第二章 結論と腕力比べ(8)
一方、そのロワーズ邸には、サ・ジャラが訪れていた。アルバートを急き立てるように、クリスタルの一日体験を労う為の準備をさせていたのである。
その準備も整い、アルバートとサ・ジャラはリビングルームでくつろいでいた。
「どうだったと思う?」
実のところ、サ・ジャラよりもむしろ、アルバートの方が落ち着かない様子であった。クリスタルにはユーグのことを真面目に理解してほしいという願いから、難しい質問を一つぶつけてもらうように、彼から広報部に頼んだものの、やりすぎだったかと心配していた。
「大丈夫ですよ。クリスタルなら、きっと」
そのあたりの経緯を知らないサ・ジャラは、楽観的であった。彼女はクリスタルの真面目な性格はすぐに伝わり、広報部の皆も可愛がるだろうと確信していた。
「うむ。子供を持つというのは、こういう気分なのかな」
アルバートには家族はいない。子供もおらず、その経験を実体験として持ったことはなかった。
「さあ。私も、この年まで独り者でしたから。実感としては分からないですね。ですが、何というか、そう、親戚のおばさんというか、そういう感じの立場になった気がすることはあります」
独身であることはサ・ジャラも同じであった。もっとも、サ・ジャラの場合には、そもそも同族が少なすぎて滅多に会わないという事情もあるのだが。というよりも、この二人、若い時分から二人で一緒に行動していることが多すぎて、他の異性が寄り付かなかいという事実に気付いてはいたが、それならそれで良いと放置していたのだから、末期とも言えた。
「そこは母親ではないのだな」
サ・ジャラの言葉に、アルバートは不思議そうな声を上げる。サ・ジャラは最早溺愛と言って良い程にクリスタルを大事にしており、その疑問はある意味当然であった。
「そうですね。確かにあの子のボディーは私が用意したものですが、あの子の心は、私が用意したものではないですから。母親を名乗るのは、おこがましい気がするのです」
クリスタルの前身であるエメラルドは、地球人類のロボット工学博士によって製造されたアンドロイドである。のちにクリスタルになった際に、エメラルドとして用意された人格データはすべて破棄されたとはいえ、その原型は現在のクリスタルの人格にも色濃く残っている。そういった経緯が、サ・ジャラにクリスタルを自分の娘のように扱うことを躊躇わせていた。
「そうかもしれん。そうなると、私は何なのだろうな。預かっただけの、見ず知らずの養父にでもなるのだろうか」
そう言って、アルバートは考え込んだ。その様子があまりにも真剣で、サ・ジャラに吹き出し笑いをさせるのには充分であった。
「それは、あの子本人がどう思っているかで、決めたらいいのではないですか?」
「うむ、そうか。いや、そうかもしれんな」
あくまで真面目に、アルバートはクリスタルとの距離感を、考えていた。正直に言うと、彼は、今のところ、クリスタルとの距離感を、確立できていなかった。
「私はあの子にどう接するべきなのだろうな。どこまであの子の自主性に任せるべきなのか、どこまで私の望みや願いを押し付けて良いものか、図りかねている」
と、漏らす。その言葉がすべてであった。
「確かに、あなたとあの子の間には、まだ少し壁があるのかもしれませんね」
そのことは、サ・ジャラも否定しなかった。しかし、サ・ジャラは、アルバートがクリスタルを心配していることも、クリスタルがアルバートを心配していることも、どちらも知っていた。
「話すしかないのだと思います。お互いに心地よいと感じる関係を築けるまで。あなたがクリスタルを、クリスタルがあなたを大切に思っていることは、お互いに伝わっている筈です。あとは打ち解けるだけだと思いますよ。それは時間が解決してくれるものではなく、時間をかけすぎればかけすぎただけ、すれ違うものなのだと思います」
「そんなものかな。いや、そうかもしれん。ありがとう、サ・ジャラ。もう少し話す時間を持ってみよう」
アルバートが頷き、サ・ジャラは笑った。
「私が言えたことではないですが、その為にも、家にはもう少し帰るようにしなくてはいけませんね。私もこれ以上、あの子に心配を掛けないようにしなくては」
そんな話をしていると、不意に、リビングルームの扉が開いた。
「クリスタル様がお帰りです」
使用人の一人がアルバート達に告げに来てくれたのであった。使用人が礼をして去ると、すぐにクリスタルはリビングルームに姿を見せた。
「ただいま、アルバートさん」
アルバートに挨拶をしてから、サ・ジャラがいることに気付いたクリスタルは、少し驚いてから、笑顔になった。
「いらっしゃい、サ・ジャラさん」
「お帰り、クリスタル」
アルバートが告げるのを待ってから、
「おかえりなさい、クリスタル」
サ・ジャラも答えた。
「ところでアルバートさん、ひとつ聞きたいんですけど」
挨拶もそこそこに、クリスタルがほんの少しだけ叱りつける顔になった。当然、話題は、あの質問のことであった。
「最初の質問サンプルは、アルバートさんが差し込んだものですよね?」
「? どんな質問だったのですか?」
何も知らないサ・ジャラが、アルバートが答えるよりも先に首を捻った。
「ええと『何故ユーグは有事の際に現地住民を見殺しにするのですか?』でしたっけ?」
クリスタルは、記憶している質問の内容を、そっくりそのまま口にした。彼女は自分がどう答えたかは、告げなかった。
「なんてことを。そんなことをクリスタルに答えさせたのですか。あれ程ユーグ内でも意見が分かれているというのに」
呆れてものが言えない、と言いたげに、サ・ジャラもアルバートを非難の目で睨んだ。
「うむ。クリスタルなら、第三の答えを出せるのではないかと思ったのだよ。まだ少し早かったかなとは、反省している。すまない」
アルバートは、そう弁解した。
「言える訳ないじゃないですか。『ユーグでもすべての命を救うことはできない』なんて」
自分もソファーに座り、クリスタルは、エリサ達には答えなかった答えを、アルバートにぶつけた。
「それが事実であったとしても。『だからこそ宇宙は平和であってほしいのだと、私達は願っている』っていうことが、おそらく本当のユーグとしての答えだとしても。私にはまだ早い答えです。そう思うことはできても、自分がその平和の為に何ができるのかなんて、私には分からないんですから」
「そうか。それが君の答えか」
アルバートは頷いた。満足したように頷き、
「お疲れ様、クリスタル。それで、楽しかったかな?」
実際の所、クリスタルの帰路の途中であった頃に、既にアルバートはクリスタルがどう答えたかは、広報部から報告を受け取っていた。しかし、その内容があまりにも優等生的で、おそらくクリスタルの本心の答えではなかったことに、気付けるくらいにはアルバートもクリスタルのことを理解しているつもりであった。その為、帰宅後彼にクリスタルがぶつけた答えは、彼からしたら、案の定、といったところであった。
「その質問以外は楽しかったです」
それは、本心であった。クリスタルはまた笑顔になった。
「エリサさんも、ハンスさんも、良いひとたちでした」
「そうか。それは良かったよ」
アルバートは、クリスタルが帰宅後口にした答えについては、是非を答えなかった。それはクリスタルが一番よく分かっている、と感じたからであった。それで良かったのであった。
「サ・ジャラが君を労う為に、パーティーを準備してくれた。君が問題なければ、食堂へ行こうか」
「はい、ありがとうございます、サ・ジャラさん」
礼を言って、クリスタルは立ち上がった。アルバートやサ・ジャラもすぐに立ち上がり、三人は、食堂に向かう為にリビングルームを揃って出た。その様子を、既にまるで親子のようであるのに、と言いたげに、使用人達は見ていた。
「アルバートさん、サ・ジャラさん」
食堂へ向かう廊下の途中で、告げた。
「私、ユーグのメンバーになりたいです」
「そうか」
「良いと思いますよ」
アルバートも、サ・ジャラも、その言葉に、喜んだ。




