第二章 結論と腕力比べ(7)
情報端末を眺めながらの、ユーグについての説明には、エリサとハンスは時間を掛けなかった。軽く内容を流して、クリスタルが概要を良く把握していることが分かったからであった。クリスタルとしては、ネットワーク経由で閲覧できる内容くらいは、当然、予習できていた。
すんなりと実務体験に移ったクリスタルは、目の前の情報端末の画面が切り替わるのを眺めた。出てきた画面は、メッセージ交換の為の双方向コミュニケーション画面であった。
「これから体験してもらうのは、ユーグ内外からの問い合わせに対する対応の体験です。基本的に、紋切り型で解答できる内容はすべてコミュニケーションAIが行いますから、単純な内容の質問が、私達職員のところへ届くことはありません。機械的には判断できない、例えば、対応方針を他署に確認、検討してもらわなければいけないような、複雑な内容のみが私達のところまで流れてきます」
ハンスは語った。古い時代ならともかく、人工頭脳の発達に伴い、地球人類が宇宙進出前に行っていたようなサポート業務を、生命体が行っている団体は、既になくなって久しい。寄せられる意見や質問の約九七パーセントは、AIの回答だけで処理できているという統計データも存在した。しかしどれだけ人工知能が高度になっても、人工知能で一〇〇パーセントすべてのメッセージに回答できるということもなかった。ユーグでも、他部の判断を必要とするような――例えば、新素材や新技術のプレゼンテーションをしたいなどという営業まがいの質問など――は、人工知能で解答することは不可能であった。
とはいえ、そんな高度な質問への対応をいきなり一日体験を受ける人物が見て、どうにかできる訳がない。一日体験でサンプルとして表示される質問は、実際には人工知能で解答できるレベルのものに抑えられていた。
しかし、クリスタルに出されたものは、アルバートのたっての希望で、特別なものが用意されていた。サンプルといいつつ、過去一番多い、嫌がらせの質問を、クリスタルに出題することになっていたのであった。彼女が、どのような回答を導き出すのか、知りたいと。
「質問が表示されました」
手元の情報端末に表示されたメッセージに気付き、クリスタルが申告する。そして、そのシンプルなメッセージに視線を落としたまま、固まった。
『何故ユーグは有事の際に現地住民を見殺しにするのですか?』
そこに表示された質問は、それだけの、非常に素朴な質問であった。確かに、クリスタルも、戦争の被害者の為に出動する際には、基本的に戦争に巻き込まれた全く関係ない種族の救出の為であるということは把握していた。その為、この質問自体は、間違った情報を元に質問している訳ではない。無視すべきなのか、それとも、真摯に答えるべきなのか、クリスタルには、それすら迷いそうになる内容であった。
「随分これは……難問ですね」
クリスタルは、組織として、無視すればいいという方針であれば、それでも良いと感じた。真摯に回答しろというのであれば、それもそれで納得できた。しかし、自分で回答する、しないも判断しろといわれると、途端に難問になるタイプの質問である気がした。
そもそも、現地住民を無条件で救出すべきか、という根本的な問題に関しては、クリスタルも、無条件で救出はしない、という方針には賛成であった。薄情なようであるかもしれないが、それはユーグを戦争の当事者にしかねないことで、戦争を泥沼化させかねない行動であると思った。ユーグが戦争を激化させる要因になっては本末転倒である。
そもそも、一日体験の人物に、こんな根本的な問題を考えさせるものであろうか。クリスタルはふと、疑問に思った。これは意地の悪い悪戯ではないか、と。しかし、何故、という疑問も残る。わざわざクリスタルにこのような悪戯を仕掛ける理由は、ユーグ職員達にはない筈であった。
「……」
こくん、と、クリスタルは頷いた。そして、エリサとハンスをしっかりと見て告げた。
「アルバートさん……ロワーズ総司令には、クリスタルが、『いじわる』って言っていたと伝えてください――それで、私の答えですが、私は、これに回答するなら、こう返します」
そう告げてから、仮想キーボードを使い、クリスタルは実際に回答を打ち込んだ。彼女の回答は、
『ユーグはどんな民間の住民の命も見捨てることはありません。皆様の政府の要請さえあれば、いつでも駆けつけます』
という文言であった。
「こういう回答になった理由は何ですか?」
エリサとハンスが顔を見合わせてから、ハンスが聞いた。
「悪意ある悪戯メッセージだという疑いはありますが、だとしても無視というのは悪手だと判断しました。きっぱりと、出動指針に照らし合わせた回答を自信もってしておけば、いいのだと。正直、コミュニケーションAIにこの通り回答させても良いとすら思っています」
「うん、実は、あなたが結論付けたのと、全く同じ対応になっているけれど」
エリサは、そう認めた。
「無視すればいいという意見も根強いのは確かなの」
「そうでしょうね。十中八九悪戯でしょうし。こんなことを、素朴に聞くひとはそんなにいないと思います。個人的には、逆に、ユーグが現地住民を見殺しにしているという情報は、何処から得ましたか? ってアンケートを取りたいくらいです」
クリスタルは笑い、答えた。そもそも見捨てられた体験をしたひとなら、もっと直接的な質問をする筈だと、彼女は考えたのであった。
「しかし、そういうひとたちに、自分達の活動方針を毅然とした態度で示すことは重要だと思います。そのひとたちがどう思うかは重要じゃなく、傍目から見た時に、頼もしいと思ってもらえるように振舞う必要はあるんだと思います」
「それがあなたの考え方ですか?」
ハンスにも問われ、クリスタルは頷いた。
しばらくハンスは無言になり、エリサも難しい顔をした。二人は何度か視線を交わした後で、やや肩を竦めてエリサが口を開いた。
「それは――とても自分が損をする考え方ね。あなたは正直だけれど、正直すぎて、もう少し柔軟に物事を判断する必要はあるかも。その考え方では、あなたはいずれ敵をつくるわ。結果的には、私達と同じ対応の意見ではあるけれど、あなたと私達の考え方は真逆なの。私達は銀河間連盟内の多くのひとたちの理解があってはじめて活動できる組織なのよ。だから、なるべく敵を作らないように振舞うことが求められるの。だから、それが悪戯だと分かっていても、きちんとした回答を返すのよ」
「敵を作らない為にですか」
クリスタルはその考え方はしていなかったことに気付き、逆に考え込んだ。確かに、活動する上で、あることないことを批判されていた方が動きづらいし、危険でもある。その意見には納得できた。
「すみません、そういう方向で考えてみることは、完全に抜けていました」
「そうね。でも、あなたは利発な子だから、いろいろな経験を積んでいくうちに、今は気付けない考え方もできるようになっていくと思うわ。それじゃ、ここからは、一日体験用の、普通のサンプル質問をやっていきましょうか」
気を取り直すように笑い、エリサが自分の手元の情報端末を操作する。クリスタルはどんな質問が表示されるのかと、少し身構えていたものの、実際に表示されたのは、
『ユーグに子供を見学に連れて行きたい場合、最大何人まで受け連れられるか、また、グループごとに分けて大人複数名で別れて引率したいのだが、受け付けられるグループ上限があったりするのか』
などと言った楽しそうな質問であった為、心の底から安堵を覚えた。
そういった和やかな雰囲気でいられるサンプル質問などをこなし、クリスタルはようやく来てみて良かったと思えたのであった。最初の質問だけであれば、アルバートに良い感想を伝えることができないところであった。
クリスタルは人工頭脳であり、最適と思われる判定が速い。時にずれた回答をしてしまうこともあったが、用意されていた質問を、エリサ達が想定していた時間よりもずっと早く終えてしまった。
「お疲れ様でした。お昼まで時間がだいぶ余りましたね。私達も君ともう少し話をしてみたい気になりました。どうでしょう。このまま、もう少し、お話を聞かせてもらうことはできますか?」
クリスタルは、メニューをあっという間に終えてしまったが、エリサやハンスから、雑談めいた話をしていたいと持ち掛けられ、クリスタルもそれに応じた。彼女ももう少し、ユーグの職員達がどういう思いでいるのかを知りたいと思った為であった。
昼食をエリサ達と共にし、午後は広報部ビル内の軽い見学会であった。クリスタルは大いに質問し、エリサやハンスも彼女の素朴な質問に、笑顔が絶えないでいた。
そしてその日の時間はあっという間に過ぎ。
満足した気分で、クリスタルは、ロワーズ邸への帰路についたのであった。




