第48節 巨影の狐
白い台、土色の荒野の上に、"炎狐"は尾の炎を揺らしながら座っている。アオもまた、長くて青い髪をなびかせながらゆっくりと弓を引く。
獲物と狩人が対峙し、その間に永遠かのような時間が流れている。それを刹那の青い光が切り裂き、獲物の額に突き刺さろうとしている。
だが、簡単に仕留めてはくれない。炎狐は飛び上がりアオの一矢を避け、そのままジグザグに飛び跳ねながらアオに近づいていく。アオは次々と矢を放つが、炎狐はそれを紙一重で避け続けている。
《アオさんの攻撃は目に見えぬほどに素速いものでしたが、それを炎狐は軽々と避けてしまいました!炎狐の小柄な体型にアオさんは苦戦しているようです!炎狐のあの俊敏さは一体どこから生まれているのでしょうか?》
《………》
「サーミちゃん、あとでアイス奢るから許して……」
「……はぁ、一番高いやつでお願いしますよ」
《炎狐の俊敏性はあの尻尾に秘密があります。幻素発生器官でもあるあの尻尾は、一種のブースターのような働きを持っており、そこから生み出させる推進力を炎狐は自在に操っているのです》
《なるほど!どおりで段々と炎狐の動きが速くなってきているわけだ!……って、"アレ"は速すぎでは!?》
ガリエルが驚くのも無理はない。アオの攻撃を避け続けていた炎狐は、徐々に加速しながらアオに近づいていき、半径十メートルにまで接近した頃には、すでにその身体は宙に浮いていたのだ。
アオは突進してくる炎狐を体を捻って避けようとする。炎狐はアオのすぐ横を通り過ぎようとした瞬間、なんと尻尾を大爆発させた。
「———!」
アオは爆風によって真横に吹っ飛ばされる。炎狐は尻尾を自分の前に向けて、まるで飛行機の逆噴射のように炎を放出して勢いを相殺した。
《おおっとアオさんいきなりの大ダメージ!!幻素量が三分の一ぐらい減ってしまいました!あの小柄な体躯からあんなにも熱量のある攻撃を繰り出せるなんて、流石は幻界領域に近いところで産まれる魔獣ですね!》
《あのスピードに対応する方法を考えない限り、勝つことは難しいと思います》
「はぁ、はぁ、油断した……アレが、炎狐……でも、スピードだったら、まだルナの方が速いよ」
アオは呼吸を整えて再び弓を構える。炎狐はまた突進するかと思いきや、尻尾から赤幻素を大量に放出し始めてそれを凝縮し無数の炎の玉を作り出していく。
炎狐が尻尾でそれらをなぎ払うようにして一回転すると、炎の玉はアオめがけて次々と飛ばされていった。
アオは得意の連射でそれらを一つ一つ確実に撃ち落としていく。だがそうしている間に炎狐は加速しながらアオに近づいていた。
《これはまずい!!アオさんは炎の玉で手一杯で近づいてくる炎狐に対応する手段がありません!》
「……一か八か、やるしかない!!」
アオは突然撃ち落とすのをやめて、勢いよく前に踏み込んだ。アオは加速する炎狐に真正面から近づいていく。炎狐は驚いたのか尻尾を横に向けて方向転換をしようとする。アオは逃すまいと加速して前に飛んだ。
そして炎狐は左に、アオは右にすれ違おうとしたその瞬間、
「———今!!」
炎狐の腹に一筋の矢を放った。矢を受けた炎狐は横に加速したまま透明な壁に激突する。
《なんと、なんと!先程炎狐にしてやられたすれ違いざま攻撃を、完璧な形でやり返しました!!一瞬を見逃さないアオさんの動体視力の良さが遺憾無く発揮されています!!お見事です!!》
《炎狐も今の一撃は相当効いたようです。起き上がりはしたものの傷口から幻素が放出していっています》
炎狐はよろよろと立ち上がる。腹に痛々しく刺さっていた矢は既に消失していた。立って何かをするのかと思いきや、炎狐は突然行儀良く座ってアオの方をじっと見つめ始める。
すると、炎狐の尻尾から赤幻素が大量に放出し始める。アオはまた炎の玉がくるのかと身構えたが、その赤幻素は凝縮することなく、炎狐の身体を覆っていった。
やがてそれはアオの背丈ぐらいの"炎の狐"に姿を変えた。
《炎狐が急に動きを止めたと思ったら、ひと回り大きな狐に化けてしまいました!サーミちゃん、これは炎狐の特性に含まれているのでしょうか?》
《……いえ、そのような情報はこちらには載っていません。おかしいです……記載されている技だけしか使わないよう設定されているはずなのに……》
《ということは、これはハプニング!!テスト的には問題大有りですが、試合展開としては最高のシナリオです!……おっと!今連絡が来ました!『試合の続行は闘っている生徒の判断に委ねる』だそうです!それではアオさんはそのまま試合を続けるのか、それとも一旦中止するのか、応援している皆さんはどちらになってもアオさんに文句を言わないでくださいよ!》
どうやら炎狐のあの姿は運営側も予想していなかった形態らしい。相手の力が未知数である以上、俺は中止にするべきだと思うのだが、どうやらアオは違うらしい。
「試合を続行します。その代わり、もし勝ったらポイント少し上げてください」
アオは考える間も無く監督官にそう伝えた。監督官は無言で頷きその要求を了承する。その瞬間、観客席から大きな歓声が湧き上がった。
《続行!!続行です!!アオさんは闘うことを選びました!流石は一年生ですでにクラウズの階級に到達している生徒です!正体不明の敵にも果敢に挑んでいきます!一方炎狐は今までびくとも動いていません!》
実況の言うとおり、炎狐は今の今までまったく動いていなかった。まるで正々堂々と闘うことを望んでいるかのように。地面に映っている狐の影だけが、ゆらゆらと揺れていた。




