皇太子と呼ぶのは大英帝国の名残とかではなく、当時日本には王太子という単語がなかったので皇太子と呼んでいたためだそうです。
その後王太子という単語はできましたが、今まで皇太子と呼んでいたのに急に王太子と呼び始めるのは格落ち感が否めず失礼なため、今のような形に落ち着いたとのこと。
また、皇帝を自称する君主が治める国も帝国と呼びます。ただこの場合は、帝国=大国という等式にはなりませんが。神聖ローマ帝国とかがこれに当たります。
神聖でもなければローマでもなく、ましてや帝国ですらない、という言葉は有名ですね。
神聖ローマ帝国は強力な支配体制が敷かれておらず、皇帝にも実権はありませんでした。単一国家ではなく貴族らの領邦による連合国家、というのが実態です。
ただ神聖ローマ帝国の場合は、ローマ教皇から正式にローマ皇帝の帝冠を戴冠しています。ローマ教皇の戴冠を受けずに皇帝を自称し始めたのは、マクシミリアン大帝以降の、いわゆるハプスブルク帝国時代です。
ではこれらの帝国の条件に当てはまらない帝国は何か。パッと思い付くものだと、第三帝国(ナチスの方)や突厥(テュルク)帝国とかですかね。
第三帝国とはナチ党一党独裁下のドイツの公式名称です。ただ帝国を名乗っているからといって皇帝が君臨しているわけではなく、一応は民主的な国になります。
ではなぜ皇帝が君臨していないのに帝国を名乗っているのかというと、これは『ドイツ民族による三度目の帝国』という意味があります。
ナチ党はドイツ民族による一度目の帝国を神聖ローマ帝国、二度目を帝政ドイツとしています。
そして突厥帝国は、オスマンと並びトルコの過去の栄光とも言える国です。突厥帝国はトルコ人の祖先が造った遊牧国家で、神聖ローマ帝国同様に強力な支配体制は敷かれず、建国後およそ三十年で東西に分裂しました。
支配が緩く、すぐに分裂してしまった突厥が帝国と呼ばれるのは、多民族国家であるからという単純な理由です。
分裂というと、遊牧国家は基本的にすぐに分裂します。やっぱり遊牧民に定住は無理なのでしょう。遊牧国家の代表格・モンゴル帝国も緩やかに連邦化し、フビライの代で決定的に分裂しました。のちの元です。
日本に攻めてきたのはモンゴル帝国ではなく、分裂後の元です。
ということでモンゴル帝国も、チンギス以降の時代は一般的な帝国の定義には当てはまりません。まあ領土が大きかったため、帝国とは名乗っていなかったのに帝国と呼ばれていますけども。
それと特殊枠だと、アメリカのことを米帝と言うように、現代でも大きすぎる国を帝国と言うこともあります。もっとも米帝には、帝国主義的なくそったれたアメリカ、というニュアンスも含まれてます。鬼畜米英、的なものと言えばわかりやすいでしょう。
植民地それ自体を帝国と呼ぶこともあり、その植民地の本国が帝政でなくても植民地帝国と称します。
総括すると、領土が広ければ政体を問わず帝国と呼ばれていますね。例え君主制でなくとも帝国と呼ばれる国は存在していますので、皇帝というよりそもそも君主の有無を問わず帝国は帝国です。
ただアメリカには自称皇帝さんがいましたが(笑)。
また、現代では帝国と言うと大体が帝国主義を指すため、米帝のように帝国には侮蔑的意味合いが強いのでしょう。現在のドイツを揶揄して、第四帝国と呼ぶ時もありますし。
現代では帝国=悪になってしまうってことですかね。わからなくもないんですが、ぶっちゃけ民主もそんなに良い体制ではなくないですか?
君主制も民主制もどっこいどっこいですよね。まあ君主制だと暴君が誕生したら最悪ですが、民主制だとそんなことはないですから。ただ民主制も最善ではなく次善……というかもう次悪じゃないですか。
ナチスって民主主義から生まれたんですよ?
君主制も民主制も悪い時は悪いし良い時は良いという感じです。主観なので反論されたら困りますが。
逸れたので話を戻しますが、帝国とはただ領土が広い国を指すのでしょう。
……と思いますよね?
実は違うんですよ。例外があります。
例外とは、いわゆる海上帝国と呼ばれる存在です。ポルトガル海上帝国やオランダ海上帝国などがそれです。
海上帝国とは、領土の支配より海上覇権(制海権)に重きを置いた大国を指します。海上覇権に重きを置くのは交易のためであり、つまり商売ですね。
そのため海上帝国は大陸中心部ではなく大陸沿岸部や島を支配し、広範囲の海上の覇権を確立させます。
大陸沿岸部や島を支配する関係上、領土は他の大陸国家の帝国と比べると広くはないですが、支配する海の範囲は絶大です。
ポルトガル海上帝国は大陸中心部にも領土を持っているのでそれなりに広いですが、オランダ海上帝国は大陸沿岸部と島しか支配していないので領土面積はお察しです。
それでもオランダ海上帝国は帝国と呼ばれているわけなので、領土が広くなければ帝国ではない、というわけでは決してないのです。
というわけで、『領土が広い』もしくは『支配する海が広い』のならばその国は帝国だと言えるでしょう。
要は、より広範囲に支配権が及んでいるか否か。その一点が、帝国か帝国でないかを明確に分けるということです。
一部は私の記憶を頼りに書いているので間違いがあるかもしれませんが、あったとしても事実からそう外れてはいないはずです。