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第二章 結論と腕力比べ(2)

 それから、しばらく考え込むように黙っていたアプリシアの青年は、何か思いついたように、いきなり声を上げた。

「うん。僕は、ライモーだ。君の名前を教えてくれるかな」

「え」

 クリスタルは状況がうまく呑み込めず、言葉に詰まった。アプリシアが見ず知らずの生物に名前を教える筈がないという情報が、即座に破壊された為であった。

「え? あ。アプリシアって、自分の名前を滅多に名乗らないんじゃ」

 ないですか、まで声が出なかった。そのくらい、クリスタルは狼狽えた。

「ああ、うん。そうらしいね。良く知らないけど。でも残念ながら、僕は、僕以外のアプリシアとあまり会ったことがないから。ここにも数人はいるけど、皆気にしていないよ。それどころか、他の種族が普通にやっている、名前を名乗り合うという行為は、便利だし、好意が感じられていいよねって、皆言ってる。記録とかに種族の歴史なんかを、僕達は残さないから、そういう伝統、なのかな。そういうものも、種族のコロニーを離れてしまうと、どうでも良くなっていくんだよね」

 青年の言葉は、ある種、クリスタルにそうかもしれないと納得できるものであった。だからであろうか、クリスタルは、アプリシアという種族に興味が湧き始めた。

「そうなんですね。……ん、私は、クリスタルです」

 頷いてから、咳払いをするように短い声を上げ、クリスタルはそれから名乗った。

「でも、何故いきなり名前を名乗ったんですか?」

「あまりにも君が退屈そうだったから」

 ライモーは笑い声を上げた。のっぺりとした頭部には表情がなく、ライモーの感情は、クリスタルには読みにくい。その笑い声の種類がどういうものなのか、判別が難しかった。

「ああ、ごめん。目も口もない頭部が丸見えなのは不気味だよね、バイザーを遮光モードにしよう。多少はましな筈だ」

 そう言って、ライモーは、環境スーツを中で操作するようにもぞもぞと動いた。すぐに頭部のゼラチン部分が暗くなり、すぐに真っ黒のレンズのようになった。

「さて、多分君は自分が何に興味があるのか、自分で気付くのが苦手な種族なんだろう。良い場所がある。案内してあげるよ、行ってみないかい?」

「どんな場所ですか?」

 ライモーの提案に、クリスタルは首を捻る。見ず知らずの青年に無条件でついて行く程、彼女も流石に警戒心がない訳でもなかった。

「ユーグ本部建立記念館。要は、この人工天体についての歴史資料館だ。建造当時のパネルから、現在のユーグ本部の模型、居住区画の地図模型と、居住区画にある各施設の案内まで、何でも揃っている。ぶらぶら歩いてみても、興味を惹かれるものや、面白そうなものが見つからない時には、足を運んでみると良い場所だよ」

 ライモーは案内しようとしている場所の説明をしてから、クリスタルが何を気にしているか、理解したように頷いた。

「ああ、そうか。知らない男にそんなことをいきなり言われても警戒するよね。そうだな。じゃあ、場所だけ教えてあげよう。ああ、と言っても、僕達は情報端末を持っていないんだ。住所だけで行けたりするかな?」

「何故そこまで真剣に考えるんですか。諦めても良いのに」

 この場所にはユーグの関係者か、ユーグに志願している者しかいない、という話はクリスタルも覚えている。とすればライモーもそのどちらかなのであろう。信用できない人物は、実はこの人工天体にはいないのではないかという気もしてきた。

「おっと、それも君が聞きたいことではないね。うん。君の考えてる通りであったらいいと、僕も思う。だが、残念なことに、ユーグ本部の居住区画でも、犯罪は起きている。だから無条件で相手を信用しない方が良いのは本当だ」

 感覚が鋭敏なのだろうか。それとも読心術のような不思議な能力を持ち合わせているのであろうか。ライモーは、クリスタルが言葉に出した問いでなく、内心で考えた疑問の方に答えた。驚くべきことであった。

「よく分かりましたね」

 クリスタルも、驚嘆の言葉が反射的に出た。

「はは、よく言われる。何でだろうね。僕にもよく分からない。目を見ていると、だいたいこんなことを考えているんだろうなって想像が、頭の中に浮かんで来るんだ。ただ……正直に言うと、君は時々かなり分かりやすいけど、時々、読み取るのにやけに時間が掛かる。不思議な感じだ。すごく。本当に不思議」

 ライモーはそんな風にクリスタルに語った。その話をする彼の仕草は、まるで新しい神秘に気付いた少年のようで、クリスタルには、ライモーがとても良いひとなのだと思えた。

「気が変わりました。あなたのエスコートなら受けてみたい気がします。ユーグ本部建立記念館まで、案内してもらえませんか?」

 そして、彼が自分の目で読み取ってしまう前に、自分の言葉で、はっきりと伝えた。急いで。言葉にすると、自然に表情が笑顔になった。

「ああ、そう?」

 何故か、照れくさそうに、ライモーは一回真っ黒いバイザーのようなドームに覆われた頭部を逸らした。

「ああ、うん。喜んで」

「?」

 何故ライモーが顔を逸らしたのかが分からず、クリスタルは首を傾げた。それから、自分が口にした言葉でなく、考えたことを読み取ったのだと気付いた。

「はい、私は、あなたのことを、良いひとなのだと、感じました」

 それも、自分の声で言葉にした。

「あはは、君は、思ったよりも意地悪だ」

 と、ライモーは笑った。確かに、面と向かって、ストレートに良いひと、と言われると、結構照れるものである。ただ、ライモーもただ言われるばかりでは面白くないと思ったのか、冗談だと分かる口調で、クリスタルに言い返したのであった。

「……行こうか。僕も、君が正直な子だってことは分かった」

「はい。お願いします」

 ライモーとクリスタルは、どちらからともなく、その不毛な言い合いを、きっぱりと終わらせた。一般居住区と、低重力居住区を隔てる壁に背を向け、並んで歩き出した。

「軟体なのに歩行がスムーズなんですね」

 クリスタルは、ライモーの歩行が骨格がないとは思えぬほどに早いことに驚いた。もう少し歩行に苦労しているのかと思っていた為、むしろ若干クリスタルの方が遅れそうになったくらいである。

「それも良く言われる。確かに、一般的な岩石惑星の重力下だと、他の種族ほど歩行は楽ではないしね。だから、僕等はそれを補う外骨格代わりにもなる、この環境スーツを着るんだ。触ってみてごらん、結構分厚いんだ。合金と高分子樹脂、それに合成ゴム素材を何層にも重ねた設計になっているからね。ただ、収納時にはゼラチンのようにふにゃふにゃになる。だからキューブ状にして持ち運べるんだ。おっと、だからといって水に弱い訳じゃないよ。ゼラチンのようにする為には、門外不出の合成法で造る、特殊な液体を浸透させる必要がある」

 腕を差し出してくるライモーの説明がさらに不思議で、

「はい」

 と、クリスタルは彼の環境スーツを触ってみた。確かに、何処か弾力を感じる表面でありながら、押してもへこんだりはしなかった。思ったよりもずっと硬い。

「これではないけれど、似たような設計思想の技術は、ユーグにも提供している。制式防弾プロテクターとして採用されているよ。命を守る自慢の技術だ」

「そうなんですね」

 世界で発展するのが、そういうひとを救い生かす為の技術ばかりであれば、と、思いながら、クリスタルはライモーの腕から手を離した。

 しばらく、クリスタルは、ライモーと並んで、無言で歩き続けた。ライモーも、彼女同様、しばらくは、何も言わなかった。

 いくつかの角を曲がり、クリスタルとライモーは、街並みの中を歩いた。惑星アミナスほどではないが、ユーグ本部の一般居住区の街並みは、色こそまちまちではあったが、よく似た外観のビルが建ち並んでいる。

「うん」

 と、小さく、ライモーが声を上げた。

「君は、優しいな」

 それは彼が、クリスタルの、少し寂しく思った心の内を、確かに読み取ったのだということを、意味していた。

「無責任なだけです」

 クリスタルは、苦笑いで返した。

「自分には何もできないのに」

「それでもいいじゃないか」

 ライモーはクリスタルの言葉は否定せずに、ただ笑った。

「思い続ければ、いつかはそれが決意に変わることもある。決意は、いつか、行動に変わることもある。でも、思いすらしなければ、何も始まることはないよ」


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