化かし073 勝負
その晩は、磊落痛快の鬼たちのねぐらでまさかまさかの宿泊である。
ミズメは藁で作られた寝床を借りて遠慮なく横になった。
オトリもこれに従ったか、水術や秘伝の結界などで睡眠時の護りを作ることはしなかった。
精々、「寝床の下の岩が固くて頭が痛い」と文句を言った程度である。
翌朝、ミズメが痺れた腕を揉み解していると、別の鬼からひと勝負持ちかけられた。
「胃袋の数が増えて狩りもひと苦労なんだ。手伝ってはくれんか? そのついでにおぬしの狩人としての手腕が知りたい」
背に掛けた伏竹弓を指差す北方の人。狩人の虎熊である。
「どうして、あたしが狩りの技に通じてると思ったんだい? オトリから聞いたの?」
「山を歩いていた時の眼力と身のこなしで分かった」
「いいね、勝負を受けよう。そっちの連中は大喰らいかい? うちの水術師も胃袋が八尋でね」
「失礼な。水術でお腹が空くだけですよ。ミズメさん、負けが嵩んでるので絶対に勝ってくださいね」
はらへりオトリが応援する。明け方から彼女の腹の音はうるさかった。
「さて、どうかな。多分、勝てないんじゃないかな」
苦笑するミズメ。
「えーっ、どうしてですか? 自信がないなら受けなきゃいいのに」
不満の声が上がる。
「俺も勝てる気がせんな」
トラクマも笑みを浮かべている。
「むむ、トラクマさんもですか? 変なの」
オトリは首を傾げた。
それからふたりは、はらへりオトリと鬼どもの胃袋を満たすため、外へ出て真面目に狩りに打ち込んだ。
ふたりは同数の獣を獲った。しかも、おおよそ同刻での帰還である。
「ありゃりゃ、トラクマが引き分けたか。ミズメは弓の腕も一級品か。どえらい娘じゃのう」
一番の大喰らいと思われるタルクマが頭を掻く。
「勝負にしちゃちょいと少なくねえか? 弓以外も使ってええなら、俺でもそのくらいは獲ってこれるぞ?」
鬼の首領が首を傾げる。
ふたりはそこそこの数の獲物で打ち止めとしていた。
「シュテンよ。俺が挑んだ勝負は獲物の数や狩りの早さではない。“狩人としての手腕”だ」
「そういうこと。狩人は必要以上に獲らないものさ。ふたりで手分けして獲ったから、これだけで充分なのさ」
トラクマとミズメが言った。
「なんじゃい。それじゃあ、ふたりとも始めから勝つ気はなかったんかい」
不満気なシュテン。
「まあ、そうとも言えるな。ミズメがこの程度のことを心得ていないはずはないと思っていたからな」
トラクマは虎の腰巻に手を当てて満足げに笑った。
さて、勝負を挑まれたのはミズメだけではなかった。オトリもまた、別の鬼にひと勝負を持ち掛けられていた。
「この巫女の小娘は気に入りませぬ。あれだけ戦える力を持ちながら、妾のシュテン様と慣れ合おうなどと考えておるのですから」
シュテンのそばに仕える十二単の鬼女“一条石竹”である。
「私の考え……とはちょっと違うんですけどね。でも、共存共栄ができるのなら、験してみたいのです。皆さんだって、鬼に成らずに幸せに暮らせる道があったとしたら、それを選びたかったのではありませんか?」
「否定はせんな」
シュテンが苦笑と共に言った。他の鬼たちからもいくつかの肯定が聞こえた。
「そのような考えは徒桜にもほどがある。それに、妾たちは鬼に成らなければ出逢うことはなかった」
「出逢いかあ。それはあるかも知れませんね。私も旅ではつらいことが沢山ありましたけど、ミズメさんや他のかたたちと逢えたのは良かったと思っています」
オトリはにこりとして反論を肯定する。
「そういうところも腹立たしい。貴やかの欠片もない田舎の小娘のくせして」
「むむ。田舎には田舎の良いところが沢山あるんですよ。都は確かに華やかでしたが、悪いところも一杯ありました」
「その悪いところに揉まれて鬼と成ったのが私だ! おまえのような無垢な小娘を見ると腹が立って仕様がない!」
イチジョウは角を伸ばし、猫目をらんらんと輝かせた。
「別に私に張り合わなくったっていいじゃないですか。イチジョウさんとも仲良くしたいですよ」
オトリがそう言うと、鬼は一層立腹して邪気を発した。
「小娘よ。妾と勝負せよ。妾が勝ったらおまえはすぐさまこの地から立ち去るがよい!」
鬼の爪宿した指が向けられる。
「こいつはこいつで“いちがいこき”でな。ちょいと勝負に付き合ってやってくれんか?」
首領の一声が掛かった。
「田舎娘よ。女が担う仕事で腕比べだ!」
重い袖を振り上げ鬼女が猛る。
「いやですよ」
つんとすまし顔。
「ふっ、都の恐ろしさを知っておるから戦えぬのだろう? 顔を見れば勝敗も明らか。水分小町だなどと空言を抜かしても、実際は小町どころか……狸みたいな顔をしておるし」
鬼女が挑発すると、オトリの肩眉がピクリと動いた。
「しかたないなあ。張り切っちゃおうかなあ……寝床のお仕事以外であれば、なんでもお受けしますよ」
オトリの目の色が変わった。
勝負の項目は複数。舞踊と読み書き、炊事、洗濯、裁縫、薬事、それから歌詠みであった。
全て鬼女側からの提案である。はりきりオトリは最後の項目に対してだけは肩眉を上げたが、結局は二つ返事で受けた。
始めは舞踊。イチジョウは重い十二単を着たまま舞おうと苦心し、オトリは秘伝の燕舞で場を湧かせた。
特に、氷舞を持つユキクマからの称賛はオトリの心に響いたらしく、彼女は小鼻を膨らませた。
読み書きは互いに平仮名を披露し引き分けたが、炊事、洗濯、裁縫、薬事は普段から旅や巫行でこなれていたオトリに軍配が上がった。
勝利を重ねるたびにオトリは調子づき、あれやこれやと蘊蓄を垂れ始め、知識だけでなく憑ルベノ水によって家事や手仕事を助ける“ずるい技”も披露し、鬼どもを感心させた。
後塵を拝し続けたイチジョウは邪気を黒々と燃やした恐ろしい気魄であったが、鬼の首領が手放しで巫女を褒めた瞬間に、ぷつりと気を断ち泣き始めてしまったのであった。
「その様子では歌も詠めそうにありませんし、これでおしまい。私の勝ちですね!」
「くちおしや……」
「なんだったら、腕力や術も比べてみますか?」
どの道、勝ちは勝ちであったろうが、恥を晒さずに済んだからか、更に調子に乗る虚仮歌娘。
「大人げないなあ」
「そうじゃのう……」
ミズメを始め、場に居た全員が巫女を冷ややかな目で見ている。
「これほどに恥を晒してしまったのなら、追い出そうとした妾はもはやここには居れません。時節を待ちて、その座を取り返すべし。必ずしやよろづごとの腕を上げて汚名を雪ぎますので、しばし、シュテン様のおそばを離れることをお許しください」
さめざめとなく鬼女。
「そこまですることはないでしょ。でも、わざわざ負け戦を挑むこともなかったんじゃないの?」
ミズメは首を傾げた。
鬼女イチジョウは、自分から勝負の項目を指定しておきながら、その多くが下手糞も下手糞であった。
まともに出来ていたのは読み書き程度で、他の項目においては鬼の勝負どころか、洟を垂れた童女と競い合うのがお似合いなほどであった。
「こやつはな、都で女同士の諍いに敗れて鬼に成ってしもうたんじゃ。器量はええんじゃが、面倒を見られるばかりでなんもできんくて、それで随分と女房どもにもやられとったようじゃ。イチジョウよ、俺はおめえの意地と鬼の執念をよおく知っておる。出て行くこたあねえぞ。さ、隣に戻って来い」
首領が声を掛けるも、鬼女は伏して肩を震わせ続けている。
「仕方ねえのう。ま、そんな“いちがいこき”なところは嫌いじゃねえがな」
シュテンはそう言うと自ら腰を上げ、席を女のそばに移したのであった。
「意地を張るのは得手ばかりじゃないんだねえ」
首領の膝にすがる鬼女を見て苦笑するミズメ。
――良い奴らばっかりだね。これなら、盗賊家業から足を洗えさえすれば、人間とも上手くやっていける気がするよ。
視線を感じて相方と笑みを交換する。
「こいつが落ち着いたら、俺と勝負だ。丁度、勝ち負けも釣り合っとることじゃし、これでおめえが俺に勝てば悪事をやめてやってもいいぞ」
シュテンはそう言うと酒を一杯仰いだ。
「戦う前に飲んでも平気なのかい?」
「なあに、俺はそっちのほうが調子が上がるんじゃい。おめえも今のうちに仕度しとけよ」
酒気を吐き、鬼女の髪を撫でながら鬼が笑う。
「狩りで充分温まってるけど、準備体操でもしようかね」
師から伝授された健康体操を始めるミズメ。
満を持しての首領との対決。
天井の穴から覗く昼の空を背に、星降りの小太刀を構えるは水目桜月鳥。
一方、闇を背に瓢箪の酒を呷る盗賊らが首領、酒呑ノ鬼。
「おい、ミズメよ。そんな、切れ味の悪そうな小太刀でやろうってのか? 弓を使いたいってえんなら、外でやってもいいぞ?」
「平気さ。それよりもシュテンさんのほうも、飲み過ぎてるみたいだけど平気かい?」
ミズメは少々心配になった。いくら酒好きの鬼とはいえ、大判の盃を何度も飲み干してから戦うのは危険に思える。
「平気よ平気。すぐに分かるさあ」
シュテンは瓢箪をからにすると袖で口を拭い、深く腰を落として太刀を外し、鞘を放って刀身を晒した。
「互いに命を取ったり、のちに瑕疵の残るような打撃を与えるのは禁止。禁を破ったり、破らせたほうは負けとします」
巫女が宣告する。
「いざ」「尋常に」
睨み合う物ノ怪と鬼。
「「勝負!!」」
駆け出す決闘者たち。
岩窟にやいばとやいばのぶつかり合う音が響く。
「驚いた。急に懐に潜り込みやがった」
小柄なミズメは小太刀、相手は八尺の巨体と長刀を持った鬼。間合いの差は歴然。
しかしミズメは風術を使って加速し、鬼の懐に潜り込んでいた。
「じゃが、力比べをするのはまずいんじゃないかのう?」
シュテンは刀から片方の手を放し、片手だけでミズメを押してみせる。
鬼どもの中でも剛力を自慢する男だ。恐らくこれでも本気ではないだろう。
「その刀、大事な物だったりするかい?」
質問と共に霊気を練り上げ、鈍い刀身に震えを与えた。シュテンの刀が不快な音を立て始める。
鬼は唸ると後方へ飛び退いた。
「なるほど金術か。これをへし折られるのは流石に困るのう」
言いつつもすぐに攻めの姿勢。
ぬるりといやに緩慢な斬撃が放たれる。
「やっぱり酔い過ぎじゃないのかい?」
軽くかわすミズメ。
……が、胸に痛み。深手ではないが血が滲んでいる。
――避けたつもりだったのに。
再び斬撃が来る。剣の軌道を見極めようと睨むも、それは不意に蛇行してまたも身体を傷付けた。
「酔醒剣。これが俺の技じゃあ」
ふらふらと太刀を構え笑うシュテン。
「おもしろいじゃん。受けて立つよ」
同じく笑みを返すミズメ。
鬼は大きく息を吸い込み始めたかと思うと、吸い終わらぬ半端なうちに再び攻撃を仕掛けてきた。
今度は鋭い斬撃。範囲の目算ができず、慌てて小太刀で止めるも力任せに吹き飛ばされてしまう。
地に手を突き、宙返りと共に着地。すぐさま刀を構え、音術に頼るかと息を吸うも、また回避を強いられる。
――厄介な技だね。ついつい、動きを読んじゃうから尚更だ。
酒気を帯びた妙な太刀筋と、達人の鋭い太刀筋。
構えだらしなく、時にもののふのごとく。
緩急緩急。酔醒酔醒。やいば鋭く呼吸出鱈目に。
予測不能で回避困難。かつ受け止めても大打撃必至の攻撃が怒涛に押し寄せる。
となれば、大袈裟に飛んで逃げるしかあるまい。
ミズメは鬼の刀と身体を踏み台にし、宙に跳ね上がった。
「宙はいかんなぁ、宙は!」
鬼は振り返りざまに巨体と長刀による猪突のごとき突き上げを繰り出した。
しかし、ミズメが見た鬼の突きは遠く“下”である。
「いやあ、天井が高くて助かったよ」
翼を羽ばたかせて笑う鳥娘。
「そうじゃったあ。おめえは物ノ怪じゃったのう」
「どうする? ここから術や弓で攻めることもできるけど」
ミズメはそう言うと“どこからともなく”真巻弓と矢を取り出し構えた。
「大丈夫じゃ。まだ手はいくらでもある」
鬼は牙を見せて笑うと、気を高め始めた。鬼のくせして陽に寄った霊気である。
「“火”!!」
酒呑ノ鬼がひとこと叫ぶと、焔の輪が無より生じて激しく回転しながらこちらへと迫ってきた。
「真言術か!」
身を捩りかわすミズメ。頬と翼がちりりと焦げた。
「“地”!!」
続いて片足で地面を叩く鬼。石の礫が輪を描きながら飛び掛かってきた。
いくら翼が疾風のごとく空を駆ける力を有しようとも、細やかで素早い回避は不得手である。
ミズメは地上へ戻り、霊気での勝負に切り替えることとした。
「どうじゃ! 俺は真言坊主と張り合ってたおかげで、六大体大全ての術に通じておる。おめえはどの術が得意じゃ?」
鬼が風の掛け声と共に刀を空振りすればつむじ風が生まれ、風は火の発声で炎を纏って火炎旋風となって迫りくる。
「いいね。あたしも全部得意だよ!」
ミズメはそう言うと小太刀を振って風を生み、同じく短き真言を発して焔の渦を作り出した。
同じ大きさの術は衝突して烈しい熱風を巻き起こして消滅した。
「おめえもやるか! 山伏の格好をしとるだけはあるのう!」
鬼は水の蛇を作り出し、それを輪にして投擲。
ミズメも負けじと同様にし、またも相殺する。
次は岩、火、風、水。あるいはその複合。術は何度も撃ち合わせられ、互いに潰し合った。
「真似ばっかりしおって!」
鬼の指摘通り、ミズメは真言術を扱っているのではない。
気の流れを読んで術を反復させる天狗の秘法“山彦ノ術”を用いているだけである。
「ミズメさん、頑張ってください!」
相方が心配そうに声を上げる。
真似だけでは勝てぬだろう。胆力と剣力の両方で不利である。
広い空のある外へ出れば地の利もあるが、それは攻めに役立つかといえば微妙だ。
しかし天狗たる娘は不敵な笑いを崩さず、鬼の真言術の連打を真似し続けた。
鬼の首領も意地を張ってか接近戦に切り替えず、あの手この手と真言の組み合わせを変えて多彩な術を繰り出し続ける。
ミズメは、それを“ほぼ同時”に放っていた。
――特訓の成果をひとつ見せようかね。
播磨の屋根での相方との術技の修練。
その中の水術の身体強化の真似にて一番肝要であったのは、気の流れを真似て術を転じる速度と精度であった。
無理な肉体の酷使は崩壊を招く。ゆえに、痛む前に癒す。他者のそれを真似るには、相手へと究極に近づく必要があった。
ミズメはオトリとの修行や共同生活において呼吸や所作を合わせ、“他者との距離を縮めること”を習得していたのである。
加えて、細やかな肉体の違いに適応させるため、元来の真似に“多少の修正を加えること”も覚えた。
「なんて小娘。シュテン様が圧され始めた!」
真似のはずが、次第にその威力、速度共に追い抜き始めたのである。
シュテンの操る真言術は酔醒剣と比べて遥かに実直であり、武術での先読みの勘も手伝い模倣は楽であった。
手間の掛かる術ならば困難であろうが、短き真言であったのも味方をしている。
そして、忘れぬうちは繰り返しこれを自在に操れる程度には記憶力も向上していた。
ミズメの秘技は今や輪唱に留まらず、反転や増減にまで及ぶ。
――これぞ、秘技“水鏡写シノ術”ってね!
オトリの憑ルベノ水にある、水面を使った占いより名を借りた命名である。
鏡写しの術合戦に変化が起こった。
火には水。石には火。風には石。風水の相剋を参考に有意な真言を選択。
徐々に鬼の身体が傷付き始めた。
鬼は顔を歪ませ、いよいよ陰ノ気吐き出し術を繰る。
しかしミズメはすでに宙を駆け、鬼の首へと白熱した刀身を突き付けていた。
「それまでです!」
巫女が終了の合図を送る。
「勝ったあ!」「畜生、負けたあ!」
ふたり同時に武器を投げ棄て倒れ込む。
ミズメはすっかりと霊気を使い果たしていた。シュテンもまた呼吸が荒い。
「まったく、悔しいのう。剣力や術力で負けたのよりも、意地の張り合いで負けたのが堪えるわい!」
巨体の鬼は手足をばたばたさせ、全身で無念を表現した。
「これであたしたちのほうが勝ちが多くなったから、悪さは無しだよ」
「約束は約束じゃ。十年くらいは我慢して修行に打ち込むことにするわい。ま、ここまで力を使い果たしたら、しばらくは力比べも休みじゃ。鬼のいのちは霊気によるところが大きいからのう」
「おふたりとも、お疲れさまでした。宜しければお身体を癒して差し上げますよ」
オトリが上機嫌でやってくる。
それをイチジョウが十二単を引きずる駆け足で追い抜き、首領の頭を膝へと抱いた。
「どう? 特訓の成果が出てるでしょ?」
ミズメは覗き込む笑顔に笑い掛ける。
「流石です!」
ふいに巫女の顔がずいと近付き、額と額をくっつけられた。
……ところが。
「おい、首領!! 敵襲じゃぞ!!」
勝利の余韻に浸る間も無く、慌ただしい声が飛び込んで来た。
「それも陰陽師じゃ。手練れの! 都の! 奴じゃ……・奴が来おった!!」
鬼の星熊である。
陰陽師への復讐を狙っていたはずの彼であったが、敵襲を告げるその表情は怨みや闘争ではなかった。
――怯えてる。この鬼も雑魚の気配じゃなかったはずなのに。
「すまぬ、カネクマがやられてしもうた。わしは止めたんじゃが……」
ホシクマは傷だらけのカネクマ少年を担いでいた。
満身創痍。手足も折れたか腫れ上がり、胸にも深い刀傷。角さえなければ誰が見ても悲劇の様相。
「カネクマさん!」
下ろされた鬼へ駆け寄ったのは巫女のオトリ。
彼女はすぐさま霊気を練り上げる。
「傷を癒します」
「こんな深手を癒して平気なのかよ?」
ミズメも小鬼のあまりの姿に声を上ずらせた。
「分かりません。鬼の生命力に掛けるしか。でも、癒さなければどの道持ちません!」
巫女は少年を膝に抱き、少しでも気を和らげさせようと乱れた髪を撫で続ける。
「力を抜いて、気を許して。あなた、弟さんを護るんでしょう?」
治療が始まる。
「わしは……わしは、いつか奴の首を獲ろうと思うとった。鬼に成ったのも都の陰陽師との諍いが理由じゃ。じゃが、実際に奴を見たら足が竦んだんじゃ。わしは、カネクマを担いで逃げるしかなかった」
鬼のホシクマは顔面蒼白。角のある額からは汗。逞しい肉体もまた震えていた。
「ホシクマが肝を冷やすなんて、どんな相手なんですか?」
訊ねるはユキクマ。
「奴じゃ。“安倍晴明”じゃ。日ノ本最強の陰陽師が来おった……」
*****
徒桜……散りやすい桜。転じて儚いものを指す。
いちがいこき……意地っ張り、頑固者。
空言……嘘。
六大体大……真言密教における宇宙を構成する存在要素。地、水、火、風、空と、精神を示す識で構成される。




