第一章 機械の存在意義(3)
それから、グロッドは軽く唸り、声色を変えた。
「すまん。お前には縁のない話をした」
彼はそれから、クリスタルをまじまじと見た。彼女は相変わらず派手さの少ない、うっすら水色が透けるようなワンピースを着ていた。
「それにしても、暇そうだな。つまらなそうな顔をしてる」
まるで考え込むクリスタルの思考を邪魔するように、全く別のことを、グロッドは話題にした。
「はい。時間を持て余すばかりで。何かやることがあれば良いんですけど」
クリスタルが頷くと、
「俺もだ」
グロッドもそう告げて笑った。グロッドはまだ正式なユーグのメンバーではなかった。ユーグの門戸はいう程広く開け放たれたものではない。厳しい審査で篩に掛けられたごくわずかな者達だけが、その制服に袖を通すことを許されていた。過激な思想や、ただ上辺のイメージを追い求めてくるだけの人物を、おいそれと加える訳にはいかないのである。まだその審査試験が行われる日程までは、日数があった。
「嬢ちゃんも受けるのか?」
グロッドに問われ、考えてもみていなかった、とクリスタルは気付く。そもそも、アルバートや、サ・ジャラが、普段どんな場所で、どんな風な仕事をし、ユーグ全体がどのようなかたちで組織として活動しているのか、知ろうと思ったこともなかった。
「私は、全く考えていませんでした。私に何かできることはあるんでしょうか」
「そりゃまあ、沢山あると思うぜ。お前の今の頭の中は俺達よりずっと回転が速い。覚えりゃ数字計算もできるだろうし、教材を聞けば語学もスポンジのように吸収できるだろう。だから銀河間共通言語が喋れない相手との通訳にもなれるだろう。文字通り機械のように正確なんだから、発着する艦船や機体の誘導もお手のもんだろう。聞き取りやすいコールの発音を、録音したみたいに毎回トレースすることさえできる。身体能力だってその辺の隊員じゃ比較にならない程高い。活躍の場はいくらでもあるさ」
グロッドが話すクリスタルの強みはどれも、クリスタル自身ではどれも自覚がないものであった。そう言われると、自分にもできることは沢山あるのかもしれないという気分がしてくる。
「私にも、できることはあるんですね」
それが分かっただけでも一歩前進であった。クリスタルは純粋に、誰かの役に立っていたい、それだけを望んだ。
「ん。まあ、俺もそうだが、採用されるかどうかは、分かんねえけどな。それに、その様子じゃ、ユーグが何してるのか、中身も知らねえんだろ? 先走って考えるより、一度中身を見た方が良いぜ」
前のめりのクリスタルに対し、グロッドはそれを嗜めるような口調になった。彼の指摘通り、クリスタルはユーグの活動を詳しくは知らない。それを確かめた方が良いというのは正論であった。
「あ、そうですね」
ソファーから腰を半ば浮かしていたクリスタルは、もう一度腰を落ち着け直した。アルバートが帰って来た時に頼めばいいのだろうかと考える。見学希望を受け付けているかも、そもそも、クリスタルは把握していなかった。
「見学って、させてもらえるんですか?」
だが、目の前に、当人がユーグに所属している人物がいる。サ・ジャラに聞いてみるのが手っ取り早かった。
「勿論。受け付けていますよ。もっとも、見学コースではほとんど概要しか分かりませんが。体験を希望する場合には、体験したいコースによって、ユーグメンバーの誰かの推薦がいることもあります」
サ・ジャラはそう説明した。
主に技術体験は、審査が厳しい。問題が怒れば推薦した者と認可した者の責任にもなる為、ほとんど技術職体験が申請された実績はなかった。下手に外部の者を入れて、内部機密を持ち出されでもしたら大事になることは分かり切っており、それだけに、審査はほぼ通らないというのが、メンバーの間でも共通認識であった。
「体験だと、どんなコースがあるんですか?」
クリスタルも、サ・ジャラの口調と、アルバートやサ・ジャラの激務そうな様子から、ユーグの仕事がどれだけ大変なものであるかは、理解できるような気がした。興味半分で体験したいなどと言ってはいけない、そう解釈した。そして、それでも自分は見てみたいのかと問いかけて、ようやく出た言葉を、サ・ジャラに返した。それでも、見てみたかった。
「そうですね。一番楽に体験できるのは、一般コース。主に、広報部隊の体験です。まあ、言ってしまえば、ユーグがどんな組織で、日々どんな心情で皆が勤務しているか等、所謂組織の概要だけが分かるコースですね。分かることは見学コースと大差ありません。次に、訓練体験。一般的に救助部隊が普段行っている基礎訓練が体験できるコースです。これも、基礎の部分では、様々な宇宙軍とそれほど差がないので、比較的楽に審査は通ります。ただし、身体審査がありますので、身体的な問題――重病歴とかですね――によっては遠慮してもらうことはあります。それから、なかなか審査が通らない技術部門体験。これは私達メカニックの仕事の体験です。ただしこの体験には入隊試験へのエントリーが先に必要になります。というか、この体験の審査に通るようなら、ほぼ採用されたと思っていいでしょう。私もこの体験を経てメンバーに加わりました。そして、最後に」
サ・ジャラはそこで、言葉を切った。
そして。
「まず審査が通らない、一日総司令官体験。これに通るということは、ユーグ発足以来の逸材だと認められたと思っていいです。未だ、申請があったことはありません。提出しようとした者はいるのかもしれませんが、上官が受理した実績がないと噂では聞いています」
そう付け加えた。クリスタルも、最後のそれはない、と聞き流した。荷が勝ちすぎる。
「それなら、まずは、見学コースか、一般体験コースからですね。いきなり訓練や機械いじりは、私にはハードルが高い気がします」
「私もそう思います。どちらでも、ゆっくり決めると良いでしょう。もしどちらにするか決まったら、私に連絡を……あら、まだアルバートに情報端末を貰っていないのかしら?」
自分の情報端末を取り出してから、はた、と、サ・ジャラの手が止まった。確かにクリスタルは、サ・ジャラが気付いた通り、情報端末は所持していなかった。しかし、それはアルバートが忘れていたという訳ではなく、
「え? あ。私は端末はいりません。双方向の通信機能は、ボディーに内蔵してくれたじゃないですか。何なら私が端末の代わりになることもできますよ。画像や映像の表示以外であれば」
と、いうことであった。クリスタル内部の通信機能は、むしろ、その辺で市販されている情報端末よりもよっぽど高性能であった。
「そうでした」
サ・ジャラは疲れたように笑った。
「思ったより、私は疲れているのかもしれません。あなたが機械だということを、ついうっかり忘れました」
「しっかり休んでくださいね。アルバートさんや、サ・ジャラさんが倒れたら、私も悲しいです」
その様子に、クリスタルは本気で心配した。アミナスにいた頃のサ・ジャラの安心感が、全く感じられなかった。
「本当に。私のせいで、こんなになるまで働かないといけないなんて。何か手伝えればいいのに」
「ああ、ごめんなさい。あなたのせいではありません。先程の私の言動は、私の八つ当たりです。あなたに鬱憤をぶつけたことは、忘れてください。私が居づらくなります。私が、自分で選んだのですから、あなたは気にしなくて良いのです」
サ・ジャラが頭を振る。その様子も何処かふらついていて、生気がない。クリスタルは直視できず、やや目を背けた。
「分かりました。その代わり」
彼女は、責任の被り合いの水掛け論は引き下がることにした。サ・ジャラの体力と気力を、いたずらに削ることだと判定したのであった。
「少し寝てください。今毛布を持ってきてもらいます」
クリスタルはそう言って、席を立った。
「グロッドさん、しばらく、サ・ジャラさ……」
グロッドにサ・ジャラを見ていてもらおうと頼みかけて、言葉を止める。そして、クリスタルはそのままリビングルームをそっと出た。
どうやら、毛布は二枚必要のようであった。