化かし094 変化
東山道、出羽国が月山。その中腹に広がる青き高原。
「結局、帰って来ちゃったのね」
白く波打つ長髪を後頭部でひとつに束ねた妙齢の女。
背には大きな白い翼。瞳は柘榴の紅。雪を欺く白き稀人。月山の支配者が銀嶺聖母。
彼女は震旦から伝わった“茶”を湯呑みに注ぎ、帰還した娘たちの前へ置いた。
「邪仙の奴、中々捕まらなくてさ。噂じゃどうも、こっちのほうに来てるらしくて、ついでにね」
ミズメは湯呑みを啜る。豊かな香りとほのかな苦み。
「邪仙やツクヨミ様がここを狙う可能性も捨てきれませんしね。ギンレイ様はお身体のほうにお変わりはありませんか?」
オトリが訊ねた。
「心身共に健康よ。神聖な空気、山羊の遊ぶのどかな風景、子供たちの元気な声。健康体操、美味しいご飯に温泉。霊気も回復したし、足りないのは寿命くらいよ」
ギンレイは借寿ノ術の多用により、己の寿命を残り数年にまで減じている。
寿命のそれが身体的な健康と直結するとは限らないが、ふたりは彼女の身の心配をしていた。
「……見た目も老けてないみたいだね。髪型は変えたの?」
ミズメは師に訊ねる。
「これ? これは、湯殿山の隠れ家に籠ってたからよ。あっちは研究資料を積んでて埃だらけだから結ってたの。あなたたちが千里眼に引っ掛かったから、慌ててここに戻って解き忘れてただけ」
ギンレイは髪留めを解く。
「それより、変わったのはあなたたちのほうね。見違えたよ」
「特訓したからね。お師匠様、言いっ放しで帰っちゃうんだもん。結構苦労したんだよ」
「ミズメのほうは特に変わったわ。別人みたい」
「ミズメさんってば、一度退治して力を落としていたとはいえ、あの帶走老仙を全く寄せ付けなかったんですよ。格好良かったなあ。ギンレイ様にも見せてあげたかったです」
オトリが愉しげに言った。
「私が言ってるのは腕前だけの話じゃないわ。なんていうか、憑物が落ちたって顔をしてる。それに……ちょっと男らしくなってない?」
「男らしく? あたしが? これのせいかな」
袂を広げ、さらしを見せる。
「なんで布なんて巻いてるの?」
「なんか最近、邪魔でさ」
「邪魔、ねえ」
師が目を細める。ミズメはなぜだか、咎められているような気がした。
「むしろ、女の子らしくなったと思いますよ。最近、恥ずかしがって温泉も一緒に入ってくれなくなっちゃいましたし。座りかたとかで私のこと注意するようになったんですよ。最初は反対だったのに!」
オトリが不満の声を上げる。
「オトリのせいじゃんか。ずーっとあたしのこと注意するもんだから、うつっちゃったの!」
「うっ、確かにうるさくしましたけど……。ふたりきりの時くらいいいじゃないですか」
「オトリはべたべたくっつき過ぎ!」
「えーっ、女の子同士仲良くしたいだけなのになあ……」
「なんだかいやらしいんだよね、オトリの触りかたって」
「いやらしいってなんですか!? 私、神様にお仕えする巫女ですよ!」
「仕えてないじゃん! 里から飛び出したじゃん!」
「そうだった。……じゃあ、いいのかな?」
首を傾げるオトリ。なぜか手を伸ばしてくる。
「何がだよ!? よくないよ!」
思わず中腰になるミズメ。
「はいはい。あなたたちが相変わらずなのはよく分かったから、次は真面目な話を聞かせてちょうだい。私のほうも、資料を漁ってて分かったことがあるし」
ギンレイは笑いを漏らして宥めると、横に重ねられた何冊かの書を叩いた。
ふたりは播磨の屋根でギンレイと別れて以降に起こった事件を説明した。
大江山での出来事。そこで播磨守こと安倍晴明を打ち負かし繋がりを得たこと。
彁島なる監獄島にて邪仙らと対峙したこと。邪仙が月讀命と行動を共にしていること。
そして、神を害してその力をおのがものにせんとしている可能性。
「私もそうじゃないかって疑ってたけど、これで大体分かったわ。ツクヨミはそう遠くないうちに力を取り戻す」
「遠くないうちってどれくらい?」
「さあ……それは連中の頑張り次第だけど、早ければ数月から数年程度で私たちが斃した時以上になると思う」
「そんなに早くですか?」
オトリが首を傾げる。
「ふたりも知っての通り、神の力は自身の佑わう範疇での信仰心に比例するわ。それと同様に頼られて影響を与えるぶんだけ減る。月は誰しもが見上げて、貴人も歌を詠むものだけれど、月は常に万物に影響を与え続けている。そうやって均衡を取って普段は静かにあるだけだから、特に何かが起こることもなければ、急に強くなったり弱くなったりするものでもない」
「ですよね。私たちが鎮められる程度だったのは、ミズメさんの神代としての馴染みが不十分だったのと、それが影響しています。かといって、ミズメさんが拾うまでの長い間に貯えていたぶんをすぐに補ったりはできないような?」
「正攻法じゃ無理ね。でも、帶走老仙には神を封じ込める術と、ヒサギ君がいる」
「ヒサギが?」
「ええ。ツクヨミがあなたの半陰陽を神代とできるように、無性であるヒサギ君にも憑依できた」
「ヒサギが無性ってのは、あたしの推理であって確定じゃないけどね。衣をひん剥いて確かめたわけじゃないし」
「まあ、そこはどうでもいいわ。神和げている事実は変わらないから」
「そっか……! 姿の無い神様は、神代を介して覡國へ肉的な干渉をします。巫覡に憑依して、霊感の無い人へも言葉を伝えたり、お供え物を口にしたり。ヒサギさんは神様の力を封じ込めた瓶を口にしていたんですよね? それをツクヨミが降りてる時に行えば、ツクヨミへ直接力を注ぐことができるわけですね」
「オトリちゃん正解! ツクヨミ達は今、全国神様食べ歩きの旅をしているかもしれないわね」
「むむ。私たちも旅で食べ歩きをしましたよ」
「何を食べたか教えて。気に入ったものがあったら作ってあげるからさ」
「じゃあ私は、信濃で食べた“おやき”が……」
「何を暢気なことを言ってんだ。すでに瀬戸内の海神以上ってことでしょ? 力が増せば、簡単にもっと強い神様を呑めるようになるんだから、都合の良い環境があればすぐにでも力を取り戻すかもしれないじゃんか! さっさと邪仙を探して始末しないと」
立ち上がり翼を広げるミズメ。邪仙の噂はこの近辺にもある。
「落ち着いてくださいミズメさん。今の日ノ本の神々の力じゃ、すぐにとはいきませんよ。瀬戸内の神様は食べられてしまいましたが、あれで大きいほうだと思います。それに、神同士にも相性があるでしょうし。ギンレイ様も何も対策を取っていないということはないでしょう?」
「ええ、一応は襲われた時の対応策は考えてあるし、霊力は補えたから逃げるくらいなら造作もない……って私も考えてたんだけど」
ギンレイはつと表情を締める。
「ヒサギ君がツクヨミの巫女となってしまったのなら、話は別。ミズメが憑依されるより厄介かもしれないわ」
「あたしより?」
「そう。ヒサギ君の正体は古い震旦の記録で分かったわ」
一冊の書物が開かれる。文字が難解の上に酷い癖字。更には破れて掛けている部分まであった。
「何が書いてるか分かんないよ」
「特訓の時に、魂魄の話をしたのを覚えてる?」
「魂を魂と魄で分けて考える、というものですね。魂は精神を支え、魄は肉体を支える役割を持つ」
「その時にオトリちゃんが、感無しのヒサギ君にはコンが欠けているかもしれないって」
「言いましたっけ?」
「言った言った。その線で調べを進めていたら、実際にそういう人間が居たって記述が見つかったのよ。意志薄弱で、急に人が変わったようになるから鬼に憑かれるなんて書かれてるわ。当時の術者が調べたら、魄しかなかったって」
「鬼に憑かれる? 悪霊じゃなくって?」
「オニじゃなくて“キ”。震旦では鬼は死者の魂を指す言葉なの。要するに悪霊とか亡霊ってことね。コンが欠けてるから霊感がない。普通の感無しは極端に霊感が低いだけの人も含めるけど、彼の場合は別。霊感が全くの無になるし、精神を繋ぎ止めるものがないから、急に人が変わったようになる。コンが欠けてると付け入りやすくはなるけど、普通の悪霊は霊感が無ければ干渉はできない。だけど、ツクヨミは半月か無性に降りられる。精神が支えられなければ、侵入者への抵抗もできない」
「つまりはツクヨミに好き放題に出入りされちゃうってことか」
「それだけじゃないわ。霊的な抵抗が弱いから、ツクヨミに対しての適正や態度に関わらず、その力を発揮できてしまう。あなたの場合は抵抗することもできるし、器として完成すればヒサギ君よりもより強い形で力を発揮することも可能だけど、器の成熟には時間が掛かっちゃうし」
「それで、あたしのことは見逃したってわけか……。確かに、あの干渉の仕方は“降ろした”というよりは“乗っ取られた”感じだった。アガジイさんに悪事をさせないって話に乗ろうとしてたんだし、ツクヨミに好意的に協力するはずなんてないもんね」
「退治しちゃいましょう。ツクヨミ様の荒魂も邪仙も! 人の身体を勝手に使うなんて許しておけません!」
水分の巫女が声を上げる。
「あたしも、ツクヨミに使われたことがあるけど、良い気分はしなかったな」
行われたのは師との命の取り合いと、巫女たちへの攻撃であった。
「あたしはあたしのもんだ。ヒサギはヒサギのもんだ。邪仙のもんでも、ツクヨミのもんでもないよ。次に会ったら、問答無用でぶっ倒す」
ミズメは明確に敵意が燃えるのを感じた。これが義憤というものか。
「そうね。自分は自分のものよね。神様のものでも、母親のものでもないわ……」
ギンレイが呟いた。
「シマハハ様は島と囚人を私物化してましたけどね」
苦笑するオトリ。
「邪仙がこのあたりに来てるなら、シマハハの時と同じ手が使えるかもしれないね」
「同じ手ですか?」
「“釣り”だよ。狙われそうな神様や、お師匠様を狙ってやってくるところを伸してやるのさ」
「酷い! 餌に使うってことですか!?」
「言いかたの問題で、どうしたって同じことでしょ。あたしが全員護ってみせるよ。オトリを引っ張り上げた時みたいにね」
ミズメは相方へ笑い掛ける。
「そうですね。前みたいにイザナミ様が干渉することもないし、ギンレイ様だってお強いですし。暫くはここを拠点に邪仙たちの動向を探りましょう」
頬を染めての返答。
「……ま、ことが起こるまではのんびりやろうかね。ここまでの旅も結構疲れたし、縄張りの連中にも顔見せしたいしさ」
ころり態度を変え、欠伸をひとつ。
「じゃあ早速、身清めですね。山のお水を借りて身体を洗って、温泉に入りましょう」
にこりと笑って立ち上がる相方。ミズメは腕を掴まれた。
「独りで先に入って来なよ。あたしはあとでいいよ」
「ほら見て、ギンレイ様! ミズメさんったらつれないんですよ!」
哀れっぽく声を上げる相方。
「それはいけないわね! 折角、一心同体の行を熟したというのに。私も一緒に入って手伝ってあげるよ」
ギンレイも立ち上がると、もう一方の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっとちょっと! 勘弁してよ! あたしは独りでゆっくり入りたいの!」
「じゃあ、あとで改めて入ればいいじゃない。うちの温泉は何度入っても良いものだって知ってるでしょう? 心の痛みも身体の痛みも、病にだって効くし、入ればお肌つるつるの美人になれるんだから!」
「入りましょう! 美人になりましょう!」
「あたしは半分は男だって!」
ミズメはふたりに引っ張られる。オトリのほうの力が妙に強い。さては水術か。
「んなもん、脚のあいだに挟んどきゃ平気よ」
「挟んでる姿勢のほうがより女性っぽいですね。私はミズメさんのこと、女の子だと思ってますよ」
「ツクヨミも案外、それで騙せるかもしれないんじゃない?」
「そうですね。今度ツクヨミ様にあった時、験してみましょうよ」
愉しげな女性陣。
「勘弁してよ! 何を滅茶苦茶なことを!」
ミズメは抗議するも、そのまま女どもに温泉まで引きずられてしまった。
……。
「秋とはいえ、湯上りはやっぱり暑いね」
屋敷の縁側に腰掛け、星空を眺めながら団扇を仰ぐ。団扇は自身の抜け羽を使って作った代物だ。
新月の晩。秋の長月。オトリと出逢ってからそろそろ一年となる。
三百年近く生きての僅か一年であるが、彼女とはもう数十年来の付き合いに思えた。
短いあいだに色々あり、彼女との関係が変わり、己の世の中との付き合いも変わった。
神々と邪仙の企みにより、この世もまた大きな動乱を前にしている。
――風が吹いたら少し寒いね。
月山の白く広大な峰。高原を疾る風の奏でる草の音。
それから、温泉のほうから聞こえる子供たちのはしゃぎ声。その中には相方の聞き慣れた声も混じっている。
彼女は姑獲鳥と共に子供たちを湯に入れている。面倒を見るのが好きといっていたが、肌に良いとされるそれをたっぷり浴びたいのだろう。
「ここは全然変わらないなあ……」
面倒ごとを全て忘れてしまえそうだ。誰かとのわだかまりも、世の混乱も。
「あなたは本当に変わったけどね」
師が隣に腰掛ける。
「変わった気もするけど、変わらない気もする。ほんとの自分に戻っただけなのかもね」
自身で口にしながらも違和感。
先程の入浴でもそうだったが、親密な同性として、あるいは袖交わした師弟として接してくるふたりをいなすのは苦労した。
己の“男性”が酷く邪魔であったのは事実。だが、その素直な反応がどこか嬉しかったのも事実である。
「ほんとの自分なんて言う割には、布を巻いて隠したり、女の裸から逃げたり。あなたは男になりたいの?」
「どうかな。どっちかを選べって言われたら男にするけど」
「なんで?」
「なんでって……そこまでは考えてないけどさ」
「オトリちゃんを娶りたいとか?」
笑いを含んだ問い。
「はあ!?」
「だってさ、話を聞くぶんにはあの子の前で格好つけたがってるように思えたわよ。始めは友達になりたいなんて言ってたけど、それだけじゃ我慢できなくなったんでしょ? 私が想定してた以上に行の効果もあったみたいだし、じつはもう、やっちゃったとか?」
「やってないよ! そりゃ、あたしには“男”があるし、物ノ怪だから月が出ると危険だ。だけど、それは仕方のない欲求で、別にオトリに対してじゃなくても沸き上がる気持ちだし……お師匠様が言うようなのとは別だよ」
ミズメは早口で言いわけを並べた。
「雄雌のある生き物なら誰しも持つ欲求ね。だからこそ、怪しいって話なんだけどね」
「なんでさ?」
「手出しをしないのは傷付けたくないからでしょう?」
「そうだよ。あいつは旅で男に嫌な思いをさせられてるし、ミナカミ様の都合で処女じゃなきゃいけないから。オトリは里に帰ることを諦めたわけじゃないし。あたしも里に返してやりたいと思ってる。疵ものにはできないよ」
「そういう配慮が“好き”ってことだと思うけどね」
「好きは好きだけどさ。恋とかそういうの、分かんないし……」
産まれてすぐの遺棄から始まり、身体が育つ頃にはもう情なく袖交わし慣れており、その凌辱の日々を終えれば人の身ですらもなくなったミズメ。
彼女は誰かに恋情を憶えたことはなかった。
「歌詠みのくせにそんなこと言うのね。ま、私もよく分かんないんだけどね。やりたきゃやりゃいいのよ」
「禁じておいてよく言うよ」
「それはあなたが特別だからよ。その禁だって、もうどうでもいいわ」
「どうでもいいの? でも、あたしはオトリを傷付けたくない。里を抜けた今、あたしと関係が悪くなったらオトリはどこへ行けばいいんだよ」
「ずっと手元に留めておけばいいじゃない。あなたの精と水術師の才能が合わされば、あなたと同じ時を生き続けることだって可能よ」
「あたしは物ノ怪で、あいつは人間の巫女だ。仮に“そういう好き”だとしても駄目!」
「共存共栄をやってるくせによく言うわね。蛇の物ノ怪と貴人をくっつけたり、嫁探しをしてる鬼を高天へ送ったりさ」
「どっちもオトリがやったことじゃんか」
「あの子も、本当に変わったわね。出逢った時は私たちを殺す気満々だったのに」
「オトリは誰かを殺したりなんてしないよ。今じゃ術を向けるのは意思疎通のできない鬼や悪霊くらいだ。口が利けたらまずは話を聴くようにしてるし、人間には悪党相手でも手を出さない」
「それなら、あの子はあなたが物ノ怪でも気にしないと思うよ。共存共栄でしょ?」
「どうだかね。長生きなんて強いるもんじゃないよ」
「私には寿命を伸ばそうと言い寄ったくせに?」
「お師匠様は不老不死の仙人を目指してたんでしょが! 共存共栄だって、長生きに都合が良いからでしょ?」
「そうだけど、今のあなたたちがやってるのは別よ」
「へ? お師匠様に言われて始めたことじゃんか。オトリは共存共栄というよりは、自分が納得できるところを探し続けてるんだろうけど」
「平和のほうが好きなのは事実だけど、あなたにも命じたのはあなたが魔に落ちないようにするための方便。今は邪仙との過去にも克ったし、陰ノ気すらも上手に操れてる。もう必要はないはずでしょ? それに、私のは手の届く範囲に限ったものよ。あなたたちのやろうとしてることは、もっと大きなものじゃない。全ての壁を取り払って、全てを繋げるような大きなもの……」
「そーいう面倒なことは考えてやってないよ。性根が良いのは今さら否定しないけど、あたしは行き当たりばったりに気分で決めてるのが大体さ」
「そうかしらね? ま、あなたがそういうならそうなんでしょう」
師は意味深に言うと、髪を掻いた。湯の香りと少し懐かしく思える成熟した女の芳香が混じって鼻へ届く。
「……それで、さっき決めたんだけどさ。あたし、今晩お師匠様に夜這うことに決めたから。今のうちに寿命を延ばしておこうよ」
「寿命はまだ残ってるわよ。ツクヨミを退治するまではあなたの精は貰わないって決めたんだけど」
「聞かないよ。今のあたしは強いよ。力づくで組み敷いてでも抱くから」
「あらやだ強引」
目を丸くする師。ミズメは強く視線を送る。
「……今夜は新月よ? そんなにしてまで男ぶりたいわけ?」
溜め息をつかれる。
「ぶりたいんじゃない。男でもあるんだ。あたしはずっと我慢してるからね、溜まってるんだ」
「相手が違うんじゃない?」
「オトリは関係ないだろ!」
師の一言が身体を突き動かした。
ミズメはギンレイを押し倒し、両腕を掴み力づくで床へ押し付けた。
「別にオトリちゃんだなんて言ってないわよ」
押し倒されてもどこ吹く風、意地の悪い笑み。
「言ってるようなものじゃんか。あたしはオトリを抱かない! 恋でもなんでもない! これは単なる本能的なもんだ!」
「獣ねえ。普段は私から誘っていたから、今のはぐっと来たわね。でも、郭公の托卵だって、ばれれば育ててもらえなくなるものなのよ」
「どういう意味だよ」
「その卵の本当の居場所は、私の巣の中じゃない。鳥の物ノ怪だって、誰かの代わりに抱かれるってのは良い気がしないものさ」
「代わりじゃない。あんたには死んで欲しくないんじゃんか! オトリを抱いてもあんたは救われない。あんたはあたしのお師匠様だ。あたしをずっと育ててくれた、母さんみたいな人じゃんか!」
叫ぶミズメ。眼前の顔が優しく微笑む。
「その母親を組み敷こうだなんて、今日日、神様でもやらないわよ」
「なんでもいいから!」
思考が定まらなかった。頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがっていた。
肉による欲求……真なり。師への愛、延命……真なり。それでも求めれば求めるほど、心のどこかがさかしまに乖離してゆくのを感じた。
それはつかみ取ろうとすればするほど、単なる性愛の中へと逃げて紛れてしまうのであった。
「いいわよ。相手してあげる。でも……あなた、きっと後悔するわよ」
訳知り顔。ミズメは余計に苛立ち、ギンレイの衣の袂を力任せに開いた。
「馬鹿、今は駄目。オトリちゃんたちが戻って来るでしょうに」
押し退けられる。ミズメは素直に従い、女を解放する。
「後悔するのはお師匠様のほうだよ。明日は足腰が立たなくなってるからね」
師から顔を背け、その場を離れる。
月の無き深夜。ミズメは師を抱いた。
思いつく限りの手を用いて女の身体を悦ばせ、また、精が尽きるほどにその寿命を引き延ばしてやった。
師は、過去の戯れと同じく気の向くまま愉しんだようであったが……ミズメは師の予言通りとなった。
翌朝、あの行いののち特有の口の酸っぱさと、寝穢いはずの娘がこちらを逆に起こした時に見せた得意げな笑顔が混ざった時、ミズメは過去指折りの自己嫌悪に陥ったのであった。
*****
長月……旧暦九月。




