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化かし086 手腕

 一行はシマハハに連れられて食堂(ジキドウ)へと足を運ぶ。

 こちらは岩山の内部ではなく、そのそばに建てられた木造の屋敷にあった。

 岩窟の部屋は、本来は看守の当直のための部屋らしく、実際に獄吏たちが生活をするのはこちらのほうらしい。

 しかし、シマハハは長い期間を独りで切り盛りしていたため、屋敷の全てを私物として扱っていた。


「客人なのじゃから、先にこちらへ案内すべきじゃった。最近は鬼に仕事を任せているゆえ、我が屋敷には誰も足を踏み入れさせぬものでな。膳や器も長らく使っておらぬ物が多くて、清めるのに時間が掛かってしまったのじゃ。しかし、久々の客人ゆえ、張り切ってしまったぞえ。普段は子らの食事は使える子らにやらせておるのじゃが、妾も気分次第では手料理を振る舞うこともある。今日は特に腕によりを掛けて支度をしたゆえ、存分に舌鼓を打つがよいぞ」

 機嫌良く語るシマハハ。


 屋敷は流行りの寝殿造りではなく、簡素な高床と瓦葺きの屋根の古めかしい方式のものが二棟あるだけであった。

 片方は島の母神の隠処(クミド)で、もう片方に座敷があるとのことだが、どちらの棟も瓦が欠けていたり、板が腐ったりしている箇所が見受けられた。


「じつのところ、ここへ送られてくる役人は見放されていると言っても過言ではない。本土から物資が来ることは滅多にないし、使いもおらぬゆえ、こちらから朝廷へ要求を投げ掛けることもできぬのじゃ」

「島から出て直訴したりはしなかったのかい?」

「馬鹿を申すな。妾はこの島獄の鎖ぞ。妾がおらんくなったら、島の子らはみな外へ逃げ出してしまう。孤島ではあるが、所詮は狭い瀬戸内じゃ。浮遊できる

怨霊どもは勿論、水術や氷術に通じておれば海を渡ることも不可能ではない。鬼の胆力なら泳いで渡ることも可能やも知れぬ」

「ここから出たいと思ったことはないのですか?」

 オトリが訊ねた。

「確かに長い生を生きるにおいて、この島は狭すぎる。じゃが、妾の癖は他者と折り合いが悪いようでな。日ノ本も(ズイ)……今は(トウ)じゃったか? まあ、大陸を真似て律令制を採用したようじゃが、それもまた妾の地獄の任とは合わぬじゃろう」

「もしかして、あなたもこの島に……」

「馬鹿を申すなと言ったであろう。妾は任されてこの島に来た。好きでこの島の母を務めておる。ま、死んだと思われておるなら、この島と同様に幽霊のようなものじゃが。そんなことはどうでも良かろう? ほれ、さっさと上がれ。少々壊れておるが、普段から清めと蟲払いくらいはしておるゆえ、楽にして膳を上がるがよい」


 ミズメは一同の様子を窺う。オトリは言うべくもないが、ミヨシやカムヅミマル、仏門の鬼たちも物思いを患った表情をしている。

 囚人たちへの加虐がこの島の鎖たるシマハハを人として留めさしめているのであれば、単純に地獄づくりをやめさせるだけでは解決はしないであろう。

 長きに渡り鬼や悪霊を手玉に取り封じ続けてきた彼女が陰へ堕ちれば、日ノ本の歴史が断絶するやも知れぬ。

 しかし、彼女もまた孤独であり、今やこの日ノ本から忘れられた存在ともいえた。


 糸を手繰れば想定外の絡まりが引き上げられてしまい……ミズメは考えるのを放棄した。


――ま、皆の意見に従うとしようかね。あたしはそれを手伝うってことで。


 自分以外にも、シマハハの所業に難色を示すものがこれだけいるのだ。

 誰かが案を出すであろう。

 身内同士でも割れるようであれば、相方の案に加担すればよい。


「さあ、遠慮なく食べてくれ」

 一同が膳の前に座した。


「……」

 ミズメは膳から視線を逸らし、オトリを見た。


「……あ、あの。シマハハ様」


 オトリは硬直している。


「どうした? 食え。念のために言っておくが、鬼や人の肉を供したりなどはせぬぞ。この島のなけなしの土で育てた野菜と、海で採れた魚じゃ。魚も夜黒に中てられておったゆえに清めておるが、物ノ怪に至っておらぬものだけを選んでおる」


「見たことのない料理ですね」

 カムヅミマルが言った。


「む? 焼き魚に粟飯、野菜の塩漬けではないか。坊やは碌なものを食っておらんのか? それとも、時代が変わり、本土ではこういったものを口にせぬようになったのか?」

 シマハハは恥ずかしげに訊ねる。


「邪気が出ておる」

 ミヨシが箸で皿をつつきながら言った。


「なんじゃ、陰陽師は邪気と煙の区別もつかんのか? 赦せ、その焼き魚は少し焦がしてしまったのだ」

 シマハハはますます恥ずかしげに頬を染めた。


「……」

 ミズメは料理を見なかった。鼻だけが地獄を告げる。

 かつて、洛中で疫病が流行り、路で横死した者が夥しく現れた時、その遺骸をまとめて荼毘に付す光景を見たことがあった。

 その時に嗅いだにおいにそっくりであった。


「硬っ……苦い……」

 オトリは箸で炭のような物体を口へ運んでいる。


「わい、閻魔様に怒られてもええから地獄に帰ろかな」

 牛頭の鬼は膳の前で泣きそうな顔をしている。

「ははあ、シマハハはんは料理でも地獄を参考にしたんやな……」

 無論、馬頭の鬼も手を着けない。


「あの、シマハハ様……。これは食べられません。完全に黒焦げになってしまっています」

「む、矢張りそうなのか。妾は特に気にならぬが……」

 シマハハはそう言うと箸で黒き謎の物体を掴み、口へ運んだ。小気味良いぼりぼりとした咀嚼音が響く。


「旨いではないか」

 幸せそうに目を細める。見せる歯が鉄漿(オハグロ)のようになってしまっている。


「魚を焦がしたまではよしとしよう。だがなぜ、漬物までこの有様なのだ」

 ミヨシが嘆く。

「おお、そういえばそうじゃな。この島はあまり土がよくなくてな。漬物も炙るのじゃ。当時は本土より食料が届けられておったが、痛んでおることも多かったゆえに、何ものにも火を通す習慣が根付いておっての」

「これは流石に、そんな度合でもないと思うけど」

 ミズメはようやく膳をしっかりと見た。器に盛られたのは食べ物ではなく、焦土であった。


「そうか……妾はまた、ずれておったか」

 シマハハがぽつり。


「どうも、ここ最近はなまものが好かんくての。どれだけ火を通してもなまぐさく思えて、徐々に火を通す時間が長くなってしまったのじゃ。迷惑を掛けた。無理に食わんでもよい。炊事場も貸す。材料はまだあるゆえ、そちたちで調理して勝手に食ってくれ」


「それにしても、これを食べても平気だなんて。これも性癖、なのでしょうか?」

 カムヅミマルは識神たちに器を向けた。犬猿雉は逃げ出した。


「料理の手腕が絶望的なだけに思えるけど」

 ミズメは苦笑した。


「シマハハ様は、神気をまとわれていましたよね。それって、いつごろからでしょうか?」

 オトリが訊ねる。


「む、神気か? そうじゃな……ここ十年くらいじゃ。食事がなまぐさく感じ始めたのもそのあたりからじゃな」

「それは、神様に近付いているせいではないでしょうか。人の身から神の身へ近づくと、食べ物の好みが変わるんです。なまものを受け付けなくなったり、果実も青いものより熟し過ぎた腐り掛けを好むようになったり。もともと、火を通す習慣が強かったのなら、ここまでいくこともあるかもしれません」

「ふむ。このような暮らしをしておるゆえ、神よりも仙人に至るかと思っておったが」

「非道を行っても邪気をまとわない純粋さが、神様の性質に近いのかもしれません。ある意味では、鬼の執着に近いものでしょうか。でも、黄泉神(ヨモツガミ)なら逆になまものへの興味が増します。だから、シマハハ様は正しい形の神へ至れるかと思います」

「ミクマリの巫女は、しかと神のよろずごとについて学んでおるようじゃの。妾は術や祓えの腕前には自信があったが、他の巫行の多くは苦手じゃった。得手を生かせぬかと都へ入り、まだ扱うものの少なかった仏学や道教に手を出したゆえ、今や詳しいのはそちらのほうじゃ。長く尼をやっておるが、妾の根は巫女じゃ。それが神に近付けると言われれば、やはり面映ゆいものがあるのう」

 照れくさそうに笑うシマハハ。


「でも、この島が……この島の地獄が邪魔をしています。神様を呼ぶには佑わう地や憑代を清めねばならないのは常識です。今のあなたなら、仕度さえ整えれば神になることができるかもしれない」

「とかなんとか御託を並べて、妾の地獄づくりをやめさせたいのじゃな? そちは妾の所業を憎らしく思っておったようじゃし」

 シマハハが不敵な笑みを見せる。

「はい、嫌いです。大嫌い。たとえ悪人が相手でも、あなたの行いは赦せません。先程のアナミスさんも、どうしようもないかたですが、少し可哀想に思いました」

「甘い奴だな。さすがミクマリの巫女よ」

「……でも、この島に流されてくるようなかたも大嫌いです。悪人へ至るにも事情があろうとも、それは悪事が赦されるかどうかとは別の話です。赦すかどうかは傷付けられた当人が決めること。悪人に虐げられた被害者でも、あなたに手を下された囚人でも同じです。でも、この島は実際、鬼のように邪気をまとい、結界に覆い隠されたまま周りを害しています」

「この島が禍を撒いておるというのなら、島を更に別の結界で覆うか、清めのために朝廷にでも陰陽寮とやらにでも術師を派遣させればよいのではないか? 妾の地獄づくりを頓挫させずとも済むのではないか。それとも、それは詭弁か?」

「そうかもしれません。口では割り切っているようでも、心では納得していませんから」

「ではなぜ、神へ至るのを勧める? この島の神になれば、それこそ妾の意のままぞ」

 シマハハが口元へ浮かべるのは不快感ではなく興味。


「そのほうが、ましだからです。皆にとってましな結末になると思うからです」

「まし? 続きを申せ」

「神様になれば、あなたの行いは“人による他者の虐待”から、“神様の勝手”となります。私は巫女なので、よその神の地での神の行いには口出しをしません」

「言葉遊びだな」

「否定はしません。地獄を解体すればこの彁島(・シマ)の邪気が薄れ、周辺の海域が平和を取り戻します。あなたのおっしゃる不甲斐ない海神の負担も減るでしょう。地獄がなくなればゴズキさんとメズキさんも本物の地獄へ帰ることができます」

「妾は神になるからよいとして、一人では流石に子ら全ての面倒は見れぬぞ? 壊れて大人しくなった者に仕事をさせておったゆえ、地獄がなくなればいずれ人手不足に陥る。神となった妾が人手を作るために責め苦を続ければ地獄へあと戻り。悪くすれば妾も悪神となる可能性があろう?」

「神様には二面性があります。和魂(ニギミタマ)荒魂(アラミタマ)。……ミヨシ様」

 オトリはミヨシを見た。

「俺は上には人材の派遣を進言すればよいのだな?」

「はい。これは、獄吏や世話人というよりは、島民と巫覡に近い形になります。この彁島(・シマ)で暮らして貰い、母神を祀っていただくのです。シマハハ様は和魂として島民を佑わっていただき、罪人へは荒魂で神罰を下していただく。この落としどころ、いかがでしょうか。勿論、シマハハ様が神に至るまでのお手伝いはします」


 愉虐の嗜癖を持つ女を見つめる巫女の横顔。

 それは真剣であり、慈愛であり、憎悪にも見えた。


――良い貌だね。誰がなんと言おうと、あたしもこれを推すよ。


 相方の提案に腹の中で賛同するミズメ。

 しかし、シマハハは「ふむ」と一声漏らすと、悩んでいるのか目を閉じ思案に耽り始めたようであった。


「他に良い手はないと思うけどね。あんた自身が島の守り神になって、地獄になるってことでしょ?」

「妾そのものが地獄か。面白い表現だ、気に入った」

 目を開き無邪気に笑うシマハハ。


「ひとつ気に掛かることがあるのじゃ。妾とそちたちが力を尽くせば、人の身から国津神へ変ずることも不可能ではないと思う。じゃが、妾に神化の提案を投げ掛けたのは、そちらが初めてではないのじゃ」


「他にもいらしたんですか?」


「うむ。最近、珍しい客人(マロウド)が多くての。少し前に子連れの老爺がここへ来た」

「ミズメさん!」

 話を遮りオトリが声を上げる。


「やっぱり、お約束だったね。邪仙とヒサギだ」

 ミズメも舌でくちびるを湿らせ笑いを漏らす。


「知り合いか。あの老爺は邪仙だったのか? ここへ来れた時点で、尋常の者ではないとは感じたが気付かなんだ。まあ、その老爺が神に成るように勧めたのじゃ。連中とではそれが成し遂げられるように思えなかったし、新たな地獄の妙案も浮かんだところじゃったから、断りを入れたが、なんとなく連中のことは引っ掛かっておっての」

神気(カミケ)は感じなかったかい? ふたりは八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を持ってる。月讀命(ツクヨミノミコト)の荒魂入りのね」

「そんな大それた神器を所持しておったのか!? 疑わしいのう、全く気付かなんだ。……あ、いや、済まぬ。来客に喜び過ぎたせいやも知れぬ。客が来ると代わりの獄吏相手でも囚人相手でも、調子に乗って話し過ぎてしまうのじゃ。妾は己の力量にも自信があるゆえ、悪人でも醜女でも平気じゃからのう」

 シマハハは照れくさそうに頬を掻いた。

「いつごろに来たか分かりませんか?」

「この島じゃと(コヨミ)はおろか、季節も分からぬ。日付は不明じゃが……今宵は半月ごろじゃから……来たのは大体、新月のころじゃな」

「新月か。だったら、ツクヨミの気配を感じなくても不思議じゃないね。まだ、大して力を蓄えられていないはずだし」

「ふたりの目的はなんでしょうか? あるいはツクヨミの意思でここへ?」

「じじいのほうじゃないかな。ヒサギは瓶詰めの“なゐの神”を呑み込んで地震を起こしてたから。多分、じじいは神様を封じたり、力を奪ったりする仙術を持ってるんだと思う」

 その術の詳細は師がツクヨミへの対抗策と共に調べると言っていた。

 シマハハが神に至れば帶走老仙(ダイゾウロウセン)にとって益がある。その力を奪う気だ。

 それは母神にとって害であり、ひいてはこの島、海域、日ノ本の害となろう。


「妾を喰おうと考えておったのか? 愚かな。一見すれば好々爺と可愛らしい童男(オグナ)だったのじゃがのう」

「男の子のほうは良い子だと思うよ。じじいが拾って育てたから慕ってるだけだ。だけど、あのじじいは震旦の猿の物ノ怪が仙人に至っただけの小悪党さ」

「ふむ。ならば、再びこの島を訪れた暁には地獄を見せてくれようぞ」

 シマハハが笑い、気を発する。邪気でなく神のそれ。


「ミズメさん、どうしますか? シマハハ様は水術やお祓いの腕前は今の私と同等のようですけど、仙人の不思議な術を相手にすれば、万が一ということもあります」

「そうだね。かといって、地獄も放っておけない。ここはひとつ、“釣り”をしてみるのが良いかもしれないよ。今のあたしの腕前なら、邪仙も雑魚だ。じじいも流石に数月だけで前より腕前を大きく上げてるってこともないでしょ。ヒサギ込みでも“あたしたち”なら問題ないし、ミヨシのおっさんやカムヅミマルも居る」

「最悪、準備をしておけばツクヨミ様が降臨されても手が打てそうですね。ヒサギさんの心のことだけが気掛かりですけど」


「妾にも分かるように話して欲しいのじゃが……。神化は行うということでよいのか?」

「はい。まずは私たちの事情をお話して、それから島のお浄めと……腹ごしらえですね。シマハハ様、一緒にやりましょう。お浄めも、お食事の仕度も」

「そちは気は清らかじゃが、清めの手腕は確かか? ここは地獄以前から黄泉のような夜黒を生むこともしばしばじゃぞ」

「平気ですよ」

 巫女はすまし顔で返す。彼女は地獄見学のさいにも、邪気に中てられることはなかった。

「……じゃが、炊事では妾のほうが邪魔になるだけではないか?」

 焦土を箸で指すシマハハ。

「あなたは、まだ人の身ですよ。黒焦げでなくとも美味しいものはきっと美味しいはずです。ちゃんとしたお食事、長く食べていらっしゃらないのでしょう?」

 巫女が微笑み、手を差し伸べた。


「む……まあ、そうじゃな。地獄もしばらくは休業とするか」

 尼の女は手を握り、頬染める。


――よしよし、これでこそオトリだ。

 女ふたりを眺め、満足と共に頷くミズメ。


「なんや和やかな空気になっとるけど……」

「わいら、めっちゃまずいことに巻き込まれてへん?」

「ぼく、おっかないですよう!」

「観念しろヤソロウ。俺も正直言って帰りたいが、これも日ノ本のためだ」

「えーっと。僕もよく分かりませんが、頑張りましょうね皆さん!」


 上機嫌の娘たちをよそに、男どもは困惑するばかりであった。


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