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第四章 機械は夢を見ない(6)

 その後、クリスタルは一日総司令官を順調に務め終え、帰路についた。アルバートも一緒に帰宅できればよかったのだが、彼でなければ処理が難しい仕事は残っていた為、ひとりでの帰宅になった。

 真っ直ぐロワーズ邸に戻っても良かったのだが、気まぐれに寄り道がしたくなったクリスタルは商店街の方へと足を向け、いつか座り込んでいたあの広場で一休みしていた。ふさぎ込んで座っていたあの日には気にしていなかったが、広場はとても狭く感じられた。

「やあ」

 あの日と同じように、隣に、若者が座った。

「何でいつも私の居場所が分かるんですか?」

 少し怖い、正直クリスタルはそう思った。

「今日は偶然だよ、偶然。僕だって見張っている程暇じゃないよ」

 慌てるライモーに、

「知っています」

 冗談だと伝わるように、クリスタルは笑った。

「この間は、心配して探してくれたのに、すみませんでした」

「いいんだよ。君が落ち込むのは無理もないと思う。それに、君には悪いとは思うけど、君が落ち込むような子で安心したのも事実だ」

 ライモーは、多少言いにくそうに、本心を語った。そして、彼が言葉を切った瞬間であった。不意に、広場の入口から、また別の人物の声が響いた。

「あらまあ。随分愉快な組み合わせじゃない。採用部の人間が、特定の志願者と仲良くしてるのは、大丈夫なのかしらねえ」

 声の主は、ローセアである。彼女は、商店街で買い物でもしていたのか、袋を一つだけ抱えている。ライモーも珍しそうに歩み寄るダルトランの女性を眺めた。

「おや、居住区に降りてきているのは珍しいね、エレース=クルオル=サフル艦長」

 エレース=クルオル=サフルというのはダルトランの文明での、姓のようなものである。つまり、ローセアのフルネームが、エレース=クルオル=サフル・ローセアであることを示している。ダルトランでは、姓とも言える素性を先に、個人名を最後に名乗るのが通例であった。ちなみに、エレース=クルオル=サフル・ローセアというのは、サフル一族の、エレースとクルオルの間の子、ローセアという意味がある。ダルトランは母系の家を受け継ぐ文化を持っている為、母親の名前が先になっている。

「長いからローセアで良いって言ってるでしょ。うちの艦が今半年に一度の点検中なのも、知ってるくせに」

 皮肉っぽく笑い、

「ほら、レディーには席を譲るものよ。立った、立った」

 そう言ってライモーをベンチから追い出してしまった。

「あ」

クリスタルは、自分がベンチの隅の方に座っているから隣にひとりしか座れないのだと、その時になって真ん中に移動しようと腰を浮かせた。しかし、その肩をローセアが掴み、

「いいの、いいの。クリスタルはそのまま座ってなさいな」

 と、半ば無理矢理座り直させた。力で振りほどくことは簡単だったが、怪我をさせてしまっても申し訳ないと思い、クリスタルも大人しく従った。

「どうぞ」

 ローセアは抱えた袋の中から、クリスタルが初めて見る食べ物を取り出し、差し出した。白い、ふかふかとした何かであった。植物由来の粉を練った生地で、挽肉等の具を包んだ食べ物のようだが、味が想像できず、クリスタルは受け取るのを躊躇った。

「肉饅頭。食べたことない?」

 と、ローセアに笑われた。彼女は袋からもう一つ同じものを取り出すと、自分で齧り始めた。ローセアが食べた饅頭から湯気が上がり、強い肉の匂いも漂った。

「あるがとうございます」

 興味が湧き、クリスタルは、自分に差し出されたそれを受け取った。そして、ローセアの真似をして噛り付いてみる。

「美味しい……んですかね?」

 クリスタルには良く分からなかった、兎に角、クリスタルの味覚データのサンプルにはない、何とも変わった、新鮮な味であることだけは確かであった。

「もう一回受けるの?」

 肉饅頭を齧りながら、ローセアは急にストレートな質問を投げかけた。クリスタルは手に持った肉饅頭を半分持て余しつつ、

「そのつもりです」

 と、正直に頷いた。

「そう。正直言うと、あたいは、複雑かな。クリスタルみたいな子が入ってくれるのは、とても嬉しいことだけど、同時に、クリスタルみたいな子には、もっと安全で、平穏な暮らしをさせてあげたいって気持ちもある」

 ローセアは難しそうに話してから、自分の手の中の肉饅頭を一気に平らげた。それから、クリスタルの手の中で弄ばれている肉饅頭をひょいと掴んで取り上げた。

「ユーグ内の隊員が全員危険に直結する仕事をしてる訳じゃないけどさ。何もこんな危険なとこに入隊しなくても、とは思うのね」

「でも、私には十分やれるだけのポテンシャルがあることは、前回の採用試験で自覚しました。私には危険すぎるとは、自分では思っていません」

 間違いなく、ボディーの性能が足りないということはないと、クリスタルは確信していた。むしろ、それだけのポテンシャルを持ちながら、それを活かさないのはもったいないとすら思っている。ただ、ユーグにクリスタルがいらないと言われるのであれば、それはそれで仕方がないのだろうとも、思いはじめてはいた。

「来なくていいと言われて、エントリーすら受け付けてもらえなくなったら、諦めますけど」

 答えながら、クリスタルはちらりと、環境スーツ姿のライモーを見上げた。

「受理の予測については、例え君であっても、話す訳にはいかないな」

 ライモーは、ただ、はぐらかした。立場上話せないという事情は、クリスタルにも、理解はできた。

「そうでしょうね」

 と、笑う。しっかりした反応をしてくれるひとで良かったとも、クリスタルは感じ、自然と零れた笑顔であった。

「クリスタルはさ、宇宙は好き?」

 ローセアがクリスタルに、そんな質問をした。それを聞いて、クリスタルは、ふと、評議会理事長のバルファが話していた内容を、思い出した。

『彼女は宇宙を愛している』

 しかし、クリスタルにはまだ、宇宙というものが、理解できているとは言い難かった。いつか分かる時が来るのだろうが、そうなるビジョンすら湧かなかった。

「宇宙は広すぎてまだよく分かりません」

 クリスタルは頭を振った。すると、ローセアは、納得したようにクリスタルの頭を撫でた。既に、ローセアの手にはクリスタルから取り上げた肉饅頭は残っていなかった。

「みんなだいたいそうさ。恒星間や銀河間移動が当たり前な世の中でも、宇宙は果てしなく広いからね」

 ダルトランの手は、弾力はあるが硬い。まるでゴムの革を巻いたような手である。しかし、無機質ではなく、生命のぬくもりを持った手であった。

「聞き方が悪かったね。クリスタルは、宇宙は綺麗だと思う?」

 ローセアが、聞きなおした。その質問であれば、クリスタルにも答えられる気がした。

「遠目には綺麗だと思います。でも、綺麗なばかりじゃないことは、想像がつきます」

 言葉になったのは、そんな答えであった。

「そう。なら、あたいは何も言わない。クリスタルの思うように、やってみれば良いと思う」

 ローセアは、それだけ言うと立ち上がった。

「ただ、現実は甘くない。それだけは、しっかり、肝に銘じておいて」

「はい。ありがとうございます」

 それはある種経験済ではある。クリスタルは惑星アミナスで強制退去と渡航禁止を言い渡されている。自分で言いだしたことでもあるが、そも、アンドロイドとして破壊されていたことが、本来なら当たり前の末路ですらあった。その体験は、苦い思い出として、今も残っている。

「ポテンシャルは折り紙付きな逸材なんだ。あんまり脅してほしくないな」

 ローセアにラルモーが冗談交じりで告げると、

「そうね。じゃ、あたいは先に行くわ。バァイ」

 笑顔で返して、ローセアは広場を出て行った。それを見送りながら、

「君が次の試験では、足りない部分がなくなっていることを、期待しているよ」

 クリスタルには顔を向けずに言った。クリスタルは頷いた。

「私に足りないものが何かは、分かっているんです。理想は機械が語るべきものじゃないから。だからといって、私の明日が空っぽのままっていうのは、ちょっと癪です」

 クリスタルもベンチを立った。そして、ライモーを見ずに、彼女も通りへ向かって歩き出した。

「っと、ちょっと待った」

 そんなクリスタルを、ライモーが呼び止める。何かの無線通信要求が来たことに気が付いたクリスタルは、それを受け取った。

「これは」

 そして、振り返った。送られてきたのは、ライモーの連絡先データであった。

「何かあったら、友人として、相談くらいは乗るよ」

 ライモーはそのつもりで、連絡先をくれたのであった。

「ありがとうございます。それじゃ」

 クリスタルは頷き、踵を返した。

 彼女にも、明日、が見えそうな気がした。


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