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化かし095 罹患

「む、ミズメさん。汗臭い」

 鼻を鳴らすオトリ。

「それになにかいつもと違うにおいが……」

 あまつさえ顔を近付けて来る。

「おはよう」

 ミズメは挨拶で遮り、素早く立ち上がる。


「声も変ですよ」

 喉の不快感と、出しきったあとの気怠さ。それに繋がる感覚は、誰しもが知る体調不良。


「風邪ひいたかも。昨日、湯上りに縁側でぼーっとしてたから。もう一回、温め直してくる」

 ミズメは言いわけを素早く並べ、背後に「むむむ」と唸る相方の声を残して早足でその場をあとにした。


 それから温泉で汗とにおいを流していると、案の定、オトリが朝湯を真似して踏み入って来た。


「なんで入ってくるんだよ」

 隠されぬ裸体に背を向けるミズメ。

「調子が悪そうで気になったので。じつは、今日はもうすでに二度目なんですよ」

「温泉好き過ぎでしょ」

「お肌に良いので! 触ってください、すべすべですよ」

 湯の中を進む音がゆっくりと近付いてくる。

 ミズメは身体の向きを戻す。

 最近のお決まりなら湯から飛び出して立ち去るか、隅で相手が諦めるのを待つかであったが、どうも今日はこれを拒絶するのは良くないように思えた。

 その理由や正体は分からなかったが。


「わ、こっち見た」

 肩を弾ませ、慌てて身体を隠すオトリ。


「ひとのさらしには文句言っておいて自分は隠すんだ?」

 ミズメは仕返し代わりに凝視を送る。


「……」

 しばしの躊躇い、赤面、解放。


 相変わらずの胸足らず。反対に腰は広く健康的。

 長旅や水術による肉体の酷使は言うほど体つきに影響しておらず、胃の内容物の消耗が烈しいはずが、何やら肉が余っている気がしないでもない。

 その女性的な肉付きには、これまで反射的に避け続けてきただけの価値を感じた。

 昨晩の行為と地続きだからか、師とは違った趣きの身体は尚更に良く見える。

 “一回”のあとなら、この程度はどうでも良かったであろうが、しつこく意地を張ったあとはどうもそちらへと流れやすい。


 ……が、身体はしっかりと疲れており、勃ち上がることはない。


「そんなに長く見ないでください!」

 相手のほうが先に折れ、濁った湯の中へ逃げた。


「あたしだって恥ずかしかったんだぞ」

 調子に乗り相方へ近付く。追撃として腰を少し浮かせ、相手よりも遥かに女性らしいふたつの丘を見せ付けながら。

 溜まったものを吐き出しておいたお陰か、気恥ずかしさもどこかへとなりを潜めているようだ。


「ず、ずるいですよ……」

 何がずるいのやら、相方はちゃっかりと視線をこちらの顔よりもやや下に固定しながら、ぶくぶくと湯の中へと沈んだ。


「ふふん、あたしの勝ちだね……へっ、へっくしょい!」

 身震いひとつ。寒気が襲った。

「やっぱり風邪ひいたみたい。オトリ、治してよ」

 湯に戻り、相方の横につける。

「す、水術は無闇に使っちゃいけません」

「今更だね」

「それに風邪や流行り病の治療は、怪我の治療のように一気にやると、熱が上がり過ぎて頭が“ぱあ”になっちゃうんですよ」

「ありゃ、案外不便なんだね」

 ひとびとを助ける善行では病の治療も行われていたが、それはおもに薬の処方や呪いの根源の始末で対処されていた。

 水術で安易に治さないのは単に水分(ミクマリ)の役目における禁則事項かと思っていたが、それなりに合理的な理由もあったようだ。

「流行り病だけじゃありません。お年寄りがお亡くなりになる前によく患う病にも、水術で治療を促すと悪化するものがあります」

「そんなのもあるの?」

「身体の悪い部分が自ら増える病で、水術で治そうとするとその悪い部分までが活性化して増殖してしまうんです」

「恐いなあ」

「歳を取るほどに患い易くなる病なので、これはひとつの寿命ともいえます。水術師は不老不死のように言われますけど、単に病気になる前に身体を活性化せておいて掛かりづらくしてるだけですし、その悪い病に掛かれば治せませんし、水術の使用にも制限が掛かります。勿論、風邪で寝込むことだってあるんですよ」

「そうなんだ。じゃ、健康には気を付けなきゃね」

「そうですよ。ミズメさんも体調には気をつけて下さいね。私のことを当てにし過ぎちゃ駄目ですよ」

「ちぇっ。オトリのこと、頼りにしてたんだけどなあ」

 もうひと攻め。普段の甘えの仕返し。湯の中で身体をぴたりとくっつけてやる。


「な、治せないこともないんですけどね。でも、熱が上がり過ぎないように冷やし続けなければいけませんし、ずっと付きっ切りで術を使わないといけませんし、傷の治療と同じく、抵抗されれば身体が痛みます」

「あたしたちならできそうだけど。頭を冷やすのも、ここなら山の雪やお師匠様の氷術があるし」

 ふたりに看病して貰うのも悪くないかもしれない。勝手な言い分ではあるが、ミズメとしては風邪の原因はそのふたりなのだ。


「欲張りですよ! ちょっとした風邪を治すのに釣り合う苦労じゃないです」

「欲張り、か。そうかもしれないね」


――あたしは欲張りか。

 心の中で反芻する。己を苦境から救ってくれた上に奔放に生きることを許す師に、互いに高め合い配慮し合える相方。

 日ノ本を歩いて事情に首を突っ込んできたゆえに、こういった仲間に恵まれる者は稀有だというのは承知している。

 その気になれば男女のどちらも愉しめる容姿と機能を持った身体は若いままで、稀代の水術師をもってして異端だと言わしめる術の才も宿る。

 人や四つ足の獣が見上げる空を駆ける翼に長命。胸や翼を羨む小娘から、邪仙に月の神までが己を欲した。

 それだけのものを持ちながらなんの気も無しに生き、かえってこの性質を苦労とすることもあったが、他者から見れば贅沢も贅沢。恵まれ過ぎている。


 思考を掘り下げ深めていけば、共存共栄の助けとなる何かが掴めるような気がしたが……。


「あっはっは! もてるってつらいねえ」

 面倒臭い。ミズメはとりあえず笑っておいた。


「もてる? なんですか急に。ミズメさん、風邪と温泉の熱で“ぱあ”になっちゃいました?」

「そうかも。……ねえ、オトリ」

 ふと、少し前から気になっていたことを思い出す。

「なんですか?」

「シマハハは長生きだったけど、同じくらいの腕前のオトリも長生きになるの?」

「ずっと水術を使い続ければそうなります。でも、朝の行やちょっとした使用程度ではあそこまでは。伯母さんも水術はそれなりに使えますが、ひとよりちょっと若く見えるくらいかな? 私も今の旅でかなり水術を使う日々になってますけど、里に帰れば普通の人と変わらないと思いますよ」

「そっか」

「なんでそんなことを? 旅が長引いたらって、心配ですか?」

 首を傾げるオトリ。


「逆だよ。ずっと一緒に居れたら良いなって思ってるからね」

 偽りない言葉。横の娘の霊気が露骨に乱れる。


「……私も、ずっと一緒に居れたらって思いますけど。ミナカミ様のご意思次第ですよ」

 オトリはまたも湯の中に沈んだ。


「あたしの身体があたしのもので、ヒサギの身体がヒサギのものなのと同じように、オトリの身体もオトリのものだよ」

「それは、そうですけど。でも、私は巫女です。巫女なんですよ。里に居ても、迷子になっても、里を飛び出しても。自分で選んだんです。巫女になるって決めたのも水術の才能や便利さの前に、巫女のお仕事に憧れていたからですし」

「そっか。なんかごめんね、変なこと聞いて」

「そんなことないです。それより、一緒に居れたら良いって言ってくれて、ありがとうございます」

「あたしたちは親友だからね。長く一緒に居られるなら、そのほうが良いでしょ」

「ですね……」

 口にして確かめる。違和感はない。

 昨晩はしたり顔の師にやられたが「オトリのことは友人として見ている」で結論付けられそうであった。


 師のことにしろ、相方とのことにしても、自身の身体に対する想いにしても、いっときの気の迷いに過ぎないのであろう。

 けだし、これは風邪と同じようなものである。


――そのうちに治るでしょ。


「あの」「あ、そうそう」

 重なる切り出し。

「先にどうぞ」

 オトリに譲られる。


「お師匠様の寿命を伸ばしたから」

 不確かで煩雑な感情にかかずらうよりも、明確に共有していた感情を一つ潰すべきだ。


「……」

 オトリは湯の中に沈むと、何やらぶくぶくとやった。


「どのくらい伸びたかは知らないけど、多分心配は要らないよ。オトリは何?」

 訊ねるも相方は首を振った。


「そう? まあ、いいならいいけど。あたしはもう出るよ。起きるの遅くなっちゃったし。今日はクマヌシのところに顔を出そうと思っててね」

 ミズメは湯から上がる。

「あ、あの」

「なに?」

 友人のために顔だけ振り返る。

「風邪は平気ですか?」

「大丈夫。だんないだんない。動いてれば治るよ」

「そうですか。私もご一緒してもいいですか?」

「勿論さ。あたしの自慢の相方を見せびらかさないとね」

 なんの気も無しに笑い掛ける。


 四たび目。オトリが沈んだ。


「暫くはここを根城に活動するから、あたしの知り合いだって周りにも報せといたほうがいいでしょ」


「……」

 またも蟹になるオトリ。湯で張り付いた前髪のあいだから覗く視線は妙に鋭い気がしたが、ミズメは「気のせいか」と流して立ち去った。



「へっくしょい!」

 湯から出ると、矢張り風邪を引いていたらしく、背中に寒気と額を覆う熱を感じた。

 なにはともあれ腹ごなしをしたく考え、師か女房役の姑獲鳥(ウブメ)の姿を探す。


 里の食糧庫に併設される炊事場に足を運ぶと、何やらギンレイが大鍋をゆっくりと掻き混ぜている。

「ねえ、まだできないの?」

「ギンレイ様、ずっとやってるよ」

 物ノ怪の寿命を借り受けた子供たちが退屈そうに声を上げている。


「何作ってるの?」

 甘ったるい匂い。大鍋には大量の白い液体が湯気を上げている。


「“()”」


「ああ、蘇ね」

 蘇とは牛などの乳を煮詰めて作る美味なる食品である。一時期、日ノ本で朝廷主導のもとに流行したが、いつの間にか廃れて貴人ばかりが口にするようになっていた。

 今でも、山羊を飼うこの地ではときおり口にされている。


「そう、蘇。今日は皆のぶんをたっぷり作ろうと思ってるから時間が掛かるわね」

「これでもちょっとしかできないんだっけ」

「そ、百の乳で十二の蘇ができます。焦げないようにずっと掻き混ぜないといけません」

 師は真剣な面持ちで鍋と対峙している。額には汗。

「お師匠様って、暇人だよね」

「そ、暇人。なんかこう、昨晩のことを思い出したら白くて濃い液体を掻き混ぜたくなってね」

「お師匠様って、最低だよね」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 機嫌良く返す師。乳の湯気のせいか、はたまた別の事情か、血色や肌艶も良いようだった。

「腰は平気?」

「むしろ元気なくらいよ。ずっと掻き混ぜていられそう。それよりミズメちゃんは声が変ねえ? 風邪ひいちゃったかしらねえ」

 「けけけ」と笑うギンレイ。ミズメは背を向け舌を出した。


「何かするなら私抜きでお願いね。今日はずっとお鍋の世話だから」

「えーっ、まだできないのー!?」

 (テン)童男(ドウナン)テンマルが声を上げる。

「おまえたちも外で遊んで来なさいな。それか、ウブメの手伝いをしてあげて。オトリちゃんはよく食べるから二人前増やすだけじゃ足りないのよ」

「遊んできまーす!」

 テンマルが外へ駆けて行った。

「こら、待ちなさい。オトリお姉さんをおもてなしするんでしょ!」

 童女テンカも追い掛けてゆく。


「あたしもオトリと一緒に縄張りの村を回ってくるよ。でも、調子悪いからやめようかなと検討中」

「そ、ご自由にどうぞ」

 師は真剣な顔つきに戻り大きな匙を回し続ける。


「ここにいらしたんですか」

 子供達と入れ違いにオトリがやって来た。


「甘い匂い……。何を作ってるんですか?」

 鍋を覗き込むオトリ。

「蘇よ」

「そ?」

「そ、蘇よ」

「そ……、そうですか?」 

 小首をかしげる田舎娘。


「面倒だけど美味しいよ。蜜を掛けてもいけるらしい。あたしには甘いけど」

「む、蜜を掛けていただくんですか?」

「蜜は切らしてるわね。里に下りれば誰かが交換してくれると思うけど」

「行きましょう。ミズメさん!」

 腕が引っ張られる。

「風邪気味でだるいから今度にしない? 蘇は長持ちするしさ」

「いやです!」

「いやって……」

「あはは、面白い子。うちからなんでも交換できそうなものを持って降りたらいいよ」

 ギンレイが笑う。


「あ、そうだ。ギンレイ様」

「蘇だ? 蘇はまだできないわよ」

 鍋を覗き込んだまま返すギンレイ。

「そ、じゃなくって。えっと……」


 一拍。


「五、六十年です」


 寿命のことであろう。巫女のオトリは魂が読める。

 ギンレイはオトリではなく、ミズメをちらと見た。


「へえ、一発十年くらいなのね。知らなかった」

「いっぱつ?」

 オトリが首を傾げる。

「そ、そりゃよかった。これで鍋も掻き混ぜ放題だね」

 誤魔化すミズメ。

「折角伸びた寿命ですることでもないですね」

 オトリは笑った。

「そう言うなら、一日くらい休もうよ。蜜は明日!」

「いーやっ!」

 そっぽを向かれる。

「なんでさ」

「いいじゃないの。付き合ってあげなよ。明日がどうなってるかも分からないしさ」

「そういうことです。邪仙を追ったり迎え撃ったりしないといけないかも」

「……分かったよ」

 渋々了承する。自身も師を抱くと決めた想いの中に、そういう可能性への配慮がなかったわけではない。


「念の為に言っておくけど、戦力としては当てにしないでよね。五、六十年程度じゃ、ツクヨミとの戦いでやったような派手な使いかたはできないわよ。植物の連中も意外と燃費が悪いし」

 ギンレイは鍋に視線を戻すと、片手で追っ払うような仕草をした。


「じゃ、やれるうちに色々しておきましょうかね」

 ミズメは炊事場を出て背伸びをする。


「……五、六十年」

 オトリが呟いた。


「ん、そうだね?」


「私と居るあいだは、もう、しなくてもよさそうですね」

 何やら低い調子の声。

「オトリも声が変だよ。病気?」

「さて、どうでしょうね」


 高原を秋の長風が駆け抜ける。

 普段なら心地良いはずのそれは、矢張り寒気を呼び起こした。


*****

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