化かし075 意地
物ノ怪、鬼、人の見守る中、二鬼と白き陰陽の男が対峙する。
いつの間にか洞穴の天井にあいた大穴から、雨のしぶきが降り込んでいた。
「ユキクマよ。雨じゃのう」
「ふふ、春だというのに冷たい雨ですね。先に行かせて頂きましょう」
閃光と轟音、神解きひとつ。
巫女の小さな悲鳴を矢合わせに、黄泉の膤熊が陰ノ気を噴出。
瞬く間に岩の床が血色の氷湖に変ずる。
「……」
ハリマノカミが一歩踏み出す。沓が凍った床を踏めば、その周囲は元の岩肌へと戻ってしまった。
狩衣の腰帯に差された剣が抜かれた。
小太刀ほどの長さで柄から切先までが全て赤銅の誂え。柄頭には馬の尾のような朱糸の束が飾られている。
そして、刀身には北斗七星の刻印。
「七星剣とやらですか? 詳しくは知りませんが、ただの錆び刀ではないのでしょうね」
ユキクマは腕につららのやいばを作り上げ、滑走していたが反転。
後方へ逃げると、吹き込む雨を凍らせ、霰を孕んだ旋風を巻き起こした。
ハリマノカミは剣を収めると、両袖を併せて持ち上げた。
陰陽師が息を短く吐けば風が止まり、邪気を孕んだ霰はそのまま宙で静止した。
「器用なかたですね。これはどうですか?」
銀髪の鬼が片手を翳せば、陰陽師の頭上に無数の紅き垂氷が生じる。
更にもう片方の掌を下へ向ければ、足元より鋭き氷柱が次々と生えた。
獣が牙を噛み合わせるがごとく、黄泉の氷術がハリマノカミを襲う。
烈しい氷の衝突音。赤い冬に呑み込まれる白き衣。
「やれやれ、困りましたね」
攻めたはずのユキクマが呟く。
紅き霧氷が消え、平然と立つ陰陽師の姿が現れた。
「満足したか?」
問うハリマノカミ。
「まだです。せめてあなたの肝を冷やしてやりたい!」
雪の鬼が全身に赤黒い炎を宿し、両腕を合わせて突き出した。
――あれ、なんかあたしも胸が冷えるような?
「いけない!」
オトリが光の結界を張り、戦いを見守るミズメや鬼たちを包んだ。
どこからともなく這い寄っていた寒気が退散する。
「心の臓が凍るかと思った」
ミヨシも顔面蒼白だ。
「な、なんじゃユキクマ。こんな戦いかたするなんて、おまえらしくねえぞ!」
声を上げる鬼の首領。
「先程から母の声が聞こえてしょうがないのですよ。あれが欲しい、最強の陰陽師の霊魂が欲しいと」
ユキクマの顔が醜く歪んだ。銀髪吹雪のごとく烈しく吹かせ、しなやかなふたつのこぶしが握られた。
「黄泉の性分か」
ハリマノカミは懐に手を差し入れると八角形の板を取り出した。中央には円状の凹面鏡。その周囲に描かれた八卦図。
「八卦鏡で返す気ですか? 滑ってますよ。氷の鬼を凍らせようなど……」
ユキクマの動きが止まった。
そして彼の胸より、白き氷が毬栗のように生えた。それは次第に身体を侵食してゆき、やがて全身を覆い尽くした。
「ユキクマが氷漬けになっちまった! なんて霊力じゃあ!」
「違う。ハリマノカミ様はほとんど何もしてない。鏡を使って陽ノ気に転じて返しただけ」
巫女は顔面蒼白だ。
――それに、内側から凍らせられちまってるね。
鬼の氷像が砕けた。輝く空気の中に遺ったのは赤い水溜まりと赤黒く燃える魂である。
「ユキクマさん……」
崩れ落ちる巫女。
夜黒き魂はゆっくりと降下し始めた。
「“よみがえらせ”はせんぞ」
ハリマノカミは立てた二指を魂へと差し向けた。
「やめて!」
悲鳴が上がる。慈愛の巫女は黄泉の鬼すらも想うか。
かくも非情な現実。青白き焔が熾り、鬼の魂を焼き尽くす。
――この気配は仙気? いや、神気か。
邪悪な魂を焼き祓う聖なる火。稲荷の娘の操った術を想起させる。
「ユキクマが逝ったか。次はわしじゃあ! 見てろよ、シュテン!」
酒飲みの鬼が腹を叩き笑う。
鬼の首領は先程とは態度を一変。ただ腕を組み目を閉じ佇んでいる。
その足元では鬼女が袖で顔を隠していた。
「悪く思うな。黄泉の者を放っておけば高天の連中もうるさいのだ」
相変わらず表情を変えない安倍晴明。静かにタルクマへと向き合う。
「陰陽師さんよ。術には自信があるんじゃろ? わしもちょいと面白い術を使うぞ」
タルクマが大きな手で柏手を打つと酒樽の中身が宙へ飛び出した。
無数の水弾が敵を討たんと射出される。
「水術か」
ハリマノカミは剣を手に次々と飛び来る水撃を弾く。
「これはどうじゃ!」
宙に浮いた酒の塊を平手で叩くタルクマ。
乾いた破裂音が洞穴内に鳴り響き、酒が大蛇に変じて飛び掛かる。
あっさり斬り捨てられ霧散する蛇。
「わしの気を込めた蛇を斬るとは流石じゃのう」
「大した霊気ではないが」
残りの酒も矢へと変じて飛び掛かる。無論、それも容易く矢切りに遭い霧散した。
――確かに大した霊気じゃないね。
オトリの水術を見慣れたぶんを差し引いても、ただの小石を拾って鬼の腕力で投げるほうがまだ効き目がありそうに思えた。
「なあに。ここからがわしの真骨頂よ」
巨体の鬼は自身の腹を両手でばちんと叩くと、大仰に地面を踏み締めながら前進した。
鬼の裸足が岩床を砕く。
「おい、おっさんそんな無遠慮に近付いたら……」
思わず声を上げるミズメ。
「……」
ハリマノカミは静かに剣を構えた。
……が、ふら付き袖で口元を覆った。
「やーっと気付きおったな。わしは古流派の憑ルベノ水に通じておる。そこの巫女に比べれば赤子のような才じゃが、わしにはわしの育てた酒がある!」
タルクマはこぶしを振り上げた。
ハリマノカミは避けようとしたようであったが、膝を突いてしまった。
「いかん。ハリマ殿が酔っ払っておられる!」
ミヨシが頭を抱えた。
「これがわしの酔術、“酔ウベノ水”じゃああ!!」
振り下ろされる巨大なこぶし。
巨体の鬼の怪力、さらに水術の身体強化か、剛腕が風を起こして陰陽師へと迫る。
刹那、“いずこからともなく”安倍晴明の前に一本の竹の巻物が出現した。
それは独りでに広がり始め、風になびく羽衣のように漂いハリマノカミを護った。
鬼の剛腕が竹簡に衝突する。
なんと、こぶしが砕け、腕はへし折れ、肉は爆ぜ血が迸った。
「なんじゃ、このへんちくりんなもんは!」
右腕押さえるタルクマ。癒しの術か、砕けたはずのそれはすぐに握り確かめられている。
だが治療しきらぬままに追撃を掛けるタルクマ。次に繰り出されるこぶしは左。
彼は果敢に攻めたものの、またも唸りを上げねばならなかった。
「鬼よ、やめておけ」
ハリマノカミは竹簡の護りの中でゆっくりと立ち上がり、二指立て袖を振り上げた。
洞穴内に突風が起こり、あたりに酒気が散り、観戦者の数名が咽た。
「身体に入った酒までは容易くは抜けんじゃろうが、人間!」
癒しきったか右手でもう一発。またも血が跳ねる。
「……大人しく力を封じられれば、それを退治としても差し支えない」
ハリマノカミの譲歩。されども、次は左が打ち付けられる。
「ユキクマを殺しおったくせに手心たあ、どういう了見じゃい!」
「魂魄に邪気が薄い。あの鬼の魂は黄泉と繋がっておった。悪は滅する。律されぬ力は正義に非ず。性根が悪でないのなら、力を失うか律すれば退治は済んだと見てよい」
ハリマノカミが言うも、鬼の打撃が竹簡に衝突する。
「やめよ。そなたでは破竹は叶わぬぞ」
「もう勝った気でおるんかい!」
自ら癒して砕くを繰り返す鬼のタルクマ。乱打は更に烈しくなる。
「シュテン様、ハリマノカミ様は譲歩をしていらっしゃります。タルクマさんを止めてあげて!」
「……鬼の意地じゃ。俺は口を挟めん」
言うも顔は仁王のごとし。シュテンはくちびるの端から血を垂らす。
「おっさん。やめときなって」
ミズメも言う。
「やかましい! 鬼の意地を見せたる!」
タルクマの足元、血だまりの上に赤い霖雨が降り続く。
ミズメは一応は止めてはみたが、この意地は鬼の地のものなのか、自身が飲み比べで張ったものへの返事なのか掴みかねていた。
――共存共栄か。勝負師の流儀か。
果たして、見届けることこそが義であろうか。
師より示された共存共栄の道。歩みは進めども、未だに青いと感じる。
「好きにしろ」
ハリマノカミは短く息を吐き頭を振った。それだけで特に攻めに転じる気配はない。
「でっかい本気の一発をお見舞いしてやるわい!」
酒豪の鬼は三歩下がり、顔を真っ赤に血を沸騰させ、右腕を振り上げる。
「水術の使い過ぎで痩せてる。タルクマさん、もうやめて!」
いつの間にか、彼の脂がたっぷり詰まっていたはずの腹が凹んでいた。
さかしまに血塗られた剛腕は、更に逞しく怒張している。
物ノ怪の娘は決めあぐねていた。鬼どもは黙って自傷自滅の戦いを見守っている。
ミヨシもまた腕を組み勝負師の鬼を見つめていたが、その目に敵意は微塵も感ぜられない。
――だけど。
「もういや!」
――こいつはそうはいかないよなあ。
声が上がったはずの隣にはもう相方は居ない。
鬼の本気一本。その先には比べてちいさくしなやかな手のひらがあった。
くるり、鬼の巨体が宙で大回転。
轟音と共に地に落ちるタルクマ。
――あたしが教えた受け流しの体術だ。
「タルクマさん。あなたの負けです。治療のし過ぎです。そこまで力を落とせばハルアキさんも見逃してくれるはずです」
「そなた……」
ハリマノカミは少々間抜けに口を半開きにしていた。
しかし、彼の周囲を守護していた竹の巻物は静かに畳まれ始めた。
「邪魔をするなあ!」
鬼が身を起こす。顔は憤怒である。
「あなたのこぶしは誰かを殴るためのものですか? 盗賊から足を洗って酒蔵一本でやるのでしょう? お嫁さんを貰って鬼の力で護ると言ったのは嘘ですか?」
巫女もまた怒りに満ちた表情。
「それはそれ、これはこれじゃ! おまさんには男の意地ってもんが分からんようじゃのう!」
「いと卑しき小娘。ここまで流儀を浅ぶ女だとは思いませんでしたわ……」
鬼女イチジョウまでもが苦言を呈している。
「なんのための意地ですか? 死んじゃうかもしれないのに!」
「意地に生きるのが鬼の道じゃ。おい、安倍晴明。さっきのへんちくりんなのを出せ。力比べはまだ終わっとらん!」
「ハルアキさん、お受けにならないで。もう鬼退治はおしまいです」
巫女が言う。しかし、ハリマノカミは再び“いずこからともなく”竹の巻物を引き出し、竹簡の守護を展開した。
「どうして!?」
「少々酒に酔ったらしい。それに、私も男だ」
先程と違い、竹簡は無限のごとく広がり続け、その一本一本がまばゆい光を放っている。
「よおし!! おまさんも案外ええ男じゃのう!」
タルクマは笑い、再びこぶしを構えた。光り輝く鬼の身体。
「やめなさい!」
両腕広げ立ちはだかる頑固巫女。
ミズメは溜め息ひとつつくと、相方を引っ張り、男たちのあいだから退かそうと試みた。
「男同士の勝負に口を挟むもんじゃないって……」
ぐるり、視界一杯が岩色に転じる。
ミズメは床と接吻をした。
「なんですか、男だ女だって! ミズメさんはそういうの嫌いなんじゃなかったんですか! タルクマさんが死んでもいいんですか!?」
「それはあたしが男女だからで……」
痛む鼻を抑え口籠る。
それとこれとは話が別なのだが、彼女にどう言えば伝わるか。
「他田真樹の時と同じだって。武士の流儀とか男の流儀とか、そういうやつだよ」
「そんなに大切なことなんですか!? 取り返しがつくのに、わざわざ死ににいくほどのことなんですか!? それで誰が救われるっていうの!? 本当、男の人ってわけが分からない!」
視界が白に染まる。
爆発的に高まる巫女の霊気。どうやら力づくでどうにかしてしまうつもりらしい。
「おい、やめとけって」
「やめません! 皆さんが意地だって言うなら、私もこれが意地です!」
烈しき陽ノ気の放出。下手に近付けば自分が危ない。
「オトリよ。おめえは俺の部下の“いのち”を気に掛けてくれとるんじゃなあ」
シュテンが口を開いた。
「そうです。私も水術師だから分かります。栄養や休息も無しに治療を繰り返せば自身の肉体を糧に治すしかないんです。これ以上やればタルクマさんは間違いなく死にます。シュテン様は首領なんでしょう? 早く彼を止めてください」
「やさしいやっちゃなあ。ありがとうよ。じゃがな、俺は止められんよ」
「どうして!?」
「これはな“いのち”の問題じゃねえ。“たましい”の問題じゃ。ここでやめたらタルクマには悔いが残る。一生気が晴れん」
「ユキクマさんだって滅されてしまったのに! 仲間を失っていいって言うんですか!?」
「そんなわけねえじゃろ! じゃがな、ユキクマは黄泉の鬼として陰陽師と戦って死んだんじゃ。あいつはあいつの意地を貫いた。立派な“いちがいこき”じゃ。タルクマもそうするべきじゃ。子分に意地を通させてやれなきゃ、俺だって角折れもいいところじゃ!」
シュテンが叫ぶ。オトリはやや気圧されたようであった。
「そういうことじゃ巫女さんよ。古流派の巫女なんじゃから“たましい”は尊重してくれんとな」
タルクマの顔は穏やかになっていた。
「それにな、ユキクマは死んどらん。永遠にわしらの“こころ”に生きるからのう!」
大きな親指が胸を差した。
「オトリ」
ミズメはもう一度、相方の腕を引いた。オトリは今度は力無く胸の中へと収まった。
腕の中から「だったら、私の“こころ”はどうなるのよ」と小さな嘆きが聞こえた。
それから、タルクマはこぶしを放った。
烈しき一撃であった。
ハリマノカミは、それを竹の巻で受け切った。
酒飲みの鬼は「無念じゃあ」と笑顔を零れさせ、背中から倒れ、動かなくなった。
しばらくのあいだ、誰も言葉を発さなかった。
「いつかと同じだね」
ミズメは呟く。
すっかり痩せてしまった鬼の亡骸の腹の上に、ひとつの霊魂が浮かんでいる。
そのたましいは、鬼と呼ばれる存在にあるまじき澄んだ青であった。
巫女の娘は静かに霊魂の前へと歩き、跪き、両腕を握り合わせた。
「高天に、還りし命を寿ぎます」
上げられる祝詞。天井の穴から雨と共に光の柱が降りて来る。
鬼の橸熊のたましいは天へと昇って行った。
祝詞で雲が退き、巫女は晴れの中で鬼の亡骸と共に雨を浴び続けている。
「狐の嫁入りか」
ハリマノカミが呟く。
「私は納得しません。みすみす死なせて何が共存共栄ですか」
「合意の元だったじゃんか。“いのち”だけの問題じゃないって言ってただろ。あたしは、共存共栄でもそうだと思うよ」
「張り合うだけでなく、折れ合うことだってできたはずです」
「タルクマのおっさんは満足して逝ったよ。それは寿いだあんたが一番分かってるはずだ」
「……」
オトリは答えない。
「そなたらは共存共栄を掲げながら悪鬼悪霊の退治を行っていると言ったな?」
ハリマノカミが静かに問う。
「そうだよ。上手くいかないこともあったけど、これでも結構救ってきてるんだ」
「矛盾だな。事実、調伏とは相手を力づくで変えさせることだ。完全な悪であれば、考えや行動を無理矢理捩じ伏せ、存在を滅してもよいというのか。それは共存共栄の枠から離れるのではないか?」
「他の多くを害し続けるなら、仕方のないことさ。放っておくよりはましじゃんか」
「誰が決めるのだ。それは」
やや厳しい口調であった。巫女が肩を跳ねさせた。
「あたしだよ」
ミズメはけろりとして答えた。
「横暴、傲慢にもほどがあるな。個の理屈と立場、集団の理屈を綯交ぜにしておいて筋が通ると思っておるのか?」
「理屈なんて答えのための手段でしょ。目指す先が間違ってなければ構わないさ」
「あやまちを犯さぬと?」
「犯すさ。失敗だらけだよ。そのたびに反省したり、揉めたりしてる。でも、これまでなんとかなってきた」
「これからもそうだとは限らぬぞ」
「そうかもね。先のことなんて誰にも分からないし。占いだって絶対じゃない。あたしは、ただできることをやってるだけさ。ちょっとでも楽しくなれば良いな、ましになれば良いなって。あたしは……いつもそう願ってるのさ」
願い。口をついて出た言葉。
「願ってる? 神仏にか?」
「いや……そういうわけじゃないんだけどね。あのひとらもあんまり当てにならないし。多分、自分自身に願ってるんじゃないかな」
「信じるものもないのに、一個人の信条で世を引っ掻き回すというのか?」
「だから、あたしはあたしを信じてるんだって。それから、あいつのこともね」
相方を指し示すミズメ。
「律されぬ力は正義に非ず。これから先、おまえたちは日ノ本に禍を撒くやも知れぬ」
ハリマノカミの言は冷えていた。
――すでに撒いてるんだけどね。
ミズメは失った八尺瓊勾玉を思い浮かべて心の中で笑った。
「あたしがオトリを律して、オトリがあたしを律してくれてるさ。あんたに何を言われようと、共存共栄の旅はやめないよ」
「それほどまでの信念なのか」
「いやあ、そうでもないかな? 元々は、お師匠様に言われたからやってただけだしね。これは暇潰し!」
「は……?」
ハリマノカミは肩眉を上げる。またも口が半開きである。
「でも、やってるうちにね、どこかに皆が幸せになるための本当の答えがあるんじゃないかって、そんな気がしてきたのさ。きっと、今日のこれも、その答えとはどこかが違うんだろうけどさ」
「絶対に違います」
オトリが口を挟む。
「私はもっと別の答えがあったと思います」
「だから、あたしたちは善行の旅を続けるんだろうね。ハリマノカミさんよ。あんたはスメラギの命令でばかり動いてるみたいだけど、あんたはそれでいいのかい?」
「陛下は日ノ本の平定と安寧を願っておられる。統べる者の下にあるのなら、それに逆らってまで己を験すのは身勝手に過ぎぬ」
「実際のところ上手くいってるのかね? 結界は畿内の神様たちを弱らせて、田舎からも信心と神の力を奪った。節操なく仏にすがる奴や、仏を利用して私利私欲を満たす坊主も珍しくない。鬼や物ノ怪、人の悪党が洛中で暴れ放題だ。あんたら陰陽師だって、律令だ免許だと言って自由に活動ができてないじゃないか」
「……」
ハリマノカミは答えない。
「いくら日ノ本を統べる存在でも、簡単にいかないのは当然だけどさ。今よりはもうちょい、ましにはできるんじゃないのかい? その手段を探して身勝手だって言われるなら、あたしは身勝手でいいよ」
「俺たち陰陽師だって苦労しておるのは知っておろうが。それに陛下は……」
ミヨシが哀れっぽく声を上げる。ハリマノカミが手で制し、彼の言葉を遮った。
「知ってるさ。だから問うよ、安倍晴明。スメラギや陰陽師は結界で神様たちの力を封じてるみたいだけど、それは正しいことなのかい? 本当に日ノ本のためを考えてのことなのかい?」
「そうだと聞いておる。私は受け継いだ結界を護ってるだけだ。陛下もまた、代々その座を継いでおられるに過ぎない」
「その結界もドーマンのおっさんに修理させてるみたいだけど。スメラギのまわりも、摂政だ関白だって、席の取り合いで忙しいみたいだね?」
「むう……」
唸るハリマノカミ。
「神様にしたって悪霊にしたって、よく調べもしないで、手に余るからってそのまま封じたりしてはいないかい?」
「否定出来ぬな。不明瞭な部分は脅威だ。神は何にも従わぬゆえに、特に」
「そこは同意。迷惑な神様も多くて参っちゃうよね」
「律されぬ力は正義に非ず。そなたも従わぬのなら、その迷惑な神と変わらぬのだぞ」
「あんたや律令に従いたくないんじゃない。あたしはあたしに従ってその結果であんたらに背いたってだけさ。あんたは偉い陰陽師なんだろう? あたしたちが探してる答えを知ってるなら教えてくれよ。気に入ったら採用してやるからさ」
偉ぶり哄笑を浮かべる天狗。
「子供の屁理屈であろうが」
陰陽師は不快感をあらわにした。
「へっ、大人の安倍晴明よ。あんたは今のままでいいのかい?」
天狗は再び問う。
「私の家は、今は朝廷に仕えておる。私の師の一族は日ノ本の陰陽道を管理する立場にある。それに従うのが日ノ本のためだ」
「家だの立ち位置だのなんていいよ。そんなもん、雨風が凌げりゃそれで充分だろ? あたしは“あんた”に聞いてるんだ」
またも沈黙。年齢不詳の男。結ばれたくちびると閉じられた瞼。
「私、か……私は陰陽師だ。天地を読み、陰を陽に転じる存在。律されぬ力は正義に非ずと信ずる」
「またそれかい。それがあんたの答えだって言うなら、あたしはよそを当たることにするよ」
「……そなたの求める“正解”は私も知らぬ。それは全ての正義の徒が欲しがるものだ。それを探求することは悪とは呼べぬであろう。だが、律されども力無ければ、それもまた決して正義と能わぬのも事実であろう」
安倍晴明が目を見開いた。
「物ノ怪の娘よ、そなたが己の道を信じ貫き通そうというのであれば、律し合う者と共に私に力を示してみせよ」
*****
神解き……かみなり。
矢合わせ……合戦の開始の合図。両軍が鏑矢を射る。
垂氷……つらら。
狐の嫁入り……晴れてるのに雨が降る不思議な現象をこう呼ぶ。




