第一章 機械の存在意義(6)
そういえば、と、クリスタルは気が付いた。
ユーグ本部のロワーズ邸がある近隣すら、クリスタルは歩いてみたことがなかった。
外観で見た惑星部分は、ほぼ金属で覆われた無機質なものに見えたものの、地表を歩いてみると、意外なほどに視線の土の面積が広かった。ロワーズ邸の前は、広大な花畑ですらあった。
空は普通の空で、ほとんど一面の雲の隙間から、僅かに青い空が覗いていた。
「典型的なテラフォーミングですか」
惑星改造。生物が生育するのに適した環境になるように、大掛かりなシステムなどを用いて天候操作や大気成分調整、土壌改善等を行う技術、またはそのこと自体を指す言葉である。最も重要度が高く、時間が掛かることは、生態系を維持できるだけの十分な水を造り出す、または、持ち込むことであった。
花畑の間の歩道の脇には、浅い水路があり、清流が流れている。定期的な水散布ではなく、惑星規模の水循環システムが整っている証拠であった。そうでなければ、水路は枯れてしまう。
水は冷たいのだろうか。クリスタルは興味が湧いた。水に手を入れてみても良いのだろうかと周囲を見回すも、生憎人影もない。花壇に植えるような草花は、病気や環境の変化に弱いという。悪い影響を与えるといけないので、クリスタルは興味を押し殺して、水路に手を入れることはしなかった。
「緑色の花」
すぐ近くで咲いている、緑色の花をつけた背の高い植物を眺めて、クリスタルが呟く。鉄砲ユリと呼ばれる花の特別変異種だと、クリスタルの辞書データにはあった。もともと、とても希少な花らしい。
「きれいな緑色です」
ついこの間まで、自分も翠色であったことを思い出す。その時には、機械の存在意義など、文字列データ以上の意味を持たなかった。それが今ではどうだろう。世話になったひとを傷つけるまでに意固地な意識になってしまっている。
「私は柔軟性をもつべきなんでしょうか」
おそらくそうだろうということは、クリスタルにも理解できる。しかし、彼女は機械であった。柔軟な思考というものは、プログラムとして書き記すにはあまりにも複雑すぎた。
「柔軟性って、なんなんでしょう」
ぼんやりと考えていると、視界の隅に、誰かが花畑へやってくるのが見えた。歪な卵型をしたような、浮遊型のロボットを数台引き連れている。巻貝のような頭部をした人型の生物の外見は、遠目からでもダルトランであると分かった。老人であった。
傍まで来ると、花の世話をする為に勝手に散っていったロボットを気にも留めず、老人はクリスタルの傍へとやって来た。
「こんにちは。その花がお気に召したかね?」
「珍しい花だと」
クリスタルが答えると、ダルトランの老人は頷きながら笑った。
「ああ。地球原産でね。もともとは野ざらしで栽培するような花ではなかったそうだ。遥か昔は、切り花として売られていたというよ。気難しくて、育てるのが大変な花だが、他にはない魅力がある。私はこの花が好きでね」
「そうなんですね。なかなか根付かなかったりしたんですか?」
その苦労は、クリスタルには想像することもできない。しかし、興味は湧いた。老人はまた頷き、長い苦労を感じさせる声で語った。
「それはもう。芽を出させるだけで三年掛ったよ。だが、球根さえ無事であれば、またチャレンジはできると分かっていた。無理だと思ったら、早めに土から出して、球根を救ってやることが肝要だった。そして、いつかは答えてくれると、信じることもな。そして、その結果は、ご覧のとおりだよ」
そこで一度言葉を切った老人は、それから、まるで関係があることのように、全く別の話を始めた。
「ここには、あくせくしすぎていて、たまに立ち止まるということをせん奴が多い。しかし猪突猛進では、ともすれば花が美しいものだということも頭だけで考えるようになる。理念、理想、信条、信念。それらは確かに素晴らしいものだが、立ち止まってふと眺めた時に、本当に大事なものはそれではないと、花達は教えてくれる。美しいものを、美しいとただ純粋に思える心。それを思い出させてくれる。だから私は花が好きだ」
「あなたもユーグの方なのですか?」
老人の言葉に、そうであろうと感じ、クリスタルは尋ねた。
「ここにいるのは」
老人はおかしそうに笑った。
「ユーグのメンバーか、ユーグに入りたいと思っている奴だけだよ。お嬢さん以外はね。ここには、ユーグの本部と、そこで働くものの為の住居や施設しかないよ」
「変なことを聞きました」
当然であった。この人工天体そのものがユーグの本部と言って良いのだ。関係者か志願者以外には、用のない場所であった。さらに言えば、救助要請をここまで来てしているうちに、要救助達の命も失われてしまうであろう。要請者達が直接来訪する訳もなかった。
「お爺さんは、兵器を恐ろしいという気持ちを、どう思いますか?」
クリスタルはストレートに尋ねてみた。この老人はどのような答えを持っているのか、聞いておかねば勿体ないと、感じたのであった。
「私は刃物ですら怖いよ」
老人はまた笑った。
「悪意がなくとも、不注意で自分や他人を傷つけかねないものは、みな怖い。言葉ですらね。話してみると分かるよ。ユーグにいるのは、そんな奴等ばかりだ」
「怖いと思うものを何故保持するんですか?」
クリスタルは、いよいよ、知りたい内容を質問した。それが信じられず、理解できず、矛盾していると感じる。必要なものであることは理解できるのだが、受け入れられないでいる。
「なくても活動できれば良いとは、皆思っているよ。ユーグが、救助組織として活動できているのは、まさにそのおかげなのだろうね」
老人は遠い目をして、そして、人工的に作られた空を見上げた。
「でなければ、戦争中の連中を、誰かがとっくに無差別に撃っている」
「……」
クリスタルは、目を閉じると、老人の言葉に、自分が見過ごしていたものが見える気がした。ユーグの戦力は、並の文明の軍隊では足元にも及ばないという。無関係な者を巻き込み争う勢力に対し、それだけの軍事力を持ちながら、反撃以外の理由では、それを絶対に振るわないということは、いかほどの巌の精神が求められるものであろうか。
「怖いってことを知っている。だから、一発が、発射ボタンの一回が、重いんですね」
「ああ。逆に、一回押してしまえば、歯止めを利かせることが難しくなる。だが、それでも、歯止めを利かせてもらわねばならない。そして私は、ユーグの皆には、それができると信じている」
老人とは別の声が、聞こえた。いつの間にか、クリスタルの背後に、アルバートが立っていた。
「私はなんてことをしてしまったんでしょう」
アルバートを振り返り、クリスタルは、頭を振った。自分のしでかしたことが、ひどく身勝手な決めつけであったと、後悔した。
サ・ジャラの手は、そういう手であったのだ。クリスタルは、彼女の手が抱えた思いを、すべて踏みにじってしまったのだと思った。
「君が抱えた恐怖は、失くしてはならないものだと私は思う。サ・ジャラも怒ってはいないし、そう思っている。そして、彼女はなにより君を心配している。だが、そうは言っても君自身が納得しないだろう。だから、私も一緒に行くから、気が済むまで、サ・ジャラに謝ると良い。謝りに行こう」
アルバートは、クリスタルのしたこと自体は、肯定も、否定もしなかった。それはクリスタル自身が決めればいいと言っているようでもあった。しかし、彼はまた、クリスタルとサ・ジャラがすれ違うことを、寂しがっている態度でもあった。二人には蟠りを残してほしくない、口では明言を避けたが、言葉の内容は、そういった意味だと分かるものであった。
「はい。そうします。ありがとうございます」
故に、クリスタルも素直に頷けた。
そんな彼女の様子に、老人は一番近くで作業していたロボットを呼び寄せ、二本、傍らのユリ科の花を、長めに茎を切らせて、クリスタルに差し出した。
「君の心の綺麗さに」
老人は、そう言って、緑色の花を、クリスタルに持たせた。
「花にはそれぞれ意味があるそうだ。その花は、純潔というらしい」
老人は、それだけ語った。
「二本、ですか?」
クリスタルが戸惑っていると、老人は、静かに頷いた。
「ごめんなさいをするのに、手ぶらも行きにくいだろう。かといって、クレジットや、買える品物も、君らしくないかと思ってね。ひとつは、謝る相手に、渡してあげなさい」
「あ、そう、ですね。ありがとうございます」
言われて、その通りだと気付く。クリスタルは、それを、受け取っておくことにした。かつての自分が見えるような、緑色の花は、仄かに香っていた。