卵屋
身を乗り出すようにして、レオンの手に包まれた卵に顔を寄せる。私も息を吹きかけてから、左手の上に移し替えてもらう。
これで、卵が私という存在を認知する。いわゆる”刷り込み”という行為だ。
受け取った卵を落とさないように、お腹のあたりで、しっかりと抱え込む。
レオンは”卵屋”だ。
魔力を持つヒトは、さっきのように鉱物から卵を作り出す。ヒトやイヌ、ウシといった仔を生む生き物は、植物と同じように番って増えるけれど、卵から生まれる生き物は、ヒトが増やしていく。
魔力さえあれば子供にでも生み出せる、数種類の鳥類・魚類は、食用に。
それよりも格段に難しい、様々な生き物の卵を生みわける能力と魔力を持つヒトたちが、卵屋になる。
卵屋が作り出した卵は、外界の音を栄養に育つ。殊に、浴びるように言葉を聞き続けて育った卵は、成長して人語を理解するようになる。会話ができるようにもなる。
そして、あるレベルを超えると、人化の術も身につけた獣人となる。不思議なことに生殖をしないはずの獣人なのに、ヒトの男女の区別に似た外見の差をもつ。
卵屋の手で生み出されたばかりの卵でも、すでに殻の手触りが違っている。つまり、獣人にならない雛にも冠毛の形状や羽毛の色などの違いがあって、それがそのまま、人化した時の男女の違いとなる。
「ヘンリエッタ、運んでも大丈夫?」
「ええ、お願い」
横抱きでレオンに抱き上げられて、卵と一緒に仕事部屋へと運ばれる。
「水晶だったから、ドラゴンの卵ね?」
昆虫類は雲母から、鳥類は硅砂から、魚類は……黒曜石だったかな?
それから、爬虫類は……何だったかしら。
レオンが空の生物を専門にしているから、それ以外は私もあまり詳しくない。
「お嬢様の話し相手と護衛を兼ねるらしいよ」
獣人の成長はヒトよりも早く、三年程度で成体となる。
お嬢様の成人を待つ間に成長を終える計算で、ご婚約が整ってすぐに依頼が来たわけだ。
「殻が滑らか……女の子なのね」
親指でそっと撫でてみた殻は、つるりとしている。これが男の子だったら、細かい砂のようなざらつきがある。
「さすがに、輿入れ先に実家から男性は連れていけないからね」
「なるほど、そうよね。余計な波乱の元を、わざわざ携えていくはずがないわね」
つまり、"ドラゴンの獣人"と"女の子"の要件を満たす必要のある、難しい依頼だったのね。
卵の性別が指定された依頼をこなせる卵屋は多くはない。あの"仕上げの一息"が、獣人の性別を決める要素になるらしい。
レオンはそんな難しい依頼を受けてくるほど、腕のいい卵屋だ。
そして私は、卵屋のパートナー。
言葉のわかる卵を育てる”語り伽”だ。
"言葉の判る卵"を育てる過程において、言葉以外の余計な音を聞かせると作業効率がおちる。そのため語り伽は、"チグラ"と呼ばれる防音仕様の仕事部屋にこもって卵を育てる。
私の使っているチグラは、レオンが両手を広げるには少し狭い幅の六角形の小部屋で、中には真綿入りの寝具を敷き詰めてある。天井も低くて、小柄な私が辛うじて頭をぶつけない程度。
私の身体サイズに合わせたチグラは、寝室よりも少し狭い部屋の真ん中に設けてある。つまり、完全に家の外壁からは遮断されていて、部屋自体にも遮音の結界が張られているといった念の入り様だ。
部屋の戸口の反対側にあたるチグラの一辺が出入り口で、寝具よりも一段高い、木張りの床になっている。レオンが入ってくるのはここまでだ。
床に跪いた彼に、そっと寝具へと降ろされて。
腕のない右肩を下に、体勢を整える。足元に、ごく軽いケットを掛けられた。
「じゃあ、ヘンリエッタ。また、明日」
「ええ、レオン。気をつけてね」
囁き声の挨拶を交わし、少し伸び気味の私の前髪を耳の方へそっと指先で流した彼は、膝立ちのままでソロソロとチグラを出て行った。
森の中に建つこの家に、レオンは住んでいない。
火の始末などの簡単な片付けや厳重な戸締りをしたあと、街中の卵屋の店に戻るのだ。
次に彼と会うのは、丸一日が経った明日の夜。卵にかかりっきりになる私のために、食事を運んで来てくれるまで、私は卵と二人っきりの時を過ごす。
「はじめして。ヘンリエッタよ。ハロルドとメアリーの娘なの」
まずは、卵に自己紹介。続けて、レオンのことや、私たちの仕事のことも話して聞かせる。
「卵ってね、作るだけなら、魔力をもつヒトには意外と簡単なんですって。食糧になる種類は、子供のアルバイトでも作られるそうなの」
難しいのは、いかに多種類の生物を生み出すかで、レオンの言っていた"難しいポイント"や"最後の仕上げ"ができないと、卵屋にはなれない。
その差は、本人の資質と修行がものを言うらしい。
「卵屋になるには、それだけじゃなくって、語り伽とパートナーになれるか、も関わってくるのよ」
片腕を無くしてリュートを弾けなくなった私が、この国に戻って少し経った頃。卵屋として独り立ちの準備をしているレオンと出会った。
「『吟遊詩人だったなら、できないかな?』って、誘われてね。この仕事を始めたのよ。私も、新しく仕事を探していたからね」
それ以来、二十年ちかく、一緒に卵を育ててきた。
「レオンと一緒に住んでいないのが、不思議?」
返事があるわけでもないけど、卵に訊いてみる。
気になるよね? あなたの生みの親の話だもの。
「私がこうやって、あなたを育てている間に、レオンもお店の方で、他の卵を育てているのよ」
獣人まで育てるために払われる金額がかなりの高額だとはいえ、年に三人までしか育てられない。会話が出来るレベルの生き物だけを育てたとして……七羽が限度だろうか。とてもじゃないが、大人二人が暮していくことは厳しい。
「腕のいい卵屋なのよ、レオンって。だから、アシュノーム様からの依頼で生み出した、たくさんの種類の生き物の卵を孵しては、あちらこちらの森へ放す仕事をしているの」
語り伽に育てられた言葉のわかる生き物は、ヒトや獣人の間近で暮らす。それは、彼らが使役や愛玩の目的で生み出されるから。
そして獣人の子は、生まれこそ違うものの、養父母の元でヒトの子と同じように育てられる。
でも、世界中にはその他にも、色々な動植物が生きていて。
「互いに"喰べた・喰べられた"を繰り返したり、ほかの生き物が番って仔を成す手伝いをしたり、と、バランスをとって支え合いながら、暮しているのよ」
ちょっと喉を休めるように、息をついて。手の中の卵を軽く揺らす。時々、こうやって揺らしたり転がしたりをしてやるのも、大切なこと。ずっと同じ姿勢だと、卵も疲れるのよ。
「アシュノーム様のお仕事はね、そんな自然界のバランスを、他の国とも相談しながら調整するんですって」
この子がお仕えするお嬢様は、その橋渡しとして嫁いで行かれるのだろう。
「お嬢様のお傍には、あなたのお姉さんもいるのよ」
お嬢様のお誕生にあわせて依頼された歌鳥の獣人は、ずっと腹心の侍女としてお仕えしているので、おそらくお輿入れにも付き従うことになるだろう。