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第三章 突き付けられた条件(7)

 その日の夜。

 クリスタルは、早くも帰っておけばよかったと後悔していた。まさか、夕食に、一五人全員が集結するとは思っていなかったのである。しかも、全員から話しかけられるもので、誰が誰なのか全く分からないでいた。さらに悪いことに、クリスタルを歓迎するという名目で、クリスタルが参席した際には、既にほぼ全員酒が入っていて、名乗られても、全く、呂律が回っていないせいで言葉が聞き取れなかったのである。

 困った。クリスタルの心の中には、それしかなかった。頼みの綱にしたいバルファが一番酔っ払っており、頼りにならないことが明白であった。

「どうしたらいいんでしょう、これ」

 唯一の救いは、レサが隣の席であり、酒が飲めないとのことで、素面だったということであった。

「ほっといて。そのうち自分達だけで盛り上がるから。それまで辛抱したら、抜け出しましょ。きっと誰も気づかないから」

 レサにそう言って貰えて、幾分助かった気持ちになれた。それにしても。

「酒臭い……」

 それがクリスタルの正直な感想であった。

「言えてる」

 それはレサもげんなりしているようである。酒の入った宴席の独特の匂いは、間違いなく、酒が苦手な人物にとっては純粋に臭いだけのものでもあった。

「気分悪くなりそうです」

 クリスタルが言うと、

「水貰ってくる振りして、そのまま退席しようか」

 レサがクリスタルにとって有難い提案をしてくれた。場の匂いが耐えきれないと判断したクリスタルは、その提案に、

「おねがいします」

 と、乗ることにした。

 酒が入っている場の皆は、レサとクリスタルの、水を貰ってくるという申告に、陽気に送り出してくれた。ダイニングルームから廊下に出ると、新鮮な空気とはこれ程清々しいものだったのかと、クリスタルとレサは思わずどちらからともなく笑い声を上げた、

 それから、部屋を移動する。しかし、先は、クリスタルに当てがわれた個室ではない。

 そもそも、評議会理事会には、客間などない。来客を宿泊させるなど、異例中の異例なのである。通常であれば、数日かかる理事会との会談の場合にも、衛星軌道ステーションに送られ、そこに用意された来賓用宿泊施設に滞在するのが通例であった。

 その為、クリスタルが泊まるのは、自然、レサの部屋ということになった。そういった経緯で、二人が移ったのは、レサの自室であった。

「本当に、レサさんがいてくれて助かりました。ありがとうございます」

 部屋に籠ると、クリスタルは心の底からレサに礼を言った。あのまま慣れない酒宴に付き合わされていたら、どうにかなってしまっていたかもしれない。

「私も同じ。主賓があなたで良かった。主賓が酒豪だと、最悪だったと思う」

 レサも、同じように笑った。

 彼女の部屋はこざっぱりしている。就寝用の大き目なベッドが一つ。学習やプライベート用の机が一つ。クローゼットが一つと、帽子や外套が掛けられる立木のようなハンガーが一つ。本棚のようなものはなかったが、紙前時代的なの本はそうそう手に入る物でもなく、それは不思議ではなかった。およそ女性的な、クッションの類とか、ぬいぐるみの類とかいうものは、何もなかった。

「簡素な部屋でしょ」

 夕食前にも告げた言葉を、レサは、再度繰り返した。クリスタルは、自分の部屋と大差ないその部屋を、簡素であるとは思わなかった。

「私の部屋も似たようなものです」

 最初に案内された時にも述べた感想を、クリスタルもまた繰り返した。ロワーズ邸のクリスタルの自室も、寝室も、アルバートが使用人に用意させた家具や調度品以外のものはなく、見かねたのか、使用人のルティオがさりげなく置いたらしい、木彫りの小物入れ等のインテリアがあるに留まっていた。最近ようやく、自室にクリスタル自身が持ち帰った一輪のユリを挿した花瓶が加わったが。

「いいの。気を使わないで。女の子らしくないってことは、自覚してる」

 そうレサは告げるが、そも、クリスタルには、女の子らしい、が、何なのかが分からなかった。

「レサさんらしいとしか思いません。私が機械だからでしょうか。女の子らしさの定義なんか分かりません。そんなものがあるんですか?」

 そう首を傾げるクリスタルを、レサは、カーペットが敷かれた床に座り込み、クリスタルにも、まずはそうするように促すような視線を送った。クリスタルは半分頷き、自分も床に座った。

「あ、そっか。機械に本当は性別なんかないもんね。でも大丈夫だよ。クリスタルは私から見ても、私よりもずっと女の子だと思う」

 レサの言葉に、しかし、クリスタルはそうであるとは確信できなかった。そも、エメラルドであった頃から、彼女が、自分の人格が女性型であることを、意識したことはなかった。それでも、他人から見てそう思えるのであればそうなのだろうと、クリスタルは自然に納得できた気がした。

「自分では良く分かりません。でも、ありがとうございます。そう言って貰えると、そうなのかって、思えます。そうなんですね。私は女の子なんですね」

 それはクリスタルが初めて、自分のアイデンティティが女性であると強く意識した瞬間でもあった。無論、彼女に女の自覚が芽生えたとして、今は大きな意味をもつものではなかったが、その小さな自覚は、彼女の学習の質を変えるものであったことは、間違いなかった。

「だいたい私らしさが何なのかもまだよく分かっていないので。本当に、難しいことばかりです」

「わたしが思うに、そうやって、物事を理解しようとする姿があなたらしいのかもね。会ったばかりのわたしがこんなことを言うのもおこがましいのかもしれないけど。そういうのって、少し格好いい」

 レサは声には出さずに顔だけで笑った。笑顔というものは、案外、宇宙共通の親愛の表現であった。

「そうですか? ただ機械だから融通が利かないだけだと思いますよ? まだあなたたちみたいに、感情の機微みたいなものを備えるのには程遠いだけだと思います」

 クリスタルは、格好よくはないだろうと否定した。ただ堅苦しいだけだとしか思っていなかった。もっとも、自分が堅苦しいということを、自分で自覚もしていた。

「そうね。そうともいえるかも」

 一方、レサはクリスタルの意見を否定はしなかった。彼女はそれも含めて全部がクリスタルらしいということなのだと理解したようであった。

「ここにはお年寄りやおじさんおばさんしかいないから、あなたみたいに、わたしと同じ若い世代は新鮮なの。だから素敵に見えるのかもね。わたしには」

 そんな風にレサは笑った。確かにそれは寂しそうだとクリスタルも思ったが、考えてみれば、クリスタルの周囲も似たようなものであることを思い出した。

「考えてみれば、私もほとんど大人のひととしか話をしていません。だから格好良くなくても良いと思えるのかもしれません。あなたの前では」

 レサの前では、良い子、でなくても良いように思えている自分に、クリスタルは気が付いた。気楽というか、相手が求めている自分の姿、が透けて見えている感じがしないように思えた。もしかするとクリスタル自身が求められている自分の姿を、相手を通して自分が錯覚しているだけで、本当はサ・ジャラやアルバートもそんなものは望んでいないのかもしれないが、彼等の思いは複雑すぎて、クリスタルにはまだ分からない部分が多かった。

「分かる。等身大の自分でいるのって、何だか難しいよね。でも、わたしから言わせると、クリスタルって大人に可愛がられるように自然に振舞えるのが、ちょっと狡いと思う」

 レサも笑った。まだ若く、成熟しきっていないレサだからこそ、感情がストレートに、クリスタルにも伝わってくるのかもしれなかった。これが、サ・ジャラがいつか言っていた、オブラートに包まない純粋さかと、クリスタルにも理解できた気がした。

 正面から受け止めるには少し痛いが、だからといって、嫌ではなかった。

「そういうつもりはありません」

 だから、他人に対して、はっきりとそういう反応をするのは、クリスタルとしては初めて、レサに拗ねた表情を見せた。

「うそうそ、冗談。怒んないでよ」

 本気で怒っている訳ではないということは分かっていると言いたげに、レサは笑顔で弁解した。

「でも本当、そういうの狡いわ。絶対負けるもの」

 しかし、やはり本音は変えられないようであった。レサは、声を上げて笑った。

「狡くないです」

 クリスタルも、何がおかしいのか自分でも分からなかったが、笑いながら反論した。


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