第四章 機械は夢を見ない(2)
試験当日。場所は居住区内の多目的ホール。
まずは教養試験を受けることになったクリスタルは、他の応募者と一緒に大部屋で試験を受けるものと思っていたが、彼女だけは、別の個室に案内された。
「この部屋は、基本的な無線式通信をすべてシャットアウトするノイズ波が壁の中を伝っている部屋です。狭いとは思いますが、君が公平に試験を受けていることを保証する為の措置です。つまり、君がネットワークでカンニングはできないと確実に言えるように。君がカンニングをするとは私達も思っていません。それは誰よりも君自身が許さないことも理解しています。ですから、どうか、気を悪くしないでいただきたいのです」
試験官に説明され、クリスタルは納得した。
「ご配慮、ありがとうございます」
カンニングをしようなどとは欠片も考えていなかったクリスタルは、はたから見れば疑わしく思えるなどと、そこまで自分では心配していなかった為、その処置に素直に感謝した。
そして、肝心の教養試験はというと、今のクリスタルからすれば、拍子抜けする程に簡単な問題ばかりであった。彼女はすべてに解答でき、時間を余らせる程の余裕を見せた。
続く、体力試験も、他の応募者とは別に、単独で行われた。当然、彼女の異常な身体能力に、他の受験者から不満が出ないようにする為の処置であった。ただし、一部、ロープ登りをジャンプで登頂は、結果タイムとして認めて良いのか等、試験官の間で議論となった項目があり、少しだけ揉めた。なお、ロープ登りは、ちゃんとよじ登りなおすことで、ひと悶着に決着がついた。それでも十分に異常なタイムであったからであった。もっとも、クリスタル自身は、そのタイムに納得はいかなかった。彼女側としては、支柱を捻じ曲げないかが心配で、少し力をセーブしすぎたと感じていた為であった。
結果として、教養試験も、実技試験も、クリスタルが事前から予想していた通り、全く問題ないという手応えを感じられるまま終えることができたのであった。そして、自分でも弱点であると思っていた面接の時間はやって来た。
そして、招かれて入った部屋で、クリスタルは戸惑うことになった。見知った姿がったのである。部屋の奥で机に向かっている、青みを帯びた灰色の環境スーツを見た瞬間、
「あっ」
と、クリスタルは声を漏らした。
面接は集団面接ではなかった。部屋の中には、長机がひとつと折り畳み椅子が三つ。二つは机側にあり、もう一つはそれと向かい合うように手前側にある。机側の椅子のひとつには環境スーツを着たアプリシアの青年、ライモーが座っており、その隣には、初老とまでは行かないが、高齢に差し掛かりかけたカラドニスの男性が座っていた。そちらの人物は、どうやらライモーの上官であるようであった。机に名札が置かれており、それによると採用部の管理官で、ディペルという名前らしい。
「どうぞ」
お掛けください、と言葉だけでかかるかと、クリスタルは思っていたが、何故かライモーは自分から立ち上がり、受験者が座る為であろう椅子のところまでわざわざ来て、背もたれを抑えながらクリスタルを促した。
「ありがとうございます」
戸惑ったクリスタルは、促されるままに椅子に腰をおろした。椅子は比較的華奢だが、エメラルドの頃ならいざ知らず、クリスタルが座っても、軽い軋みが上がる程度でしかなかった。
彼女が座ったのを見届けると、ライモーは机に戻り、もともと座っていた椅子に座り直した。それから、奇妙な質問を、クリスタルに投げかけた。
「こんなに早くユーグに入隊しようだなんて。何かあった?」
それはまるで世間話のようであった。面接中だというのに、心配の方が勝ったといった様子である。
「私は銀河間連盟唯一の機械生命体ですから、自分では、既に人々の為に活動できる能力があると自負しています」
クリスタルは、ライモーの頭部部分の、屋内では黒く見えるバイザーをまっすぐに見つめて答えた。
「あ、ああ。そうか。エントリーデータにもそうあったね。信じられないことだけど。確かに教養試験の成績データも、体力試験の成績データも、生身のひとではあり得ないという結果を弾き出している。びっくりだ」
ライモーが困ったように告げると、隣で、上官らしいカラドニスが、咳払いをするようなわざとらしい音を上げた。
「あ、いいえ。すみません。取り乱しました。では、改めて。面接をはじめます」
と、ライモーも慌てて雑談を斬り上げた。
「今回はエントリーいただき大変感謝いたします。それでは、まず、ユーグの入隊を志願された動機をお話しいただけますでしょうか」
「はい。私は、先程も申し上げた通り、機械です。生身の生命体よりも運動性能は高く、計算能力も高いと自負しています。それを遊ばせて呑気に暮らしているのは、銀河間連盟にとって損失ではないかと考えました。しかし、私には社会的な経験が不足しており、私のエントリーを受け付けていただける先は多くないだろうとも理解しています。そして、よしんばエントリーを受理してくれる先があったとして、その先が社会的に信用できる保証もなく、それを事前に見抜く力があるとは、私自身、到底思えないんです。ともすれば、知らず犯罪に加担することになる恐れがあるなど、私のポテンシャルは、不用意に世に出してしまうと、逆に社会にとって害悪にもなりかねないものであることも理解しています。それであれば、確実に人々の為になると分かっている場所で、自分の能力を活かしたいと考えました」
クリスタルは、正直な本音を答えた。本音が出すぎて、少し長くなりすぎたと、軽く反省する。
「成程。良く分かりました。しかしご存じだとは思いますが、ユーグは非常に危険と隣り合わせの組織です。最悪の場合、命を落とすことすらあります。応募にあたり恐怖はありませんでしたか?」
さらに、ライモーが尋ねる。クリスタルの答えは決まり切っていた。
「怖くない訳がありません。しかし、その恐怖を忘れてしまうのは、生命体として自然なことじゃないと思います。他者の命を救助したいのであれば、最初から自分の命を捨ててかかってはいけないんだと思います」
「基本的にはそうかもしれません。とはいえ、その覚悟が必要になることはありますが。その点についてはどうお考えですか?」
立て続けに、ライモーが質問を続ける。
クリスタルは、少しだけ返答を遅らせた。その覚悟が必要な場合について、考えていない訳ではない。しかし。
「生憎、私には分かりませんでした。何故なら、私は生命体であると同時に、機械だからです。中枢のチップ一枚さえ無事であれば、私は、身体が破壊されても復活できます。私のボディーは、そういう意味では、ものに過ぎません。他の生命体のように、肉体と共に魂まで滅びてしまうという考えは、何度考えても、理解することはできませんでした。だから、それが必要な時には、私は躊躇なく自分の体を投げ出します」
良い回答ではないのだろう。しかしクリスタルには、嘘をつくことはできなかった。クリスタルの回答は、間違いなく、彼女にとっての当たり前であった。
「あなたのその決断を、周囲は褒めるでしょうか?」
さらに、ライモーは聞いた。質問は禅問答のようで、果たしてこれが面接として普通の会話であるのか、クリスタルには分からなくなりつつあった。
「絶対に褒めることはないと思います。でも私は、他の、肉体と一緒に、容易く命が失われてしまう誰かが体を投げ出すことを考えれば、私が叱られるくらいは、耐えられます。失われた生命は戻りません」
「あなたのその行動が、あなたの周囲の人々を、嘆かせ、心を痛ませるとしても?」
また、質問。
「はい。申し訳なくは思いますが、チップさえ無事ならば、それはただ器が壊れただけで、私が消えてしまった訳ではないことを、理解してもらえるまで私は話します。皆さん、納得はできないでしょうけど。それでも私は、他の生命体よりもずっと生存確率は高いと自負しています。それで誰も死なずに済むなら、私は私の器を、躊躇なく捨てます」
クリスタルはただ、切々と、自分の本心だけを語った。彼女が考えを揺らがせることがないと分かったように、一旦、ライモーは質問を切った。
それから、上官と頷きあい、さらに、一つだけ質問を投げかけた。
「では、最後に聞かせてください。あなたの夢は何ですか? 目標でも良いです」
ライモーの質問に、クリスタルはしばらく床に視線を落とした。夢。機械は夢を見ない。しかし、焦燥はある。クリスタルは顔を上げ、それを答えた。
「私の夢というか、望みは、機械の体であることを活かして、人々の役に立つことです」
クリスタルの答えは、とてもシンプルであった。それを聞いたライモーはまた頷き、
「ありがとうございます。こちらからの質問は以上です。逆に、何かあなたから聞きたいことはありませんか?」
そう告げた。
「ありません」
聞きたいこと、と問われても、クリスタルは何も浮かばなかった。そのことも正直に告げ、もう一度、床を見て、ライモーを見た。
「承知しました。面接を終了します。お疲れさまでした」
ライモーが告げる声に、クリスタルは何故か気が抜けたような気がした。彼女は促されるままに退室し、そして、彼女の初めての入隊試験の挑戦は、終わった。




