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孵卵

 卵を育て始めて、数日目。

 殻の内側から青色の斑が、うっすらと浮かび上がってきた。

 この斑模様が全体に広がって均一な色になれば、第一段階。言葉を理解できる子が生まれる条件をクリアしたことになる。

 そろそろ私は日付の感覚が、朧になってきているので、今日が何日目なのか判らないけれど。

 今までの経験から言えば、半月ほど経っただろうか。


 さらに半月から一月(ひとつき)ほどで、会話のできる子になる。この時、卵の殻は紗のかかったような淡い色から、濃く鮮やな色へ変わる。



 言葉を理解できる子に育ってきたあたりから、卵が貪欲にお話をねだってくるような錯覚に陥る。

 子供の頃に聞いた御伽噺。 

 吟遊詩人として旅を続ける間に収集した、各地の英雄譚や恋物語。

 巣立った子どもたちが、旅のお土産に聞かせてくれる珍しい風土記や伝説。

 今までに私が体内に溜め込んだ、ありとあらゆるお話や、さらには即興で作ったお話も織り交ぜて思い浮かぶがままに語り続けていると、いつしか自分が長大な物語絵巻になったようにも思えてくる。 



 日を重ねて育てていくうちに、卵が金属的な光沢を帯びてきた。この子もこれで、獣人として生まれるところまで育った証だ。

 殻の色が鮮やかになってから、ここまでに一ヶ月から一ヶ月半が経っている……はず。


 食後の水浴びの後。レオンが

「そろそろ、頃合いだね」

 と、ほっとしたような顔で言ったのは、私が殻の変化に気づいた翌日。私が水浴びをしている間に卵の様子を見ていて、気がついたらしい。


 ここ数日、自力では座ることすら難しくなっている状態の私は、レオンに抱きかかえられてチグラへと運んでもらっていた。

 いつものこととはいえ、私が命を削っているように見えてしまって、レオンはかなり心配になるらしい。

 当の私は、お話が体内に湧いてくる感触が楽しくて仕方ないのだけれど。



「あと何日、居られるかしら?」

「そうだね。明日、アシュノーム様と詳しく相談してみるけど。三日、かな?」

 育てた卵は、卵屋の手によって孵される。獣人であればその際、戸籍課の人と養父母が立ち会う。

 この子は書類上、アシュノーム様の子供として届けられることになっている。実際に育てるのは、おそらく専門の傅育係だろうけれど。



 この国では人口バランスを考慮して、獣人の出生がコントロールされている。

 子を成さない獣人同士の夫婦や、獣人とヒトの夫婦では、獣人の卵を得るための金銭補助が国から出される。

 ただし、『夫婦どちらかと同じ種類でなければならない』『一組の夫婦について、二人まで』などの制限はあるらしく、その範囲を超える場合には安くはない金額が自己負担になる。

 そしてヒト同士の夫婦では、種類や性別にこだわらなければ、それまでに育てた子の数と同数までは補助が出る。


 この子の場合は、"ドラゴンの女の子"と指定した時点で、アシュノーム様はかなりの額を支払っておられる。それほどまでに、ご夫妻にとっては、お嬢様のお輿入れに対する思いが強いのだろう。



 卵と過ごす残りの日々、私は内容を意識してお話を選ぶ。

 心弾む楽しいお話。色鮮やかな夢のお話。安らぎを招く静かなお話。

 この子が生きていく上で支えとなるような、選りすぐりのお話を語って聞かせる。



 そして、その日から数えて三日目。

 頑丈な木箱を手にしたレオンが、訪れる。

 箱の中には、ビロードのクッション。卵が入る為に作られた特別な箱だ。

 そっと卵を入れて、蓋はしないままお腹の前で抱える。レオンは卵ごと私を抱え上げて、チグラの部屋を後にした。

 窓から朝日の差し込むお台所へと運ばれて、椅子へと降ろされる。卵の箱は、食卓へ。


 私の隣へ、静かにレオンが座る。

 目と目で頷きあって。

 そっと箱に顔を近づけた。


「語り伽ヘンリエッタより、言祝ぎを」

 今日、誕生する我が子へ、"言葉"を贈る。

「楽しい事や素敵な仲間、そして美味しい物にたくさん巡り会えますように。未来に光あれ」

 生みの親からの(はなむけ)は獣人の魂に刻み込まれて、お守りとなる。

「卵屋レオンより。bon voyage」

 レオンから贈られた言葉を飲み込むように、木箱の蓋が閉まる。

 レオンの師匠筋に古くから伝えられてきた餞の言葉には、外部からの干渉を遮り、正しい方へと導く力が秘められているという。


 現在、レオンの言葉が封印となった箱の中は完全な無音状態。卵は半日かけて、孵るための準備を整えた。

 そして次に蓋が開いた時、周りの音をきっかけにして孵るらしい。


 ちなみに、獣人にはならない卵たちも、違った形で無音状態に置かれたあとで孵化する。



 育てた卵に別れを告げた私は、再びレオンに抱かれてチグラへと戻る。

「じゃあ、ヘンリエッタ。夕方まで、おやすみ」

「アシュノーム様と奥様に、よろしくね」

 レオンが卵を孵す間、私は世間の喧騒と無縁のチグラの中で身体を休める。

 レオンの足音が部屋から出て行くのを待って、鳥の姿に戻った私は、ここしばらく暮らした寝具の中で丸くなる。


 夕方になれば、レオンのお店へ連れて行ってもらって。数日間は鳥のまま卵たちと並んで、寝たり起きたりして過ごす。

 体力が戻れば、北の山麓にある湯屋で温泉に浸かったりマッサージを受けたりと、一泊二日のご褒美休暇を二人で過ごす。


 そういえば、来月は収穫祭だと、さっきレオンから聞いた。

 この街の近くに居る子どもたちが、里帰りしてくるから、それまでに体力を取り戻しておかないとね。

 育ての親の所へ行く子もいるから、今年は何人が集まるだろう……と、半分眠りに落ちている頭で考える。



 語り伽と卵屋の餞の言葉がお守りになるのは、比喩でも誇張でもない。

 生まれてくる子は、生みの親の名前を覚えている。餞の言葉は、忘れない。

 私を生んだ卵屋と語り伽はハロルドとメアリーだ。


 この国も含めて、東の大国を中心とした文化圏では、自己紹介の際に親の名前を添える慣習がある。

 この時、獣人は生みの親の名前を告げる事が多い。これは育ての親を蔑ろにしているわけではなく、生みの親を共にする兄弟姉妹が多いから。

 私自身、大怪我をした時には、近くに住む姉に看病をしてもらった。傷が癒えた後、生まれた街へ戻る手伝いをしてくれたのは、行商人の弟だった。

 いざ、と言う時に助けてくれたのは、生みの親の名前だった。



 その日、見た夢は収穫祭。今までに過ごしたいろいろな年の記憶が混然一体となった暖かい夢だった。


 お菓子やお酒などの手土産と共にレオンのお店に帰ってきた子どもたちは、持ち寄ったお料理を囲んで、グラスを交わす。

 そして、誰もが

「ヘンリエッタには、これを」

 と、絵巻物や読み本、それから旅の途中で見聞きした土産話の数々を差し出してくれる。



 私は語り伽。

 食事をするように物語を摂り

 呼吸(いき)をするように語り続ける。



 END.

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