第三章 突き付けられた条件(5)
廊下を随分歩いたのちに、クリスタルは金属の両開き扉の奥の部屋に案内された。その中は、ほとんどリビングルームといった風に砕けた雰囲気であり、さりとて、雑然としているという訳でもなかった。
「どうぞ」
バルファに先に座るように促され、花柄のカーペットの上に置かれたグリーンのソファーに、クリスタルは腰掛けた。ソファーの生地は、ビロードのように滑らかな感触であった。
「副理事さんは、どちらですか?」
部屋の中には、クリスタルとバルファの姿しかない。不思議に思って、クリスタルはバルファに尋ねた。
「すぐに来ると思う」
部屋の奥にある食器棚まで歩いていったバルファが、ティー・カップを取り出しながら答える。彼は、ティーストレーナーとティーポット、それと、ひとセットだけティー・カップを取り出すと、食器棚の扉を閉めた。
「少々神経質でね。君の前で恥ずかしくないようにと、念入りに身だしなみを整えているんだろう」
それから、彼は少し歩いて、あまりに旧式なキッチンのような一角に立った。自分で水道から合金製のポットに水を汲み、古めかしい電磁調理器の上で湯を沸かし始める。
「随分、珍しい調理器をお持ちなんですね」
そんな調理器を使っているところを見たのは、クリスタルも、惑星アミナスの、バークルのバーガーショップで見て以来であった。そして、同時に、あの時のバーガーにひとのぬくもりを感じたことも、彼女は思い出した。
「ああ、これか。これで沸かしたお湯で入れた紅茶は、ドリンクディスペンサーとは比べ物にならないくらい美味しいんだよ。私は、逆にこれしか飲めなくてね。ドリンクディスペンサーの奴は、飲み物じゃない……おっと、他の人には、私がそんなことを言ってたなんて、言わないでおくれ」
バルファは湯が沸くのを待ちながら、笑った。なんとなく気持ちが分かる気がしたクリスタルも、頷いた。
「紅茶ではないですけど、惑星アミナスに鉄板でお肉を焼いてくれるバーガーショップがありました。そこのバーガーが美味しくて、バーガーというものは、美味しいものだって、私は思いました。でも、ユーグ本部の居住地区で、フードディスペンサー製のバーガーを買ったら、味気なくて食べるのが苦痛でした。それと、同じようなことかもしれませんね」
「いや、ような、ではないな。同じだよ。やはり、ひとの手で入れたもの、作ったものが、飲食物は、本物だと私は思う。フード&ドリンクディスペンサーは便利だが、便利なら良いというものでもないよ。そういったことが贅沢というものだ」
笑い、バルファは部屋の扉を見た。
「遅いな。――まあ、先に本題の話を始めていようか。結論から言おう。君固有の人権についてだ。基本的には、サイボーグ手術を受けた生命体と、同等にしようと、私は思っている。つまり、君自身の意志と安全は保障されねばならないものと考えるということだ。そして同時に彼等と同等の義務を君は負うということだ。つまり帰属した文明に求められた義務を負うということだ。今の君の状況でいえば、サイボーグ手術を受けた人々が、ユーグで暮らす場合の権利と義務の両方が、君には適用される」
バルファが話している間に、ポットが湯気を上げ、湯が沸騰したことを示す騒々しい音が上がった。彼は電磁式調理機の加熱を止め、紅茶を入れ始めた。茶葉は、電磁式調理器と一体型になった引き出しの中から取り出されたものである。
「とはいえ、それでもまだ君には不足な筈だ。彼等にはある、元の種族、というものが君にはないからだ。そこが君を呼んだ理由でもある。君自身に聞いてみたかったんだよ。どうするのが妥当だと思う?」
紅茶をティー・カップに注ぎ終えると、それを持ってバルファはクリスタルがいるソファーへとやって来た。彼はティー・カップをクリスタルの前に置いた。そして、シュガーポットと、半分に切られた、スライスレモンが入った器も傍に置く。
「ありがとうございます」
クリスタルは出された紅茶に、小さじ半分だけ、砂糖を掬って入れた。レモンティーというものを飲んだことがなかったので、彼女にはレモンをどうして良いのか分からなかった。迷った末に、紅茶をひと口飲んでから、そのままレモンを口に入れた。酸っぱい。
「レモンは紅茶に入れるんだ。レモンティーを知らなかったかな?」
バルファが笑うのを見て、クリスタルはやってしまったと自分の無作法が恥ずかしくなった。銀河間連盟の中でも、こと、食文化は、かなり共通化が進んでおり、コーヒーや紅茶自体はどの文明でも見られる普遍的な飲料であったが、逆にその共通化のせいで、砂糖やミルク以外のものを入れるという常識が、クリスタルのデータには存在していなかった。
しかし、一度口に入れたものを出すというのが、マナー違反であることは、たいていどの文化でも共通している。クリスタルは、酸っぱいのを我慢して、口に入れてしまったレモンを、何とか噛み砕いて飲み込んだ。
「すっぱいです」
「それはそうだよ。無理しなくてもよかったのだが、君のそんな失敗が私にはあまりにも新鮮で、つい眺めてしまった。すまないね」
おそらくバルファの記憶の中にあるクリスタルは、そんな幼稚な失敗はしなかったのであろう。もっと超然としていて、一分の隙もないような存在であったのかもしれない。
「いえ、先に聞くべきでした。恥ずかしいです」
クリスタルは口の中の酸味を消す為に、紅茶を飲んでから、笑った。
「そのくらいの失敗であれば、誰でもするものだよ」
バルファは、にこやかに笑ってから、
「それで、どうだろう。君は君自身について、成人その他の基準をどうすべきだと思うかな」
話を戻し、クリスタルに尋ねた。
「私はもともと機械なので、身体的には成熟するということがありません。逆に言えば、産まれた時から労働可能な体、といえると思っています。また、知識については、必要な知識を必要な時にアップデートすれば、一晩で覚えられますから、時間をかけての学習は不要です。ですが、モラル、常識、メンタリティー等の、所謂、精神年齢が問題になるのだろうと思っています」
クリスタルは、思っている通りを答えた。それ以外に答えはないと確信していた。
「うん。そうだろうね。私もそう思う。しかし、さて、君の精神年齢は、どう判定すべきなのだろうね。その基準すらない訳だ。君は理解さえできれば法やマナーを順守できるし、一度理解した尺度にはムラがない。ある意味どの種族よりも模範的だ。しかし、それを理解するのに、君には果たしてどれだけの時間が必要なものなんだろうね。私にはそれが分からない」
バルファが告げた言葉は、正しくその通りだとクリスタルにも感じられる内容であった。そも、彼女自身にも分からないことであった。
「でもそれは。正直に言うと、皆同じじゃないですか?」
ただ違うのは、クリスタルには、それにどれだけの時間が掛かるか分からないのは、彼女特有の問題とは思えないということであった。どの種族、どの個人においても同じなのであろうと。
「確かに。それは的を射ている。確かにその通りだ。そう考えると、理詰めのみで考えるという割り切りが確実にできる君の方が、まだ信用できるのかもしれんな」
やや考えこんでから、バルファは頷いた。
「とはいえ、君の外見は明らかに子供の特徴をもっている。子供に労働させることに忌避感をもつ種族も多い。それに、私も驚いたが、知識が詰まっていない君は……意外な程子供っぽいのだな。ああ、未熟、という意味ではないよ。雰囲気が、という意味だ」
「つまり?」
自覚の有無は兎に角。クリスタルはまだ自分が失敗することも多いことは知っている。今しがた、恥ずかしい勘違いをしたばかりで、大丈夫、とはとても言える気がしなかった。そして、それが子供っぽいということであれば確かにそうなのであろうが、それが労働その他ができない理由になりえるとは、クリスタルには思えなかった。
「つまり、他人から見た時、君に成人としての責務を押し付けるのが、忍びない気がするんだよ」
バルファが押し付ける側の心情の問題だ、と言った時。
廊下から、誰かがバタバタと走ってくる足音が聞こえてきた。
「来たようだ」
バルファは告げ、クリスタルに出した紅茶が空であることを確かめた。
「もう一杯どうかな?」
彼に勧められ、
「お願いします」
クリスタルは言葉に甘えて、紅茶をもう一杯もらうことにした。先程は、レモンを齧ったせいで紅茶の味が分からなかったからであった。
「今度はレモンは紅茶に入れてみます」
彼女は、冗談混じりに笑った。
「ぜひそうしてみてくれ」
腰を上げたバルファも、静かに笑った。




