化かし078 鳥子
「あいつらも明るくやったほうが喜ぶ。おめえにも鬼の流儀が分かってきたようじゃのう」
シュテンが笑う。
「うちは分かってて意地くさっとるんやに!」
オトリは腕を組むと、どかりとミズメの膝の上に腰をおろした。
後頭部が顎に当たり、彼女のにおいを感じる。
「なんであたしの上に座るんだよ……」
問うも返事はなし。
「ははは、ミズメが尻に敷かれとる。おめえらはずっとふたりで旅をしてきたんだってな。善行だの共存共栄だの言うとったが、それだけが目的か?」
シュテンが問う。
ミズメはちらとハリマノカミを見やる。毛色の違う視線に気づいたか、視線が投げ返された。
陰陽寮の実力者の反応が心配で例の勾玉の件は伏せておいていたが、追悼の酒盛りへの態度からみて杞憂やもしれない。
「このさいだから、話しておくかな。ちょうど、耳に入れておいて欲しい人間もそこに居るし」
ミズメは掻い摘んで迷子との出逢いから、月讀命の八尺瓊勾玉と帶走老仙を巡る話を白状した。
「あの勾玉は矢張り、そのような品であったか。しかも荒魂とはいえ月神を剋し、勾玉を奪われた……」
ミヨシは額を押さえた。
「うへえ。おめえの師匠とオトリは月の神様を斃したのか。なるほど強いはずだ」
勝負好きの鬼もさすがに舌を巻く。
「邪仙……。仙人の術書には目を通したことはあるが、実物と会ったことはないな」
――ハリマさんは特に咎める様子はないかね?
「邪仙は言うまでもなく日ノ本や陛下に害をなすであろう。見つけたら、斃してしまってもよいのだな?」
無表情が訊ねる。
「あたし自身の仇打ちは終わったからね。そうして貰えると助かるけど……」
気に掛かるのは邪仙の扶養する楸少年のこと。
「ヒサギとやらのことが少々気に掛かるな」
ミヨシも同様らしい。
「その少年は、人なのかそうでないのか曖昧であるな。仙人のおもしろき術が絡んでるか」
ハリマノカミは表情を崩し、何かを吟味するかのように顎を撫でた。
「ねっからおもろないやん!」
オトリが声を上げた。立ち上がり、ハリマノカミの前へ行き、腰に手を当てかがんで鼻先を突き合わす。
「おい、安倍晴明!」
「近い……」
「うちらの共存共栄には文句つけとったけど、自分の正義はどうなん?」
「正義のもとに邪仙は誅する。勾玉も然るべき処置をしよう」
「ヒサギさんのことみじゃいたらあかんで。お父やんも、お母やんもおらんし、可哀想やんなー?」
「安心するがよい。その少年を無碍に扱う気はない。一応はそなたらの共存共栄の活動を認めておるからな。まあ、その術に依らない大力が破竹に敵うかには興味があるな。それが人の身ではない傀儡であるならば、“みじゃいて”仕組みを調べるやも知れぬが」
「なんやろ……話し合わへんわー」
オトリは肩を落とし、隣へと戻って来た。
「ま、そういうことだから、あたしたちの尻拭い、頼むよ」
ミズメはハリマノカミを拝んだ。
「尻拭いか。そなたらも巻き込まれたように思えるが。……まあ、あまり期待はしてくれるな。立場があるゆえ身動きも取りづらいし、なによりその帶走老仙とやらが不用意に私のそばに現れることはないように思える」
「確かにね。前と同じ条件でやったら、あたしらだってもう負ける気がしないし」
「ここへ来たらぶちのめしてやるぞ。人を無理矢理押さえつける奴は気に入らねえ」
シュテンが言う。
「鬼がそれを言うのか?」
苦笑するのは鬼の陰陽師ホシクマである。
「それとこれとは話が別だ。ま、その邪仙や童と力比べをしてえってのが本音じゃが。ミズメとは盃を交わした仲じゃし、俺もちったあ気に掛けておいてやるよ」
「うん、ありがとう。……さて、あたしたちは今日はもう休むかな」
ミズメは立ち上がる。
「なんじゃ、宴はまだこれからじゃろ?」
「いやさ、あたしも飲みたいのは山々なんだけど……」
隣で正座するオトリを見下ろす。
何度か酔わせてみようかと企んだこともあり、成り行き上、酔った彼女の奇行を楽しむ気でいたが、あとを考えるとそろそろ引き上げておいたほうが無難に思えた。
――醒めても覚えてるたちだったら、さすがに可哀想だからね。
苦笑するミズメ。
相方は絡み飽きたか宙を指差してなんぞけらけらと笑っている。そこには生き物も霊的な存在もない。
「ほら、オトリ。そろそろ寝るよ」
肩を叩く。
「急かんといてーなー。まだ三日月さん、沈んだばっかやにー」
「飲み過ぎだよ」
「いーやっ! うち、一口しか飲んどらんやん! ミズメさんばっかり、いつもずっこいやん!」
やんやん言うオトリ。一口とは言ってはいるが、盃は何度か回されている。
「オトリはこうなっちゃうからお酒を避けてたんでしょ? 」
「お酒を避ける! あはははは!」
「別に上手く言ったつもりはないよ……」
「上手やにー!」
笑いながら茣蓙の上に転がるオトリ。
ミズメは仕方なしに彼女を抱き起こしてやろうとする。完全に力を抜いているようでいやに重い。
「今度はオトリが介抱されとるのう」
シュテンが笑う。
「今度は? ミズメも羽目を外すことがあるのか」
ミヨシが問う。
「こいつはタルクマと酒飲み勝負をして負けてぶっ倒れたんじゃ。オトリも中々の世話焼き上手じゃったが、ミズメも良い妻や女房になれそうじゃのう」
「シュテン様も倒れてみませぬか? 妾が介抱して差し上げますから……」
イチジョウが何か言った。
「ミズメさんはなー……。お嫁さんちゃうんやなー……」
――げっ。
嫌な予感がする。半陰陽のことを口にするのではなかろうか。
「お婿さんやにー」
けらけらと笑うオトリ。
「ミズメは女であろう。一度、男装したこともあったか」
「そ、そんなこともあったね。ほら、あたしってやってることが男っぽいしね」
「性根のほうも男らしいしのう」
「あはは! 性根……。ミズメさんはさー、性根だけやなくてなー、身体も男なんやわー」
「相当酔っ払っちょるのう。早く寝かせたほうが良いんじゃねえか?」
「構へん! うちは酔ってへんやん! ミズメさんには“根っこ”がついてるやん!」
ミズメは相方に唐突に強い力で引っ張られて倒れ込んでしまう。
「ちょっ、ちょっと勘弁してよ!」
組み敷かれるミズメ。
「見せりー! 摩羅を見せりー! 水目桜月鳥!」
衣の袂を引っ張られる。尋常ではない大力。これはいけない。さては水術か。
「やめろって! 衣が破れる!」
抵抗するも胸元が涼しくなってしまう。
「……おっぱいやん」
オトリが胸に顔を埋めてきた。
あまつさえ、胸の尖端がくちびるの餌食になってしまった。
赤子でもあるまいにと会場は大爆笑に包まれた。
かつて、邪仙に命じられて春を鬻いだ時に“そういう趣味”の坊主も居たことが思い出される。
乳なぞ働く下女の横にいればいつでも見られるようなものに興味を示すのにはいささか疑問が沸いたが、ぶたれて喜ぶハリマロのような男もいるわけであるし、これもまた人それぞれか。
「……お母やん、なっとして死んでもうたん?」
胸の中、娘の呟き。
――そういえば、こいつの母親の話は聞いたことがないね。
オトリの里にひと月あまり滞在したことがあったが、彼女の父親や母親の姿は見なかった。
両親の欠けることなど珍しくもないし、里では種々の助け合いが行き届いているように見えたが、何か思うところがあるのだろう。
乳房に伝わる震えと、熱いしずく。
――泣き虫だね。でもここでは勘弁してくれよ。
慰めのひとつもしてやりたいところであるが、大勢の前である。
酒の席のこととして誤魔化せなくもないが、冷やかしから股座の話に結び直されても困る。
ミズメは男らしいとよく言われる気性であるが、大抵は自身を女と称しており、あらごとが絡まねば大抵は女として見られる。
それでも性分は変えられず、男の領分に口出しをして厄介ごとを招くこともままあるが、それはそれで長い生に飽きぬし、自身の中の男女をどちらも斬り捨てずにいようとの考えもあったゆえに、積極的な男のふりは避けていた。
「おい、都の陰陽師。あのふたりがおまえの教え子であるというのは本当か?」
ホシクマが問う。
「いやまさか。むしろ命の恩人なのだ。ミズメたちに都での活動の自由を与えるために、便宜上そうしただけだ」
腹を割るのはミズメの流儀のひとつであったが、おのれの性を晒すことはたとえ同じく異形の身を持つ鬼が相手でも、世話になった三善文行が相手でも禁忌であった。
「お母やん……」
秘密を知る相方がまたも乳房にすがる。
寄る辺のない憑ルベの水術使い。漂泊の独り旅で重ねていた夜はどうであったのか。
「ほほほ、神に仕える巫女も万能ではないようですね。乳離れができていないようで」
敵の瑕を求む鬼女が機嫌良く嗤った。
――好きでこうなったんじゃないのさ。誰も彼も。
ミズメは深く溜め息をつき、星空を眺めた。
こころに任せるまま腕を回してやると、オトリの奇行は夏の通り雨のようにぴたりと止んだ。
「抱きおった。さてはふたりとも、そういう関係か? 尼同士でもたまにあると聞くが」
さがなめ女がまた嗤う。
いい加減に首領が咎めたようであったが、ミズメにとって、もはやどうでもよく思われた。
ただ、腕の中のあえかなるものと、胸の中の不思議な気持ちは同一のものであるように感ぜられた。
――お師匠様が言ってたのって、こういうことかもしれないね。
ミズメの中で疑問が寛解し、ふと何かが首をもたげる。
それは満月の欲求とも、師への愛とも違うものであった。
三百年近くの生で初めての芽生え。
――どうしちゃったんだろ、あたし。
無意識が掻き抱く力を強くし、自制や好奇の目がさかしまにそれを弱める。
限りない同一化と乖離の繰り返し。ミズメは己の内外の全てを持て余す。
――我が胸に 縋る鳥の子 掻きいだき おとなうこころに 眩々惑ふ。
詠まねば中てられて、このままどこかへ消えてしまいそうであった。
高まる未知の気持ちに応えるには、こころ未熟な娘には袖交わす他に思い当たらぬ。
けだし、それは正しきかたちではないのであろう。
ミズメは己の男の部分を疎ましく思い、それでも優しく黒髪の綾へと指先を泳がした。
「……おえっ。げろげろぉ」
オトリが吐いた。無論。その我が胸の中で、である。
台無しの一幕。またも周囲は山伏と巫女の座興に沸いた。
それからミズメは独り虚しく、後始末をする羽目となった。
不思議な芽生えも、すっかりと萎えてしまった。
「ふう……」
泣き虫の巫女でなくとも涙が出そうになる。
身清めを済ませて宴席に戻ると、巫女はまだそこに正座をしていた。
「あ、おかえりなさいミズメさん」
にこにこ顔のオトリ。はて、口調が元に戻っている。
「聞いてくださいよ。お酒を頂いてちょっと寝てしまっていたんですけど、皆さんが、私が酔っ払って色々おかしなことをやっていたなんて言うんですよ!」
口を尖らせる娘。
「は? え? 憶えてないの?」
こちらは口を尖らせるどころか顎が外れそうである。
「ミズメさんまで私を化かそうとするんですか? 酷いなあ。お月様はもう沈んでますよ」
酔うと暴れて記憶の残らぬ人間か。一番たちが悪い。
ようやく鬼たちからも非難の声が聞こえた。
「……こんにゃろ!」
ミズメは巫女の頭を拳骨でいった。邪仙への一撃ほどに気持ち良く殴った。
「いっ!? いったーい!! どうしてこんなことするんですか!?」
「どうしたもこうしたもあるかっ!」
乱暴に腰を下ろせば、カネクマ少年から盃が回される。
「ま、頑張れよ」
少年も呆れ声だ。
ミズメは何を偉そうにとも思ったが、彼の巫女を見る目が翳っていたのを見止めて、少々愉快に感じた。
ともかく、酸いも甘いもまとめて飲み干す水目桜月鳥。
「あの、飲み過ぎないでくださいね。お薬ももうありませんし」
心配顔を想い消してもう一杯。
ミズメは気を取り直し、もう一度宴会へと潜り込む。
不幸を招いた張本人は無視に耐えかねて早々に退席していった。
しかし本人が不在となれば、鬼やミヨシにからかわれるのは必至。
結局のところ、肴にされ続けて、酔うに酔えないままにお開きを迎えた。
ミズメは独り醒め顔で二鬼に最後の別れを心で呟き、寝床へと戻った。
背を向けて上下する巫女の白衣が恨めしい。
「ちぇっ。いい気なもんだよ」
口を突いて出る文句。
「あの……さっきは本当にごめんなさい」
オトリが起き上がった。
「起きてたの」
「はい。それに……あの……。本当は、全部憶えてるんですよ」
彼女はこちらへ向き直り、正座で手を突き頭を深々と下げた。
「いいよ。ああなっちゃうから、お酒を飲みたがらなかったんだよね? しょうがないよ」
素直に謝れれば赦さぬわけにはいかぬ。溜め息ひとつで流すとするか。
「そうじゃないんです。普段は、飲んだら眠くなって寝ちゃうんです。でも今日は、いつもと違って……」
戸惑う娘。
「そうなの? まあ、お酒なんて気分で酔いが変わるもんだからね。あたしも今日は全然酔えなかったし」
「本当にごめんなさい」
再度の謝罪。
「いいって。それより、もう寝ようよ。明日はここを発つよ。ミヨシのおっさんとハリマさんは、夜中なのにもう都に帰ってっちゃったよ。忙しいんだとさ」
「あの……本当にごめんなさい」
三度の謝罪。
「もう怒ってないよ。あたしはお酒の失敗には寛容だよ」
手を振り流そうとするミズメ。
「私が謝っているのは、あなたの身体のことを話してしまいそうになったことです」
「……」
「前に、ナムチさんたちのところでも意地悪をして勝手に明かしてしまいましたし。本当は、あなたは秘密にしたがっていたのを分かっていたのに……」
オトリは泣いている。
「うん、ちょっと傷付いたかな……。でもいいさ、謝ってくれたんなら。これからは、あたしたちふたりの秘密だからね?」
「はい、ふたりの秘密で……。あの、私の今日のことも言わないでくださいね」
「言わないよ。無理にお酒も勧めないしさ」
「秘密にして欲しいのは。“お母やん”って言ったことですよ」
「そんなこと言ってたっけね?」
とぼけてやる。
「本当は……伯母様でなく、私のお母さんが巫女頭になるはずだったんです。でも、私を身籠って……お父さんも分からなくて。それでも里の人も神様も叱ったりはしませんでしたが、お母さんは私を産んだ時に死んでしまって……」
「そっか……」
「里の皆が持ち回りで私を育ててくれたそうです。うちの里では親が欠ければ皆そうします。子供の面倒を見るのも巫行のうちなんです」
その声にお里自慢の気色はない。
「今でも、よく夢に見るんです。会ったこともないお母さんの夢を。変ですよね。珍しいことじゃないのも分かってますし、ミズメさんの境遇に比べたら、全然大したことないのに……」
「そーいうのに、珍しいも大したこともないと思うよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。あたしがそうだって言うんだから、そうだ」
「……」
オトリは返事をしない。
「ほれ、一晩だけ胸を貸してやるよ。吸うのはなしな」
ミズメは冗談めかすも来なよと腕を広げてやる。
「でも……」
オトリは来ない。
「でも、じゃないよ。おいで。あんたは困ってる人の度合いを測って人助けをしてるのかい?」
どこか自身の言葉が空言めいて聞こえる。
――人助け?
「違うな……」
ミズメは頭を掻いた。
「あたしがこうしてやりたいんだ」
それから、有無を言わさせずオトリの顔を自身の胸へと納めた。
ふたりは、そのままじっと動かず、
ただ静かに眠った。
*****
みじゃく……壊す。ばらばらにする。
お母やん……おかあさん。
瑕を求む……あらさがしをする。
さがなめ女……あらさがし女。
あえかなる……弱々しい。
想い消す……意図的に意識しないこと。つまりは無視すること。
今日の一首【ミズメ】
「我が胸に 縋る鳥の子 掻きいだき おとなうこころに 眩々惑ふ」
(わがむねに すがるとりのこ かきいだき おとなうこころに くるくるまどう)
……鳥の子は卵。おとなうは訪れる。眩はそれひとつで惑うという意味。三重になっている。




