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化かし009 珍宝

 向かい合うふたりの娘。

 ミズメの眼下には真っ赤な顔でこちらの股間を凝視する巫女の姿。彼女の体内で霊気が練り上げられているのを感じる。


「せっかく仲良くなったのに、いきなり悪戯ですか? 男の人は嫌だって話をしたばかりなのに、どうしてこんなことを?」

 温泉だというのに、背筋はまるで雪山に投げ出されたかのごとく冷える。

「ち、違うんだよ……」

「何が違うって言うの? 人が油断してるからって、こんないやらしい幻術を仕掛けてくるなんて!」

 オトリが立ち上がり視線が混じり合う。眉はひそめられ、その視線は射貫くがごとく。


「違うんだよう! 大体、考えてもみろよ! あんたがいきなり入って来たんだ! 霊力の高い人間に準備も無しに幻術が掛けられるはずもないだろ!」

 ミズメはそう叫ぶと、再び鼻先まで湯の中に沈み込んだ。眼前には巫女の(ヘソ)

「だったら、それ(・・)はなんなんですか!? どう見ても、男の人の……それじゃないですか! もしかして、ギンレイ様も加担してこんな悪ふざけを? 私、抗議してきます!」

 オトリは少し学んだのか、霊気こそは仕度したものの、特に乱暴を働くこともなく湯殿を飛び出していった。

「ちょっと待ってよ!」

 ミズメも慌てて追いかける。萎え伸びた摩羅(マラ)を腿に打ち付けながら。


「ギンレイ様! ミズメが私に酷い悪戯を仕掛けたんです! 叱ってやってください!」

「違うんだってオトリ! これは、違うんだ!」

「おー、やっぱり揉めてるねー」

 銀嶺聖母は囲炉裏を前に座し、のほほんと湯呑みを手にしていた。

「お師匠様、どうしてオトリを風呂にやったんだよ!? 見られちゃったじゃんか!」

「長旅になるんだし、どの道ばれちゃうでしょ? 私が居ないところで揉めるよりも、今揉めといたほうが良いと思ってさ」

 そう言ってギンレイは湯呑みを傾ける。

「私、男の人で嫌な思いをしたって話をしたところだったんですよ! なのにミズメさんは!」

「オトリちゃん、少し落ち着いて。摩羅なんて珍しいものでもないでしょ」

「幻術だからって、何もあんなに立派に見せなくても。大蛇かと思いましたよ! 私蛇は苦手なんです! 蛇じゃなくても駄目ですけど!」

 やや混乱気味のオトリ。今さらになって両手で顔を覆った。

「だから、違うんだって。あれは幻術じゃないんだ」

 ミズメが言った。

「幻でないなら、何だって言うんですか。ミズメさんは女でしょう? 誰からか(ヌス)んできたとでも?」

「そうじゃないよ。オトリちゃん、それは確かにミズメの股座にくっついてるものだよ」

「えっ? ミズメさんは実は男性ってことですか? でも胸が……」

 睨むオトリ。

「……」

 股座(マタグラ)を晒した当人は黙りこくるほかない。


「ミズメはね、“どっちも”なのよ」

「どっちも?」

「半陰陽とか両性具有とか半月(ハニワリ)っていうやつだよ。本当はね、この子はそれが理由で親に捨てられたんだと思う」

「でも、生まれながら歯が生えてたからって」

「それは方便ね。このことを話すのは本当に嫌がるし、余計に話がややこしくなるでしょ? だったら、実際に見て貰うほうが早いかと思って」

 ギンレイは囲炉裏に掛けてあった鉄瓶を外すと、からの湯呑みに若草色の液体を注いだ。

「これを飲んで落ち着くといいよ。“お茶”ってやつだ。私の故郷で流行ってるんだけど、オトリちゃんは飲んだことがある?」

 オトリは湯のみを受け取ると、泣きだしそうな面持ちで着席した。


 更に明かされるミズメの秘密。

 彼女は物ノ怪に変ずる以前から人外の扱いを受けていたのである。

 童子であるうちは男女の見分けは曖昧。裸でいてもはた目には童男である。

 そのころは邪仙も好々爺の面を被っていた。しかし、ミズメが月のものを体験し、乳房を膨らませ始めてからは鬼面に変ずることとなる。

 奇妙な身体は貴人への見世物としても、女体を穢れとした坊主への添え物としても受けが良かった。

 囲いたがるもの好きも多く、醜つ翁はミズメを利用して多くの利益を得ていた。

 ミズメは悪事や憎悪だけでなく、多くの淫奔の真髄と、いびつな愛、そして嘲笑をもその身に刻んでいたのである。


「……」

 巫女の顔は死者のごとしの様相となっていた。謝罪を口にしようとしたようであったが、出てきたのは喘ぎだけである。


「身体はそうでも、この子は女の子っぽいし平気平気。気性は男寄りだと思うけど。あれがついてるからって、嫌ってやったりしないであげてね」

 銀嶺聖母が言う。オトリは黙ったまま頷いた。

「お師匠様も酷いよ。勝手にばらさなくてもいいじゃんか。オトリは男嫌いなんだって言ってたのに」

「だ、大丈夫ですよ、ミズメさん」

 微妙な表情である。

「こそこそしなきゃいけないのは面倒でしょ? もとより、私たちは物ノ怪。でっかい翼生やしておきながら棒や玉の一つや二つが何よ」

「それはそうだけどさ……」

 ミズメは不満だった。隠し通す気でいたのだ。

 陰陽の性にまつわる体験は糞爺(クソジジ)に弄ばれたことよりは幾分かましな記憶ではあったが、せっかく得た友人に拒絶されうる危険を冒したくはなかったのである。


「ともかく、そういう事情もあるの。この子のことを理解してやってね」

「はい」

「ミズメも半分くらいは男なんだから、旅では女の子のことをしっかり守るように」

「こいつはあたしより強いんじゃないの? 道の案内役であって護衛じゃないよ!」

 不満気なミズメ。

 彼女は搦め手には自信があったが、オトリの水術と正面を切って戦っても勝てる気がしなかった。

 水術師は水場や雨天であれば、更に何倍もの力を発揮しうるだろう。

 術真似をするにしても、霊気の動きをなぞるには一度は見なければならない。その瞬きのあいだに昇天させられるのが落ちだ。

「さあ、それはどうかしらね? 少なくともお互いに得手不得手はあるでしょう。旅では補い合うことを意識しなさい。道案内だけじゃなくね」

「道案内だって、あたしが飛んでオトリは水術で走ればすぐ着いちゃうかもよ? 空を行くなら夜が良いけど、地上は昼じゃないと不便だから噛み合わないかもしれないけど」

 ミズメは少々投げやりに言った。

「水術については、お腹も空いちゃうし、他にも問題があるので……」

 オトリが頬を染める。

「問題? まあ、あたしとしてはゆっくりのほうが良いんだけど」

「問題と言えば、ミズメの盗癖や悪戯ぐせも問題ね」

 ギンレイが言った。

「そうですね」

 オトリも頷く。

「大丈夫だって。悪い奴にしかしないし、なるべく我慢するから。善行、善行!」

「オトリちゃん、道案内の代わりにひとつ頼まれごとをしてくれない?」

「なんでしょうか。私にできることならなんでも」

「この子が度の過ぎた悪事に手を出そうとしたら止めてやって欲しいの。普段は私が見てるけど、長旅になったら外でもそういうことの一度や二度は起こるかもしれない。物ノ怪の気性は月の満ち欠けや自他の陰ノ気に影響されやすいから。ここではよくっても、よその地では見逃して貰えないわ。私も退屈しのぎに一緒に行きたいところだけど、赤ん坊の魂の足しになるものも探さなきゃいけないしね」

「分かりました、任せてください! ギンレイ様も、赤ちゃんのこと宜しく頼みますね!」

 オトリの返事は快活だ。

 当人の師からの直々の許可を得たからか、オトリはこちらのほうを見てにっこりと笑った。ミズメは何やらまた肋骨が痛む気がした。


「あ、そうだ」

 ミズメが声を上げた。

「玉の話をしてて思い出したよ。お師匠様にお土産があるんだった」

 袈裟を漁って品を探す。

「なあに? 狸の金玉ならいらないわよ。佐渡の親分くらいのだったら寝床に縫い直しても面白いけど」

「玉は玉でも、もっと良いものだよ。少し前に、“秋田城”に見学に行ったんだけど、そこで珍しい物を見つけてさ」

「秋田城? 蝦夷の連中が接収して使ってたんじゃないの?」

「分かんない。誰も居なかったよ。武器とかも放置されてたけど、死体はひとつもなかったし」

 懐から取り出したものを見せる。


 勾玉(マガタマ)。尾を引く霊魂のような形のそれ。一見、乳白色の瑪瑙(メノウ)製の宝飾品であるが……。


「これまた。なんてものを見つけてきたのよ」

 銀嶺聖母は顔をしかめた。

「その石からは神気(カミケ)を感じます」

 オトリの表情も硬い。

「そうそう。これ、神器(ジンギ)ってやつでしょ? 城の詰め所に落ちてたから、拾って来た。お師匠様の研究に役立つかと思って」

「拾って来たって。泥棒ですよ!」

「大事なものならちゃんと葛籠(ツヅラ)なり、懐なりにしまっておくでしょ」

「嘘はいけません! 神器は大変貴重なもので、神社や神殿に祀られるような品なんですから!」

「いやー、ただの石ころかもしれないじゃん」

「ご自分で神器っておっしゃったじゃないですか! 私にだって、その玉に尊い神様の気配が宿っていらっしゃることくらい感じられます!」

「でも、本当に落ちてたんだよ。その辺の床にぽーんって」

「だとしたら、その勾玉の神が何かをしたせいで蝦夷の連中は城を捨てて逃げたのかもしれないわね」

「逃げた? 神様がお怒りになったのかしら?」

 オトリが首を傾げる。

「ミズメ、その石を早くこっちに貸して。ちょっと、良くない気配がするわ」

 ギンレイへと手渡される石。


 雪色の長髪がふわりと持ち上がった。銀嶺聖母の肉体から、神聖な気配が醸し出される。


「ふたりとも、丹田(タンデン)に霊気を練って私の力に備えて」

 いきなりの警告。

 刹那、屋敷の柱や梁がみしりと音を立てた。仙気が部屋中に充満し、空気が黒鉄(クロガネ)のような重量へと変ずる。


 娘二人は短く悲鳴を上げた。

「お師匠様、いったい何を……」

 重い仙気によって床に押し付けられ呻くミズメ。オトリも完全に伏してしまっている。


 屋敷が揺れ、湯のみに亀裂が入り、囲炉裏の炎は業火のように猛り狂った。


「……駄目ね」

 ギンレイがそう言うと、怪現象は収まり、場を支配していた重圧も霧散した。


「急になんだよ! 術を使うならもっと早く言ってよ!」

 ミズメは抗議する。オトリも身を起こし、額をさすっている。


「ごめんね。石を砕こうとしたんだけど、私の力じゃ、とてもできなかったわ」

「せっかくお宝を見つけたのにどうして砕いちゃうのさ!?」

 ミズメは声を上げる。

「これはね、厄介なものよ。異常なほどに強力な神の気配を感じる」

「私にはそこまでは分からないのですけど、神器は神様の身代わりだとか、一端だとか言われますね。と言うか、ギンレイ様の神気も、並の神様よりもすごかった……」

「今の時代の神様よりは強いかもしれないわね。人が知恵をつけるとそのぶん信仰心は下がってしまうから。神様の力は人の信仰頼りの面が大きいの」

 語るギンレイの額には玉のような汗が浮かんでいた。


 ミズメは勾玉と師の顔を見比べた。玉には瑕一つ入っていない。

 師が本気でやっても砕けない石。信じられない。


「でも、うちの水神(ミナカミ)様はもっと怖いかも」

 苦笑いを浮かべるオトリ。

「へえ、オトリのところの神様は、うちのお師匠様以上なのか」

 ミズメは少し険のある口調で言った。

「あ、いえ。怒ると怖いってだけで、今のような力を使ったりは……あんまりしないかな」

 何かを思い出しているのか、オトリの口元は引き攣っている。


「ふたりとも、よく聞いて。旅の目的を一つ追加します」

 師は慇懃に言った。娘二人も座を正す。


「この石を破壊しなさい。ほかの神器でも、陰陽師でも鬼でも物ノ怪でも神様でも構わないわ。手段は問いません」

「宿っているのは、邪神や黄泉神(ヨモツガミ)なんですか?」

「邪気ではないのだけれど、なんらかの“諦めの意志”のようなものを感じる。胸騒ぎがするのよ。最悪……日ノ本(ヒノモト)だけの問題に納まらないかもしれないわ」

「おお怖。だったらお師匠様がなんとかしてよ」

「拾って来たのはあなたでしょう。自分のやったことの責任は自分で取りなさい」

「じゃ、手っ取り早く元の場所に帰して来るよ」

「駄目。そんなものを蝦夷との境に置いておいたら何が起こるか分からないわ」

「もし、破壊できなかったら?」

「そうなったら、宮殿のスメラギに頼んで伊勢や出雲に並ぶほどの神殿を建てて祀るようにお願いしなさい」

「伊勢と同じ神殿を? そんなとんでもないものなんですか!?」

 巫女も声を上げる。


「はあ……分かったよ。大袈裟な気もするけど、なんとか壊す方法を探してみるよ。お師匠様がスメラギの力を借りろって言うなんて、よっぽどだよね」

 ミズメはしぶしぶ承諾し、石を受け取た。

 やはり多少の神性さを感じるものの、ただの宝玉に過ぎないように思える。


 師の言ってることが本当ならば……「ま、それも面白いか」と呟く。


「「面白くありません!」」

 他の二人が突っ込みを入れた。



 ……。



 深夜、ミズメは師の隠処(クミド)より自室へと戻った。

 出発は翌日。部屋には二人分の寝床が支度されている。

 ミズメは男嫌いのオトリに気を遣って、部屋を抜け出す前に自身の寝床を遠ざけておいたが、知らぬあいだにそれは元の位置へと戻されていた。


「おかえりなさい」

「まだ起きてたんだ。また朝に起きられなくなるよ」

 ミズメは彼女に背を向けて寝床へと入った。

「じつは私、朝に弱いので、どっちにしても起きられないかもしれません。水術の早駆けがあっても旅に時間が掛かっていたのも、そのせいだったりします」

 闇の中、照れくさそうな声。

「分かった分かった。毎朝あたしが起こしてやるよ」

「お願いします。ねえ、ミズメさん。今日は本当にごめんなさい」

 声の調子が落ちる。

「何回も謝らなくていいよ。二、三歩歩けば嫌なことは忘れるのがあたしの流儀」

「でも、昔のことは覚えてるんでしょう?」

「まーね。でも、あれはたった数年のことだったし、お師匠様と出逢ってからは軽く二百年以上だ。どんなことでも薄くなるさ」

 実際、あれを思い出したのも久しぶりであった。


「必ずあなたを護りますから。もう、二度と酷い目に遭わないように」

 今度は芯の通った声が聞こえた。


――へえ、可愛いところもあるじゃん。

 師以外にこのように扱われるのは初めてである。敵対か、自身が救世(クセ)する立場が大抵だ。


「当てにしてるよ。それより、明日のことや旅のことを考えようよ」

「石を破壊しろって仰ってましたね」

「そんなのついでだよ。旅先じゃ、面白いものや美味しい食べ物やお酒が待ってるよ」

「でも、私は嫌われてますから……」

「巫女装束の女のひとり旅だからな。あたしはありがた~い山伏の格好をしてるし、山村じゃ、そうは邪険にされないと思うよ。未だに“小角(オヅヌ)”の信者も居るし。畿内に入ったらそうはいかないかもしれないけど」

「オヅヌ?」

「“山に伏せし者”っていってね。山神様を尊んでひとびとを助けた偉い術師だよ。彼は仙人だったとも言われてる。修行者たちが山に登るのはその人の真似さ。仙人はうちのお師匠様でも成り切れなかったし、山神様の領域にわざわざ踏み込んで生活して気に入られるのは簡単じゃない。それでも山伏が霊験を示せば、坊主や巫女の居ない村ではちやほやして貰えるよ。あたしが山伏の恰好をしてるのも、そのほうが便利だからだ」

「便利って、教えを信じているわけではないんですか?」

「そりゃね。坊主や修行僧は珍しくないけど、本当に尊いのなんて一握りだしね。本物の仏さんだって見たことないし。この衣も悪事をしていた山伏からひん剥いたものだしね」

「泥棒じゃないですか。それに、信じもしてない流派の衣を着るのは感心しません」

「お堅いなあ。悪い山伏だって。それに、修行が達せられたら空が飛べるとか、不老長寿になるとかいう話だから、あたしは本物かそれ以上の行者じゃんか」

「人から物を偸むのは間違ってます!」

「はいはい。なるべく控えるよ。悪い奴には容赦しないけどね」

 ここは譲らない。富の再分配は大義なり。背中のほうでは溜め息が聞こえた。


「私も一つお願いをしても良いですか?」

 オトリが言った。


「ん、良いけど」

「もしも私が、昼間にミズメさんにやったように、先走って物ノ怪を倒してしまおうとしたら、止めていただけませんか? これからは少し立ち止まって、考えてから決めたいと思うんです」

「それは殊勝な心掛けだね。ま、あたしたちみたいな物わかりの良い物ノ怪は、よそじゃ多くないかもしれないけどね」

「共存共栄……とまではいきませんが、もしも今まで私が祓ったり滅してきた物ノ怪や鬼にも、哀しい事情を抱えた者が居たのなら……」

 哀し気な声。

「昔のことは気にしてもしょーがないって! それに、オトリの流派には“寿ぎ”があるんでしょ? 寿がれれば怨みを忘れて天へ昇れるって言ってたじゃん」

「そもそも“寿ぎ”は、高天國(タカマガノクニ)が欲しがるほどの霊力か、魂の気高さがなければ成立しませんから。悪霊や鬼にはろくに試しもしなかった……」

「そっか。じゃ、これからはふたりで“善行”していこうよ」

「そうですね……」

 

 ミズメは明るく言い、寝返りを打った。……が、オトリは背を向けていた。


――ま、いいさ。先は長いんだ。


 それからふたりは沈黙に身を任せて眠りへと就いた。



 翌朝。オトリを起こすために月山の一同は悪戦苦闘をした。

 決め手は貂の尾っぽと耳を持った童女テンカの打ち鳴らした鉄鍋の音であった。

 それから朝の高原の澄んだ空気の中ゆったりと過ごし、ミズメとオトリは一同に見送られて、いよいよ里を旅立つ。


「オトリちゃんが寝ているあいだに、衣を新しいものに変えておいたから」

 ギンレイが言った。

「嘘、いつの間に!? 本当、綺麗になってる!」

 オトリは自身の衣を検め、嬌声を上げた。

「随分とぼろぼろだったからね。特別に術の籠った品でもなかったようだし、構わないでしょう?」

「ありがとうございます!」

 勢い良く頭が下げられ、黒い提げ髪がぴょんと跳ねた。

「私は裁縫も得意なのよ。暇だから」

 微笑む銀嶺聖母。

「すごいなあ。巫女の衣装を一晩で編んでしまうなんて」

 自身の紅白の衣装をうっとりと眺めるオトリ。


――あー……あの衣。あたしが行き倒れて死んでた歩き巫女から剥いだやつじゃん。一応、綺麗にはなってるけど……。


 言わぬが華か。苦笑するミズメ。


「じゃ、ふたりとも、しっかりとやるのよ」

「「はい!」」

 元気良く返事をするふたり。


「それじゃ、行ってくるよ」

「お世話になりました!」


 師たちへ背を向け、子供たちの声援と別れを惜しむ声を受けながら、ふたりは新たな一歩を踏み出した。


「あ、そうだ。ミズメ!」

 早々に師に呼び止められ、振り返る。


「オトリちゃんに手を出したら駄目だからね! あ、もう遅かった?」

 師はいやらしい笑みを浮かべている。


「しないったら! じゃ、行って来ます!」

 やや頬を熱くし、土を踏み鳴らすミズメ。


――昨晩はそんな元気も無くなってたの知ってるくせに。大体、師匠はあたしにそーいうこと禁止してるじゃんか。


「私も襲われないように気をつけなくっちゃ」

 オトリまでもが意地悪な顔をする。


 なんだか先が思いやられそうだ。


――でもまた、それも面白きことかな。


 天狗なる娘、水目桜月鳥ミズメノサクラツキトリ水分(ミクマリ)の巫女、乙鳥(オトリ)と共に紀伊国(キイノクニ)に向けて月山を旅立った。

 道中では一体どのような出会いと別れ、珍事が待ち受けているのであろうか。


「よし、お師匠様の共存共栄を頑張って広めるぞ! それから飯と酒!」

 ミズメはこぶしを突き上げた。

「あ、あのそれも良いですけど、ちゃんと私を里まで連れて行って下さいね?」

「分かってるって!」


 ふたりを見下ろす太陽は、仏の笑みのように優しげに光り輝いていた。

 

*****

半月(ハニワリ)……ひとつの生物個体の肉体が雌雄両方の性的機能をもつこと。

勾玉(マガタマ)……石を磨いて作った小振りな装飾品で、9の字の様な形をしている。穴が開けられており、そこに紐を通すようになっている。

救世(クセ)……世の人を苦悩から救うこと。

小角(オヅヌ)……役小角(エンノオヅヌ)。飛鳥時代に生きた術者で、山岳信仰、修験道の開祖とされている。

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