魔王討伐前夜〜緊張で眠れない魔術師と騎士団長は湖畔にて夜明けを待つ〜
明日、俺達人類は魔王を討伐する。
これは魔王討伐前夜の話。
明日のために英気を養わないといけないにも関わらず、俺は緊張で眠れずにいた。
勝とうが負けようが、明日で全てが終わると思うと、何だか背中がソワソワして眠れなかった。
魔王に故郷を焼かれたあの日から早十年。
あの日から今日まで、魔王に殺された家族や友人の仇を取るためだけに生きてきた。
……復讐を果たすためだけに生きてきた。
それが──俺の人生を懸けて成し遂げようとした事が明日で終わってしまう。
そう思うと寝たくても寝られなかった。
起き上がった俺は身体の上にかかっている毛織の掛け布団を剥がすと、夜の散歩に出かけようとする。
周囲で寝ている王国軍の騎士達を起こさないように気をつけながら、野営地から少し離れた所にある湖に向かって俺は歩き出した。
移動している最中、俺達が雑魚寝している場所から少し離れた所にある立派なテントから勇者達の笑い声が聞こえてきた。
酔っているのだろうか。
勇者達は下品な声で下品な事を喚いていた。
……明日の事なんか気にしていないかのような声色で。
立派なテントの中でドンチャン騒ぎをしている勇者達の影と夜風を浴びながら地面の上で雑魚寝している騎士達を交互に見る。
とてもじゃないが、明日、同じ戦場に立つ者同士には見えなかった。
複雑な気持ちを抱いたまま、俺は野営地から離れる。
(明日、……本当に俺達は魔王に勝てるのだろうか?)
月明かりを頼りに湖に向かう。
野営地から河原までの道は煉瓦で舗装されていた。
多分、何年か前まで──魔王がこの辺りを占拠するまでの間──この辺りに人が住んでいたのだろう。
その名残は一切見当たらなかった。
……きっと俺の故郷みたいな末路を辿ったのだろう。
複雑な気持ちを抱いたまま、俺は湖に向かって歩き続ける。
すると、見覚えのある顔が煉瓦の道の近くにある木に小便を引っかけていた。
確か半年前くらいに騎士団に入隊した新米騎士だ。
俺の存在に気づくと、彼は慌てて排泄器官から排泄物を垂れ流しながら、少し離れた所にいる俺に敬礼する。
「か、影の魔術師殿!お見苦しい所をお見せして申し訳ありません!!」
「小便垂れ流しながら敬礼すんなよ」
彼の排泄物がかからないよう、念入りに距離を開けながら、俺は新米騎士に正論を突きつける。
「いや、勇者の右腕である影の魔術師殿に敬礼しないのは無礼な訳でありますし……」
「小便垂れ流しながら敬礼する方が無礼だっての」
頭を掻きながら、現在進行形で尿を垂れ流す新米騎士に常識を教える。
「あと、俺は右腕なんかじゃない。俺はお前らと同じ──勇者の護衛役の一人だ。立場的にはお前らと変わらない」
「え……でも、騎士団長は言っていましたよ。影の魔術師殿は勇者の右腕だって……」
「それは騎士団長の戯言だ。勇者は俺の事を右腕だと認めていないし、俺も自分が勇者の右腕だと思っていない。仮に右腕だったとして、その右腕が王国軍の人達に混ざって雑魚寝すると思うか?」
勢い良く小便を噴き出す新米騎士に苛つきながら、俺は彼の質問に答える。
彼は俺の怒りを感じ取っていないのか、男の勲章を隠す事なく、俺の話を聞き続けた。
……こいつ、どこの村出身なんだろう。
そして、騎士団長は何故こいつに常識を教えなかったのだろう。
惚けた顔で小便を垂れ流す彼を眺めながら、俺は溜息を吐き出す。
「……小便終わったら、さっさと寝ろ。じゃなきゃ、明日、魔王に殺されちまうぞ」
頭も要領も悪い俺はぶっきらぼうに言いながら、彼に早く寝るように促す。
「影の魔術師殿は寝なくていいんですか?」
「……お前には関係ないだろ」
「ダメですよ!もし今日徹夜したら、疲れが明日に残りますよ!!!魔王討伐最中に眠たくなったら、どうするんですか!?」
「小便しながら、こっちに近づいて来るな!!汚ねぇな!!」
尿を煉瓦の道にばら撒きながら接近して来る新米兵士から逃げながら、俺は彼にドン引きする。
「影の魔術師殿が万全じゃないと、誰も魔王を弱らせる事ができませんからね!!勇者殿はトドメをさせる状況にならないと出て来ない気弱野郎だし、勇者殿にべったりくっついている戦士殿も魔法使い殿も実力不足で話になりませんし!!もし影の魔術師殿がダメだったら、我々は魔王に討伐されてしまいます!!」
「だから、小便しながら近づいてくんなあああああ!!!!」
魔術で作った鞭を行使する事で小便を垂れ流す新米兵士の動きを止める。
「か、影の魔術師殿!?私にはこのような趣味を持ち合わせておりませぬ!」
「俺だって持ち合わせてねぇよ!この小便小僧が!!」
新米兵士の排泄器官から出る排泄物の勢いが徐々に弱まる。
彼の長過ぎる排泄を見届けた俺は、深い溜息を吐き出しながら彼の拘束を解く。
「痛いじゃないですか……影の魔術師殿……貴方がそんな人間だとは思いもしませんでした」
「俺はお前みたいな人間がこの世にいるとは思わなかったよ」
下半身を露出しながら、涙目になる新米騎士に苦言を呈する。
「え、それ、私の事を褒めています?」
「……やっぱ、教育は義務化した方が良さそうだな」
常識どころか倫理観もなさそうなアホを眺めながら、俺は教養の大切さを改めて実感する。
「それよりも、影の魔術師殿!貴方は早く休んでください!!じゃないと、人類は……、人類は……!!」
「お前は先ず下を履けよ。……心配しなくても明日はちゃんとやる。だから、お前はもう寝てろ」
彼の相手が面倒臭くなった俺は、早々に会話を打ち切り、再び湖の方に向かって歩き出す。
「影の魔術師殿は寝ないんですか!?」
「ああ。ちょっと、用事があってな」
平然と嘘を吐きながら、俺は新米騎士との会話を一方的に打ち切る。
「用事……?まさか一人で魔王城に乗り込むのですか!?分かりました!お供します!!」
「だから、性器を露出しながら近づいて来てんじゃねぇよ!汚ねぇな!!」
「で、でも、……影の魔術師殿がいなくなったら、人類は……!!」
「別に今すぐ魔王城に乗り込む訳じゃねぇよ!俺の事はほっといてくれ!!それが人類のためだ!!!!」
これ以上、彼に付き合っていたら頭がおかしくなりそうなので、早足で立ち去ろうとする。
頭のおかしい新米騎士は俺の背中に言葉を浴びせまくっていたが、これ以上時間も体力も消費したくなかったので、全部無視した。
今度騎士団長と会ったら、文句の一つや二つ言ってやろうと思いながら。
新米騎士と分かれて数分後。
野営地から少し離れた所に位置する湖に辿り着いた俺は、ここが安全かどうか確かめるため、周囲を見渡す。
湖は針葉樹に囲まれていた。
水は濁っており、幾ら目を凝らしても湖の底は見えない。
湖の周囲に木霊するのは、木々の揺れる音と蛙の鳴き声。
それ以外の音は全く聞こえなかった。
緑の濃い匂いを肺に入れながら、もう一度周囲を見渡す。
すると、月を仰ぐ騎士団長の姿が目に入った。
彼の姿は哀愁漂うもので、とてもじゃないが、声を掛ける雰囲気じゃなさそうだった。
夜風で悴んだ手を暖めようと、両掌に息を吹きかける。
俺の吐き出す息が聞こえたのか、騎士団長は瞬時に背後を振り返ると、吐いた息で暖を取る俺に視線を向けた。
「……影の魔術師か。良かった、魔王軍の配下だと思ったよ」
騎士団長は安堵の溜息を吐き出すと、俺が座れるように隣の空間を開ける。
彼が隣に座るように誘導したので、俺は渋々彼の隣に座る事にした。
「……こんな時間に何をしているんだよ」
「少し考え事を……な。君こそどうしたんだ?」
「俺も考え事をしていたんだよ」
彼の隣に座りながら、俺は夜空を仰ぐ。
夜空には欠けた月と幾千の星が瞬いていた。
食いかけのパンみたいな月と虫に喰われた黒い布みたいな夜空を視界に映した俺は、軽く溜息を吐き出す。
もしかしたら、これが人生最期の夜だと思うと非常に味気のない夜空だった。
「で、何を考えていたんだ?」
特に考える事なく、俺は騎士団長に雑談を振る。
彼は少し気まずそうな横顔をしながら、俺にしか聞こえない声量で語りかけた。
「誰にも言わないでくれよ……私が考えていたのは、……その、王国への不満だ」
「……下手すりゃ死刑ものだな」
先々代の騎士団長の末路を思い出しながら苦笑する。
俺が聞いた話によると、先々代の騎士団長は王族への愚痴が原因で処刑されたらしい。
もし彼が今抱いている不満が王族にバレたら、彼も先々代の騎士団長と同じような末路を辿る事になるだろう。
「で、どういう不満を抱いてんだ?」
「……わざわざ掘り下げるという事は、もしや王族に告げ口する気か?」
「かもな」
冗談を飛ばしながら、落ちていた石を拾う。
そして、湖に向かって拾った石を放り投げた。
俺が投げた石は水面の上を何回か跳ねると、湖の底に沈んでしまう。
「ほう八回か。結構、上手いな」
「子どもの頃、畑の手伝いサボって、よくやっていたからな」
魔王に村を焼かれる前の事を思い出しながら、再び落ちていた石を湖に放り投げる。
今度は三回しか跳ねなかった。
「話くらいなら聞いてやるぜ。まあ、聞くだけ聞いて、何もしないけどな」
「なら、カカシに話した方がマシだな」
「カカシじゃ相槌打てねぇだろうが」
「カカシは人に秘密を溢す事はないだろ?」
「安心しろ。誰かの秘密を話す程、俺は友達が多い方じゃねぇからよ」
悲しい事実を告げながら、石を放り投げる。
気持ちが落ち込んだ所為なのか、石は一回も跳ねずに沈没してしまった。
「そういう事情なら、確かにカカシよりもマシかもな」
騎士団長は苦笑いしながら、いつの間にか持っていた石を放り投げる。
しかし、石は水を切る事なく、池の底に向かって突き進んでしまった。
「下手くそ」
「初めてやるんだ、大らかな気持ちで見てくれ」
恥ずかしそうに右人差し指で頬を掻きながら、騎士団長は再び夜空を仰ぐ。
そして、何の前触れもなく俺に秘密を打ち明けてくれた。
「──王国から支給される武器の質が悪過ぎる」
「……随分、踏み込んだな。おい」
「一番困っているのが、これだからな。質の高い武器を使えない所為で、多くの部下を死なせてしまった」
騎士団長は苛ついた様子で石を放り投げる。
石は一度も跳ねる事なく、濁った水の中に消えてしまった。
「王様に武器の質を上げろって言ったのか?」
「言ったさ。けど、"支給される武器に異常は見当たらない。文句があるなら、自費でどうにかしろ"と言われた」
「自費……ね。十分な賃金を与えない癖によく言ったもんだな、王様は」
王様に聞かれたら間違いなく死罪になる事を言いながら、俺は石を湖に放り投げる。
「これが数年前に言われたものだったら、それなりに納得していたさ。しかし、ここ数年は酷過ぎる。なにせ、田舎の武器屋で安売りしているような質の悪い武器を使わされているからな」
「……支給される武器の質が悪くなったのと王様が西の街の武器商人と仲良くなったっていう噂、何か関係あるのか?」
「ああ、大ありだ。本来、支給される武器は騎士団長である私が選ぶ権利を持っていたが、王族曰く、"騎士団長が選ぶ武器は高過ぎる"と批判を受けてな。数年前から西の街の武器商人が選ぶものが支給されるようになった」
「なるほど。それで田舎で安売りされているような武器を使う羽目になったと」
「最初の内は自費でどうにかしようと頑張ったさ。だが、自費でどうにかなったのは最初の四天王討伐戦の時までだ。……魔王軍との闘いが長引けば長引く程、武器は消耗していく。新調しなければならない状況に陥ってしまう。勿論、武器を手入れをするためのお金も必要だ。……だが、騎士団全員の装備を賄う程、私はお金を持っていなかった。……結果的、ここまで来るのに部下を沢山死なせてしまった」
「……だから、この戦場に新米騎士がいるのか」
「……ああ、勇者の肉壁としてな」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、騎士団長は立ち上がると、月に向かって石を投げ飛ばす。
当然、石は欠けた月に届く事なく、呆気なく木々の中に消えてしまった。
「そもそも勇者の指揮系統もめちゃくちゃだ。彼の所為で死ななくてもいい部下達が死んでしまった」
「……基本、自爆特攻を命じるからな。唯一聖剣を扱う事ができる勇者様は」
魔王軍と対峙する際、王様から指揮を命じられている勇者は、基本的に三つの事を騎士達に命じる。
一つ目は"突っ込め"。
二つ目は"弱らせろ"。
三つ目は"俺を助けろ"。
この杜撰過ぎる命令の所為で、多くの人達を亡くしてしまった。
俺もこのいい加減な命令の所為で、死にかけた事は数え切れないくらいある。
だが、誰も勇者に苦言を呈する者はいない。
何故なら、魔王や魔王の配下である四天王にトドメを刺す事ができるのは、聖剣を持つ勇者にしかできないから。
どうやら魔王や四天王は邪神とやらに力を授かったらしく、勇者の持つ聖剣じゃないと完全に殺す事ができないらしい。
故に俺達人類は勇者を死なせてしまったら、魔王を殺す事ができなくなるのだ。
だから、誰も勇者に逆らう事ができない。
もしも勇者が闘う事を拒んでしまったら、誰も魔王達を倒す事ができなくなるから。
魔王を倒さなければ、今以上に犠牲になる人達が続出するから。
そんな俺達の弱みを知っている勇者は、聖剣を使える事をいい事に自らの私利私欲を満たすためだけに動いている。
肉を買って来いだとか、酒を買って来いだとか、面白い芸をしろみたいな命令はまだ可愛い方。
酷い時は気に入った村娘に強姦紛いの事をやろうとするし、何も罪を犯していない人達に暴力を振るう。
一度だけ俺は勇者の横暴──自分の服を汚したというだけで小さな子どもを殺そうとする行為──に腹が立ち、苦言を呈した事がある。
その時、勇者は俺達に謝罪の言葉を告げる事なく、"なら、もう二度と闘わない"と俺に告げた。
そして、"自分が闘わなければ、魔王を倒せない"と脅しをかけた。
"自分の機嫌を損ねるな。じゃないと、魔王を殺してやらないぞ"と欲に満ちた笑みを浮かべながら言い放った。
……多分、あの時の勇者の顔は一生忘れる事はないだろう。
あの時の勇者は魔王軍に属する魔物達よりも酷いものだったから。
「勇者の先祖が聖剣に細工を施さなかったら、より相応しい者が勇者になっていたかもしれない」
騎士団長は苛ついた様子で再び月に向かって石を放り投げる。
「もし初代勇者の血を引く者以外にも聖剣が扱えていたら、過去の王族が勇者の血族を血縁に取り入れようとしなかったら、……王族とは関係ない清く美しい心の持ち主が聖剣の持ち主だったら、部下達は死なずに済んだかもしれない」
「そう……かもなっ!!」
彼の怒りが伝播してきた。
俺は彼に釣られる形で立ち上がると、思いっきり石を夜空目掛けて放り投げる。
石は星空の一部になる事も瞬く事もなく、惨めに憐れにま地面に墜落してしまう。
俺の怒りは彼の怒りを更に駆り立てる。
彼は苛々を押さえる事なく、そのまま怒り任せに言葉を放ち続けた。
「なあ、知っているか!?今、王国は魔王討伐後のパレードの準備で忙しいらしいぞ!!」
騎士団長は石を投げながら愚痴を叫ぶ。
「はぁ!?負けたらどうすんだよ!?」
俺も彼を見習って、大声を発しながら石を遠くに投げる。
「その時は鎮魂祭を開くらしい!!」
「是が非でも祭り開きたいみたいだな!!!!」
「ああ!!王と商工ギルドが癒着しているらしいからな!!祭りを開く事で王達は商工ギルドに賄賂を送るみたいだ!!」
「何のために王はギルドに賄賂を送るんだよっ……!!普通、逆だろうが!!」
「王の弟が商工ギルドの長をやっているらしい!!恐らく弟に多額のお小遣いをあげているだろう!!!!」
「国の税金使って、身内に金あげるとか最低だな王族ってのは!!」
「加えて、パレードを開く名目で民衆から税金を徴収するみたいだ!!!!」
「弟に金あげる癖にケチ臭いな!!てか、身内に金出すなら、騎士団げんばに出せや!!!!魔王に滅ぼされてしまうぞ!!!!」
「王達は使命感を植え付けるのが仕事だからな!!現場で頑張っている奴に応援という名の圧をかければ、どうにかしてくれると思っているみたいだ!!!!」
「実際、俺らはどうにかしているもんな!!クソが!!」
「一度、魔王対策会議の時、王の側近が"騎士達にやる気を出させるために王都の子ども達に応援メッセージを書かせましょう"という提案をした時は呆れて口が開いてしまったぞ!!応援よりも厚い毛布の方が騎士達も喜ぶというのに……!!」
「王も側近も最前線に立たねぇからな!!どうしようもないくらいヤバい状況に陥らないと本気で考えないんじゃねぇの!?」
「あいつらは考えない!!金がない・人手がない・時間がない・道具がないと幾ら言っても、"できないいい訳を考えるな!どうすれば出来るかを考えるのがお前の仕事だ!"っていう精神論押し付けるのだからな!!!!考える事も現場の仕事だ!!!!」
「じゃあ、何で王様や側近がいるんだよ!!??何かあった時、責任でも取ってくれるのか!!??」
「取る訳ないだろう!!最初から責任を取るつもりなら、勇者なんかに指揮を取らせない!!!!」
「あの成金ぼっちゃまのバカみたいな作戦の所為で、お前の部下は沢山死んだもんな!!!!ロクな装備もなく冬の山を越えさせようとするなんてガキでも考えつかねぇぞ!!!!」
「後から聞いた話によると、勇者も無謀だという事は気付いていたらしいぞ!!!!だが、今更止める訳にはいかなかった的な理由で山越え作戦を実行したらしいぞ!!!!」
「そんなくだらない理由で死んだ34人は浮かばれねぇな!!!!歴史上初じゃねぇの!?薄着かつ鎧を着させたまま冬の山を登らせたのか、あのバカは!!!!」
「もしかして、魔王よりも王や勇者の方が人類にとって脅威なのでは!!??」
「かもな!!!!」
俺達は文句を言いながら、湖の水際に落ちていた石を遠くに放り投げる。
幾ら放り投げても、溜まりに溜まった不満は晴れなかった。
「王達がもっと魔王に対する脅威を認識していれば、私の部下も民衆も死なずに済んだ!!!!彼等がもっと真摯に取り組んでいたら、沢山の命が生きながらえた筈だ……!!彼等が自己保身なんか考えなかったら……もっと手厚い支援をしてくれたら、……もっと早く魔王を倒す事ができた……!!!!」
「ああ、その通りだよ!!勇者が我儘言わずにさっさと行動していれば、四天王なんてあっという間に倒せたし、こんな長い時間かけて移動せずに済んだ!!!!あいつは魔王軍の奴等が暴れているのを見て見ぬフリをして、休暇に勤しんでいたんだぞ!?クソ!!もっとマシな奴が聖剣を扱えたら、もっと人が救えたのにな!!!!」
足元にあった少し大きめの石──いや、このくらいの大きさは岩と言うべきだろう──を両手で持ち上げると、湖に叩きつける。
俺が投げつけた岩は、湖の水面を叩き割ると、文句の一つも言う事なく、水底に沈んでしまった。
「……王も勇者も愚かだ。けど、民衆だって愚かだ。王国が流した耳障りのいい情報を鵜呑みにしているんだからな」
「……ああ。実際は王国が発表しているよりも多くの人が死んでいる。"勇者のお陰で十数人しか死んでいない"なんて嘘だ。"騎士団員は誰も死んでいない"なんて嘘だ。魔王軍の所為で数え切れないくらい多くの人が死んでいるというのに」
「……お手軽に情報を共有できていたら、民衆も真実を知る事ができたかもな」
「いや、……お手軽に情報を共有できてしまったら、今以上に真実から遠ざかるかもしれない。民衆の多くは信じたいものしか信じない。だから、お手軽に情報共有してしまったら、都合のいい作り話が飛び交うようになるかもしれない」
「……情報伝達が便利になっても、今と変わらないって事か」
騎士団長が投げた石の行方を見守る。
彼が投げた石は水の上を三回飛び跳ねると、濁った水の中に潜ってしまった。
「……みんな愚かだ。王も勇者も民衆も……そして、私達も」
騎士団長は欠けた月を見つめながら、拾った石を握り締める。
「王達が間違っていると思っているのに、彼等を止める事ができていない。それどころか、彼等の行為を助長させるような行為をしている民衆に正しい情報を与えずにいる。……間違いを間違いだと言えずにいる」
「仕方ねぇよ、今は魔王討伐しなきゃいけねぇんだから。人類同士で争っていても、無駄に戦力を削ぐだけだ」
「だが……」
「それに俺の目的は世界を良くするためじゃない。──俺は故郷を焼き尽くした魔王を討伐するためにここまで来た」
俺は石を投げるのを止め、騎士団長と向かい合おうとする。
「殺された家族や友人達に報いるため、そして、今までの闘いで死んでしまった人達の無念を晴らすため、俺は今日まで闘ってきた。たとえ王様や勇者が間違っていたとしても、俺は闘い続ける。犠牲者の死を意味あるものにするために」
騎士団長は月ではなく俺に視線を移す。
彼の目は俺を非難するようなものではなかった。
むしろ俺を讃えるかのような目で見つめていた。
「だから、利用できるものは何でも利用してやる。それがどうしようもなく間違っていたとしても。俺は手段を選ばない。犠牲になった人達に報いるため、俺はこれからも闘い続ける」
「……変わらないな、君は」
彼は自嘲するかのような笑みを溢すと、力なく座り込む。
「出会った時から君は君だった。ずっと変わる事なく、魔王を倒すという目標を達成するために進み続けた。……なのに、私は最初に立てた目標を守る事なく、達成する事なく、自覚しているにも関わらず、……今も尚、迷走し続けている」
「仕方ないだろ。一兵士である俺と違って、お前は立場があるんだから」
「私は……貧しい者達も朝昼晩お腹いっぱい食べられるような世界を作りたかったのだ」
騎士団長は吐き捨てるように自分の志を口にする。
「……そういや、お前も元々は農民だったよな」
「ああ。だから、食べ盛りの時期は腹を空かせていたよ。その時から思っていた。食べたい時に食べ物を食べられるような世界を作り出してみせると」
苦笑しながら騎士団長は明後日の方向に視線を向ける。
彼の瞳の中には故郷の畑が映し出されていた。
「騎士団長になったのも、そのためだ。農民も商人も貴族も……誰もがお腹いっぱいにご飯を食べられる世の中を作りたいがために、私は死に物狂いで騎士団長になったのだ。……騎士団長になるしか、農民である私が政治の場に立つ事ができないのだからな」
「誰もが満腹になるまでご飯を食べられる世の中……か。いいな、それ。飽きるくらいご飯が食べられるなら、争い事はなくなるかもな」
「ああ、……そう思っていた」
騎士団長は手で握っていた石を弄びながら溜息を零す。
「だが、騎士団長になっても政治を動かす事はできなかった。農民の子である私には王族の血が流れていないから。……幾ら努力したとしても、王権が天から与えかられている以上、私では政治を動かしたくても動かす事ができない」
「……俺もお前と同じだよ」
再度、騎士団長の隣に座った俺は大の字の形になって寝そべる。
「幾ら力をつけたとしても、初代勇者の血が流れていない俺じゃ、魔王どころか四天王さえ殺せない。幾ら魔王を憎んでいたとしても、幾らこの手で魔王の息の根を止めたいと願ったとしても、……俺に勇者の血が流れていない以上、魔王を殺す事なんてできない」
「……そうか。……やはり私達は、似た者同士だな」
「平和な世の中だったら、……いや、みんなお腹いっぱいになるまで食べられる世界だったら、こんな事、考えずに済んだのにな」
「ああ……そうだな」
隣に座っている騎士団長は遠くを見つめる。
横になった姿勢のまま、彼の横顔を見た。
──彼の横顔は血の気が引いていた。
何かに怯えているのか、指先を小刻みに揺らしている。
……彼がが口を開くまで俺は沈黙を貫いた。
風が吹く度に木の葉が音を立てて揺れる。
蛙は寝てしまったようで鳴き声一つ上げなかった。
黒い雲が欠けた月を覆い尽くす。
その所為で湖周りの空間は闇に飲み込まれてしまった。
夜空に瞬く星々が俺達の姿をか弱い光で照らし上げる。
その光はとても頼りないもののように見えた。
「…………私は、明日死ぬかもしれない」
静寂に包まれた空間に騎士団長のか細い声が響き渡る。
俺は彼の言葉を否定も肯定もしなかった。
「私は、……何も成し遂げないまま、自分の理想を叶える事なく、明日、死んでしまうかもしれない」
彼の声は今にも途切れそうなくらい弱々しいものだった。
彼の心を少しでも軽くするため、俺は軽口を叩く。
「大丈夫だ。お前が死ぬ時は人類滅亡の瞬間だ」
「……私は君とは違って、魔法が使える訳でもない。かと言って、勇者みたいな特別な力を持っていない。魔王が生み出した魔物も十数人の部下達と協力しなければ倒す事ができない。……ただの凡人だ。私みたいな男が、明日の闘いで生き残れる訳がない」
弱音を吐く彼の姿を初めて見た俺は戸惑う。
そして、彼のようなできた人間でも死の恐怖は乗り越えられない事を理解した。
「さっきの不満だって、ただの建前だ。死なない要素を考えようとしたら、死ぬ要素しか見当たらなかったから……王や勇者に八つ当たりしていただけだ。……何かに当たらなければ、今の自分を正当化する事ができなかったのだ。今の自分の境遇を……人や環境の所為にしないと精神を保てなかった………私はまだ死にたくないのだ……私はまだ何も成し遂げていないのだから……」
「死にたくなければ逃げればいい。逃げ道なら幾らでも用意してやる」
俺はポケットに入れていた干し肉を今にも崩れ落ちそうな騎士団長に手渡す。
彼は首を横に振ると、隣に座る俺の横顔を覗き込んだ。
「……そんな事をしたら、勇者に怒られるぞ。下手したら魔王討伐後、王国に追われる身になってしまう」
「魔王討伐に成功しようが失敗しようが、王国から追放されるのは確定事項だ。……俺は魔王と同じ魔法──"影の魔法"を使う事ができるからな。そんな奴が勇者の仲間だという事が民衆に知れ渡ったら、勇者の名に傷がついてしまう。……今更一つ二つ汚名が増えた所で辿る末路は何も変わらないんだよ」
そう言いながら、俺は干し肉をポケットに仕舞うと、ゆっくり立ち上がる。
そして、戦友である騎士団長に右手を差し伸べた。
「だから、もし逃げたくなったら、俺の名前を出せ。俺に命じられたって言え。お前の罪は俺が全部背負ってやる」
座った状態のまま、騎士団長は顔を上げる。
彼の瞳には欠けた月が映し出されていた。
「……君は追放される事を分かった上でここまで来たのか?」
「言っただろ?魔王に殺された人達に報いるためなら何でもやるって」
目の前で無惨に殺された父と母、魔物に食い殺された弟達を思い出しながら呟く。
「騎士団長、お前は生きろ。今は無理でも、明日はできるようになるかもしれない。いつか政治を動かす立場になれるかもしれない。だから、どんな手段を使ってでも生き延びろ。……そして、いつの日か誰もが腹一杯食べられるような世の中を作ってくれ」
俺が差し出した右手を見つめながら、彼は俺の言葉に耳を傾ける。
だが、いつまで経っても彼は俺の手を取らなかった。
「責任は俺が全部取ってやる。だから、必ず生き残れ。生き残って、やりたい事を全うしろ」
周囲の木々が騒いだ所為で、俺の言葉は遮られてしまう。
さっきまで投げた石のように、俺の言葉も湖の中に吸い込まれてしまった。
あの石は──湖の底に沈んだ石はこれからどうなるのだろう。
誰かが拾い上げるまで何年も水底に居続けるのだろうか。
あの石達は地上の光を浴びる事なく、濁った水の中で空を仰ぎ続けるのだろうか。
波紋一つ見当たらない湖の方に視線を傾ける。
すると、今まで沈黙を貫いていた騎士団長が言葉を紡いだ。
「……もし私が死んだら、君は私の理想を……受け継いでくれるのか?」
「んな訳ねぇだろ。俺は人の上に立つ器もなければ、政治をやるような知能を持ち合わせていない。ただの兵士がお前の理想を実現できる訳がない。…………悔しいけど、俺じゃお前の死に報いる事はできそうにない」
「……そうか。なら、……是が非でも生き残らなければならないな。理想を叶えるためにも。そして、君に私の死を背負わせないためにも」
騎士団長はゆっくり立ち上がると、俺と同じように湖の方に視線を傾ける。
「ありがとう。君のお陰で覚悟を決める事ができた。──明日、私は是が非でも生き残る。そして、いつの日か誰もが餓えずに済むような世界を作り出してみせる」
結局、彼は最後まで俺の手を借りなかった。
いや、最初から借りる必要はなかったのだ。
何故なら、彼は強い人間だから。
幾ら挫けたとしても自力で立ち上がる事ができる強い人間なのだから。
──強い人間だったのだ。
「はぁ……はぁ……はあ……」
魔法の力で魔王の四肢を捥いだ俺は、地面に尻をつけながら、必死に空気を肺の中に詰め込む。
魔王が身動き一つ取れない事を確認した途端、最前線から遥か離れた位置──遥か後方にいた勇者は、今まで盾のように使っていた後衛の騎士達を押し倒すと、魔王の下に歩み寄り始めた。
彼の足取りはまるで自分一人の力で魔王を追い詰めたかみたいに自信満々で非常に哀れだった。
意気揚々に死んだ騎士達の死骸を踏みつけながら突き進む勇者の姿を見て、俺は思わず笑ってしまう。
美味しい所だけ奪う彼の姿は、英雄と呼ぶにはあまりにも惨めで情けないものだった。
屍を踏みながら前進していた勇者は弱り切った魔王の下に辿り着く。
そして、鞘から聖剣を引き抜くと、芝居がかった事を言いながら、勇者は剣の鋒を魔王の心臓に突き刺した。
聖剣を心臓に叩き込まれた魔王は絶叫を上げながら、消滅してしまう。
魔王の消滅を見届けた途端、今まで勇者の盾としてこき使われていた後衛の騎士達が歓喜の声を上げた。
最前線で闘っていた俺や他の騎士達は喜びの声を上げる事ができないくらいに疲弊しており、喜ぶ勇者と後衛の騎士達をただ眺める事しかできなかった。
そんな疲れ切った俺達が気に食わないのか、勇者は俺達に"喜べ"と命令を飛ばす。
口の中に溜まっていた血を吐き出しながら、勇者の命令を露骨に無視しながら、俺は周囲を見渡した。
その時だった。
俺の耳に新米騎士の声が聞こえてきたのは。
「団長……!!しっかりしてください!団長!!!!」
背後の方から聞こえて来た。
反射的に声の主の方に視線を向ける。
そこには泣き崩れる新米騎士と腹部に酷い傷を負った騎士団長がいた。
騎士団長の臓器らしき肉塊が辺り一面に散らばっていた。
恐らく魔王の攻撃を喰らったのだろう。
魔法の力で癒やしたとしても、助からない程の傷を負っていた。
治癒魔法は散らばった内臓を元通りにする程の効力を持ち合わせていない。
ただ回復を早めるだけだ。
だから、高名な魔法使いや魔術師でも彼の腹部から零れ落ちた内臓を元に戻す事はできない。
……彼を助ける方法はこの世界に存在しないのだ。
「団長……!何で自分なんかを庇ったんですか……!?団長!!」
新米騎士は涙を流しながら、騎士団長の腹から零れ落ちた臓器を拾い集めようとする。
俺は今にも息絶えそうな彼の顔ではなく、彼が身につけていた鎧に視線を移した。
彼の身につけている鎧は紙みたいに薄っぺらく頼りないものだった。
とてもじゃないが、魔王の攻撃を防げる代物ではない。
いや、素人の剣でさえも防ぐ事はできないだろう。
彼が身に纏っていた鎧と言い難いものは新米騎士と着ているものと同じものだった。
いや、新米騎士だけじゃない。
周囲に転がっている死骸も同じ鎧を身に着けていた。
勇者の方を見る。
勇者の傷一つついていない鎧には様々な宝石や装飾が施されていた。
勿論、鎧には魔術による加護も施されている。
騎士達が身につけているものとは比べ物にならないくらい、非常に立派かつ豪華なものだった。
……もし騎士達が勇者の身につけている鎧と同じものを着ていたら、こんなに犠牲を出さずに済んだだろう。
──騎士団長は死なずに済んだだろう。
そう思うとはらわたが煮えくり返った。
怒りに身を任せるがまま──八つ当たりである事を自覚しながら、俺は勇者の顔面を殴りに行こうとする。
だが、俺の行動は予想だにしなかった一言によって止められてしまった。
「……もういい」
聞き覚えのある声が──今にも息絶えそうになっている彼の声が鼓膜を揺らす。
振り返る。
そこには口から血を垂らしながら、俺の方を見る騎士団長の姿が映し出された。
「……もう、君は闘わ……てい……。……君は、もう十分、……」
彼は最期の言葉を最後まで発する事なく、息絶えてしまう。
戦友がただの肉塊と化してしまった。
その事実により、俺は何度目か分からない喪失感を獲得してしまった。
「……何が何でも生き延びるんじゃなかったのかよ。……俺じゃお前の理想を受け継ぐ事はできないって言っただろうが」
昨晩の事を思い出しながら、俺は返ってくる事のない疑問を口に出してしまう。
俺の言葉を聞いた途端、新米騎士は罪悪感で顔を歪めた。
少し離れた所から勇者達のお気楽な声が聞こえて来る。
……どうやら勇者達にとって、騎士団長の死も騎士達の死も取るに足りない出来事らしい。
その事実を認識した途端、俺は右の拳を強く握り締めてしまった。
だが、抱いていた怒りは騎士団長の最期の言葉によって瞬く間に氷解してしまう。
きっと彼は俺のこれからを案じたから、あの言葉を残したのだろう。
色々言いたい事はあった筈だ。
色々やりたい事はあった筈だ。
けど、最期の最後まで彼は自分の事を蔑ろにして、他人のために尽くしてしまった。
強い人間であったが故に、彼は俺や新米騎士の事を守ってしまったのだ。
自分の理想を捨ててまで。
「……馬鹿野郎」
立ち上がった俺は彼の亡骸の所まで歩み寄ると、彼の亡骸の横に座る。
当然、屍と化した彼から反応は返って来なかった。
心地悪さを感じながら、俺は落ちていた瓦礫を手に取る。
騎士団長の亡骸を抱きながら泣き噦る新米騎士に声を掛けなかった。
俺なんかが励ましても何の意味もないと思ったから。
勇者の方を見る。
勇者は死んでしまった騎士達を踏みながら勝利に酔っていた。
その哀れで情けない姿を見つめながら、俺は魔王がいなくなったこれからの世界について夢想する。
多分、近い将来、勇者は民主から英雄として崇められるだろう。
ここにいる死体は国に帰る事なく、近くの森に捨てられてしまうだろう。
魔王軍の脅威はなくなるだろう。
しかし、王族や勇者の横暴を止める事は誰にもできないだろう。
今以上に住みにくい世の中になってしまうだろう。
民衆は骨と皮になるまで資源を搾り取られてしまうだろう。
そして、騎士団長が抱いていた理想──誰も餓えに苦しまない世界──は未来永劫叶わないだろう。
担がれた神輿の上で有頂天になっている勇者を眺めながら、俺は手に持っていた瓦礫を放り投げる。
放物線を描きながら飛んでいく石を眺めながら、俺は理解した。
この世界に未来なんてない事を。
(完)