第四章 機械は夢を見ない(7)
そして、月日は流れ、また、採用試験の日はやって来た。
クリスタルは宣言通り再びエントリーをし、それが却下されることもなかった。前回同様試験は居住区の多目的ホールで行われ、今回も、クリスタルの教養試験、体力試験は、他の受験者とは別に分けられて単独で行われた。その二つの試験でクリスタルが困るがなかったのも前回と同様で、ただ、体力試験で前回のように試験内容を逸脱したような行動は一切しなかったという点で異なっていた。
体力試験で問題が起こらなかった為であろうか。前回とは違い、面接までに、暇な時間ができた。とはいえ試験会場の多目的ホールを離れる訳にはいかず、クリスタルは出入り口付近にあった椅子に座って時間を潰した。
入口付近で座っていると、既に試験を終えた者達が帰っていくのが見える。やり切った顔の者、自信なさげな者、平静な様子な者、各々様子は違っていたが、皆一様に、求める明日があって受験したのだろうと、クリスタルには思えた。
何人かは座っているクリスタルに気付き、不思議そうな視線で一瞥した。話しかけてくる者はなかった。彼等を眺めていると、クリスタルは自分が何故ユーグに入ろうと思ったのか、そのことが不思議なことであるように思えてくるようであった。
「私が誰かの役に立つ選択肢なんて、本当はたくさんあるんでしょうけど」
口の中で呟いてみる。それでも、ユーグに入隊しようという自分の選択を変える気にはならないことだけは分かった。
自分の夢。もしくは目標。
今回は、回答が既に見えている。自分には他にはない身体的なポテンシャルというアドバンテージがある。それはつまり他人よりも多くの命を救う可能性で、それだけ多くの未来を繋ぐことができるだろう可能性であると信じた。クリスタルは、ひとつでも多くの明日を繋ぐことができれば、おそらく自分にも、自分が誇れるようになるのではないか、そう考えたのであった。
とはいえ、クリスタルも個人であることには変わりない。彼女一人の力では限界があることも、理解はできるつもりでいた。そして、多くの明日を繋ぐための技術は、クリスタルには足りないことも理解していた。しかしその両方の問題を解決し、命を救う技術を教えてくれ、彼女の力を有効に活かしてくれる場所が、ユーグにはある。だからこそ、入隊を志願するのだと、クリスタルは思った。
その思いに揺らぎはない。
しかし、何故か、試験を終えて出ていく志願者達の姿を見ていると、何かもっと純粋な何かを抱えてやって来た者達だと思えてならなかった。
クリスタルは、それが不思議でならなかった。多目的ホールの白い壁に一点だけこびりついた黒い汚れのような、場違いなもののように彼女自身が思える迷いが生じた。
妙な気分で、胸騒ぎがする。
クリスタルは、何か勘違いをしていないか、もう一度考えてみた。彼等にあってクリスタルにないものが、本当に理想なのか、疑ってかかってみた。
間違いなく、クリスタルに理想というものは描けない。何度考えても、機械は夢を見ないという結論は変わらない。しかし、自律型の人格をもつものとして、本当にそれで良いのかという疑念が、初めて生まれた。あるべき未来の自分を考えて活動しなければ、それこそ危険な機械に成り果てることもあり得るのではないか。
「そうはなりたくない筈です。それでいい筈がない」
そもそも。ここへきて、自分の認識に根本的に問題があることに気付いた。
「人々の役に立つことって、何でしょう」
その方法は確かに幾らでもある。それは彼女自身のポテンシャルを自覚したクリスタルには、理解できている。しかし、そのどの方法を選べば最も良い選択なのかを、誰が決めてくれるというのであろうか。
クリスタルはようやくのように、彼女自身が一番分かっていないことを、それなのだと認識した。
「私は……何がしたいのでしょう」
したくないことは沢山ある。してはならないと思うことは沢山ある。その逆に、自分が人々の為に、どう役に立ちたいのかを、考えたこともないことに気が付いた。そしてきっと、ユーグが、志願者に最も求めているのが、それなのではないかと。だからこそ、夢であり目標が聞かれたのであろう。
「私は、だから空っぽなんですね」
ようやくの自覚。自我を持ちながら、クリスタルには、意思がなかった。彼女は初めて自覚した自分の根本的な問題に慌てたが、あとの祭りであった。それを見つける程の時間はなく、自分の意思を問いただせる前に、自分の面接の時間は来てしまった。
そしてそれは、彼女を、開き直るという、一種の諦めの気持ちにさせた。彼女は呼ばれるままに面接会場の部屋に入り、促されるままに椅子に座った。面接官は、やはりライモーであった。
今回も最初は同じ質問であろう。クリスタルがそう思って破れかぶれで答える気になっていると、
「あなたにとって、宇宙とは何ですか?」
ライモーの口から発された質問に、クリスタルは短く、
「え」
という声を漏らす程に狼狽えた。宇宙は宇宙である。それ以外の認識はクリスタルにはなかった。しかしそんなことを聞かれていないことは明白で、困り果てたことは人工頭脳をフル回転させて、最初に浮かんだ言葉を、ほとんど反射的に答えた。
「私に命をくれたものです」
意味など分からない。しかし本当にその言葉だけが浮かんだのであった。しかし確かに事実という認識でもあった。エメラルドの時に造られた場所での記憶を消去されたままのクリスタルは、自分が製造された最初の場所を、今でも覚えてはいない。彼女には、故郷というものがなかった。
ライモーの顔はいつもの通りバイザーの奥で、表情など分かりはしない。もっとも、もしバイザーの中が見えたとしても、生物的に言う顔とは大きく異なっているものが見えるだけであるということを知っているクリスタルには、彼の思惑が外見から見抜けるとは思えなかった。
「では、あなたは宇宙で漂流するという想像をしたことはありますか?」
ライモーが、次の質問をする。これも奇妙な質問であった。そんな想像をすることなど、ある訳がない。クリスタルにはそれ以外に答える余地はなかった。
「いえ、それはありません」
「ユーグの任務は、日々その危険と隣り合わせです。そういった事故に、ご自分があうかもしれないということについて真剣に考えたことは?」
ライモーにそう聞かれて、ようやく何を聞かれているのか、クリスタルも理解した。
「私にそんな体験がある訳ではないので、その時になってみなければ、その状況が理解できないでしょう。しかし、そうなりそうな事故が起きてしまった場合に備える装備を、考案することは私にも可能だと考えています。起きないことが最善なのは、誰も否定しないと確信しています」
しかし、彼女は求められていると確信した内容に即した回答はしなかった。彼女が返した答えは、偽らざるクリスタルの本心で、自分にはそれが可能であることも確信していた。そして、次に、自分が聞かれるであろう質問も、その時点で推測がついていた。
「もしユーグに入隊した場合に、他者の救助に失敗したらということについて、考えたことはありますか?」
ライモーの質問に、案の定それか、とクリスタルは内心苦い思いを抱いた。確かに、考えてみたことはなかった。
「私は考えたことはありません。何故なら、救助不可能な状況はあっても、救助に失敗するというケースも、私は事前に対策がシミュ―レートできるからです。失敗する手段はとりません。どうやっても失敗の確率が高いことはあるでしょうが、そのケースは一瞬の勘の方が頼りになることも理解しています。ですから、そのケースは、勘、というものが働かない私はサポートに徹するべきだと判断します」
クリスタルの答えに迷いはなかった。救助の現場では単独行動はあり得ない。それこそが適材適所の判断をすべき状況なのだと考えた。
「そうですか。こちらの質問は以上です。あなたから何か質問はありますか?」
そう聞かれて。
「私には、ユーグに入隊しても、自分が何をしたいのかという意思の力が欠けていることが、自分で分かりました。それでも、ユーグが人々の命を守って日々どれだけ命懸けでそれぞれの役目を果たしているのかは、理解できているつもりです。そして、私はできるだけ多くの人に、その思いを知ってほしいと考えています。その為に私ができることをする許可を頂いても宜しいですか?」
事実上の辞退のつもりであった。そうなれば評議会の判定に掛けられ、おそらくロボットと判定されることは分かっていた。それは避けられないと、覚悟した。しかし、それでも。
できることはしたい、そう願った。




