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化かし097 阿呆

 ミズメとオトリは神木の村を立ち去り、そこよりほど離れた山林の中へと潜伏した。


「絶対、絶対にあれは邪仙ですよ。斃してしまいましょう!」

 オトリは顔を真っ赤にして地団太を踏んでいる。

「邪仙にしても、帶走老仙(ダイゾウロウセン)じゃないんじゃないかな。というか、そうあって欲しくないよ……」

 あの糞爺が美女に化けて「いやーん」などと言って手弱女(タオヤメ)を演じているなどと考えたくはない。

「まあ、気持ち悪いですよね。きしょ過ぎます」

「なんにせよ、怪しいのは確かだ」

「気配は神仙のものでしたし、霊気もそれなりに感じました。こちらの気配も読めてそうですね。霊力のある私たちが邪魔になると思っていきなり追い出しに掛かったんでしょう」

「強引だったのは、あたしたちが村民の知り合いだったか、普段から善行をしてるってクマヌシから聞いてたからかな」

「それなら、もっと穏便に村から引き離す手があったんじゃないんですか? クマヌシさんと同じように羽衣を探して貰うとか言って」

「オトリの羽衣を自分の物だと言い張ったのは、クマヌシがオトリに卜占で手伝って欲しいと言った直後だ。羽衣は見たところ手元になかったし、見つけられたら困るんだよ。あるいは探し直されたら何か困るものが他に出てくるかだ」

「なるほど。つまり、村やこの近隣にすでに何か仕掛けてあるということですか?」

「だと思う。クマヌシは確かに男覡をやっているけど、巫力はオトリに比べたら大したことはない。術も狐狸に毛が生えた程度に音術と幻術が扱える程度だ」

「狐狸はもとから毛がふさふさですけどね」

「しょうもない冗談はよしてよ。さっきはオトリが失敗したんだからね」

「えーっ、私がですか!? ミズメさんに信用がないのが悪いんですよ」

「それにしたって、オトリまで嫌われることはないでしょ。最初からもう少し冷静に相手をしてくれたら、あたし独りが悪者になるだけで済んだろうし」

「だって、ミズメさんだけが悪者になるなんて嫌ですよ」

「あたしのことを考えて? まあ……気分は良くないけど、そーいうのには慣れてはいるからね。天女の正体を暴けば問題ないし」

 少々照れ臭い。


「嘘ですけど」

 ぺろり、舌を出すオトリ。

「嘘かい!」


「腹が立ったんですよ。叩いた時に気の乱れを見ましたけど、神仙のものから物ノ怪や鬼のものに変わったりはしませんでした」

「お師匠様の気配とも違ったね。あたしの勘は外れだ。帶走老仙とも違う気がする。そもそも、噂の邪仙の性別は聞いてないし、ヒサギについて何も情報がなかったし……」


「うーん……」

 オトリは怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでいる。

「なに?」


「ミズメさん、なんか変じゃないですか? 顔が赤いですよ」

「なんか熱がでてきたみたいで、ぼーっとする」

 不調は空から降り立ってからはっきりと自覚されていた。降り立ったものの浮遊感が消えないのだ。


――オトリだってなんか変じゃない? 

 言ってやりたいが飲み込む。

 いくら甘いものが好きだからといって、強引に風邪ひきを連れて山を下り、美女にいきり立って下手を踏む。油断し過ぎである。

 とはいえ、人里に出るのを風邪が治るまで待っていれば、そのあいだに天女の企みによって村やクマヌシの身に何かが起こっていたかもしれない。

 怪我の功名を得る機会ができたともいえる。


「熱があるなら、おやすみしたほうが良いんじゃないですか?」

 オトリの顔が近付く。額に額をくっつけられた。

「ちょっと、近いって……」

 頬まで熱くなるのを感じる。

「あれ? 熱くないですよ」

「そうなの? ……へくしょん!」

「痛いっ!」

 超近距離での“くさめ”。互いの額へ大打撃である。


「あいたたた……。か、顔に鼻汁と唾が……」

「ごめんて」

「ごめんじゃないですよ、もう!」

 オトリは必死に袖で顔を拭っている。


「とにかく、天女は何かあたしたちに見られたら都合の悪いことをしようとしてる。今から、あたしが独りで様子を窺ってくるよ。オトリは待ってて」

「独りでですか? 風邪をひいてるのに。そんなに私、信用無いですか?」

 しょぼくれるオトリ。

「違う違う。ちょいと、“良いもの”を験したいんだ」


 ミズメは“どこからともなく”、“大きな(ミノ)”を取り出した。


「ふう、出したらすっきりした。入れてるとなんかちくちくするんだよね」

「なんですか、それ? 蓑?」

「これはお師匠様が帶走老仙の隠形ノ法(オンギョウノホウ)を調べて作り上げた仙人の道具だよ。これを被れば、気配も姿も消してしまえる」

「すごい! ギンレイ様って本当になんでもできるんですね」

「一応は仙人を目指してたひとだからね」


 姿を隠せる隠れ蓑。暇人で仙人崩れの銀嶺聖母謹製の逸品である。

 ミズメは師と床を共にする前に、今後の旅に役立つであろう品をいくつか手渡されていた。

 練丹術(レンタンジュツ)の成果物や、術を発揮できる札を受け取っている。


 余談であるが、ギンレイはこの隠れ蓑をミズメに渡す気は無かった。

 邪仙に対する秘策の(カナメ)でもあったからだ。だが、これは悪戯にも使用可能である。

 しぶしぶの了解を得て、邪仙が近付くまでの期間は没収としておいたのであった。

 これに対する反撃で、天女に化けて現れたのではないかとより強く疑った。


「ところで、これはある意味では失敗作だ」

「失敗作?」

「まあ、見てて……」


 ミズメは蓑を被る。すると、鼻先が消えて視界がやや広くなり、己の手足も見えなくなった。


「わ、消えた。私から見たら全部見えません。気配もない……」

 ミズメは黙ってオトリの頬を軽くつまんだ。


「ふえ、触られてる!」


「完璧に消えるんだけど、これはこれでかえって不便なんだよね」

「あの、どこに行ったんですか? 変なところ触っちゃいやですよ」

 オトリは胸を抱いてあたりを見回している。


「赤ん坊じゃないんだから胸なんて興味ないって。どうせ触るならお尻でしょ。オトリって、まあまあ尻がでかいんだよな。そんなだから東大寺の柱に挟まるんだよ」

 ミズメは堂々と言い放ちながら相方の尻を撫ぜた。


「きゃん!」

 可愛らしい悲鳴が上がる。

「もう、黙ってないで早く出て来てください!」

 勢いよく振り返るオトリ。


 彼女の肘がミズメの鳩尾(ミゾオチ)にめり込んだ。


「あっ、なんか当たった……」

「いてて、“こういうこと”なんだよ……」

 ミズメは咳き込みながら蓑を脱ぐ。


「黙ってるから場所が分かりませんでした。大丈夫でしたか?」

「あたしはずっと喋ってたよ。これを着てたらね、物音や声までも消えちゃうんだよ。だけど、確かにそこにいるから、ぶつかったりもする」

「なるほど、これを着て天女の背後に忍び寄って、がつん! とやるんですね」

「完全に悪人の発想じゃんか……」

「私にやらせてください! 化けの皮を剥いでやりますよ。あの(スズナ)みたいなお乳だって絶対に偽物です。確かめてやりますよ」

 両手で宙を揉むオトリ。

「乳じゃなくって、証拠を掴まないと。あたしたちの悪評も消えないんだよ」

「だから、私がやりますよ。ミズメさんはそれを着てると不便なんじゃないですか? 翼も使えないでしょう?」

「そうだね、これを着てたら流石に飛べない。翼を広げるのに邪魔だし、飛んでる鳥からだって見えないんだよ」

 師はこれを験したさい、たんこぶと引き換えに罪なき鳶と鴉を事故死させたらしい。

「じゃあやっぱり、私がやったほうが良いじゃないですか」

「鳥からも見えないってことは、当然、虫からも見えないわけだけど」

 早くも蓑のあいだに挟まった虫を一匹摘まみだして見せる。

「い、いやだ! お口や鼻に入っちゃう!」

「でしょ? ということで、あたしが行ってくるよ。近付くと警戒されちゃうから、オトリの力が必要になったら“これ”で呼ぶ」


 ミズメは懐から一対の鳥型の紙を取り出した。


「あっ、それって、えーっと。剪紙成兵術ナントカカントカノジュツ

「そう、剪紙成兵術ナントカカントカノジュツ。片方の紙を破けばもう片方も勝手に破れるから、それが合図だ」

 鳥の片割れを手渡す。この紙を操る術も縮地ノ術と同様に、師、邪仙、陰陽師などの使う同質のものを繰り返し見たために己のものとしていた。

「以前にギンレイ様に持たされた紙もまだ残ってますよ」

「あたしは邪仙とやりあった時に使っちゃったから無くなっちゃった」

「仙人って、ほんとに便利な術を使いますよね。自然の力を借りる術とは違った便利さですね」

「それじゃ、行ってくるよ。天女が何かするなら村人が寝静まってからだから、オトリは適当にこのあたりで時間を潰してて」

 ミズメは蓑を被る。


「もう行っちゃうんですか? まだ夕方にもなってないのに。ひとりぼっちじゃ退屈しちゃいますよ……って、きゃあ!」

 不満を漏らす相方の尻を撫ぜ、姿を隠したミズメは神木の村へと急いだ。



 ……。



 さて、村に戻ったミズメは、隠れ蓑に音術や軽業を併用して天女の動向を探った。

 眼にも鼻にも色香凄まじい女であったが、所作や行いは奥ゆかしく清楚。

 天女は仙気を込めた紙兵を操作して肉体労働を手伝わせたり、薬を提供して病や怪我の治療に寄与している姿も見られた。

 そして誰かに会うたびに「羽衣を失った以上、村の一員となり、ここで夫も持つつもりだ」と話して回っていた。


――やらしい目的かね。でも、それならこんな回りくどい手を使わずに男を引き込むこともできるだろうし……。


 透けた衣をまとった美女である。村の男どもは表向きには「ありがたい仙女様」と言っているが、偸み聞けば、本人の居ない場面では欲求を口にしていた。

 彼女はすでに男どもを喰っているか? いや、絶世の美女と床を共にできれば彼らが黙っていられるはずはない。

 性交に成功した自慢話はひとつも聞こえてこなかった。


 天女は働き手だけでなく、子供への面倒見も良いようであった。

 手を繋ぎ童謡に付き合ったり、悪戯を優しく抱いて咎めたりし、あまつさえ、その巨大な胸の実益的な機能を使って赤ん坊に食事まで与えていた。


――こりゃ、オトリが見たら嫉妬で鬼に成っちゃうね。


 村の女たちの中には、オトリと同じく男の目をくぎ付けにする容姿と態度に嫉みを滲ます者もいたが、その御利益に与ったものから順に手のひらを返し、透けた衣に関してまで「天界では普通なんでしょう」と割り切り始めていた。

 実際に、天界というものがあるのかどうかは知らぬが、地域ですら所作や言葉が変わるのだ、国や世界が変われば常識が乖離していてもおかしくはない。


――本物のなら、これが普通なのかもしれない……。


 ミズメもまた、天人が企みや打算も無しに一連の行為を行っている可能性を否定できなくなってきていた。

 仮になんらかの企みがあるにせよ、もたらす益の度合いによっては、差し引きで業よりも徳のほうが多くなるやも知れぬ。

 磐梯山(イワハシヤマ)の麓の村を害したのが彼女ならば悪と呼べようが、こちらもまだ証拠がない。

 蛇神を殺した杖には確かに呪力が籠っていたが、神の怨みと集落の人々の欲が悪化させていたことを差し引き、今回と同様の善行も伴っていたのなら、不幸な事故の結末が天女を邪仙に見せたとも考えられる。


 ……などとあれこれ思考を巡らせつつ、天女のふるまいを観察し続ける。

 天女には村に新たな小屋を建てて与えられることが約束された。村の者は「小屋ではなく屋敷が相応しい」と言ったが、彼女自身が粛然と辞している。

 村長に「小屋ができるまでは“客人(マロウド)をもてなすための小屋”に泊まるとよい」と勧められ、天女は村の外れにある小屋へと入って行った。

 その後は、村民たちの感謝や興味もその小屋へ向けられ、食事やお礼の品などを持った老若男女が訪ねていた。


 それから夜も更けて……。


「さて、そろそろ動き出すかな?」

 ミズメは小屋の壁に耳を当てる。


『ちょろいわねえ。天人なんて居るわけないじゃない。私は丹後の寺生まれの人間だっての。生まれつきだなんて腹立たしい。どんだけ苦労して仙人に成ったと思ってるのよ。この美貌だって術じゃなくて自前よ。頑張って作り上げたんだから』

 天女の独り言である。


『うふふ、今晩あたりが仕上げになりそうね。この前の村じゃ、節操無しが施しを要求しまくってきて、ことを急がなきゃならなかったから。でも、あれはあれでやりやすかったわね。全く、宝石ならともかく、鉄なんて探しても面白くもなんともないじゃないの』


――うっわ、露骨。阿呆なのかな?


 思わず天女の知能を疑るミズメ。このまま、あれこれ吐露をするのなら、言質として独り言を石か小太刀に封じ込めてやるのも良いかもしれない。

 だが、それを行えば流石に霊気を使ったことに気付かれ、動向を探っていることが発覚してしまう危険性もある。


――あぶり出すためにわざとやってるのかね?


 一応は退散時に敗走を強調しておいたが、あんな子供騙しを素直に信じるはずもない。

 どちらにせよ、この女は磐梯山で悪事を働いた邪仙と同一である。

 善行者たちにここに居られると不都合な行いをする気であり、警戒をしているはずだ。


 ミズメは今一度、己の勘に賭け、天女を悪と定めた。


「……っと、誰か来たぞ」


 村の者が天女の小屋へと歩いて来る。一人ではない、男が……七人だ。


「おい、本当にやんのが?」

「やるに決まってんべ。村長様がこの小屋を貸したってーことは、やれってことだ。おどごなら女を貸す、女なら種をやる。それが掟だ。天女様には名実共にこの村のもんになって貰わんと」

「だべ、構わね。あんな陰毛(ソソゲ)を見せびらかすよな衣着てんだもんよ。こらえらんねえ」


 どうやら七人掛かりで天女を孕ませる気らしい。

 この手の村ぐるみの行いは珍しい話ではない。村外からの(タネ)を入れたり、部外者へ力関係を示して村を護る目的である。

 仮にそれで天女が去っても、もとの暮らしが戻るのみ、抵抗すれば殺してしまう暗黙の了解までもあると思われる。

 善人であろうとも、異端のままであれば毒である。村のためには、追い出すか慣らすかの二択。


――助けるべきかな……。


 ミズメは少々の不快感を憶えていた。

 彼女の過去の体験が問題なのではなく、恐らくは相方の唱える倫理観の伝播であろう。


 オトリなら助けたであろうか。今日の彼女なら自業自得と言ったであろうか。

 ミズメは僅かに首をもたげた良心を思い消し、天女の首に掛けた悪人の札を外すことはしなかった。



 それから天女は、一晩中悲鳴を上げ続けた。



「……」

 ミズメは一睡もできなかった。相方のもとへ戻ることも考えられなかった。

 男の手のひらか、あるいは別の何かに塞がれていたであろう口から漏れる、くぐもった拒絶。

 声を殺させたのが無意味になるほどの肉の打ちつける烈しい音。

 最初は天人のありがたさと畏れを説いていた者が、率先して順番を多く回すように頼むようになるさま。

 己がその場の空気に毒されなかったのはさいわいである。先に師を抱き、天女を悪と決めておいたお陰であろう。

 けだし、これは悪事を企んだ天女に対する天罰なのであろう。


 ……否、ミズメは後悔をしていた。


『はー、良かった。やっぱ男はこうじゃないとね。私から直接誘うと、膝の上の猫みたいになっちゃってつまんないのよ。そんなのとやるくらいだったら獣のほうがましよね』


 少しでも天女に同情したことを。


 表面上の態度、肉的な反応、発する気、これらは全て乖離しうる。

 本当に不快であれば肉的な快感があろうとも、たましいから陰ノ気を吐き出すのを止められはしない。

 行いの最中、天女は悲鳴こそ上げてはいたものの、発する気配は超ご機嫌な陽ノ気であった。


 まあ、欲を捨てた行のすえに仙人に至ろうとも、長命の退屈から欲へ立ち戻るのはお約束である。


『あとは襲われた~って言いふらして、女どもが男をぶっ叩くのを見て、沢山泣いて沢山慰めて貰って……それから“お仕置き”をしてさようなら』


 堂々たる自白。矢張りこいつは阿呆であった。

 ミズメは証拠として小太刀に発言を封じ込めた。一般人には通用しなくとも、音術に通じるクマヌシはこちら側に就いてくれるであろう。


 陽が昇ると、天女は大泣きに泣いて村中を練り歩いた。

 しかし、村の掟、結束というものは律令や倫理よりも強く、部外者の価値を限りなく無に近くする。

 男どもは全員知らぬと言い、村長はあり得ぬと言い、女どもも首を傾げ、裏でも手のひらを返して嗤い天女の味方をしなかった。


「面白くない! どいつもこいつも馴れ合っちゃって。お仕置きは一層酷いものにしてやりましょう」

 天女は憤慨し、蟹股でのしのしと神木のほうへと歩いて行った。

 この間も発する気配は陽。村の混乱を想像して愉しんでいるのであろう。


 樹齢不明の巨大な(イチイ)の神木。その根元の穴に神の木に遣えるクマヌシは暮らす。

 天女はその神木に巻かれた絡み合う大蛇のごとき標縄(シメナワ)の前に立った。


「毒の木に変えて大地ごと腐らせてやるわ」

 気配一転。陰ノ気の中でもとりわけ悪質な害意を持つ気、邪気を発し始めた。

 天女は自身の股座へと手を突っ込むと、そこから目に見えるほどの強烈な呪力を孕んだ長い布を引っ張り出した。


――うわ、汚ないね。どこにしまってるんだ。


「私の仙気と男どもの精、それに蛇神の生き血をたっぷり。呪いの羽衣の完成よ」


 妖しげな笑みを浮かべた女の手が、種々の穢れの体液に塗れた布を標縄へと絡ませた。

 それを行う天女からも常人でも感ぜられそうなほどの邪気が発せられている。

 彼女の次に取る行動は恐らく……。


「さーて、出ていらっしゃい狸ちゃん」

 天女は今度は口へ手を突っ込むと、中から折りたたまれた札を取り出した。

 札にもまた強烈な害意の気配。

 そして、巣穴の前で奇妙な足運びを披露し始めた。

 特定の運足を切っ掛けに術式を発動させる仕草、仙人の秘技のひとつである“禹歩(ウホ)”。


「呪い殺してあ、げ、る」

 淫靡で邪悪な瞳が巣穴を凝視する。


――だけど残念。クマヌシはそこには居ないよ。


 ミズメは天女が被害を言いふらしている隙に、クマヌシに小太刀へ封じた言質を聞かせていた。

 神木とそれに仕える男覡への加害は容易に想定され、あらかじめ避難をさせている。

 今、友人クマヌシは天女と入れ違いに村民たちへの事情説明に努めているところである。

 素人にも分かる証拠品も注連縄へしっかりと巻きついている。

 あとは先手必勝で“がつん”。これにて解決だ。



「正体を現しましたね、邪仙!!」



 呼んでもない相方の声がした。


「あら? 違う狸が出てきた。てっきり、尻尾を巻いて逃げたものと思ってたわ」

「誰が狸ですか。そもそも、クマヌシさんも狸ではなく穴熊です」

「どっちも似たようなものじゃない。仙人と天人みたいなものよ。でも、どっちも人間とは天と地ほどの差があるわ」

 邪視がオトリへと向けられる。


「残念ですけど、あなた程度の呪いは私には効きません。御神木へ行った呪術も、すぐに解いて差し上げます」

 はりきりオトリは巫女の気を高め、証拠品へと顔を向けた。


「おい、オトリ! それは大事な証拠品なんだって!」

 蓑を着たまま叫ぶミズメ。


「させないわ」

 にやり微笑。天女が巫女に向かって片手をかざした。


 すると、オトリの動きが静止した。


「か、身体が動かない……」

 オトリは棒立ちのまま小刻みに震えている。


「口が利けるの? 私の“禁術(キンジュツ)”の金縛りに抗うなんて。侮ってたわ……!」

 不快感を露わにする天女。手にした呪符を投げ付ける……が、札は巫女に届く前に赤黒い炎に変じて消えてしまった。


「なんて子なの! 分かった、見せてあげるわ。金縛りだなんて差勤(チャチ)なものじゃない、本物の仙術を!」

 天女はかざす手を両腕とした。


「操ってあげる。あなたの意思とは無関係にね。村の広場で裸踊りをさせてあげましょう。それから、七人なんて言わずに村の男全員の相手をさせてあげるわ!」

 天女の身体が強烈な仙気の光を発した。


「誰がそんなこと……えっ、身体が勝手に!」

 オトリの顔が絶望へと変じた。手が衣の帯をほどき始める。はらりと緋袴(ヒバカマ)が地に落ちた。


「まずはその鬱陶しい神衣(カンミソ)から脱ぎましょうね。そうすれば、首から上も私の思いのまま……」

 天女はうっとりとした表情を浮かべる。


「オトリ!」

 このまま踊りを眺めるのもありかと僅かに逡巡したが、裸踊りの相方として名を馳せるのはご勘弁願いたい。

 ミズメは蓑を脱ぎ去り、天女がやったように両腕を相方へとかざした。


「ミズメさん!」

 希望へと変じる貌。


「物ノ怪の娘!? 気配は感じなかったはず」

「早くこの術を解いてください!」


「あっ……!」

 ミズメは間違えていた。


 彼女が水鏡ノ術で写し取ったのは禁術の“他者を傀儡にする技”であった。

 よく考えてみれば、オトリのお祓いをも妨害した“金縛り”を真似て、それを天女へ向ければ一発解決である。

 だが、やってしまったものは仕方がない。


「ああっ! また身体が勝手に!」

 オトリは落ちた緋袴を持ち上げると、帯を結び始めた。


「私の術を上書きしたって言うの!? 霊力では私のほうが上なのに!」

 天女は歯ぎしりをすると、オトリへ向けてる仙気を更に膨らませた。


「ああっ! また身体が!」

 オトリは再び帯を解き、衣の袂へと手を掛けた。


「どうやら、オトリにはあたしの霊気のほうが“通りが良い”みたいだね」

 ミズメは天女を鼻で嗤うと、負けじと霊気を練り上げた。


 するとオトリは巫女の衣を脱ぎ去って、襦袢一枚の姿になってしまった。


「負けてるじゃないですか! 裸にされちゃいますよう!」

 泣き出しそうな相方。


「いや、あたしがやった」

「なんで!?」

「つい、うっかり……」

 ぺろり、舌を出すミズメ。


「やるわね。とことん力比べといきましょう」

 天女が不敵に笑うと、オトリの手がゆっくりと襦袢の紐へと伸びてゆく。


「そこから先はやらせないよ」

 ミズメが言うとオトリの手は素早く持ち上がって紐から離れた。


「なんのまだまだ。御開帳させてやるわ」

 今度は反対側の手が紐へと伸びる。


「いいや、脱がせないね」

 下がった手が素早く上がる。


 気を送り合うミズメと天女。

 操られたオトリの右手左手が持ち上がったり下がったりを繰り返す。


 右手上げて、左手下げて、左手上げて。右手下げないで、左手下げる。


「遊ばないでください!」

 オトリが怒鳴った。


 すると、彼女は唐突に体勢を崩して前のめりに倒れ込んだ。


「痛い……術が切れた? あっ、邪仙が!」

 顔を上げる涙目のオトリ。

 天女もまた倒れ伏していた。仙気もほとんど途絶えさせているようだ。



 そして、彼女のそばには一人の初老の男が立っていた。



「ありゃ、あんたは……」

「この村の村長じゃ。わはは、邪仙は誅された!!」

 彼の手には血に濡れた木の棒が握られていた。彼は棒を素振ると構えて格好をつけた。


「村長様!」「流石、我らの村長!」「なんで巫女は脱いどるんじゃ?」

 村民たちが現れて首領を称賛する。


 かくして、神木の村へと害為そうとする淫奔の邪仙は、村を統率する村長自らの手によって討たれたのであった。


*****

(スズナ)……丸くて大きな根菜。かぶら。

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