1)王太子妃の義務
ライティーザ王国の女性王族の大切な仕事の一つが慈善事業だ。王妃がすでに故人であり、国王に姉妹がいない今、王太子妃のグレースが、一人でその責務を担っていた。実務作業は王太子やロバート達近習で問題ない。だが、救護院、孤児院、病院、教会などへの慰問は、グレースでないとできない大切な公務だ。
グレースの妊娠がわかってから、慰問は控えられていた。慰問をいつまでも控えつづけるわけにはいかない。他の貴族の娘たちに、順次代理を務めさせるという提案には、アスティングス侯爵が難色を示した。
「グレースと腹の子をなんだと思っているんだ」
アレキサンダーは、アスティングス侯爵からの書状を破り捨てた。ロバートは何も言わず、その書状に火をつけた。
「ほう、お前にしては珍しいな」
侯爵からの書状だ。本来、粗末に扱ってよい代物ではない。
「アレキサンダー様が破り捨てられた紙でございましょうに。何をおっしゃいますか」
ロバートは平然と答えた。
「しかし、このままでは問題だ。慰問は民への王国からの慈悲の象徴だ。イサカの町の救済に関して、民の間に広まりつつある今、慰問の効果も大きい。むしろ積極的に行いたい時期ではある。グレースの影武者はいないのか」
好機をみすみす逃しかねない現状に、アレキサンダーは歯噛みした。
「グレース様には、姉君や妹君がおられましたら、アスティングス侯爵も納得する名代となっていただけたのでしょうが」
「長男ウィルフレッド様の御婚約者も2年ほど前に亡くなられました。次男ウィリアム様には御婚約者がおられません。殿下の提案をお断りになるのでしたら、アスティングス侯爵様自ら代案をお示しいただきたいものです」
ロバートとエリックも続いた。
「アスティングス侯爵が、奥方を代理にとおっしゃっても問題ですよね。国の慈善事業であって、アスティングス家の事業ではないですし」
フレデリックが頭をかいた。
「他の貴族が不満を抱くような事態になっても問題だ」
王家とアスティングス家の関係ばかりが強調されても問題だ。アスティングス家と対抗する勢力や、アレキサンダーの立太子を未だに不満に思う勢力を煽りかねない。
「妹代わりなら、殿下、身近にいるじゃないですか」
重苦しい雰囲気を壊したのはエドガーだった。
「ローズですよ。イサカの町でも功績がある、大司祭様も何を勘違いしたのか、ローズ様、聖女様といってお気に入りです。グレース様ご自身も、妹代わりと言って可愛がるローズが名代であれば、ご安心でしょう。イサカの町では功績のおかげで、周辺の町でも人気だそうじゃないですか」
エドガーは、閃いたといわんばかりの明るい口調だった。
「梯子ごと倒れるローズに、グレース様の名代をさせると、あなたは言うのですか」
ロバートが水を差した。
「机から飛び降りようとするローズだけど、教えればできるだろう」
「トレーシーは褒めるが、生垣の下の猫の通り道を覗きこんでいたぞ」
ローズがこの王太子宮に暮らすようになり、各自が様々なローズを見ているのだ。全員が顔を見合わせることになった。
「一応、最近はおとなしくしております」
ロバートにとってローズは、大切な婚約者である。擁護してみた。
慈善事業そのものには、ローズは深くかかわっている。グレース孤児院の主要な収入源の一つである刺繍などの細工物の販売は、もともとはローズの発案だったらしい。今や周辺の女性たちも巻き込み、近隣に住む多くの人々の生活を支えている。だからといって、すべての孤児院で同じことはできない。
「ローズも、育ったグレース孤児院や近隣の救護院のことならば知っていますが、他の施設は知りません。慈善事業をより実効性があるものにするには、現場を知る必要があるでしょう」
ロバート自身、イサカの町を王太子の名代として実際に訪れたことで、それまで知らなかった町の者の暮らしを知った。
「礼儀作法に関しては、サラとトレーシーは、急なことさえなければ大丈夫だと言っているそうですよ。妻からききました」
エドガーの言う通りだが、先日、その急なことがあったばかりなのだ。
「先日、庭のお茶会で飛んできた蜂を、ローズがハンカチを振り回して追い払ったのも事実です」
ロバートも内心は、ローズのとっさの判断と行動力は褒めてやりたいとは思う。行儀としては問題がある。本来は周囲にいた小姓や近習達の仕事だ。
「グレースが、ローズに感謝していたぞ」
アレキサンダーの言う通りでもある。蜂に驚いて、動けなかった小姓達より、ローズの方が役に立った。
「見方をかえれば、何かあったとき、どこかのご令嬢より、ローズの方が安心ってことです」
エドガーの言葉に、アレキサンダーは少し考えた。
「グレースの気に入りであるローズが代理であれば、アスティングス侯爵も文句は言えまい。アスティングス家ばかりを優遇していると、他から文句を言われにくい。大司祭からの要望だと言えるだろう。グレースにアスティングス侯爵への口添えを頼んでみよう」
娘が王太子妃となり、外戚として権力を示そうとするアスティングス侯爵はアレキサンダーにとって面倒な存在になりつつあった。
「こちらが侯爵の言うことを唯々諾々と聞くわけではないことくらい、示しておこう」
アレキサンダーの一声で決まりとなった。
第二部開始です。
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第二部第四章~第六章も連日投稿予定です。幕間も用意しております。お楽しみいただけましたら幸いです。
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