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第一章 機械の存在意義(5)

 ロワーズ邸は地上二階と屋根裏部屋、地下一階の三階半建てである。一階はリビングルーム、来客対応の為の応接間、食堂、厨房、浴室やトイレが揃っており、二階は客間が二部屋、昼間用の私室、夜間用の寝室がそれぞれ二部屋ずつ、アルバートの書斎、そして、施錠された書庫があった。屋根裏部屋は住み込みの使用人が使用している。地下階は食材などの貯蔵倉庫である。

 クリスタルは自由にほとんどの部屋に入ることを許されていたが、唯一、二階の施錠された書庫だけは立ち入ったことがない。書庫におさめられているのは、電子化されたものが存在しない、紙媒体のみ存在する書籍ばかりで、それだけに、現存する本そのものに歴史的価値があり、大変貴重なものとされていた。それなりに劣化しているものもある為、稀に使用人が虫干しするとき以外は、書庫から持ち出されることもなかった。

 私室と寝室の一つをアルバートが、もう一つをクリスタルが使用している。もともとクリスタルの私室と寝室も客間だったのだが、アルバートが使用人に頼んで内装を改造した部屋であった。

 クリスタルは、昼間から寝室に籠り、自己嫌悪に陥っていた。無意識の行動であったとはいえ、サ・ジャラの手を払いのけるのを止められなかった自分が、とてつもなく恩知らずで恥知らずに思えて仕方がなかった。

 そもそも、今のボディーはサ・ジャラから受け取ったものだ。仮にサ・ジャラの手が人を殺す兵器に触れた忌むべきものだとすれば、自分のボディーもまた、その手で用意された忌むべきものの筈であった。何という自己矛盾であろうと、クリスタルは悲嘆に暮れながら、ベッドに顔を埋めていた。なにより、サ・ジャラの思いを踏みにじるような真似をして傷つけてしまった自分が、何故他の機械を非難できるのかと、その矛盾が一番悲しく思えた。

 せめてこの苦い経験で少しでも成長して、サ・ジャラに謝れるようでなければならないと、クリスタルは焦燥に駆られた。そうでなくても謝ればサ・ジャラは許してくれるだろう確信はあったが、そうでなければクリスタル自身が自分を許せそうになかった。

 それでも、クリスタルにとって、兵器の存在は、恐ろしい現実であった。ひとを殺すことを主な目的として開発された機械というものは、クリスタルには到底許容できないものであればこそ。何故許容できなかったのかは、実のところ、建前としての理由である、機械はひとを助けるものなければならないというクリスタルの価値観があったが、それだけではないことは、彼女自身、もう気が付いていた。

 今のクリスタルのボディーは、高性能である。ひとを殴れば殴り倒せるし、その気になれば殺せるであろう。自分が振るえる最大の力が、ひとを不幸にするものであるかもしれないと気付いてしまい、その事実が受け止めきれなかったのである。用途も定まっていない過剰なパワーが、ひどく恐ろしかった。自分が兵器と同じでない証明が、自分自身に出来なかったのであった。

 そも、兵器に善悪はない。

 そして同様に、クリスタルに人を殺したい衝動などない。

 そんなことはクリスタルにも分かっていた。知識として理解はしているが、思いがついてこなかった。自分が、ひとを殺してしまいかねない機械であること、それをどう受け止めていいのかが分からなかった。もっとも彼女が恐れたのは、彼女自身であった。

 答えは出ない。答えが出せる材料を、クリスタルは持ち合わせていなかった。サ・ジャラならあるいはその答えの材料を持っているのだろうが、あろうことか彼女自身が拒絶してしまった。その時のサ・ジャラの目。思い出すだけで気が狂いそうであった。なによりそんな目をさせてしまったのが自分だということが恐ろしかった。

 ベッドに蹲っていると、部屋のドアが控えめにノックされた。今ロワーズ邸にいるのは使用人だけである。それも、何も王侯貴族の宮殿という訳でもない。使用人も、もともと二人しか勤めていない。そのどちらかであることは間違いなかった。

「温かいものをお持ちしました。気持ちがすこし楽になりますよ」

 落ち着いた男性の声であった。思い当たる人物は、やはり使用人のうちの一人。名前は、ルティオ。カラドニスと呼ばれる、銀河間連盟では比較的数の多い種族である。

 外見上、特徴的な見た目をしている為、判別は容易い。青白い、あるいは、緑がかった色の、鱗状の肌をした種族であり、頭髪はなく、頭部の外に張り出した耳をもたない種族であった。眼球は、外見から見るとのっぺりとしたドーム状の器官にしか見えず、瞳も外から確認することはできない。太陽系人類から見た印象は、遥か古の怪獣ドラマの魚人系の着ぐるみのようであるといえば、分かりやすいかもしれない。

 ルティオはどちらかと言うと青みの強い肌をしていた。外見はプロレスさながらの大立ち回りをしそうな印象だが、紳士的で落ち着いた人物である。非常に知的でもある。

「ありがとうございます」

 扉を開け、クリスタルは応対した。ルティオは、手に紅茶を入れたティー・カップを手にしていた。それを受け取り、クリスタルは部屋の中に戻る。

「入っても宜しいでしょうか?」

 ルティオが控えめに尋ねる。クリスタルはあまりプライベートな間に踏み入ることがないルティオにしては珍しい申し出に、やや混乱しながら、しばらくしてから頷いた。

「どうぞ」

「失礼します」

 軽く礼をし、ルティオは部屋に入って来た。カラドニスは、礼の作法も特徴的である。左手で自分の口元を隠し、その上に右手を添えて、軽く腰を落とす。何度見ても奇妙な仕草だ、と、クリスタルは感じた。

「どうぞ、お掛けになってくださって構いません」

 と言われたが、生憎寝室にはスツールかベッドくらいしか腰掛ける場所がない。紳士が、機械とはいえ外見が女性の者のベッドに腰掛けるのも居づらかろうと思い、クリスタルはベッドに腰掛け、ルティオにスツールを勧めた。そちらはそちらで、本来ドレッサーを使用する際の為のものであり、やや居心地は良くないことに変わりはないだろうが、ベッドよりはまだ良い筈であった。

 クリスタルは、ルティオが座ったのを見てから、尋ねた。

「どうかしましたか?」

「……お一人で抱え込まれるには、いささか難題すぎる悩みをお抱えだと感じましたので。僭越ながら、お話し相手にでもなればと」

 ルティオが柔らかく答える。見ていないようで、こういった気配りがすぐにできるのが、紳士たる所以であった。

「ありがとうございます。確かに、私は、自分でどうしていいのか分からなくなっていました」

 正直に、クリスタルも認めた。ルティオに隠し事をしたところで、無駄であることは、既に知っていた。どれだけの分析能力をもってしても、観察眼ではルティオに勝てる気がしない。

「そうでしょうとも。大変難しい問題に御座います。クリスタル様は、機械はひとの為ならばこそ、機械であると存在意義を考えてらっしゃる。それでは、大事なことは見えますまい」

 そう、ルティオは告げた。クリスタルの考え方は、間違っていると。

「違う、と?」

「違いますとも。機械は、機械として造られただけで御座います。そこに存在意義など、ありはしない幻想なのです。存在するのは、クリスタル様。クリスタル様が、クリスタル様たるがゆえに必要な存在理由だけなので御座います。そしてそれは、他者が是々非々と決める価値観では御座いません。クリスタル様ご本人が、ご自分の中に見出していくものなので御座います」

 ルティオは静かに、しかし、力強く迷いのない言葉で、そう説いた。それはクリスタルには難しい言葉であったが、何となくではあれ、言われている意味は分かった気がした。

「でもそれは、ただの自己満足じゃないですか?」

 危険な思い込みではないのかと、クリスタルは疑った。果たして、ルティオも、あろうことか頷いた。

「勿論、そうでしょうとも。存在理由、存在価値、存在意義、それらはすべて、最終的には、自己満足で御座います。それで良いのです。何故なら、ひとが他者に向けるそれも、たいていは勝手な幻想であり、勝手な希望だからで御座います。ですから誰しもが、己の自己満足の為に描く、己の価値の高さをこう呼ぶのです。誇り、と」

「誇り、ですか」

 クリスタルが呟く。確か、グロッドもその単語を口にした。その瞬間は、クリスタルには、その中身が良く分からなかった。

「誇り、ですか。私はそれを探せばいいのでしょうか」

 彼女は尋ねると、

「それが探して見つかる物であれば、皆、苦労はしておりません」

 ルティオは、静かに声を上げて笑った。

「あなた様が、何を何処まで許せて、何が何処から許せないのかを、ご自分に問い掛けることから始めては如何でしょう。とはいえ、問題の本質を、おそらく、クリスタル様は見失っておられます。そういう時は、温かい物を飲み、外の空気を吸い、戻られたら、また、温かい物を飲むと宜しいかと、存じますよ」

 それだけ言うと、ルティオは部屋から去った。

 そうかもしれないと、クリスタルはその言葉通りに、紅茶を飲んでから、外に出ることにした。


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