第三章 突き付けられた条件(3)
惑星ラゴン。
地球型惑星ではあるが、生態系は地球とは大きく異なる。大型の四足獣はほぼ存在せず、代わりに、陸上では鱗をもった多種多様な生物、地球でいう爬虫類が繁栄している。特に、陸上最大の生物は、甲羅をもつもの、所謂、地球でいうところの陸亀であった。
その惑星には都市はない。遺跡のような古めかしい岩組みの建物と、それに付随した、小さなスペースポートがあるのみである。それこそが、銀河間連盟評議会理事会のすべてであった。
と、いっても、防衛が手薄ということでもない。軍事設備などはすべて衛星軌道上、または、大気圏の最も外側、つまり外気圏に存在していた。恒星間航行可能な艦船が停泊できるドック併設のスペースターミナルも大気圏外に存在し、そこから小型降下艇のみで惑星に降りるというのが、銀河間連盟評議会理事会を訪れる場合の来訪手段となっていた。小型降下艇は、理事会が持つものを使い、その操縦も理事会の防衛軍が行う。宇宙艦艇に搭載されている来訪者達自身の降下艇を用いることは許可されていない。しかも降下艇に乗船が許可されるのは、評議会理事会に招かれた当人のみであり、護衛の随伴すら許可されていなかった。
そんな訳で、クリスタルは、ぽつねんとひとり、降下艇の客席に、大人しく座っていた。内容や座席などは古く地球にあったリムジンもかくやといった豪華さであったが、乗員はすべて見知らぬ者達であり、本来であれば居心地はおよそ良いものではなかった。
「どのくらいで着くんですか?」
客室の隅で、簡素な座席に座って控えている兵士にクリスタルが問い掛ける。兵士は深い藍色の強化防護服で全身を武装しており、種族は分からなかった。軽量化の為か、一番外側が樹脂で覆われているプロテクター型の防護服で、見た目は古めかしいロボットのようでもあった。
「本日は気流が乱れております。三時間程度掛ると予想されます。長旅でお疲れとは存じますが、何分、天候のみは我々にも如何とも致しがたく、何卒容赦をいただければと」
兵士の声色は柔らかい。見た目が威圧的だけに、クリスタルをなるべく怖がらせぬようにという配慮が感じられた。
「いえ、ただ気晴らしに聞いてみただけですから。気にさせてしまったならごめんなさい」
軽く謝り、クリスタルも笑う。彼女の様子に、窮屈さや怯えといった感情はない。理由は無論、先に理事長であるバルファとの会話があった為、評議会理事会を信用する気持ちが芽生えていたからである。
「しかし、落ち着いてらっしゃる。こちらとしては、あまり落ち着かない子だと大変ですし、あまり不安そうだと心苦しいです。そのくらい落ち着いてもらえていると有難いものです」
退屈していると思ったのであろうか、兵士は気さくに雑談に応じるという態度を示した。細かい配慮に、クリスタルの頬も緩む。幾分の笑い声も出た。
「そうですか。皆さんの迷惑にはなりたくないですから。そう言って貰えると、私も安心できます」
客室の中の雰囲気は、そんな風に和やかである。兵士の表情は濃いバイザーの奥に隠れて見えないが、クリスタルを可愛がってくれている空気は伝わってきた。
「良くできたお嬢さんだ。うちにも同じくらいの年の娘がいますが、どうしてこうも違うのか」
そんな風に笑うことから、クリスタルにも、それは伝わってきた。
「そんなことを言うと、娘さんに怒られますよ」
やんわりと、クリスタルも笑った。
降下艇には窓があるが、大気圏突入中は耐気圧耐熱シャッターが降りていて、外を見ることはできない。客室にはソファーとサイドテーブルがあり、サイドテーブルには袋に小分けされた菓子も用意されていた。それもクリスタルの退屈凌ぎの為に用意してくれたものであう。クリスタルは初めて見る菓子であった。
赤く包装された袋を手に取り、クリスタルは不思議に思いながら眺めた。袋は完全に着色されていて、中身は見えない。中身の菓子は一粒だけ入っているもののようで、指先に独特の弾力を感じた。
「良ければどうぞ。ザラーズ・ケブで有名なグミです」
兵士にそう説明されるが、生憎、クリスタルは肝心のザラーズ・ケブを知らなかった。繊細な制御が要求される大気圏突入の最中に、余計な通信をして計器に影響が出ても申し訳ない。クリスタルはネットワークに通信をして調べるのもやめておいた。
「そうですか。ひとついただきます」
良く知らないものを口にするのに不安がない訳でなかったものの、ひとまず、透過解析で危険なものでないことは確認できた。クリスタルは袋を破り、グミを口の中に入れた。弾力が強いゴムとゼリーの中間のようなその菓子は、薄いクリーム色をしていた。
「あ」
軽く嚙んだだけで、グミは潰れ、果物のような味が口の中に広がった。
「本当、おいしいですね」
初めての食感をたのしみながら、クリスタルは兵士に、笑顔を向けた。それから、ふと、兵士のことを聞いてみたい、という気になった。
「ご家族は近くに住んでいるんですか?」
まず、そのことが聞きたくて、切り出す。
「いえ。たとえ家族でも、ラゴン星と衛星軌道ステーションには立ち入れません。家族は、ここから評議会の航宙艦で二〇日かかる、ダーズダイト星系にいます」
兵士は、クリスタルの質問に快く答えてくれた。クリスタルも詳しい訳ではないが、ダーズダイトは、あまり治安が良くない場所として広く知られていることは知っていた。
「それじゃあ、心配ですね」
「いえ、生まれも育ちもあそこだと、流れのごろつき共くらいはあしらえる度胸と腕力がつきます。むしろ人様に怪我させていないか、心配になっているくらいです」
逞しい。クリスタルは兵士の話に、思わず笑ってしまった。
「そうですか。年にどのくらい、家族とは会えるんですか?」
そして、クリスタルはなかなか会えないのだろうなという不憫な気持ちも感じながら、さらに尋ねた。
「年に一、二回ってところです。おかげで娘には完全に他所のおっさん扱いです。まあ、その分、こう言っちゃなんですが、銀河間連盟の平和を守っているという、自負があります」
兵士は寂しさ半面、誇らしさ半面、といった声で答えた。
「尊敬します」
クリスタルがそれだけ告げると、
「ありがとう、お嬢さん」
兵士の声も嬉しそうであった。
「間もなく大気圏突入が完了し、シャッターが開くそうです。外が見えるようになります。眼下に広がる一面のジャングルは、なかなか見応えがありますよ。期待していてください」
兵士の声色が変わり、おそらく操縦席からの連絡を受けて、クリスタルに惑星内飛行に映ることを告げる。クリスタルは、ほんの一瞬、閉まったシャッターに視線を投げてから、兵士に頷いた。
「これでも、初めての場所は、やっぱり不安ですよ」
急に、クリスタルは、自分に不安が全くない訳ではないことを、口にしたくなった。バルファからの通信で、少しは心が軽くなったとはいえ、だからといって、自分が何か失敗をしてしまうのではないかという心配が、消えた訳でもなかった。
「そうでしょうなあ」
分かる、といいたげに、兵士も頷いた。
「しかし、だからこそ、その落ち着きが、流石だと感じられる訳ですよ」
「そんなものでしょうか。ただ、不安すぎて、逆にどうにもならなくなっているだけなのかもしれませんよ?」
クリスタルが笑うと、
「いや、それだけ冗談が言えるだけでも、たいしたものですよ、お嬢さん。ひょっとしたら本音なのかもしれませんが、それならそれで、そのことを冗談のように笑って言えるだけ、立派なものですとも」
兵士からは、そんな風に答えが返って来た。
またクリスタルが笑い声を上げ、そういうことにしておきます、と告げていると。
機械的な音が、客室の壁の中から聞こえた。
「シャッターが開きます。少々騒々しいですがご容赦を」
兵士に告げられて、
「大丈夫です」
とクリスタルは返した。
やがて、ゆっくりとシャッターが上下に開閉し、窓の外から光が差し込んできた。クリスタルにしてみれば、一〇日振りの照明以外の光であった。
視界が開け、眼下に広がる一面の緑が見えてきた。ところどころに茶色が混じり、背の高い大木や、背の低い低木など、様々な樹木が混じりあっていることを、クリスタルは知ることができた。
「ここが惑星ラゴンですか。なんだか少し怖いです」
クリスタルが呟く。それが、彼女がラゴンに抱いた、最初の印象であった。
機体が揺れる。空はどんよりと曇っていた。




