第四章 機械は夢を見ない(5)
紅茶を飲み干したクリスタルは、ぼんやりラウンジの中を眺めながら、アルバートがコーヒーを飲み終えるのを待った。
一旦思い悩むのをやめ、周囲の隊員達の様子に、普段の任務中の姿を想像し、思いに馳せる。そんな風にクリスタルが眺めていると、隊員達の幾らかも、気になるようにちらちらとクリスタルを見ていることに気付いた。
ふと、むくむくと悪戯心が湧いてきて、目が合う度に、クリスタルは彼等に軽く手を振った。すると、ほとんどの隊員は目を逸らさず、手を振り返してくれることを知った。
「今日私が一日総司令官体験をしていることは、ひょっとしてみなさんご存じなんですか?」
気になって、クリスタルはアルバートに聞いてみた。アルバートは平然と、
「通達が回っている」
さも当然のように答えた。
クリスタルも納得した。総司令官と一緒に休憩している見慣れぬ子供がいれば、嫌でも一日総司令官体験をしている人物だと、隊員達も気付くであろう。
「皆さん、手を振り返してくれました。良い人達なんですね」
「基本的に、ユーグの任務は貧乏くじを自ら引きに行くに近い。お人好しでなければやっていられないのは確かだな」
アルバートも頷いた。そうかもしれないと、クリスタルも分かる気がした。
「勿論、それだけでは務まらない、ですか」
クリスタルがほとんど自覚無しに呟くと、
「分かってきたようだね」
アルバートも満足げに答えた。わざとコーヒーをゆっくり飲んでいるような風なアルバートから視線を外し、また周囲にクリスタルが眺めると、三人の隊員達が寄って来た。我慢できなくなってやって来たという風の様子であった。三人ともまだ若い。三人とも地球人類である。同じように黒髪を短く刈り込んだ、吸い込まれそうな黒い瞳が印象的な若者達だ。
「あの」
まだ二〇歳に達していないのかもしれない。溌溂とした声が、クリスタルに掛けられた。
「頑張ってください」
「?」
何のことか分からず、クリスタルは声も出せずに首を傾げた。一体どれを頑張れば良いというのか。思い当たる節が多すぎたのである。
「また受けるんですよね、ユーグ。前回、惜しかったって、噂になってます。俺も、五回目でようやく採用になったんです。だから、きっとまだチャンスはあると思います。ええと、だから、頑張ってください」
若者のうちの一人が、そんな風にしどろもどろに言った。他の二人はにやにやと笑っている。どうやらその若者の付き添いみたいについて来ただけであるらしい。
「あ。そういうことですか。ありがとうございます」
クリスタルは、思わず笑いがこみあげた。まさかこんな風に応援されるとは、思ってみてもいなかった。
「はい、私も負けないように頑張ります」
「それじゃ、戻らないと隊長にどやされるんで。話しできて嬉しかったです。一日総司令官体験も頑張ってください」
若者は、もう一度クリスタルに応援の言葉をかけて去って行った。一緒にいた二人も、
「頑張れよ」
と、短い、だが、心強い言葉を残して去った。
五回――その間に迷いもあったであろう。それでも諦めなかった彼は、心が強いひとなのだろうと、若い隊員達の背中を見送りながら、クリスタルは密かに尊敬の念を抱いた。
「戻ろうか」
コーヒーを飲み終えたアルバートに言われ、
「はい」
クリスタルは静かに頷いた。
総司令官室に戻る途中でも、隊員達の姿に、クリスタルは思わず目を向けがちになった。彼女に見られていることに気付いた隊員達は、誰もが嫌な顔一つせず、応援や激励の言葉すらかけてくれた。
「そういう人達を選んでるってことなんですね」
だんだん、ユーグの中身が分かってきた気がするクリスタルは、隣を歩くアルバートに告げた。
ユーグの廊下の壁は合金らしい素材で出来ていて、天井板は樹脂、床はタイルである。壁と天井には点々と照明が埋められていて、どちらかというと機械的な印象ではあるのだが、そこを行き来する人達が、基本的に皆、良いひとだからなのか、クリスタルには、温かみのある場所に見えた。
「でも確かに、考えてみると、ローセアさんが言った通りですね。何でユーグなんでしょうね」
「また考え始めてしまったか」
アルバートは笑った。幾分の理解と、仕方がないという諦めの混じった声であった。
「ゆっくり考えれば良いと言ったのにな」
「はい。それはそうなんですけど、気になりだすと止まらなくて」
クリスタルも苦笑いを返した。分かりそうで分からない、もどかしい思いが気持ち悪かった。
「それは分かるが。ただし今は君が総司令官だ。自分のことを考えるのも大事だが、ユーグの面倒も考えてやってくれ。よろしく頼むぞ?」
「あ。はい。そうでした。ちゃんとやります。ちゃんと」
そう言ってから、クリスタルは、ふと、一瞬何かに思い当たった気がした。一日総司令官体験。本来であれば総司令官がこなしている業務を、横で一緒に見ながら、ユーグがどんな風に運営されるかを知る機会。しかし、アルバートはそうではなく、本当に業務をクリスタルに行わせた。その意味が、何かある筈であった。無論、それだけの責任を裁くだけのシミュレーションができる頭脳を持ち合わせているという信頼は大きな理由であろう。だとしても、それだけではあり得なかった。
「ああ、私は、一日総司令官にななれても、総司令官にはなれないってことだ」
そう気付き、言葉に漏れた。廊下の途中で、足が止まった。
「私には、ユーグの明日が展望できないから。出来ないんじゃない。私は明日を考えたことがない。シミュレーションしたことしかない」
「ほう」
と、アルバートが感心したように声を上げた。彼は少しだけクリスタルよりも先に歩いてしまっていたから、振り向く形になった。
「それが君に必要なものだと?」
「分かりません。そんな気もしますし、そうじゃない気もします。機械は夢を見ないので、先の理想を考えることも――理想?」
ああ、そうかと、クリスタルは頷いた。
「夢とか目標ってそういう意味だったんですか。理想があるから、皆さん命懸けなんですね。だから私には分からないんです。私には持てないものですから」
「そうなのだね」
短く告げると、アルバートは廊下を戻り、クリスタルの背中に手を当てて再び歩き出すように促した。クリスタルはその感触に、自分の中身の希薄さすらをも肯定してくれるようなぬくもりを感じた気がした。
「アルバートさんは私にも出来ると思っているんですか?」
何故かそう言われている気がして、歩き出したクリスタルは、そうアルバートの顔を見上げた。
「できれば良いとは思う。できなくても良いとも思う」
アルバートはクリスタルを見下ろさなかった。並んで歩くアルバートは、草加の先だけを見ていた。
「君が君らしくあることよりも、価値のあることなどありはしない。だが、考えることは続けてほしい。君には、自分がただのロボットでも良いなどとは、諦めてほしくない」
「ただのロボットでいいとは、思っていません。確かに今年中に労働をはじめなければ、来年にはそう判定されてしまうのかもしれませんけど。もうそれで良いって、諦める気持ちはまだないです」
クリスタルも、それだけは自信を持って言えた。やはり自分は造られただけのプログラムで、命などというものはないのだということが事実なのかもしれないが、しかし自分の今の人格は、学習の中で、自分で培ってきたものであるという自負もあった。今の自分の自我は、誰かに用意されたものではないと。彼女のデータの中には、既に、エメラルドだった頃の人格プログラムは残っていない。ただベースとなって名残を残すだけだ。
「それに、今日の体験はまだ始まったばかりですけど、もう新しい発見が沢山できていて、お願いして良かったと、思っています」
クリスタルは、歩きながら、笑った。
「そうか。それならば良かった」
と、アルバートは冷静な表情のまま、答えた。しかし、本当に僅かに上ずっただけの声で、クリスタルには、彼が喜んでいることを、知ることができた。
「さて、切り替えようか。まだまだ総司令官の仕事は山のようにあるのだ」
それが伝わっているだろうと自覚できているからか、彼は誤魔化すように、大股で進み始めた。
既にすぐ先の壁には、総司令官室の、壁と同色の大きな自動扉が見えていた。




