第四章 機械は夢を見ない(4)
そして、それからまた、三〇日が過ぎた。
クリスタルは、居心地の悪い椅子に座り、隣に立ったアルバートを見上げた。
「離れないでくださいね。お願いします」
ユーグ本部の居住区で生活している者でも、僅か限られた者しか入れない場所。居住区を取り囲む輪状地区の、更に外側。本部区画の、総司令官執務室である。彼女にはとても信じられないことに、クリスタルの一日総司令官体験は、あっさり受理された。無論、ユーグ始まって以来の大事件で、ユーグ本部内でも、話題になっている。
しかし、当人には、そんな余裕はない。体験が始まって三〇分も経たないうちに、
「やめておくんでした」
既に悲鳴に近い声になっていた。それでいながら、忙しなく動く手は止まらない。ちらちらアルバートを気にしているようで、席にあるコンピュータに接続された、三台のモニターもしっかりチェックしている。
「何でこんなに報告書が多いんでしょうね。ああ、これも差し戻しです。上官は何を見ているんでしょう」
卓上の内線コンソールを叩き、左側のモニターを切り替える。
「今度はどのような?」
五分で既に三回目となると、秘書官も困った声になってくる。クリスタルは時間を惜しんで被せるように答えた。
「資材部に資材入出庫実績表の再入力を求めてください。出庫数実績が多分間違っています。ノーザルティ型イオンジェットブースター五基交換にバイパス菅二八本消費は絶対におかしいです。最低でも一機、ひょっとすると二機の小艇が整備不良になっていることになります。乗員の命に関わります。しっかりパーツは管理するように伝えてください」
それだけ言うと、クリスタルは秘書官へのビデオフォンを切り、アルバートを横目でまた見上げた。
「皆がこなさなければならない処理が多すぎるのかもしれません。資材の入出庫はそれこそロボットにやらせてみては? 死人が出てからじゃ遅いですよ?」
それから画面に視線を戻し、確認が必要な種類を、機械でなければ不可能なスピードでチェックしていく。一時間経ったころには、三〇〇件溜まっていた書類は、すべて見終わっていた。
「皆さんが、本気で活動しているんだってことが伝わってきます」
休憩を入れることにし、クリスタルはアルバートに案内され、本部内の休憩スペースでもあるラウンジへと移った。
ラウンジは広く、開放感があった。多くの隊員がいて、にぎやかに雑談している。クリスタルとアルバートが済のテーブルに落ち着くと、大柄のダルトランが一人歩み寄ってきた。
「ハァイ、アル。ついに引退を決意したのかしら? 報告書を戻してきたの、この子? 優秀じゃない」
女性のようだが、声は、極めて豪快な声量であった。ダルトランは地球人類と違い、体格で男女の区別がつきにくい。というのも、彼等は母乳で嬰児を育てるという生態をしていない為であった。その為、母乳類特有の乳房も持たず、ユーグの制服を着た五体は、ひどくスレンダーに見える。
「やあ、ローセアか。そうだ。五ヶ所も間違いがあったらしいな。君らしくもないぞ?」
アルバートは掛けられた声に応じてから、クリスタルに、視線を戻した。
「彼女はローセア。航宙艦の艦長をしている。生粋の救助のプロだよ。ローセア、この子が今日一日総司令官体験をしている――」
「クリスタルね。ハァイ、よろしく。ローセアよ」
アルバートがクリスタルにローセアを、ローセアにクリスタルを紹介し終わる前に、待てないとばかりにローセアはクリスタルの頭を撫でた。
「どんな歴戦の猛者かと思ったら、可愛らしいお嬢さんじゃない。びっくり」
「よろしくお願いします。お仕事たいへんですね。何かできる訳じゃないですけど、応援しています」
クリスタルは、ぐいぐい来るローセアの勢いに若干気圧されながらも、なんとか笑顔で答えた。
「ありがと。その言葉だけで百人力よ」
と、ローセアが笑う。それから、アルバートに向かって、
「はぁん、分かった、そういうこと。この子が噂の期待の志願者ね。ふぅん、なるほどぉ」
事情を了解したように告げた。彼女はもう一度クリスタルを眺めまわし、納得したように頷いた。
「ああ、すっごく分かる。すっごく惜しい。んー、このもどかしい感じ。若いわあ」
「ローセアさんには、私に足りないものが、分かるんですか?」
おそらくそのことを言っているのだろうということは、クリスタルにも理解できた。故に、聞かずにはいられなかった。
「見れば分かる。多分ユーグの隊員ならね。でも、あたいが教えたら、意味ないかなあ」
そう答えてから。しかし、同時にクリスタルを不憫に思ったようでもあり、
「あのさ。あたいらみんな、命がけで活動してんのね。なんでだと思う? 分かる?」
ヒントを出すように、クリスタルに尋ねた。
「ひとの命を救助する為ですよね?」
クリスタルは、首を捻った。どうもそれが求められている答えではない気がしたのだ。それでも、クリスタルには正しい答えは分からなかった。
「そりゃそうだ。間違いないよ。それがユーグだからね。でも、何でユーグじゃなきゃいけない? 銀河間連盟内のどこの軍隊だって、救助隊くらい持ってる」
さらにローセアはクリスタルに尋ねた。
クリスタルは黙り込み、答えが返せなくなった。軍隊とユーグの違いは幾らでもある。何が正解なのか分からなかった。
考えに考えて、クリスタルは、ふと、口にした。
「誇りが持てるからですか?」
しかし、それにも、ローセアは頭を振った。
「軍隊にだって誇りくらいあるさ。ないとこもありそうだけど、まあ、普通はあるもんさ」
それから、彼女は手を振って、自分の球形は終わりだという態度を見せた。
「ま、よく考えてみることさ。悩め、悩め」
笑いながら、彼女は去って行った。呆気に取られて見送りながら、クリスタルは、ただ、呟いた。
「命懸けで」
やはりクリスタルには分からなかった。彼女にはまだ命を賭けるということが、良く理解できない。
「君は真面目だからね。考えすぎているのかもしれんよ?」
アルバートはそう言って、一旦席を離れた。ラウンジの隅にドリンクディスペンサーがある。コーヒーを入れに行ったのであろう。その姿を眺めながら、クリスタルは、ローセアに言われたことを考えた。
「誇りじゃない」
そして、ふと、試験当日のことを思い出した。
『あなたの夢は何ですか? 目標でも良いです』
自分は、それに対する回答を間違えたのかもしれないと、思い始めた。何を答えれば良かったのかは分からないが、兎に角、試験当日の自分の回答は、良いものではなかったのだと、クリスタルは感じ始めた。
「私の夢。目標」
もう一度、その言葉を口にしてみる。それから、雑談している隊員達の姿を見回す。
「皆さん、夢があるから、命懸けで活動できる? そういうことなんでしょうか」
確かにそれであるとすれば、クリスタルには、ない。しかし、機械は夢を見ない。クリスタルにはやはり分からなかった。
ただ、引っかかりは感じる。
『目標でも良いです』
あの時、その言葉が付け足されたのは何故だったのだろうか。すぐには答えは出そうになかったが、それが理解できれば自分に足りないものが分かる気がした。
「私にたった一つ足りないもの」
「あまり考えすぎるのも良くはないな。まだ時間はある。結論を急ぎすぎないことだ」
コーヒーが入ったカップを一つ、紅茶が入ったカップを一つ、両手に飲み物を持ったアルバートがテーブルに戻ってきた。
「君は優秀だ。間違いなく。だから焦らなくて良い」
クリスタルの前に紅茶が入ったカップを置き、アルバートは告げた。
「そうですね。慌てると、間違えてしまいそうです。しっかり考えてみます」
クリスタルは頷き、紅茶のカップを手に持った。一口飲んでみる。苦い。以前に嗅いだ茶葉の芳醇な香りが足りないと感じた。
「ああ、言われた通りですね。ドリンクディスペンサーの紅茶は、あんまり美味しくないです」
クリスタルはぼそっと呟いた。
まるで周囲で雑談している隊員達のような夢が持てない自分のようだと思った。
そして、それは良くない考えだと押し流したくて、クリスタルは、カップの中の紅茶を、一気に飲んだ。




