第50節 豹変する世界
俺はアオに向かって叫びながら台に走っていく。だが監督官が俺を取り押さえようと前に立ちはだかった。
「テスト中の台への接近は禁止だぞ!今すぐ客席に戻るんだ!」
「何言ってんだ!アイツの異常性が理解できないのか!アイツにはどう考えても"意思"がある!台のシステム上あり得ないことだろ!!」
「それは今確認中だ。それにアオくんはまだ棄権していないし、幻素も完全放出していない」
「何か起こってからじゃ遅いんだよ!!」
「いいから君は戻りなさい!!」
いくら言っても監督官が引き下がることはなかった。今まで不具合など無かったから大丈夫だと慢心して、台のシステムを疑うことすら出来なくなっているのだ。
「くそ!!どけ!!」
「待て!待ちなさい!!」
無理矢理近づこうとする俺の腕を監督官は力強く掴む。振り払おうと腕に力を入れようとすると、突然実況が叫びだした。
《おおっっとーーー!!倒れ込んでいたアオさんが今立ち上がりましたーー!ですがまるで身体中の力が抜けてしまっているかのようにフラフラと揺れています!はたして大丈夫なのでしょうか!?》
俺と監督官は取っ組み合いをしながら同時に台の方へと顔を向けた。アオは確かに立ち上がり、炎狐と対峙している。しかし、その様子はどこかおかしい。
「アオ!!大丈夫か!!」
俺は今までの倍以上の声でアオに呼びかけた。声が届いたのか、アオの顔がこちらに向く。その顔を見た瞬間、
俺は絶句した。
「ヒッ……」
監督官は恐ろしさのあまり俺の腕を離して尻もちをついてしまう。俺もいつの間にか後ろに後ずさりしていた。
アオの眼が、"氷"になっていた。
比喩でも何でもなく、本当に、"氷"のようだった。
(なんだ……あの眼……あれじゃあまるで……)
《"怪物"だな。想像以上だ》
"人型の炎"は満足そうにしている。自分の周りが徐々に凍りついていることなど気にも止めずに。
《……観測はここまでだな》
次の瞬間、荒野は一瞬にして凍りついた。
《これは一体何が起こったのか!?アオさんを中心に分厚い氷が一瞬にして荒野を覆い尽くしました!!炎狐はなす術なく氷漬けにされています!これは勝負ありです!!ピンチを乗り越え見事に勝利を掴み取りました!!》
ガリエルの勝利宣言と共に、会場に大きな歓声や拍手が鳴り響いた。青幻素を氷に変えるという"未だかつて誰もやったことのない方法"は観客を大いに驚かしている。皆透明な壁が消えてアオが降りてくることを心待ちにしているようだ。
だがしかし、テストが終わったにも関わらず、正式なアナウンスが鳴り響かない。それどころか透明な壁は消えないし、台の中の氷は幻素霧散せずにそのまま残っている。
客席にいる生徒も徐々にその違和感に気づき始め、やがて会場全体がざわめきはじめる。
また、彼らよりも先に、間近にいる俺は別の違和感を感じていた。
(透明な壁が、凍り始めている……?)
本来幻素の影響を一切受けない透明な壁に、なぜか氷が張っているように見えるのだ。
「おい!なぜ台の霧散システムが作動していないんだ!?」
一方監督官は電話で誰かを怒鳴りつけている。すると相手側の返答を聞いた彼は、みるみる顔を真っ青にしていった。
「……作動できない……だと?」
その反応を見て、俺は全てを理解した。この特異な現象を引き起こしているのは、間違いなくアオだ。アオの"氷"が、台のシステムにまで侵食しているのだ。
アオの身体はすでに冷気で覆われて見えなくなっている。それに透明な壁が完全に凍り始め、台の下にまで冷気が漏れ始めている。
「監督官!!今すぐ一般人を避難させ———
—————————————————!!!!!
突然、空気を切り裂く金切り声が、台の中から発せられる。
その瞬間、鋭く冷たい氷が、客席にまで届く勢いで形成された。
《…………え》
会場は大パニックに陥った。観客は右往左往に逃げ惑い、他の台の生徒は突然透明な壁を突き破ってきた氷塊に腰を抜かしている。だがその中で唯一、ルナだけが、真っ先にアオの台へと向かっていた。
「アゼン先輩!!アオちゃんはどこですか!?」
「あの台の上だ。冷気に隠れて見えなくなっている」
「アオちゃん……まさか"また"……て、せ、先輩!?足大丈夫ですか!?」
ルナは俺の足を心配そうに見つめる。さっきの金切り声のあと、逃げ遅れた俺と監督官は冷気に包まれ氷漬けにされた。辛うじて白幻素を放出して監督官は守れたが、自分のことは疎かにしていた。
「大丈夫じゃないな。全く動かない。溶かしてくれるとありがたいんだが……」
「私じゃ無理です……」
「……先輩、何が起きたんですか?」
シオンが台を見つめながら俺たちに近づいてくる。彼女の手には愛用のルジュナが握られていた。
「……多分、アオちゃんが"暴走"したんです。"あの時"以来ずっとこんなことは無かったのにどうしていきなり……」
「"暴走"?何が暴走してるんだ?」
「アオちゃんの"幻素"です。アオちゃんの幻素は特別で、まだわかっていないことも多いんです。この暴走も前に一回あっただけで、どうして制御不能になるのかは判明していません」
「"氷を創り出せる青幻素"……」
(水を司る青幻素が、氷を創り出した例は今まで存在しない。だがなぜかアオにはそれができる……どうしてだ……?違う……違う……!今考えるべきことはそれじゃない!どうやってアオを止めるかだ!)
《皆さん!落ち着いてください!!今運営側でも対応を進めています!》
「サーミちゃん!今からこの会場にいる全ての人に僕の回線を繋げる!サーミちゃんは"センテンス"の人たちを呼んできて!」
「分かりました!」
《皆さん!今から避難誘導を開始します!ビィビィア学園生徒は避難の手伝いを各自の判断で行ってください!僕が放送でサポートします!》
放送ではすでに避難誘導を始めている。今のところアオに動きはないが、いつまた冷気が出るかわからない。もし次に冷気が出たのなら、恐らく会場内は分厚い氷の中に閉じ込められることになるだろう。そう思わせるほどに、アオの創り出した氷塊は巨大だった。
「先輩、アオを止めにいきます。援護してください」
「そうしたいのは山々なんだが、足が凍って動かないんだ」
「まったく、なんて情けないのかしら。それでも学園最年長の生徒なの?」
嫌味を存分に含んだ言葉を発しながら、ひとりの少女が歩いてくる。彼女が一歩一歩進むたびに、地面の氷が溶けて蒸発していく。普段なら絶対に会いたくない人間だが、この状況では寧ろその逆だった。
「ユメコ!!」
「気安く名前を呼ばないで」
そう言いながら彼女が俺の足に赤幻素を纏わせると、さっきまで凍っていた足がみるみる動くようになっていく。
「ユメコさん!アオちゃんを止めるなら私も一緒に———
「邪魔。足手纏いよ。さっさとどこかに行きなさい」
「……私たちが戦えないと?」
「ええそうよ。たとえ戦ったとしても被害を無駄に増やすだけでしょうね。今のあなた達には、"戦場を支配する力はない"」
ユメコはそう言いながら、大剣を肩から下ろして勢いよく地面に突き刺す。
「まずはこの邪魔な氷から消すわ」
そう言うとユメコは大量の赤幻素を放出し、大剣に注ぎ込む。その瞬間、灼熱の炎が大剣から放たれ、地面を這いながら巨大な氷塊を包み込んでいく。
ユメコは剣を抜き、氷塊めがけて大ぶりに振り下ろす。
その瞬間、炎に包まれた氷塊は真っ二つになり、それらも炎で一瞬にして蒸発していく。アオが創り出した氷の世界が、たったの数秒で炎の劇場に姿を変えた。
彼女は再び大剣を肩に乗せると、顔だけをこちらに向ける。
「肝に銘じておきなさい。本物の強者はただ勝つだけじゃない。相手の何もかもを塗り替えて、完封するのよ」
そう語るユメコの背中は、間違いなく、"センテンス"の名に相応しい威厳に満ちていた。




