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化かし093 探求

 叩き伏せられた山伏は邪仙の噂を話した。

 ここより南西、磐梯山(イワハシヤマ)を鏡に映す猪苗代湖(イワナシロコ)の近辺の集落にて事件は起こった。


 その地域は古来より鉄器の生産が盛んであった。

 だが、百数十年前に磐梯山が大噴火を起こして周囲の人里は甚大な被害を受け、生産活動も停止してしまった。

 これに対し、名のある僧侶が磐梯山に寺を置き、真言の加護と祈祷により山神の鎮めと、破滅と死が呼び寄せる(マガ)の退散に努めた。

 そうしてようやくここ十年になって人が戻り、本格的な復興が始まったのである。


 まずは集落を立ち上げ、それから有用な鉱脈の探索が行われた。

 噴火や地震による地下の変動や、当時の知識人の喪失などにより、鉱脈の探索は難航した。

 だが、かつての鉄の栄華はほうぼうにも知れ渡っており、穴掘りや腕っぷしに覚えのある者がひと山当てようと各地より集った。

 しかし、彼らも一様に失敗、断念し、この地に腰を落ち着けるか、梯子のごとき峻山(シュンザン)にて落命するかの運命(サダメ)を辿り、長きに渡り大鉱脈の発見には至っていなかった。


 そんな中、最近になって己を仙人と称し、様々な妖しの術技を披露する者が現れた。

 仙人はまずは術の披露にて人々を助け、彼らの信心を得て、その後に震旦の風水術によって鉱脈を発見すると豪語し、期待を寄せた地域住民の一団と共に磐梯山へと登った。

 

 仙人は巨大な沼地にて足を止め、杖を突き立ててこう言った。

「ここを掘るとよいでしょう。かつての富と栄華がここに眠っています」

 一団は指示に従いその地を掘削した。すると、種々(クサグサ)の金物を孕んだ石が次々と発見された。

 作業が進めばそれは散発的なものではなく、大鉱脈の兆しであると判明した。

 人々は本物の仙人を拝み、猪苗代湖のほとりに再び鉄の華を咲かせようと沸きに沸いた。


 しかし、幸福は一夜の幻であった。

 翌日に仙人が姿を消したのだ。大勢で押し掛けた採掘地には大鉱脈までもが影も形もなかった。化かされたのである。

 あまつさえ、残されたのは(オゾ)ましい呪いであった。

 沼地には呪術のわざわいにより物ノ怪や悪霊が集まりやすくなり、毒気の噴出も頻繁に起こるようになった。

 呪いは沼地だけでなく、集落やそれらに関係する者たちにまで及んだ。

 そして人々は先日までの恩人を邪仙と呼ぶようになったのである。


「つい最近のことだそうだ。俺様もこの噂を聞きつけて、ひとつ霊験を示してやろうと思っておったのだ。そこへ同じく噂になっていた山伏と巫女とよく似た貴様らにぶち当たったというわけだ」

 鉄鎖の法術師、伝鉄坊(デンテツボウ)は話を締めくくった。全裸で青空を仰ぎながら。


「なるほどね。あんたも善行をするために歩いていたのか」

「まあ、病を視たり、邪気を祓ったりはするつもりであった。だが、対価もしっかりと取るし、邪仙とやらと術比べをしたり、本物の鉱脈を探すほうが本命だがな」

「利害の一致でも、助けられたほうから見れば善行さ。もう一度言うよ、あたしは本物の水目桜月鳥だ。邪仙どころか、日ノ本を害する邪仙や悪神を追い掛けている正義の側だよ」

「邪仙は朝廷からも正式な手配が出ているはずですけど、ご存じありませんでしたか? 私たちは陰陽寮から都での卜占や巫行の許可も頂いているんです。ほら、これが許可証ですよ」

 オトリは懐より免許状の巻物を取り出して広げた……が、何故かこちらから大きく距離をとった位置に居た。


「そんなに離れてちゃ見えないよ」

「近付いたら見えちゃうので駄目です」

 オトリは巻物で顔を隠した。


「そういうわけで、あたしらはこれから磐梯山の麓の集落へ行くよ。ま、邪仙はすでにどっか行っちゃってそうだけど」

「向かった先が月山の方角だとすれば心配ですけど……」

「だけど縄張りのご近所さんだから、見て見ぬ振りはできないよ。あの噴火の時は自分の根城から見てただけだったけど、生きた心地がしなかったね。山も一割ほど背が低くなったし、他に(イタダキ)ができたりもしたんだ。治まってから様子を見に行ったけど、それじゃ遅かった。あたしたちが力になれることは何も無かった」

 自身の縄張りには師や同胞がいる。そして今、窮している者が居るのはその埒外なのである。

「その口ぶりだと、貴様は本当に物ノ怪なのか? 翼は仙術で出したものではなかったのか」

「あたしは三百年近く生きてるよ。噴火はちょうど、空海が唐から帰って来たか、恵果(ケイカ)さんから奥義を教わったころのできごとだね」

「三百歳だと? 嘘臭い。見掛けも稚児か早乙女(サオトメ)に毛の生えたような半端な感じだし、なにより威厳がない」

「手も足も出なかったくせによく言うよ」

 ミズメは溜め息を吐き、デンテツボウに突き付けた八角棒をしまった。


「む、俺様を解放するのか?」

「そうだよ。あんたはもう二度も退治されたしね。あとは勝手にどうぞ」

 山伏を放って歩きだすミズメ。

「俺様はまだ納得がいってないぞ。貴様が本物であるかどうか、ついて行って確かめてやる」

 山伏が起き上がってあとを追って来た。

「どうぞご勝手に」


「私は嫌なんですけど……」

 相方はちらりと振り返り頬を染める。

「全裸ですし……。変態」

 ぼそり罵倒。


「こいつが俺様の衣をばらばらにしたんだろが!?」

「分かった分かった。じゃあ代わりにこれでも腰に巻いてな」

 ミズメはそう言うと“どこからともなく”古いぼろきれを引っ張り出した。

「なんじゃこのぼろ布は……」

 デンテツボウが受け取ったのは緋色のぼろ布とくすんだ白のぼろ布。


「あーっ!」

 オトリが声を上げる。

「ミズメさん。それ、私の巫女の衣装じゃないですか!」


「いいじゃんか。今は立派なのがあるんだし」

「返してください!」

 オトリはぼろ布を受け取ったデンテツボウに喰って掛かった。しかし、早速それが(フンドシ)のように使われ、股間を隠す役目を負ったのを見て取ると、涙目になり手を引っ込めた。

「うう、これは何着目の衣ですか?」

 オトリの巫女装束は、これまで何度も更新がなされている。

 隠れ里から月山までの迷い旅で着ていた一着目、月山でギンレイが代わりに用意した二着目(行き倒れて死んだの巫女の持ち物である)、都にて袴を取り上げられたのちにミヨシに都合して貰った白い三着目、ハリマロから押し付けられた四着目。

 そして、稲荷の使いの娘の加護の籠った現在の五着目である。

「ハリマロのやつ」

「じゃ、いっか。それでちゃんとお股を隠しておいてくださいよ」

 オトリはけろりと機嫌を直すと歩き始めたのであった。



 さて、善は急げ。一行は早駆けにて集落へと駆けた。

 オトリの水術にミズメの術真似。デンテツボウは鉄下駄を金術で弾ませ、一跨ぎで山を越える技を披露した。

 集落へ近づくと、呪いの影響か、辻に性悪な動物霊のたぐいが羽虫のごとくに飛び交っているのに遭遇した。

 デンテツボウは粗暴ではあったが、調伏師であり祈祷師でもあった。

 彼は真言と祈りによって悪霊を祓ってみせた。


 そして、腕前が確かであれば、稀代の水術師の神聖さをほどなく理解することとなる。


「なんちゅう清い霊力だ。侮っておった。どうやら噂のほうが間違いだったようだな。不細工ながらも、まごうことなき聖女だ」


 オトリが祓えの気を練り上げれば、並の悪霊はおろか、鬼ですらも触れるだけで滅されるのである。

 余程に畏れたか、粗暴な巨体は背を丸めて若い巫女に手を合わせた。


「だが、貴様が本物かどうかは別の問題だからな」

 一方で、ミズメの疑いは晴れぬままだ。


――それはどうでもいいんだけど……。


「私って、そんなにぶさいくなのかな……」

 

 呟くオトリ。繰り返しの容姿の評価にすっかり消沈しているようだ。


「……」

 ミズメは沈黙した。


 相方に面と向かって、「世俗的に見て美人か醜き女か」と問われれば返答に困ったであろう。

 狐顔か狸顔かと問われれば後者であるとが即答できるが。まあ、彼女の顔立ちは著しく崩れているわけではない。

 それでも、記憶を手繰れば、都出身の嫉妬の鬼が鼻で嗤ったことや、オトリ自身が里の小町を詐称していたことがおおよその解となろう。


 ミズメは知っている。相方が都の流行りとは掛け離れた田舎娘であることを。

 長く美しい黒髪が自慢で、水垢離(ミズコリ)の行を怠けようとも、寝坊をしようとも、その髪の手入れだけは怠らないことを。

 彼女の白い肌。険しい藪や吸血の虫が作る痕を水術で癒す時の神経質な指先を、またその指先が自分や他の女の肌にも同じように向けられることを。


 そして、自身の里の素朴な暮らしも自慢にする一方で、都の煌びやかな暮らしや衣装に目を輝かせることも知っている。

 三善文行の屋敷では鉄漿(オハグロ)白粉(オシロイ)眉墨(マユスミ)も借りられたが、巫女の知識がそれらが人体に害を為す素材から成るものと見破ったため、泣く泣く変身を諦めたことも知っている。

 恋愛の成就を重んじているものの、己の巫女の立場と、過酷な旅によって生み出された男嫌いによりそれが手に届かぬものとなり、蔭で何度もくやし涙を流していたことも知っていた。


 生粋の顔の造りや、努力の結果ではない。追い求める道程のうつくしさ。


 ミズメは美とは単純な造形や機能の優劣、まして流行りだけでないことをよく理解している。

 オトリの表情は冬が多いものの、表情を四季のごとく変えるさまは見ていて飽きないものである。


――あたしから見ればあんたは……。


 ミズメは頭を掻いた。

 改まってそれを言葉にして慰めてやることができないでいた。

 どう伝えれば、相方を元気づけてやれるだろうか。

 簡単に言えば済むことなのに、なぜか歌題に頭を捻るかのような小難しい言葉が頭の中を飛び交った。



 さて、集落は惨憺(サンタン)たるありさまであった。

 近隣を浮遊していた邪気や悪霊は一層に酷くなり、霊障は人の心身に大きな打撃を与えていた。

 呪いや穢れ由来の病は勿論のこと、自然界の毒気による病も入り乱れ、気を参らせた者が他者を殴り、人同士の争いが起こり、わざわいの根は無数に張り巡らされていた。


「さあさあ、噂の天狗と巫女、水目桜月鳥と乙鳥のつがいが来たよ。悪鬼悪霊、呪いに邪仙。薬事に出産、水回り、よろずの困りごとなんでもお助けしちゃうよ!」

 ミズメは音術を使い、集落中に声を届けた。

 わらわらと集まってくる住人達。


「ふん、物ノ怪のくせにこなれた口上を。おうい、この小娘は翼の生えた物ノ怪じゃぞ!!」

 デンテツボウは意地悪く叫んだ。


「助けてくれっなら、物ノ怪でもなんでもええ!」

「おらの母ちゃんがあんべわりぃーんじゃ。はよ助けてくいろ!」

「おめはあとじゃ! 俺が子めらを看てくいろ!」

「女子供より鉱石じゃ。鉄が掘れんならこんなところに残る意味はねえ!」

 人々は我先にと押し退けあう。


「節操がない。半分は欲のせいかもしれんな。邪仙の呪いよりも、人の因果が(マガ)を生んどる。元はといえば、過去の栄華にこだわって山のあっちこっちを掘り返したのがいかんのだ。これは山祇(ヤマツミ)の罰ではないのか? 山を食い荒らすもんは出て行けえ、ってな」

 人々を嘲笑う山伏。

「せづねえ! ここは俺たちの土地じゃ! ご先祖様はここを盛り上げることを望んどるんじゃ!」

「その執着が邪仙に付け入られる隙を作ったんだろうが。この物ノ怪娘も、じつは邪仙が化けているだけかも知れんぞ」

「“にし”は知らんかもしれねが、水目桜月鳥といえば山の向こうの出羽では有名な、ありがたーい物ノ怪様じゃ。田植えの季節も過ぎよるのに裸の奴の話なんぞ信じねえ!」

 どうやら、彼らはミズメのことを元より知っているらしい。


「裸じゃねえよ! 俺様は股座にありがてえ袴を巻いとるんだ! オトリ()よ。ここはひとつ、ばーっと景気よく祓ってやってくれぬか?」

「他人に祓われてしまった部分は消えてなくなってしまうのはご存知ですよね? そのぶん、命や力が削がれてしまう。一番良いのは、自分自身が変わってたましいの色を変えること。無闇にお祓いを験す前に、皆さんのお話を聴いてみましょう」

「オトリ様よう、この全員の話を聴くってのか? こんなにしっちゃかめっちゃかになってるのに……」


 媚びるデンテツボウであったが、これには少々面倒臭そうにした。

 しかし彼は、オトリが人々の話をよく聴き、共感し、あるいは八つ当たりを哀しげに受け止めるさまを横で見ているうちに、またも態度を変えた。


「話を聴くだけでも、意味があるんだな。霊力も一切、使わないで。……たましいの色、人のこころの穢れか」

 デンテツボウが唸る。


 一行は混乱した集落の話を整理し、順序立てて治療やお祓いを験し、集落を晴れへと導いた。


「あとは呪いのもとを絶つだけ」

 到着が遅かったのもあるが、ひと段落がついた時にはすでに(アケボノ)であった。


「ひと休みしたら、山に登るかあ」

 デンテツボウも半裸にも関わらず、ひと晩のうちにしっかりと汗を掻いている。


「何言ってるの。今から登るんだよ」

 ミズメは健康体操をしながら言った。善行や調伏では僅かな時差が人命を左右することも珍しくない。

 ふたりはこれまでも、空腹や睡魔を押し退けてでもこれを優先してきていた。

 それは正義感というよりは、オトリは失敗への不安から、ミズメは相方への寄り添い、あるいは解決後の爽快感の中での飲酒、昼寝や温泉に浸るひと時を好んでのことであるが。


「お疲れなら、私たちだけで行きます。まだここで何かが起こらないとも限りませんし」

 巫女は目の下に隈を作っている。

「い、いや。俺様も名の通った山伏だ。呪いの元凶が祓われるのを見届ける!」


 一行は不眠不休で磐梯山を登る。

 視界に秋の気配を見る一方で、火山性の礫塊を孕んだ領域は、百余年経っても草木が生えておらず、人を乗せるにも脆く、常に危険を踏み締めながらの行軍となった。

 オトリは普段通りの水術を使い、時に翼の娘が手を貸した。

 デンテツボウは山歩きは慣れていると豪語したが、前日の敗北から一晩通しの里山伏業に疲労が隠せていなかった。

 ミズメはその根性を買い、難所では彼へと手を差し伸べた。

 彼は始めのうちはオトリの勧め無しに手を借りることはしなかったが、空が近くなり、空気が清浄となるにつれて、捻くれから無言、無言から礼、礼から礼拝(ライハイ)へと態度を改めた。

 彼の肉体の疲労は増すばかりのはずであるが、ミズメは不思議なことに、彼が身に宿す霊気の質と量が改善されていくのを感じた。


 沼地の領域へ踏み込めば、集落よりも烈しき呪いの渦を目の当たりにする。


「なんじゃあれは!?」

 デンテツボウが指差す先、沼中にのたうち暴れる巨大な蛇。更に、それを取り囲む邪気を孕んだ無数の獣たちが居た。

 あたりには目に見えるほどの呪力の靄。昇った残暑の昼日を受けた湿地と合わさり、その気配をより一層不快にしている。


「物ノ怪? ううん、沼に大蛇……。あれはぬしかしら」

 巫女が足を止め思案する。


「オトリ、どうもこれも訳ありっぽいよ」

 じっとりと汗。


「気付かれたぞ!」

 獣たちはこちらの気配を察知すると一斉に飛び掛かって来た。


「こいつらはあたしが足止めする!」

 “どこからともなく”真巻弓(ママキユミ)。放たれるは鏑矢(カブラヤ)

 雁の悲鳴のごとき叫びを上げて、獣どもの頭上を通過。ほんの僅かに破魔を込めた音波が獣どもを怯ませた。

 しかし、獣たちはすぐに体勢を立て直して唸り始めた。敵意が一斉に射手へと集まる。


「馬鹿たれ! 何を手加減してる!」

 山伏の罵倒。霊気の高まり。

「“(ラン)”! 明王の炎よ、物ノ怪どもを調伏せしめよ!」

 獣の群れの頭上に火の輪が生まれる。


「待ってください!」

 オトリが声を上げると、沼から水が持ち上がり、真言の炎を鎮火した。


「なんで消してしまうんですか! あいつ、やられちゃいますよ!」

 デンテツボウは哀れっぽく声を上げる。


――やられはしないけど、ちょっと厄介だね。

 ミズメは弓をしまい、太刀も棒も持たずに襲い来る獣の群れに素手で対応していた。

 殴るのではなく、かわし、いなし、流すのみ。


「あれは物ノ怪ではありません。邪気に当てられたただの山の獣たちです!」

「なんと! 獣にまで憐れみを……。ならば、あの化け蛇が元凶か!」

 鎖分銅が風を切る音が奏でられる。


「待って、攻撃しないで! あれは……」

 言い淀む巫女。


――あれはなんだろうね。

 沼で暴れる大蛇、それを見守るように取り囲んでいた獣たち。そして邪気。

 経験則からいえば、呪いにより害せられた沼の神を心配して獣が集まり、一緒に邪気に当てられたというところであろう。

 だが、ミズメはあの大蛇の気配に引っ掛かりを覚えていた。神霊に属するが神ではない。妖しの気配も持つ。

 相方もそれに感付いているようだが、お互いにその正体を掴みかねていた。


 一瞬、陽の気配。それから周囲の何点かに濃い陰ノ気。更に肌で水気の操作を感じた。

 憶えのある霊気の操作。


「逃げろ!」「逃げて!」

 ふたり同時に叫ぶ。


 陰陽の点が気の流れを作る。


 強烈な発光と轟音。


 発雷である。


「デンテツボウさん!」

 経験のある自分たちは回避できたものの、半裸の山伏はやられてしまったらしい。巫女の気配がなじみの水術の治療に移行するのを感じる。

 一瞬のできごと、発雷の見抜きは辛うじてのことであった。

 山彦や逆回しでの対応はできそうもない。できても精々、不安定に掻き乱すことくらいか。

 発雷の操作者は大蛇で間違いない。そして、電流は沼に足を着けているはずの獣たちを害さなかった。


――あれは殺しちゃ駄目だ。……といっても!


 山犬の牙が腕に喰い込む。なんとか振りほどくも、眼前には森の重鎮、熊がのそりと二本足で立ち上がった。


「てめえ! よくもやりやがったな!」

 早くも治療が済んだか、山伏は案外と元気らしい。続いて鎖の音がじゃらりと響く。


「どうじゃ、雷は使えまい? 鎖を伝って貴様にも、どかん! だろう?」

 得意げな声。


 ミズメは熊を潜り抜け、防戦の補助としていた霊気を消し去り、翼で空へと逃れた。

 鎖にはそれなりの霊気が流れているはずだ。霊気は通電の道になりやすい。宿すのが鉄の鎖であれば尚更であろう。

 ならばこちらの霊気を鎮めれば、いかずちに巻き込まれる可能性はぐっと下がる。


「オトリ! これはあたしの勘だ。その蛇は蛇じゃない。何かが化けてる!」

「蛇神様のふりを? でも、山の獣が従っていましたよ!」

「命懸けでやってるってことだ。そいつと同じようにね!」

 デンテツボウは鎖で大蛇を搦めとって動きを封じている。またも周囲で霊気の収束。


「させない!」

 オトリが袖を振り上げると、周囲の水気が変動した。収束は起こったものの、発雷はならず。


「攻守交替! あたしがあれを叩く。獣は任せたよ!」

 空に逃れた獲物を諦めたか、邪気に当てられた獣たちは標的を変更した。


「うわーっ! 俺様は両手が塞がってんだ! こっちに来るな!」

「私が護ります!」

 オトリはデンテツボウへ飛び掛かる獣とすれ違う。回転して泥の中へ伏せる獣。その身体から邪気が消える。

「ごめんね、苦しいけど我慢してね」

 慈愛の巫女の祓えが始まった。


「さあ、蛇よ! いかづち、撃てるもんなら撃ってみせい!」

 鎖が白く発光。デンテツボウの足元、恐らく泥に沈んでいるであろう鉄下駄も光り輝いた。

 蛇が睨み、山伏が睨み返す。


「勝負!」

 ミズメは“どこからともなく”錫杖を取り出す。


 逡巡の挙句に出した解。


 それは「普通にぶんなぐる」。


 ミズメは錫杖へ霊力を籠めず、単純に蛇の脳天を目掛けて振り下ろした。


 蛇視は逸れてこちらへ。大口を開ける蛇。

 またも霊気の収束。今度は口腔内で陰陽の二点。牙と牙を結ぶ雷糸(ライシ)


 ……一か八かの選択であった。物ノ怪が姿を変えるにはいくつかの方法がある。

 見かけだけの幻なら、あの鎖はともかく、霊気の籠らぬ錫杖は空振り、その後は反撃の餌食となろう。

 一方で、肉のある変身であれば、ただの錫杖でも打つことができる。脳天を揺るがせば変化ノ術は解ける。

 霊気を込めれば幻でも本体へ打撃が届くが、姿を借りて己を強く見せなければならないような存在に殴打と霊気の両方が届けば殺してしまうかもしれない。


 半々。更に前提の何者かが化けているという判断の誤りもあり得た。

 本物の蛇神であれば、小娘に頭を棒で叩かれたくらいで昏倒はしないだろう。


 失敗すれば手痛い反撃。己が倒れればオトリが治療に回り、こちらは瓦解。死にたくなければ問答無用の退治しか手が無くなる。


 しかしミズメは、分が悪くとも己の勘を信ずる性分。

 あるいはこれは、裸一貫で泥中に立つ男との意地の張り合いだったかも知れぬ。


 ……ミズメの手に、弾力を孕んだ確かな感触が伝わった。


 大蛇は犬の悲鳴のような声を上げると、見る見るうちにしぼみ始めた。


「やったか……ぐえっ!」

 鎖がほどけ、デンテツボウが泥へ引っくり返る。


「足止めご苦労。良い具合に加減ができたよ」

 錫杖を軽やかに回転させ、格好をつけながら“どこへともなく”しまい込む。


 縮みきった大蛇は、一匹の仔犬のような、川獺(カワウソ)のような、二尺程度の四つ足毛皮の獣へと変じた。


「そんで、“これ”が元凶か。オトリ、おねがーい!」

 沼に突き刺さった杖を指差し、相方へ手を振る。あちらも丁度、獣の鎮めが終わったところであった。


 呪術の施しを感じる杖の下には、一匹の大蛇の骸があった。


「僅かですけど、神気の残滓を感じます」

「これが本来の沼の神か精霊だね。……そんで、こいつが」

 四つ足の獣が起き上がった。

「なんじゃい、このみょうちくりんな獣は」

「都で見たことがあります。市で見世物にされてた子にそっくり」

「確か、白鼻芯(ハクビシン)って名前だっけか」


『ありがとうございます。正気を失っていました……。私は沼の神に拾われ、その御子(ミコ)となった者です』

 霊声。目を覚ました獣の気配は幽かな神聖さを帯びていた。


 獣が語る。

 彼はかつて天竺(テンジク)で獣として暮らしていたが捕獲され、日ノ本へと運ばれた。

 都で見世物にされる日々を送り、ある時に隙を見て脱出。

 しかし珍しい容姿は次々と不運を呼び、逃げた先でも捕まってしまう。

 またも脱走を図り、知らぬ土地を転々と逃げ回る日々。

 過酷な逃亡生活は彼に霊力を与え、辿り着いたこの地で沼神から声を掛けられたのだという。 


『私は精霊として神に仕えて幸せに暮らしていました。ですが、何者かが眠っていた神の身体に杖を突き立てて殺してしまったのです』


 杖に込められた呪力が手伝い、沼神の魂は荒神へと変じ、ついには呪いと一体化してしまった。

 彼と山の獣たちでなんとか抑え込もうとしていたが、逆に邪気に当てられてしまい、あとは知っての通り……ということだそうだ。


「無闇に手を出してたら、この沼は神様だけじゃなくって、次の神様や沢山の獣を失っちゃってたってわけさ」

「んなもん分かるかい!」

 半裸の山伏が声を上げる。

「でも私たちはこうやって、人や獣、それに物ノ怪や神などの稜威(イツ)なる存在……皆のためになる解決法を探って善行を続けてきています。時には上手くいかないこともありますが……」

 相方が表情を落とす。

 デンテツボウはそんな彼女を真剣なまなざしで見つめた。


「こらこら、なーんで落ち込むかな。今日は完璧だったでしょ。こいつも、しっかり役に立ってくれたし」

「そうでした。ありがとうございました、デンテツボウさん」

 照れ笑いと共に、提げ髪跳ねさせて礼をするオトリ。


「……オトリ様!」

 半裸の山伏は膝を崩し、両手をついて、額を泥の地面へとくっつけた。

「是非、この愚かな自分をあなた様の弟子にしてください!」

「弟子!? 私のですか!?」 

 オトリは頬を染めたじろぐ。

「あなたは泥だらけでもうつくしい。自分は、あなたのようなたましいを持つおかたにお仕えしたい!」

 頼み込む男は顔を上げない。


「えっと……ごめんなさい」

 オトリは頭を下げた。


「……そうですか。無理を言って申し訳ありません。自分は山伏のなんたるかを忘れていたようです。腕前ばかりに気を取られて調子に乗っていました。もう一度、山に籠り直して、今度は真実を見抜くこころと目を持って、人だけではなく、全てのいのちの成仏を目指して精進したいと思います」

 半裸の山伏は立ち上がり、寂しそうに背を向けた。


『山伏様。もし、ゆく当てを決められていないのでしたら、私を手伝ってはいただけませんか』

 精霊が声を上げる。

「自分ごときがですか? 勿体無いお言葉です。ですが、これも御仏の導きなのでしょう」

 獣へ向かい合い、腰を落として拝むデンテツボウ。


『この麓の集落の者たちも、かつては山を愛していたと沼神様から聞いております。今はまだ、彼らに鉱脈を見せてやることはできませんが、その時が訪れれば、互いに豊かに育み合える日が来るのではないかと、私は思うのです』

「では、あなた様の存在を伝え、祀らせましょう。神となり神威が広がれば、眠りに就いた山祇の代理をも務められるやもしれません」

『私ごとき畜生が、そこまで至れるかは分かりませんが。互いに高め合い、より良き道を歩みましょう』

 獣が歩み寄り男を見上げる。粗暴だったはずの男の顔は、泥だらけではあったが、どこかに仏の面影を感じさせた。


 その様子を眺めて微笑むオトリ。

 泥の横顔。神の候補と改心を目指す山伏を慈しむ瞳。

 ミズメはふと、その視線を遮ってやりたい気持ちに駆られた。


「解決できて良かったです」

 オトリがこちらを向く。


「あたしも折角の名前に泥を塗らないで済んで良かったよ」

「泥……泥だらけですね、また……」

 視線を下げる相方。沼の水面に汚れた顔が映っている。


――……。

 見付からぬ言葉。

 デンテツボウに、先に「うつくしい」と言われてしまったことを反芻すればこちらも消沈してしまいそうだ。

「よかったの? 弟子を取らなくてさ。ま、居ても邪魔なだけだけど」

 捻くれは物ノ怪の性分か。つい、余計なことを口にしてしまった。


「勿論です。私には、教え合える大切なひとがいますから」

 水面の顔が少し笑った。


 手が握られ、優しい霊気の流れが腕の傷を癒す。


「今回も、おつかれさまでした」

「うん、おつかれさま。……って近いな」


 こぶしひとつほどの距離。

 その泥だらけの笑顔は、物ノ怪の娘には真夏の太陽のようにまぶし過ぎたのであった。


*****

恵果(ケイカ)……青龍寺の和尚で、空海の師でもある。日本の真言宗が成立するまでに真言を語り継いだ真言八祖のひとり。

あんべわりぃ……調子悪い。

せづねえ……うるせえ。

にし……おまえ。

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