化かし008 借寿
「今は昔、大和国が飛鳥にスメラギノミコトがおわしたころ~」
琵琶を手にした銀嶺聖母が歌うように語り始めた。
「じゃかじゃん!」
なぜか琵琶ではなくミズメが合いの手を入れた。
白き女が語るは、これより時を二百うん十年も遡った日ノ本の惨状。
冷害、虫害、日照りに旱魃、大雨洪水。日ノ本全土の度重なる飢饉により、税で贅を成す都もまた死屍累々の様相であった。
当時の朝廷は現状を打開しようと各地に貯えた食料や薬を配布し、伝来して年月の浅い仏教の霊験に与ろうと僧侶を珍重し、人手の確保を兼ねて大赦を繰り返していた。
しかし、病が蔓延り、飢えた民と赦されし罪人が新たな禍をばら撒き、死霊と生霊の怨みの力が魑魅魍魎を跳梁跋扈させた。
さらに、都の窮地を好機ととらえた者どもが各地で乱を起こして殺し合った。
力のある氏族や宗教の信奉者は被征服者を護ることよりも、修行による開眼や、今でいう即身成仏を試みて、現世の苦悩から逃れることばかりに躍起となった。
それも致しかたなし。世が混迷の極北に至ると、人々はもはや種としての未来ではなく、目先の生ばかりに囚われるようになる。
さすれば、割を食うのは弱者。老人は大陸より伝来した儒教精神にて辛うじて護られていたものの、多くの子供たちが犠牲となった。
死ぬまで働かされ、肉を喰らわれ、魂を偸まれ、産み落とされては野山に打ち棄てられた。
ただでさえ幼子を育てるのに窮する時代であったが、ある地で“忌み子”が誕生した。
“生まれながらにして、歯の生え揃った”女の赤子。
生を受けた地はそれほど貧しくはなく、子も五体満足の健やかなる身であったが、口内に立ち並ぶ不気味な白を忌避した親は赤子を捨て去ってしまった。
「せっかく授かった命なのに」
憐憫の心持ちたる巫女が呟く。
無論、忌み子であろうとも愛が勝るのも珍しくはない。
しかし、親がよくとも仲間が許さぬ。忌み子を抱えれば全ての凶事の根を押し付けられ、親は責めらる。
村が見逃せども、国に知られれば村が見放され、道繋がる先で病よ蟲よと恐れられ、いずれは里ごと泯滅の途を辿る。
けだし、死の枝葉が広がる前に胤のうちに滅するが慈悲というものであろう。
打ち棄てられた赤子は鳥獣の腹へ納まるのを待つ身であった。しかし、幸運なことに行きがかった家富ける老翁が拾いあげ、養育を始めた。
揃い歯の娘はすくすくと育ち、死の運命より逃れることができた。
だが、彼女を待っていたのは死よりも厳しき生。
老翁は邪仙であった。
邪仙とは妖しげな術を繰り、人々の心惑わし、淫奔の限りを尽くし、無限の生と酒池肉林を求める鬼も眉をしかめる最悪の存在なり。
糞爺は娘を犯し、殴り、金のために他者へ宛がい、彼女が死に瀕すれば有り余る富と、自ら編み出した呪法によりその肉を生き長らえさせた。
魂魄が黄昏に染まるのを見れば、その陰ノ気を呪術に転用し、怨み辛みを奪われた娘は化生となることさえも許されなかった。
無間地獄のごとき生。
だが、娘は元より希望や幸福を知らぬ身であったゆえ、その過酷な生を歩み続けることができてしまった。
彼女自身も醜き翁の命ずるままに邪淫に耽り、物を偸み、人を嘲った。
いつかは手を朱に染め、このまま邪仙と共に果てなき魔道を行くかと思われた。
ところがある日。その地獄へ白き糸が下ろされることとなる。
西の大陸にある震旦より渡って来た白髪赤眼の女。風を読み地を聴く不思議の術師。
その名は銀嶺聖母。仙術に長けた彼女は行きがかりに邪仙を討ち、娘を暗闇より陽の光のもとへと引き上げたのであった。
そして彼女は娘に汚辱に塗れた名を捨てさせ、愛と道義を説き、美しき自然より拝借した水目桜月鳥なる名を与えたのである。
「はぁ、べんべん」
ミズメが口頭で合いの手を入れた。
「……」
オトリは絶句している。
「だから、あたしはお師匠様のことが大好きだし、間違ってるなんてこれっぽっちも思ってない。オトリも信用していいよ」
ミズメはへらへらと笑いながら言った。
「そんな目に遭ったから物ノ怪に? てっきり人間より物ノ怪のほうが便利がいいから仲間入りをさせたんだと思っていました」
「仲間入りをさせたのは事実よ。この子は、繰り返し魂魄を染め変えられて消耗していたから、人としての寿命が残っていなかったの。幸福を何も知らないうちに死んでしまうのは哀しいわ。悪人や坊主だって少しくらいは私欲を満たしてるっていうのに。だから、借寿ノ術を用いて、他の生物から寿命を移し替えて生き長らえさせることにしたの」
「他の生物って?」
「その辺に飛んでた鴉や鳶ね。連中は都の路傍の死肉を喰らって異常に増えてたし、増えた鳥が他の動物や人を襲ったり、畑にまで手を出してたから手頃だったのよ。駆除ついでに魂を移し続けたから、ミズメの寿命は人と比べて遥かに長いものになったわ。それで、人の魂と鳥の魂が混じり合ったから、身体のほうにも影響が出たの」
「あたしの背中には翼があるでしょ? 嘴じゃなくて良かったよ」
そう言ってミズメは背から鳶色の翼を生やした。室内で広げたものだから、羽根先がオトリの顔をくすぐってしまった。
「もしかして、さっきの子たちに耳や尻尾があったのも……くしゅん!」
「そう。あの子たちは人里に迷惑を掛けていた化け貂を懲らしめたときに、罰として寿命を頂戴したぶんを分けたわ」
「でも、その……他人の寿命を奪うなんて」
「潔癖ね。獣を殺して食べることと同じよ。植物にだって命も霊気もあるし、僧侶には穀物を避ける人までいるけど……。どうしても命を奪うのを避けたければ、木の実と獣の乳だけ借りて生きればいいかもしれないけど、オトリちゃんにはできて?」
「難しいと思います」
「それでも、一方的に借りてるだけじゃ搾取してるのと変わらないし、欲を抑えて他者に尽くせば搾取されてる側に回るようなもの。共存共栄を語るには片手落ちになってしまう。でも、奪って殺したとしても、集団としてみれば上手くやれてるということもある。どこかに答えがあるかもしれないけど、難しいことなのよ」
「その線引きって、誰が決めるんでしょうか?」
「分からないわ。私も長く生きてるけど、目の前で起きたことで信念が揺らぐ時もあるし。本当に何にも動じなくなれば、愛も幸福も求めなくなってしまう。答えなんてどこにもないのかもね」
そう言って白い髪の女はミズメの黒髪を撫でた。
「へへ……だからあたしたちは目に見えて不幸な人を助けたり、親に見放された子供を攫ったりしてるってわけ」
ミズメが目を細めて言った。
「そうだったんですね。さっきの子たちも長生きなんですか?」
オトリが訊ねる。
「残念ながら、そうでもないの。借寿ノ術も好き勝手に寿命を移し替えられるものじゃないの。魂同士の相性があるし、元の生物が霊的に発達してなければ大した足しにならないし、元の生き物を殺してしまうところまでは奪えないの。もちろん、術に抵抗されることもあるわ。ミズメは数千数万の野鳥から寿命を借りたけど、それでも生きて数百年というところかしら」
「じゃあ、あの子たちはどのくらい? 皆、長生きなんですか?」
「持って十年かしらね。化け貂くらいになると私の術に抗えるから、罰として本人が了承した分だけ頂いたのよ」
「結局、長生きはできないのですね」
オトリが溜め息をつく。
「都じゃ女は三十年生きれば良いほうだよ」
ミズメが言った。
「もともと、自然の摂理に反することだからね。少しずるをさせて貰ってるだけ。移し続ければ長く生きるのは不可能じゃないけど、拾って来た子供の全てが長寿だと際限のないことになっちゃうし、他の生命への搾取も積もり続ける。何より、生が長くなるほど退屈や不幸も増えてしまうでしょうしね。元は幸せを知らないままに終わる命への慰めとして始めたことだから、あの子たちも長生きはできなくとも、ここで幸福に満たされて終われるのなら、悪くないと思ってるわ。事実、うちの子たちの魂は死後も綺麗よ。別れが訪れるのは寂しいことだけどね」
「幸せになりたきゃ仏門を叩くよりも、うちに来たほうが楽ちんで手っ取り早いよ」
ミズメは意地の悪い笑いを浮かべてやった。
「……」
オトリは複雑な表情でこちらを見つめている。
「あの、ギンレイ様。ミズメさんのその性格も、鳥から魂を借りたからですか?」
「ううん。この子はもともと馬鹿だっただけ。鳥ってあなたたち人間が思うより、ずっと賢いものよ。ま、この性格があったからこそ、私と出逢うまでやっていけたんだと思うわ」
ギンレイは苦笑いだ。
「ま、あたしはもう忘れちゃったけどね。昨日の不幸より明日の飯の心配。明日の心配より今日の幸せ!」
ミズメは元気良く言った。
「ということで、難しい話はここまでにして、夕餉にしましょう。オトリちゃん、さっき子供たちのことを見て、可愛いって言ってたでしょ?」
「は、はい……」
オトリは頬を染めた。
「今はあの子達だけだけど、さっきの赤ん坊もあんな感じになるわ」
ギンレイは白い歯を見せて笑う。
「可愛いのがたくさん……」
巫女は阿呆のようにぼんやりとた。
「オトリ、涎垂れてるぞ」
「うっ、いけない!」
赤面し袖で拭う娘。
それから、表情を引き締めて、「ミズメさん、ごめんなさい、信じてあげなくて。もし宜しければ、私のことを里まで送ってください」と謝り、「いいよ、あたしたちは友達だからね」とお互いに手を握り合った。
さて、ギンレイの手にした琵琶は特に弾かれることもなく片づけられ、ミズメの過去語りは終わった。
それから、里の物ノ怪たちが屋敷に集まり、里で育てたり、山で採集してきた品から作った馳走が振る舞われた。
ときおり、握り飯や汁物に獣の毛や羽毛が混じっているのが玉に瑕であったが……オトリは久しぶりにまともな膳にありつけたのがよっぽど嬉しかったと見えて、嫌な顔一つせずに平らげた。
骨折の治療によって腹をすかせたミズメもしっかりとおかわりをした。
オトリは食事を終えるとテンマルやテンカと、普通の人の子と接するように遊ぶ姿を見せ始めた。
「仲良くやってるみたいだね。あんなに物ノ怪を毛嫌いしてたのにさ」
ミズメは子供の歌謡に手拍子を合わせるオトリを見てほくそ笑んだ。
「余計なことを言うんじゃないわよ。あの子はあの子の旅で色々あって擦れちゃってるんだろうから」
「オトリも本当は良い奴だよ。ちょっと人が好過ぎるけど」
「あの子のこと、気に入ってるみたいね。珍しいじゃない。いつもなら先に死んじゃうからって友達は作りたがらないでしょ?」
ギンレイが訊ねる。
「なんとなくかな。あたしでもよく分かんない」
「そう。まあ、あなたがそう思ったのなら好きにしなさい。その代わり、必ず里まで無事に送り届けてあげるのよ」
「うん」
「オトリちゃんの里ってどこって言ってたっけ?」
「紀伊国の隠れ里だって」
「紀伊か……」
ギンレイは一瞬、不安気な表情を見せた。
「紀伊国がどうかしたの?」
ミズメは師の表情に鬼胎を抱く。
「ううん。それより、都に寄ったらお土産を持って帰ってきてちょうだいね」
「まかせて。何か流行りのものと、珍しい識神や物ノ怪でも捕まえて帰るよ」
「気色の悪い化け物は勘弁してね。なるべく可愛いので。それと、しばらくここを離れるのなら、あとで私の隠処に来てね」
「いつものだね」
「この前の満月のときはすっぽかしたでしょ。ずっと待ってたんだから」
「ついうっかり。じゃあ、先に湯に浸かってくるよ」
ミズメはそう言って座敷を立った。
月山は火山である。
最後の噴火は人が毛皮をまとい石を用いていた、遥かいにしえの時代と言い伝えられているが、その地下には今も暖かな水脈が連綿と流れ続けている。
先日にミズメが湯治した場所と同じように、この里にも温泉があった。
――いやしかし、面白い拾い物をしたもんだね。
湯に浸かりながら、自身の右胸を押す。乳房の肉が手のひらに押されてたゆむが、その下の骨に痛みは一切感じない。
古流派の水術師。存在は聞いたことがあった。恐らく見かけたことくらいはあるだろう。巫覡は不用意に流派の秘技を見せないものだ。
その真の力は恐るべきものだった。自身を容易く打ち負かすだけの術力に、各地で人知れず禍事を解決してきた巫力。
自ら問題へと首を突っ込んでいくその性格と相まって、里へ送り届ける道中も、きっと面白いことが沢山起こることだろう。
――それに、あいつもやっぱり、幸せにならなきゃな。皆のために頑張ってるのに、しょぼくれた顔をしなきゃならないなんて、良くないよ。
自身の不幸と天秤に掛ける卑しいことはしないが、オトリも紛うことなく不幸の星のもとに生まれている。
師の前では老翁との過去を忘れたふりをしていたミズメであったが、そのじつ、心へ刻まれた惨忍事が消えるはずはなかった。
これまでは自身の手の届く範囲で人助けをして、気に入らぬ老人を叩いて慰みにしてきたが、これを機にその翼を遠くへと広げてみるのも悪くないと考えている。
全国行脚も、暇潰しのための観光では馴れたものであったが、師以外の者と連れ合う旅となれば、また違った趣があるだろう。
ミズメの胸は希望で満ち満ちて、張り裂けんばかりとなっていた。
「はーあ! 楽しみだな!」
背伸びをして空を見上げる。一面の星空に立待月が煌々と輝いている。
旅に想いを馳せていると、どこからか薄雲が流れてきて月明かりをおぼろに変えた。
「立待に 惑う燕と 徘徊る 真幸く道と 希いけり ……なんてね」
ひとり歌を詠むミズメ。
「失礼しまーす」
湯気の向こうから人の声がした。オトリである。
「えっ!? ちょっと、今はあたしが入ってるんだけど!?」
ミズメは慌てた。
「ギンレイ様が一緒に入って来いって。別に構わないでしょう? 女の子同士なんだから」
白んだ視界に娘の生の肢体が現れる。巫女は放ち髪を解いて、腰まである豊かな黒を湯に浮かべた。
「こ、困るよ!」
ミズメは首まで湯に沈んだ。
「どうして困るの? 照れてるんですか?」
オトリはにこにこしている。
「だ、だって、あたしは化け物で、あんたは人間の娘じゃんか!」
「ええ? 人には散々文句を言っておいて。ギンレイ様の話はちゃんと信じてますよ。私だって寿ぎの技を持つ巫女です。人の魂の具合ぐらい視えますから。あの赤ちゃんが、本当はもう駄目だってことも分かってたんです。でも、つい意地を張っちゃって……」
――そういう問題じゃないやい。まったく、お師匠様は何を考えてるんだよ!?
「ね、ミズメさん。これから宜しくお願いしますね。これまで、ひとりぼっちでずっと心細かったんです。旅をなさるかたって大抵は男の人ですから。そういったかたと道をともにすることもあったんですけど、夜になると私のことを襲おうとしてきて! 皆ですよ!」
湯に入って間もないというのに、のぼせたように声を荒げ始めるオトリ。
「でも、お師匠様はあんたが処女だって言ってたけど」
「そりゃあ、始めから疑うようにしていましたし、水術で水の天幕を張ったり、襲って来た男性のかたを投げ飛ばしたり、握り潰したり」
目を閉じ、胸に手を当て語るオトリ。
「そ、そっか。あたしも気をつけるよ……」
ミズメは水術師からやや距離を置いた。
「どうして逃げるんですか? でも、ミズメさんも気をつけないとですね。仕草は男の子みたいですけど、胸のほうは結構……」
オトリがこちらへと接近する。
「駄目だって! 危ないんだから!」
「危なくありませんって。ギンレイ様のほうは危険なくらいおっきかったですけど……。良いなあ、うちの家系ってみんな胸が貧弱で」
オトリが胸に向かって手を伸ばした。
「駄目だって言ってるだろ!!」
ミズメは悲鳴を上げ、逃げるように立ち上がった。
「えっ?」
オトリが声を上げる。
露わとなった天狗なる娘の股座。
なんと、そこには“あるはずもない物体”が首をもたげていたのであった。
*****
大和国……奈良県辺り。
けだし……思うに。考えるに。
大赦……恩赦の一種で国に関わる凶事や吉事が起こった際に、天皇や王が罪人の罪を免除し、天に徳を示す行事。
震旦……中国の古い呼びかた。
隠処……夫婦の寝床。
立待月……満月の翌々日の月。
天幕……テント。
今日の一首【ミズメ】
「立待に 惑う燕と 徘徊る 真幸く道と 希いけり」
(たちまちに まどうつばめと たもとおる まさきくみちと こいねがいけり)
……立待の月に、迷い燕とする遠回り、幸せの多い道になりますようにと願う。袂分けてもたちまち仲直るふたり、この先の彼女たちの関係はどう変じてゆくのであろうか?