第一章 機械の存在意義(2)
とは言ったものの。
一度染みついた日常のルーチンはそう簡単に改まらないのも、また、人間の性であろうか。翌日から、また、アルバートは家に戻らなくなった。せめて家には帰ってほしいと思う一方で、クリスタルは自分自身のことについても困っていた。
ありていに言えば、暇を持て余していたのである。やることが、ない。掃除等の家の雑事は、使用人の仕事であり、そして使用人はプロである。クリスタルが手伝おうにも、素人の彼女が手を出してもむしろ邪魔になるだけであることは既に経験済であった。
家備え付けの情報端末で電子書庫を漁るということも考えたが、残念ながらユーグの情報データベースにもアクセスできる、ロワーズ邸の情報端末は厳重なセキュリティロックが施されており、勝手に起動することもできなかった。バークルのバーガーも既に尽きた。そのことについては、結局正体を現さなかった誰かに一言いいたいところであったが、生憎彼女からコンタクトを取る方法もない。それでも、半分はもって行き過ぎだと、今でもクリスタルは思っていた。
リビングルームのソファーにちょこんとおさまり、ただ暇を持て余していると、良くない考えが、クリスタルの思考の中を巡りはじめる。
「私は、まだ、誰の役にも立てていない」
彼女は、それを声に出した。生命体とは認定されたものの、彼女はやはり機械であった。機械であればこそ、誰かの役に立つことが自分の存在意義でなければならない筈、という認識は、未だ彼女の意識の底に渦を巻いていた。
サ・ジャラから贈られたボディーは素晴らしい。身体能力はほとんどの知的生命体を凌駕した自信があり、耐久力も上がっている筈である。思考もクリアで、溢れんばかりに膨大な容量のデータを溜めこんでもなお余りある記憶域も手に入れた。しかし彼女は、それをどう活かしていけばいいのか、どう活かしていくのが正しい選択なのか、考えられるだけの自信を持たなかった。
「私にはまだ心がない」
感情はある。思うことはできる。しかしそこまでなのだと彼女は考えていた。自発的に笑い、泣き、悲しむことはできても、揮発性の感情はその場限りのもので、自分はまだ刹那の時しか生きられていないのだと思うと悲しくなった。それを、翌日に持ち越す程の強い思いに持続させるということができなかった。
皆はどうしているのか、を聞いたところで、アルバートにも、サ・ジャラにも答えることはできないであろう。クリスタルにも理解はできていた。それは彼等からすれば自然なもので、無自覚に日々行っていることで、方法を問われても分かる筈のないことなのだ。
『ゆっくりでいいのです。時間はたっぷりあります』
サ・ジャラのそんな声が聞こえてくる気が、クリスタルにはした。彼女はそう言って笑う筈である。有難いことではあるが、その言葉に甘えて良い理由はないと、クリスタルは思うのであった。
「そうじゃ、ないんです。私が、何かしたいんです」
と、呟いてみる。
「それなら、ユーグ本部を見学させてもらってみては、どうですか?」
答えは、すぐ傍から降ってきた。ソファーの後ろにいたのは、他でもない、サ・ジャラであった。あれから結局一日も住居に帰っていないのであろうか。クリスタルが見上げると、その顔はやつれたように疲れが浮かんでいた。
「その前にサ・ジャラさんは休んでください」
クリスタルは、言った。見るに見かねるとはこのことであった。
「生憎、後始末があるのです。あなたに関して、メカニック達に一斉に休暇をとらせて、山ほど人材を注ぎ込みましたからね」
サ・ジャラに悪気はない。ただ、疲れて判断能力が落ちているだけである。結局クリスタルは思い出せていないが、クロフォード・エデンで宇宙ステーションの建設や運用、メンテナンスの中核を担っていたのは、ユーグお抱えのメカニック達であった。その分、ユーグ本部に、精密検査や整備が必要な機材や艦艇、機体などが列を成して待っていたのである。サ・ジャラに休んでいる暇などなかった。
「チーフの私が休んでいる暇はありません」
「え、あ。私の、せい、だったんですね」
その事情を、クリスタルは初めて知った。ひどく申し訳ない気分で、居ても立っても居られない程、何とかできないのかと考える。しかし、クリスタルにできることはなかった。
「いえ……疲れているのは本当みたいです。こんなことを言ってあなたを困らせて、仕様のない私です。自分から志願したのに、あなたに責任を擦り付けるのは言いがかりでした。ごめんなさいね。皆にも少し外の空気を吸って来いと言われる訳です。整備ドックから追い出されたので、どうしているのか、様子を見に来ました」
サ・ジャラはふらふらと覚束ない足取りでクリスタルの向かいのソファーに向かった。あまりにその様子が心配で、クリスタルは立ち上がり、サ・ジャラがソファーに座るのを助けた。
「お水をお願いします」
使用人に声をかけ、クリスタルはサ・ジャラの為に水を頼んだ。こういう時の定番は温かい物ではあるのだが、ク・デであるサ・ジャラには、コーヒーや紅茶といった味のついた飲み物は体に障る。お湯を飲んでいるところも見たことがなかった為、クリスタルは敢えて冷たいままの水を頼んだ。自分が汲みに行かなかったのは、今のサ・ジャラをひとりにしておくのが心配だったからであった。
「ありがとうございます、サ・ジャラさん。ゆっくりして行ってください。私の家じゃありませんけど」
「いえ、あなたの家でもあります」
サ・ジャラは疲れた顔でありながら、柔らかく笑った。
「それで良いのです。それより、用件はもう一つあります」
「用件、ですか」
クリスタルは首を捻った。すると、視界の端に、見覚えのある人物が入った。
「え」
「よ。工場を畳んでユーグの新入りになることにした。よろしくな、お嬢ちゃん」
サ・ジャラと異なり、心身ともに健康といった感じで、サ・ジャラの隣にどっかと座った男は、惑星アミナスで、半公営のスクラップ工場を開いていた、グロッドという男であった。
「アンドロイドの廃棄を一日中やってるとよ、気が狂いそうになるんだ。実際、病院送りになった奴もいるらしい。当たり前だよな。何の罪もない、従順なロボットだ。そいつらを、一体一体ロボットだと判定して分解しなきゃならんのだ。平気な奴がどうかしてる。処理場の廃業宣言ラッシュで議会も今頃になって慌ててるよ。見通しが甘いのさ。一方で、金のネタと割り切れる奴だけが、儲けてる。従業員を使い潰しながらな」
お道化たようにソファーに踏ん反り返るグロッドの顔には、呆れたような、憐れむような、自重するような、複雑な感情が乗っていた。
「こちらとしては優秀なメカニックが増えることは、とても喜ばしいのですが……兵器も見たくないと言っていたあなたが、何故ここへ?」
そんな様子のグロッドに、サ・ジャラが尋ねる。グロッドが兵器を忌避しているという話は、クリスタルは知らない。その話をしていたとき、クリスタルは古いボディーから新しいボディーへのデータ転送中で停止していた為であった。
「ああ、確かに軍隊はもう御免だ。アミナスで機械屋に転職も御免だった。アンドロイドのことは嫌でも耳に入って嫌な気分になる。だから惑星を出た。とは言え、飯は食ってかなきゃなんねえしな。それなら少しは」
と、グロッドは、ソファーから身を起こした。
「誇りが持てる方向で、いたいもんだろ?」
「成程。理解できました」
サ・ジャラが頷く。
「誇り、ですか」
グロッドの言葉に、クリスタルも反応した。彼女はまだそれがどういうものなのか、言葉でしか理解できない。
「軍隊には誇りはないと?」
「ないとは言わん。だがお世辞にも誇り高くはないな。俺の感覚で言えば、だが」
グロッドは何度か頷いた。彼は自分のメカニックジャンパーから情報端末を取り出し、一枚の画像を表示させた。ロケットのような外見で、もっと小さい。
「今もっとも流通してる対宙艦ミサイルだ。たいていの宇宙軍じゃあ、小型飛行艇に標準で四発までマウントできる。一発幾らか知ってるか?」
「現在のレートでは、宇宙共通クレジットで、一〇〇万と」
クリスタルは答えた。その情報は、彼女にしてみれば容易に無線通信で入手できる。
「高いと思うか?」
と、グロッドは聞いた。
「分かりません」
何を聞かれているのか、クリスタルには分からなかった。サ・ジャラはただ黙って、そのやり取りを眺めていた。
「一発民間のシャトルに撃ち込めば全滅だ。定員は中型で五〇〇人、大きければ一五〇〇人以上。百人、千人単位の命を纏めて宇宙の塵に変える値段ってわけだ。安いもんさ」
グロッドは、皮肉そうに、そう笑った。