第三章 突き付けられた条件(6)
扉が勢いよく開いた。
バルファがまだ二杯目の紅茶をクリスタルに入れる前であった。
「すみません! おそくなりました!」
首の後ろで髪を編んだ、クリスタルよりも少しだけ線が高い、若い女性であった。髪は栗色で、大きな目は深い藍色。肌の色は赤みがかった茶色であった。剥いだ木の皮のような衣服を着ている。基本的には床にまで届きそうなドレス風の衣装ではあるが、薄い木皮の布を巻いたような服でもあり、ところどころ、彼女本来の肌が覗いていた。樹木人とも呼ばれる希少種族、ディプティンである。種族的特徴として視力に優れるディプティンには珍しく、大きなレンズの、縁なしの眼鏡をかけている。
「レサ」
と、バルファが落ち着いた、だが、低い声で名を呼んだ。
「お客様の前だよ。扉は静かに開けなさい」
「すみません。あ、あの。わたし――あ。わたくし、レサと申します。ようこそ、クリスタルさま」
廊下を走っていた足音同様、挨拶も忙しない。明らかに、焦っているといった様子であった。
「レサ」
また、バルファが名前を呼んだ。
「挨拶の前に扉を閉めなさい」
「あ、はい」
扉を閉める。扉の向こうに、レサと呼ばれた女性の姿が見えなくなった。まるでホームコメディードラマを見ているようだと、クリスタルはおかしくなった。椅子を立ち、彼女は扉を開けて、
「大丈夫です。私は怖くないですよ。お部屋の中でお話しましょう。ドア越しではお話がしづらいでしょう?」
と、レサを部屋の中に誘った。そして、レサが入ってくると、クリスタルは自分で扉を閉めた。
「はじめまして。クリスタルです」
挨拶してから、ソファーに戻って、座る。先にバルファから通信を貰っていなかったら、自分がやっていたかもしれないと思うと、レサが他人の気がせず、クリスタルは親近感を覚えた。
「レサには、次世代の評議会を背負ってもらう為に、副理事の職について私の仕事を学んでもらっている。普段はこんなことはないのだが、どうも必要以上に気負っているようでね」
紅茶を入れながらバルファが苦笑する。
「すみません……」
小さくなってソファーに座るレサが不憫で、クリスタルは何かを空気を変える為の話題がないかと探した。
「それにしても、まだ若い方に見えますが、副理事だなんて、優秀な方なんですね」
そんな言葉しか出なかった。
「いえ、あの。わたくし、その。これでももう五〇年生きていまして」
レサはそう答えるが、ディプティンは長寿な種族であり、寿命は三〇〇年程だとされている。五〇才という年齢は、ディプティンとしては間違いなく若かった。
「いえ、十分に若いじゃないですか。ディプティンは成熟まで時間がかかるんでしょう?」
クリスタルが笑うと、レサも、少しはにかんだように笑った。
「え、あ。そうです。そうなのです。ご存じなのですね」
「はい。ですから、いつも通りで、話してもらえると、私も気が楽です」
もう一度、クリスタルは笑顔を浮かべた。レサは小さく頷いた。
「ありがとう、クリスタル。そう言って貰えると、わたしも、その、嬉しい。かな?」
「なんで最後疑問形なんですか。私は怖くないですからね。ね? もう少し、気楽にしてください。お願いします」
なんだか立場があべこべだと、クリスタルは内心おかしかった。これほど緊張されると、不安に思っていた自分はなんだったのだろうと思えてくる。
「これではどちらが年上か分からないな」
そう言いながら、ティー・カップを持ったバルファがソファーに戻って来た。やけに時間が掛かったものだが、彼はティー・カップを二つ持っていた。それを、クリスタルと、レサの前に置いた。
「うん、レサとの対比を見たら、もう良いかという気に、私もなって来たな。レサが成人として働いているんだ。クリスタルも成人扱いで良いのかもしれん」
バルファのそんな言葉を、クリスタルは入れてもらった紅茶に砂糖とレモンを入れながら聞いた。そういった、特異な前例になることは、もう少し厳正に決めるべきではないのかという疑問はないではなかったが、評議会理事長と副理事がそれで良いというなら任せても良いかという気にもなっていた。
「お任せします」
クリスタルの口から出た言葉は、それだけであった。彼女は、レモンを入れた紅茶を飲み、
「あ。爽やかで美味しいです」
と、関係ないことながら付け加えた。
「そうだろう」
バルファも満足げであった。
レサも気持ちを落ち着けようとするように自分の紅茶を飲み、ほっと一息ついたような、そんな微かな声を漏らした。彼女は紅茶に砂糖もレモンも入れなかった。
「苦くないんですか?」
クリスタルがレサに聞くと、
「わたしたちディプティンは、砂糖がだめなの。普通の種族でいう血液が樹液のような成分で、砂糖を摂取してしまうと、すぐにどろっとしてしまうから。まあ、わたしたちには、一種の毒ってこと。レモンを入れないのは、わたしが、柑橘系苦手なだけ」
レサは、ようやく落ち着いた口調で答えた。落ち着くと、レサの声は、確かにかなり理知的に聞こえた。
「ああ、でも。聞きたいと思ってたことが一杯あった筈なのに。皆飛んでしまったわ。ほんと、情けないったら」
「初対面って、緊張しますよね」
クリスタルにも、何気なしに共感できた。妙に身構えてしまうのは、皆同じなのであろう。しかし、その言葉は、レサには多少不満だったようであった。
「それだけ落ち着いてる子にそう言われると、却って傷つくかも。あなただってわたしと初対面でしょ? ねえ、クリスタル」
「はい。これでも、緊張はしました。でも、レサさんがあまりにも可愛らしかったので、私の方の緊張はすぐに吹き飛びました。そういう意味では、私は助かりました」
紅茶をもうひと口飲み、クリスタルが笑う。
「わたしは助かってない。致命傷よ」
と、レサも紅茶を飲んだ。
二人を時折眺めながら、バルファはキッチンの方で紅茶を入れた後始末をしている。それが済むと、彼もソファーにまた戻ってきた。
「どうだい、レサ。クリスタルは成人として扱って良いと思うかな?」
「それはもう。わたしも文句なしです、理事長。それで理事会の会合に掛ける、で良いと思います」
バルファの問いに、レサが頷く。とはいえ、彼ら二人がそれを良しとしても、それですべてが済むという話でもない。
「そういうことだ、クリスタル。とはいえ、これはあくまで私達から評議会理事会への議題提起と提案に過ぎない。理事会一五人の意見を聞き、理事会から評議会へ、さらに提案を行わねばならん。最終的に私の承認の段階があるにしても、一旦評議会の会議での意見は取りまとめなければ決められないんだ。こちらでもしばらく時間が掛かるから、気長に待っておいてほしい」
「こちらで待った方が良いですか? それともユーグ本部の方で待った方が良いですか?」
クリスタルは待つことに異存はなかった。ただし、待つ場所については確認しておきたかった。
「帰宅を急がないのであれば、しばらくここに逗留してはどうだろう。理事会の他の皆も会いたいとは言っているのは本当だ。食事の時などに、たわいのない話に付き合ってあげてはもらえないだろうか。無論、無理にとは言わないよ」
バルファは控えめに、理事会にしばらく留まることを希望した。
しかし、一五人である。
正直、それだけの人数との付き合いを、短時間で裁ききれるものか。クリスタルには不安があった。
「泊って行ってよ。わたしも、緊張して、ぜんぜん話ができた気がしてないし」
しかし、レサにそう言われて、確かに、と思う自分がいることも、クリスタルは自覚した。
「うーん……」
しばらくの逡巡のあと。クリスタルはカップに残った紅茶を飲み干してから、ようやく心を決めた。
「また紅茶をご一緒させてもらえるなら」
そう、答えた。
「いくらでも」
「そうしましょ。明日も一緒に。ね」
バルファと、レサは笑顔で頷いた。




