化かし085 俳優
「ようやく笑ったね。あんまり落ち込むんじゃないよ?」
相方へ笑い掛ける。
「あ、いえそうでなくて。落ち込んではいますけど……ちょっと、無心を験してみてたんです。でも、駄目そうでした」
オトリは寂しげな微笑を浮かべる。
「悪いことだけ感じずに、よいことだけ感じられたらいいのですがね」
カムヅミマルが言った。
「そうでもないと思うわ。悪いことを悪いって知ってるから、良いことをしようって思えるんだと思うの。つらい思いをしても、それはきっと無駄じゃない」
オトリはどこか自身へ言い聞かすようであった。
「むむ……矜羯羅がってきました。やはり善行は奥深いですね」
「カムヅミマルはこの島についてどう思う?」
ミズメは敢えて話の暗い方向から攻めることにした。この幼き才人もまた、シマハハの一件で頭を抱えているはずである。
「正直、驚きましたよ。確かにシマハハ様は霊験のある巫女様で、神聖な気を纏っていらっしゃるのですが、行いは非道そのものです。悪人相手なら僕も太刀を向けることがありますが、無為に苦しませるようなことはしません」
「カムヅミマルさんも人を斬ったことがあるの?」
オトリが訊ねた。
「はい、お役人様に頼まれたときに何度か斬りました」
「人を斬るなんて。まだ子供なのに」
「放っておけば多くのかたが苦しみます。ですが、東大寺の偽僧侶の件以降は、ひとの話を鵜呑みにしないようにしています。魂の色合いを見れば性根もなんとなく分かりますし、なるべくそれを参考にしています。シマハハ様も悪鬼が化けているのかと疑ったのですが、その様子もないようですね。でも、言っても聞いてくれませんし、かと言って強引に止めさせるわけにもいかず、手をこまねいていたところです」
「しっかりしてるね。シマハハはあんたが寝込んでるようなことを言ってたけど、平気そうだね?」
「うーん。実は寝込んではいたんですよ。シマハハ様のことが理解できなくて。考え過ぎて熱が出てしまったのです」
「そう? よくいる曲人って感じだけど。自分のやってることが正しいと根っこから信じ切ってるから魂が穢れないんだ。それに性癖が重なっただけだね」
「性癖……ってなんですか?」
神童が首を傾げる。
「そりゃあ……」
「ミズメさん!」
オトリが声を上げる。子供にそんな話をするなと言いたいのだろう。
「特定の行動に興奮するってことだよ」
ミズメは言った。わざとである。
「興奮……。例えば小枝を投げるとこの“スズシロ”が喜んで取ってくるような?」
識神の白犬を指すカムヅミマル。
「そーいう興奮とはちょっと違うね」
「“ハナコ”がスズシロとよく喧嘩をするんですが、そういった興奮ですか?」
どうやら猿はハナコというらしい。
「そーいうのでもないね。発情ってやつだよ」
「発情! ハナコは雄のお猿を見るたびにお尻を振るのですが、そういった興奮でしたか!」
「そうそう。そういうのだよ」
「あの、雄と雌が! 男と女が交わって!! 子孫を増やす時の興奮でしたか!!!」
童子の声が響き渡る。
「そ、そうだよ……」
振っておきながらちょいと頬が熱くなるミズメ。
「むむむ。謎が深まるばかりです。じつは僕は、シマハハ様が責め苦を行う時に嬉しそうなのが理解できずに悩んでいたのです」
「ああそう……」
「しかしそれなら、素直に囚人のかたを襲ったらよいのでは? 送られてくる囚人はほとんどが男性だと聞きますし、やりたい放題ではありませんか!!?」
カムヅミマルは正座のままこちらに詰め寄って来た。
「いや、あたしに言われても……」
「はっ!? すでに!? まさか今も!?」
鼻息が荒い。
「そ、それはどうかな。女のほうは色々と面倒があるだろうし。それに、性癖ってもんはそういう単純なものじゃないんだよ。普通なら嫌がるようなことで喜ぶ奴もいる。都に住む油小路針麿って貴人はぶたれると喜ぶよ」
「ぶたれると喜ぶ……。普通は嫌ですよね。撫でられるほうが嬉しいのに」
童子が唸る。
「俺は悪霊に撫でられて背筋をぞくぞくさせられるのが好きだな」
ミヨシが何か言った。
「奥が深い。人助けが一筋縄にいかないように、好みにも色々あるのですね」
「人助けと並べるのはどうかな……。シマハハは特に変わり者に思えるね。囚人に対して母親ぶってて、相手が自分の意に沿う反応を示した時にご機嫌になるみたいだったよ。悲鳴も好きそうだったね」
「やはりそうだったのですね。僕が地獄を見せてもらった時には、お顔は嬉しそうだったのですが、お身体は何やら苦しそうでした。しまいには罪人が“お母様”と呼んだのを聞いて、腰を砕いてしまったんですよ」
「それは気持ち良くなってるんだよ。果てたのさ。実際に男と交わるより、そっちのほうが好きなんじゃないかな」
「なるほど。では、音術で悲鳴を繰り返し聴けるようにしたり、僕が子供としてお母様と慕えば……」
――賢いね、それで機嫌を取って地獄をやめさせようってわけか。
ミズメは感心した。
「シマハハ様を果てさせることができるのかな?」
「何言ってんだっ!?」「子供のすることじゃありません!」
ミズメとオトリはふたり揃って声を上げた。
「そうなんですか? 稚児っていうのがあるじゃないですか? 幼くても“そういうこと”をしているらしいですが」
「まあ、そうだけどさ……」
「妙桃寺には小僧や子供は沢山いるのに、稚児はひとりも居ないんですよ。旅の道中で色々なお寺にお世話になると、稚児はよく見るものなんです。僕はありがたがられて手出しはされませんし、なんだか僕だけが遅れてるような気がして」
「なるほど。まあ、“そういうこと”はのめり込むと阿呆になったり病気になったりするから、よしたほうが良いんじゃないかな。大人になってからでも遅くないよ」
「むむ……でも、おじいさんやおばあさんに生きているうちに孫の顔を見せてくれと言われていまして」
「素直な孝行者だね」
「それに、あわよくばお乳の味見ができるかと」
「何言ってんだこいつ」
「僕の育ての親はお年寄りですから。お乳の味を知らないのですよ。それで興味がありまして」
顔を見て話をしていたはずのカムヅミマルの視線が下がった。
「な、なんだよ……」
「ミズメ様、お乳が小さくなっていませんか? 以前はもっと豊かだったような。お子さんをお育てになられたとか?」
「さ、さらしを巻いてるからだよ」
「どうしてそんなことを?」
「どうしてって……邪魔だからだよ」
「最近になって急になんですよ。ずっとそんなことしてなかったのに」
オトリが口を尖らせる。
「なんで怒るんだよ。カムヅミマルもあたしの胸を見るのやめろよ。言っとくけど、お乳は出ないからね!」
「シマハハ様はどうなんでしょうか。あのかたも大きなお乳をしていらしたんですけど」
カムヅミマルはまだ凝視である。
「処女とは言ってましたけど、ちょっと嘘くさいですよね。どさくさに紛れて乳首をつねってやろうかしら」
オトリは憎々しげに言った。
「あんたらに乳へのこだわりがあるのは分かったけど、あんまり変なことして怒らせちゃ駄目だからね」
ミズメはなんとなく胸の袂を押さえる。
矢張り、使えもしないのにあっても邪魔なだけだ。
「これも性癖、なんでしょうか。大きなお乳には興奮しますが、他は駄目なんですよ」
と言ってオトリのほうを見る童子。
「はーい! おしまい! もうこの話はおしまいでーす! 大人になってから確かめましょうね!」
流そうとするオトリ。
「ええんやで」
唐突に、鬼の声が割り込んで来た。
そっちを見れば、胸を張って麗しき大胸筋を見せ付けるメズキの姿があった。
「いいって、何がですか」
カムヅミマルが訊ねた。
「揉みなはれ」
「結構です」
童子はお断りをした。
「ほんなら、こっちはどうや?」
こっちを見れば黒光りした逞しき胸があった。
「わいは牛やから四つついとるで」
ゴズキには乳首が四つあった。乳房までも四つ。普通の倍である。欲張りである。
「そ、そうですか」
短く答えるカムヅミマル。
「ええんやで」
ゴズキが一歩詰める。
「い、一応聞きますけど、何がいいんですか」
「雄牛やから出んけど。吸ってもええで」
「勘弁してください」
「わいは二個やから物足りへんかも知れへんけど……」
メズキは自身で揉みしだきながら詰め寄った。
なるほど地獄の責め苦である。
「は、反省するのでご容赦を」
童子は床に手をついて赦しを請うた。
「子供らしいのかそうでないのかよく分からんな。俺は子供のころから真面目な性分だったゆえ、陰陽寮を目指して勉強と稽古ばかりしておった。元服を迎えるまでは色ごとへの興味など微塵もなかったな」
ミヨシが笑う。
「ミヨシ様は小さなころから立派な志があったのですね。私は、ちょっと不純な動機で巫女に志したんですよ」
オトリは自身の里で行われている結婚の儀への憧れを話して聞かせた。
表情は随分と明るくなってきたようだ。
「ぼくも動機は仕返しでしたけど、自分の力を仲間の役に立てたくて修行中ですよ」
ヤソロウが言う。
「僕は天から賜った折角の力なので、和尚様を見習って人助けに使うべきだと考えて旅に出ました。でも、善行のお礼で裕福になって、おじいさんやおばあさんを楽させてあげたいという気持ちもあったりします」
神童も照れくさそうに言う。
――ありゃ、何も考えてないのはあたしだけかね。
術を習得したのは退屈しのぎの悪戯のためであるし、共存共栄の道も師と同様の退屈しのぎ。
子供時代は先のことなど想像ができなかった。
今でこそ、道の模索を始めているが、それも結局は享楽が目的である。適当に笑って暮らせればそれでよいではないか。
「私は巫女になってなかったら、“俳優”になりたかったかも」
オトリが言った。
「それって、巫女とあまり変わらないような?」
「というより、芸人さんでしょうか?」
「あたしと練習した掛け合いは嫌がってたじゃん。秘伝の燕舞は見事だけどさ」
「えっと、そういうのでなくって、ヒサギさんとアガジイさんがやったような」
「演技がしたいってこと?」
「はい。色々な衣を着て、色々な人になり切ってみたいです。前は、自分は巫女でなかったら何をやってたんだろうって、想像もできなかったんですけどね」
「あたしもこうなるなんて想像ができなかったね。オトリに逢ってなかったら、いまだに受領のおっさん相手に悪戯をしてたと思うよ。てきとーに山伏の真似事なんかしながらね」
「ミズメさんは、“天狗になる”っておっしゃってませんでしたか?」
「なる、じゃないよ。あたしが天狗なの。天狗といえば水目桜月鳥、なんて言われるようになりたいね」
「でも、悪戯はやめてしまいましたよね? 天狗の怪異は人を驚かすことばかりですよ」
「……」
ミズメは目を逸らした。
「ミズメさん? まさか、まだ悪戯を……」
声の調子が低い。誤魔化さなければならぬ。
「おっといけない、寝てたよ。夢を見てた。天狗になる夢」
「むむ……」
「オトリは夢とかないの? 巫女にはなったけど、まだ人生は長いでしょ? オトリ的にはこの先どうなりたい?」
「そっちの夢? そうですねえ……。私は“幸せになりたい”かな」
「なんだかふわふわしてるね」
「えーっとですね。上手く言い表せないんですよ。私的にはね……こう、私が居て、ミズメさんが居て、皆が居て……。なんて言ったらいいのかなあ」
腕を組んで首を傾げる相方。
「あ、分かった」
「分かりました?」
「あの、あれでしょ。オトリはほかの皆と比べて……相対的に幸せになりたいんでしょ!」
「相対的に? 小難しい言葉、どこから出てきたんですか!? 皆が不幸なら私は幸せ~みたいな!? 私、そんなの嫌ですよ!」
「違った?」
「違う違う、絶対違いますよ」
「じゃあ、絶対的に?」
「なんですか絶対的にって。私が幸せならそれでよし! みたいなもの好きませんよ」
「いやいや、そんなもんじゃないよ。もっと凄い。オトリが言う“絶対”なら、ちゃんとほかの人も幸せ」
「どんなのですか?」
「例えば、隣のうちで無事に赤ん坊が生まれた。ああ、幸せ」
「ああ、それは幸せですね」
「例えば、巫行でくたびれたけど、依頼主の笑顔でご飯が美味しくなった。ああ、幸せ」
「水術を使ったお仕事のあとだと、尚更に美味しいんですよね」
「おにぎりを落っことしてしまったけど、犬が拾って食べて幸せそうだった。ああ、幸せ」
「えっ、うーん。……まあ、幸せとしておきましょう。わんちゃんは可愛いですからね」
「飴玉を落っことしてしまったけど、蟻が寄って来た。ああ、幸せ」
「無理ですよ! 割り切れませんって! っていうか、蟻さんが来ると幸せな人みたいじゃないですか!」
「この行列は良い行列ね~。たまらないわ~」
「特殊過ぎますって! 私、蟲は苦手なんですよ。蟻さんも嫌い!」
「じゃあこう? 飴玉の怨み! 木の枝で巣をほじくって、水術で水没させてやるわ!」
「嫌いでもそんな酷いことはしません! 私なら蟻さんに取られる前に拾って食べますよ!」
「意地汚いなあ。おっ、この飴玉、ちょっと酸っぱくて美味しいぞ。口の中がちょっとちくちくするけど……」
「食べてる! 蟻さん食べてる! ちゃんと洗ってください!」
「洗ったら飴玉無くなった」
「洗いすぎ!」
「なんか手がべたべたする。ほら」
「私になすり付けないで! もう、そんなの全然幸せじゃないですよ。もっとこう、皆が笑ってるようなのが良いんです」
「だったらそう言いなよ。そういうのだったら、あたしは得意だよ。一緒に幸せになろうよ」
ミズメはオトリの両肩を叩く。
「えっ!? い、一緒にですか?」
オトリは赤くなった。
「そうだよ。オトリだってさっき、あたしの名前挙げてくれたでしょ? ほら、幸せになりたかったらあたしの真似をして」
「真似をしたら良いんですか?」
「そう、簡単だよ。笑うだけ。笑えば幸せ。あたしが幸せを演じてみせるから、オトリがそれを真似する。皆がお互いに真似してやれば、皆幸福だ」
「良いですね。相互的にね。相互的に幸せになりましょう」
「じゃ、行くよ……あっはっは!」
ミズメはオトリを指差して笑った。
「あっはっは! ……って違う! 笑うの意味が違う! 馬鹿にしてる!」
「いーひっひっひ!」
「なんですかその笑いは! 嫌ですよ! 里の皆がいーひっひっひとか言ってたら。病気じゃないですか。よその人が見たら呪いかと思いますよ」
「うふふ」
「面白くない! ミズメさんはふざけすぎです!」
「えへへ」
「なんで照れてるんですか! 褒めてませんよ!」
「おほ……」
「おほほもなし! おほほってなんですか!?」
ミズメはオトリを指差した。
「意味分かんないですよ! 私はおほほじゃなくてオトリです!」
「わがままだなあ、だったら、オトリ的にはどんな笑いが幸せ?」
「私的にはこう、わーい! っていうのより、静かに安心して微笑んでいられるのが幸せですね」
「じゃあ、あれだね。オトリがよくしてくれるやつ。ぎゅっとされると安心するよ」
ミズメは両手を広げた。
「……えっ!? 今ですか? みなさんが見てますよ」
「いいじゃんいいじゃん。幸せになろうよ。ミズメ的にもこれが幸せ。オトリ的には幸せじゃないの?」
「も、もうっ……仕方ないですね」
オトリは懐から櫛を取り出し、髪を整えた。
それからいつもと違って遠慮がちに飛び込んでくる。
「やーい、女同士で抱き合ってらあ! 皆が指差して笑う!」
「あっはっは! ……って、いい加減にしてくださいっ!」
オトリが突っ込むと一同は笑った。
「どうも、ありがとうございました~」
「ありがとうございました~……ってこれ掛け合いしてたの!?」
「そうだよ。笑ってりゃいいことあるよ。あたし的にはそう」
歯を見せ目を細めるミズメ。
「順序が逆じゃないですか」
と、言いつつも吹き出す相方。
「相変わらず仲が良いな。そのまま鵜抱をして、もつれ込むかと思ったぞ」
ミヨシはにやついている。
「接吻なんてしないよ、あたしたちは女じゃーん」
「また男だ女なんて言う」
「僕は女性同士でもいいと思いますけど」
カムヅミマルが何か言った。
「一応わしらのところでは、普通の男女の交わり以外はなんでも邪淫とされとるな」
「せやから坊主はんも大体は悪見処に落ちて来よるんや。なんや女相手やなかったらかめへんなんて言い訳つけとる奴もおるけど、閻魔様は見逃さへんで。そっちは多苦悩処に落ちて、お相手さんが燃やされるのを見せられるんやでえ」
地獄の鬼が業務用の憤怒顔で言う。
「女性同士でも地獄ですか?」
オトリが訊ねる。
「それは特に決められてへんけど、尼さんでも大抵はなんかに引っ掛かって地獄には来るなあ。なんにしろ、生きてりゃ地獄行きの条件には触れるもんやし、ええことやって帳消しにできるように努めるほうが大事やで」
「なるほど……」
――んん? あたしの身体じゃ、何をしても地獄行きになりそうだね?
まあ、そうでなくとも地獄行きであろうが。
「先程の性癖の話。例えばですが、シマハハ様は他人が苦しむのを見て喜ばれるようですけど、自分自身がいじめられて喜ぶかたの場合でしたら、地獄は極楽になってしまうのでしょうか?」
カムヅミマルが問う。
「せやねん。滅多におらんねんけど、そういう奴もおるっちゃーおる。終始幸せそうやねん。それで全然反省せんから浄化もされんし、ずーっと地獄に居座りおるねん。那由多の未来にはそんな奴ばっかが地獄に残っとるんとちゃうやろか……」
「シマハハはんは“そっちの気”は今んところないようやけど……」
鬼たちが溜め息をつく。
「どうしたもんかね。地獄をやめさせるのは難しいよ」
ミズメはオトリを元気づけることに成功したものの、話がすっかり逸れてしまっている。
この難事はまだ何も解決していない。
「こっそり地獄を解体してきましょうか? 僕は気配を消す術を使えますよ。自分だけでなく、他のかたにも使える便利なものです」
カムヅミマルが提案する。
「へえ、仙術かい?」
「いいえ、仏様の御加持です。衣を全部脱いで、肌に直接お経を書くのです。すると、霊感の感知や悪霊の視線から逃れることができます」
「え、遠慮しとくよ」
カムヅミマルはまたもこちらの胸元を見ている。
「どうにかするっちゅーても、あの姐さんはなかなか手放してくれへんやろなあ」
「せやな。わし、なんやちょっと“おかん”を思い出すねんな」
「あー、わかるわー。シマハハ名乗っとるだけあるわな」
「ふうん……地獄の鬼さんにもお母さんが居らっしゃるんですね」
「怒るとめっちゃ怖いで。ほんまは優しいねんけどな」
鬼たちは苦笑いである。
「待たせたな。食事の支度ができたぞ。妾が腕を振るって作った傑作じゃ。食べに下りて来い」
噂をすればなんとやら。シマハハが機嫌良さげに顔を覗かせた。
*****
俳優……面白おかしい芸や技を披露し、神や人を喜ばせる行為や人。
鵜抱……抱き合いくちびるを合わせること。平安中期の書物にはすでに口と口とのキッスを意味する言葉があった。
悪見処……針山の衆合地獄のひとつ。他人の子供に手出しをした罪を犯すとここへ落とされる。自分の子供が串刺しになるのを見せられるのだとか。
多苦悩処……こちらは男同士で愛し合うと落とされる地獄。愛のお相手が焼き尽くされるのを見せられるらしい。
おかん……母親。




