化かし069 陰陽
激震の復讐劇が遺したものは、日ノ本の未来の危機だけではなかった。
ヒサギ少年がなゐの神の力を利用したことで、近隣の里にも多少の被害が出ていたのである。
卑猥な掛け合いで笑っていた一行は、崩れた古墳をあとにするとすぐに血相を変え、怪我や霊気の枯渇を押しての救助活動を始めることとなった。
付近に滞在していた豆食いの陰陽師、蘆屋道満もまた里村の救援をしており、鉢合わせると何かを察したのか溜め息をつかれた。
直接の原因ではないものの、地震の引き金となったことは言い逃れができず、朝廷非公認の彼に事情を説明することとした。
一行はお目こぼしと共に助力を期待していたが、「俺はセイノジの尻拭いで忙しいのだ。悪神や邪仙の活動に鉢合わせれば戦うが、これ以上は勘弁してくれ」と逃げられてしまった。
村の片付けを済ませ、湯治で心身を癒し、来た道を引き返して月讀命と確執のある保食神を祀る村へ。
八尺瓊勾玉が奪われたことと、ツクヨミが未だに口を利ける程度には力を残していたことを報告する。
すると牛女は「もう知らなぁい」と牛に変じて、巫女の暮らす小屋の中だというのに糞を垂れ始めた。家主は悲鳴を上げた。
それから、特訓を行うための適地を求めて“播磨の屋根”と呼ばれる山へと足を運んだ。
「あなたたちに私の風水の一端を授けます」
茅の茂る高原。穏やかな風と土草の香り。風水の読み手である銀嶺聖母が木の枝を振り振り言った。
「そういや、あたしには風水術を教えてくれなかったね」
「風水は“術”というよりは“学”といったほうがいいものだからね。あなた、理屈っぽいことは嫌って言ってたじゃない。直感的に学ぶほうが得意でしょう?」
ギンレイは「それに」と付け加える。
「今だから話すけど、ミズメは気に対する受容の感度が高過ぎるのよ。風水の術は龍脈から精霊の力を引き出して己のものとして使う技。無闇に使えば大地に瑕を付けちゃうし、使用者だって危険になるから、心配だったのよ。でも、今は陰陽の気を使いこなしてるし、オトリちゃんから気を受け取り慣れてもいるからね」
「感度が高いからオトリの気を受け取っても平気だったのかな。誰からでも霊気を借りれたりして?」
「違いますよ。私と“気が合う”のは遠い親戚だからですよ」
「遠戚ならどこにでも居るって」
「えーっ。他のかたの霊気を借りたりしないでくださいね」
不満の声が上がる。
「なんでさ」
苦笑いをするミズメ。
「さて、その風水には気を借りるだけじゃなくって、いくつもの利用法があるわ。穢れを退けて運気を上昇させる、気の循環を良くして生物の育成を助ける、逆に精霊へ力を貸したり、その地において強い五行へ自身の気を上乗せして領分外の術を扱う、なんてものもね」
「領分外の術を使う?」
オトリが首を傾げる。
「最初にあった時に見せた火術がそれよ。オトリちゃんの流派の自然術は、才能が精神に直結するでしょう? 精神は魂と肉体を繋ぐ糸のようなもので、“魂の影”ともいわれるものなの。陽ノ気や陰ノ気は魂で練り上げるものだけど、自然術を扱うには肉体と精神が繋がっていなければならない」
師の解説がミズメの右耳から入り、左耳から出ていった。
「でも、肉体を持たない神様も自然術を扱われますよね?」
「司る自然そのものや憑代を肉体として使ってるのよ。私の故郷での教えでは魂は“魂魄”と呼ばれていて、魂と魄で分けて考えるの。魂は精神を支え、魄は肉体を支える役割を持つわ。肉体が無い場合は、余った魄を何かに繋げてしまえばいい。例えばだけど、オトリちゃんに火の神が宿ったとしたら、繋がりができて元の術に加えて火術が扱えたりするわね」
「神降ろしは神様との袖交わしとも言われてますね」
「肉体でなく精神の交わりってところね。風水術では大地に自分の精神を繋げて、大地の精神たる精霊とも繋がることで、その地の相に応じた術も使えるようになるの」
そう言うとギンレイは土の露出した箇所へ手を翳した。
土埃と共につむじ風が巻き起こった。
「今のは科戸ノ風ですね!」
「ここは風の通りが良くて、風の相が強いからね。きっちり手入れをしてる囲炉裏や竈のそばだと、結ノ炎が使えるわね」
「すごい。私もできるようになりますか?」
「うーん。ニ、三百年くらい山籠もりをすれば……。精神を大地と一体にするには、魄の一端を肉から断って繋ぎ替えるための感覚を習得しなければいけないから、まさに肉体を捨てるがごとくの行が必要になるのよ。心を自然に任せ、霞だけ食べて生きるくらいはしないと」
「仙人や行者の修行がそれだね。坊主や修行者が肉を断つのも、余計な魂の混じり合いを穢れとして避けるからだって聞いたよ」
ミズメは欠伸をしながら言った。茅原を抜ける風は少し肌寒いが、春の太陽はぽかぽかである。
「霞だけなんて、お腹が空いて死んじゃいますよ。それに、ニ、三百年も生きられません」
苦笑するオトリ。
「だから、仙人になるのは難しいのよ」
「結局は使えないんじゃんか。話が長いのに意味無し。寝ちゃいそうになるよ」
またも大きな欠伸。
「訊かれたから実演しただけよ。常人でも、地相を読んで龍脈から力を借りることくらいはできるから、ふたりには“読みかた”を覚えて欲しいの。山の配置とか、地形の起伏とかね」
ギンレイは木の枝で地面に図を描き始めた。
「龍脈の力を借りるにおいて、重要な要素は龍、穴、砂、水の四つ」
龍は龍脈を指し、穴はその名の通りの空洞、あるいは力が地上へ通りやすい地形を指す。
穴が開いていれば龍脈の流れは地上へ続き、精霊の力が噴出しているか、少し促すだけで噴出し始める。
砂とは龍穴の付近の地形の配置を指す。丘であり、谷であり、山である。この形により気の流れ込みの度合いが左右される。
「龍脈は地下だけでなく、山脈の隆起にも沿ってるから、それも計算に入れないといけないわ。こういった配置を読むのを蔵風法って言うんだけど……」
こまごまとした説明が続く。
ミズメは魂魄を肉体から離脱させそうになりながら、ぼんやりと図を眺めた。
――……ん?
何やら、師が描いているものが“卑猥なもの”に見えた。
地形の盛り上がりを示す線が弧で描かれ、穴を囲う形となっている。
「それから水。これは地表を流れる要因の一つとなる地形、河川や湖沼を指すわ。川は流れを生むけど、風よりも不変で、湖や池は知っての通り、流れが滞って生気が溜まりやすくなる地形ね。これを読む法を得水法と呼ぶわ」
川や池が描き加えられる。さては鮑の比喩か。
「水や生気が溜まれば穢れも溜まる。穢れは伝播し穢れを生む。つまりは流れの滞りは悪い地形ですか?」
「とも限らないわ。周囲の土や木々にもよるし、水を大切にすれば生気を良いほうに使えるわけ。水分の巫女は自然にそれをやっているのね」
「なるほど」
オトリは鮑の図を前に、師の解説へ嬉々として相槌を打っている。
――気のせいか。“女陰”に見えたんだけど。
頬を掻く。師の悪ふざけか?
いやいや、師に精を分けるために夜の求めをしたせいであろうか。
「具体的にはどういう配置が良いんですか?」
オトリが訊ねる。
質問を受け、師が再び枝を走らせる。
「そうね。穴を守るようにこんな風に山があったり、ナムチのところの黄泉路みたいに意図的に盛り土がしてあったりすれば、陰穴となって龍脈からは陽ノ気や善性の精霊が流れやすくなるわね。あそこはそれでも陰ノ気の噴出が強過ぎたけど」
「くさい穴でしたよね」
またも女陰が描かれた。腕を組んで首を傾げる。
ううむ。眠気のせいか、あるいは意識の深層で欲求が燻ぶっているのか。
「ところで、穴が陰なのに流れ込むのは陽ノ気なんですか?」
「そうよ。陰陽を示す太極図は分かる? 陰陽師の道具とかにも刻印がされてたりするけど」
「勾玉を互い違いに並べたような絵ですよね」
円が描かれ、二つの点とそれを仕切る湾曲した線が描かれる。
「お互いに食い合う魚といったところかしら。一匹が陰を示して、もう一匹が陽を示す感じね。陰は陽へ、陽は陰へ流れるものなのよ。流れが滞ると濁ってしまう」
「穢れが伝播するってことですね。陽穴なら陰ノ気が流れ込みやすいわけかあ。うちの里はこんな感じだったかなあ。山があって、川があって、真ん中に神殿が……」
オトリも木の枝で図を描き始める。
「良い配置ね。中心から強く陽ノ気が出てくるようになってるわ」
「ねえ、ギンレイ様。描いてて思ったんですけど……なんだかこれ、女の人のあれみたいですね」
ミズメは吹き出した。
「その通り! オトリちゃん、良く気付いたわね。風水の配置は女の子のおまたと同じなのよ!」
「ちょっとお師匠様!?」
「何よ?」
真顔で返される。
「な、なんでもないよ……」
頬に当たる風がいやに冷たい。
「人体も大地も同じなのよ。大きさが違うだけで、それぞれ塊を作った個の存在なの。一説によると、“宇宙”は無数の巨大な球体の集合体だと言われているわ。月も太陽も丸いでしょう? 空にまたたく星々や、この日ノ本や大陸のある世界も球体じゃないかって」
「地面は平らでしょーが」
ミズメは控えめに突っ込む。
「球体は中心に力が集中するし、曲面は流れを生むものだから、あながち嘘じゃないのかもしれない。高い空から遠くの大地を見ると、なんとなくそうじゃないかって気がしたことはない?」
「そう言われてみれば……」
翼の娘は唸った。
飛びかたを覚えたばかりのころに、限界まで高く飛び上がって日ノ本を見下ろしたことがある。
息苦しいうえに激しい風であったために、ある程度の高さで断念したが、まだ上があった。遥かなその先には一体何があるのであろうか。
「生き物の身体も中心があるでしょう?」
「丹田だっけ?」
「そう。そして流れも同じようにある。血や各種の気がそれね。穴だってある。女陰もそのひとつ」
また図が描かれる。今度は山や穴ではなく。下手糞な人体である。股を広げて口を開けている。
「無理にやらしい話にしなくていいよ」
「真面目に言ってるの。食物を取り込むことも、穢れの排泄も穴からするものでしょ。気の出入りや、呪文や真言の言葉の力だって口から出るものでしょう?」
食べ物や排泄物が描き足された。
「そりゃ知ってるけどさ」
それらを大真面目に研究をする流派があるのも知っている。
大陸が震旦に古来より伝わる道教にも男女結合による秘技は多く、更に西の天竺で流行る信仰でもまた同様である。
そういった行為が生気を高めるのは生きとし生けるもの全ての知るところであるし、真人と呼ばれる彼女の精が実際に師や邪仙の寿命を延ばしていたのもまた事実である。
「そういや、仏さんの流派じゃ、逆に男女の交わりを避けてるところもあるよね」
「完全に断てばより純粋な形になるから、それはそれで良いのよ。形式化された経文や真言に頼るなら、他の力の影響は少ないほうが都合が良いの。さっき説明した魄の肉断ちの話と同じね」
「なるほどね。実際には裏でやることをやってて、半端になっちゃってる坊さんも多いけどね」
「割り切りの問題よ。霊験のある僧侶に子孫がいることだって珍しくないでしょう? 生命の営みは忌避すべきものじゃないわ。確かに清流に対して血や体液は“穢れ”と言われてるけど、それは正確な表現とは言えない。“濁り”のほうが近いかもしれないわね」
「そこから陰を取り出すか陽を取り出すかってことですね」
オトリがこちらを見た。なんとなく視線が顔ではなく下のほうに行ってる気がした。
「ま、いいじゃんか。敢えて説明することもないでしょ」
「なによあなた、照れてるの?」
師がにやける。
「改めて説明されるとなんかね……」
ミズメは苦笑で返す。
「照れる必要なんてありませんよ! 赤ちゃんだって女陰から出てきますよ! 尊いことです!」
オトリが何か言った。いやはや真顔である。
「普段はやらしい話を嫌がるくせに」
ぼやくミズメ。
「道祖神様も憑代の多くは女陰や男根を模った石像だったりしますし、私たちの流派やそれ以前の信仰とも切っても切れない関係なんですよ」
オトリは言う。
「昔から自然術の使い手として優秀な人は女性に多く出てきやすいんですけど、それも男女の違いのせいなんでしょうか? 男性の術師は広く浅く扱え、女性は狭く深く扱える傾向が強いんですよ」
「精神の才と、肉体などの憑代によるものだからでしょうね」
「なるほど。女性には狭く深い穴があって、男のかたは軽薄で浮気性ということですね」
「オトリちゃんの里でも男の人はそんななの?」
「はい。ミナカミ様と女のかたは困ってます。勝手様のほうは男性の味方のようですけど」
「鳥や獣の雄にもそういうのが多いのよね。困ったものね」
師と巫女は頷き合っている。
「他の性差のあることがらとしては神様の憑代としての適正ですね。神様の好みや性別に依りますけど、女性のほうが神降ろしで掛かる負担が小さいんですよ」
「宿すための器があるからかしらね」
「神様の好みも女性に偏りやすいらしいです。嫉妬なさる場合もありますが女神は女性に降りますし、男神も女性の巫女を望みます。たまに男性専門の神様もいらっしゃりますけど。神代が子供の場合は性別を問わない場合が多いですね」
「生殖機能が発達してないからかしらね。ミズメがツクヨミを降ろせる事情はお互いに陰陽両方の性だからね」
「ヒサギさんが“なゐの神”を扱えたのは神様が男色だからでしょうか? 魂の器が空っぽだからでしょうか? それとも、大人でないから?」
「玉無しだからかもよ」
ヒサギは自分で自分のことを「玉無し」と認める発言をしていたことがある。
精神、肉体、霊的なもの。邪仙の事情を知っていたというのならば、今となってはどれにでも取れる。
「失礼ですよ。“たましい”はありますよ。魂が欠けてて魄だけがあるのかも知れません」
「そういう意味じゃないんだけど……」
頬を掻くミズメ。肉体的にどちらの性器も持たないと言いたかったのだが、気恥ずかしくなり声を引っ込めた。
「そういう事情があるから、ミズメの身体は“使える”のよ。必ずまた狙って現れるわ」
「だったら……ちょん切ってしまえばいいのでは?」
オトリが“こちら”を見た。
「やめてよ!」
ミズメは“こちら”を抑える。
「でも、どちらかを欠いたらツクヨミ様は憑けませんよ。女陰のほうは取っちゃえないでしょう? まさか、埋めてしまうわけにもいきませんし」
「穴を埋めるのも使い道のひとつだしね」
ギンレイが何か言った。
「もう、いい加減にしてよ。なんかあたし、恥ずかしくなってきちゃったよ。憑りつかれたらまた祓ってよ」
「前回は上手く斃せたけど、それはあなたが馴染む前だったからよ。まともに力を発揮されたら、対抗できる存在なんて極一部の神様だけになると思うわ。神和は繰り返すほどになれるらしいし、その時のための話をしてるんだから、女陰の一つや二つで騒いでいては駄目よ」
「無理に言わなくてもいいじゃん……」
「ミズメさんにだって女陰があるでしょうに」
股を指差される。
「そうよ。摩羅と女陰の両方ついてるくせに。あなたがちょん切られるのが嫌なら、なおさら大事な話じゃない」
「男のほうと比べて女のは面倒だし、使わないから要らないんだけど。取るならそっち!」
「要らないなんて言うもんじゃありません! 尊いものですよ!」
巫女がお叱りになる。
「性分にしたって、男のほうが分かりやすくて良いと思うけどねえ」
「ミズメさんは両方なんですから、益荒男と手弱女の両方をやってください」
「なんだよその無茶振り。別に大人の男が可愛くても、子供の女が逞しくてもいいと思うけどね……」
「どの口が言うんですか? ミズメさんって男だ女だっていうの嫌がる割に、男のかたがなよなよしいのを嫌いますよね? なんだか不公平です」
「あたしにだって色々あるの! オトリの男嫌いのほうが不公平じゃんか!」
やり返すミズメ。
「私だって色々あるんです! 都合の良いところだけ持っていくみたいで、なーんかずるいなあ!」
オトリも口を尖らせ、互いに唾を飛ばし合う。
「好きでこうなったんじゃないやい!」
「私だってそうですよ! あんな目に遭ったら誰だって男の人がいやになります! 蛞蝓や蝸牛みたいな人には分からないでしょうけど!」
「なんだよそれ。意味は分かんないけど、悪口だってのは分かるぞ!」
「蛞蝓や蝸牛は一匹に雄雌の両方があるんですよ。蟲みたいにいやーな人ってことです!」
「だったら、ここを蝸牛みたいににょきにょきと伸ばして見せようか!?」
股間を指差す。
「最低! ミズメさんのそれなんて、蛞蝓みたいに鳥に食べられちゃえば良いんです!」
「鳥はあたしだ! なにさ、翼も無いくせにさ!」
「私だって“オトリ”ですぅーっ! 翼が無くったって、心は燕なんですよ!」
袖をばたばたをやるオトリ。
「もう、喧嘩しないの。誰にだって、“違う自分”や“新しい自分”があったりするものよ。私の心にも、常に“十五歳の可愛い可愛い生娘のギンレイちゃん”が住んでるんだから」
長命の白髪物ノ怪が何ぞ宣った。
ミズメとオトリは顔を見合わせ、溜め息をついた。
「ごめんよ。ちょいと言い過ぎたよ」
すっぱりと謝るミズメ。
「う……ごめんなさい」
オトリは唸りながらも謝罪した。
「神様にだって、荒魂と和魂がありますもんね。私も、そうなのかなあ……」
「あたしもちょいとちぐはぐなところがあるかね……」
「なんとなく恥ずかしいならそれでいいけど、真面目に考えることは忘れないでね」
「ところでさ、男の摩羅や女の胸も風水的に何か関係あるわけ? でっぱりだし、出るもんも出るし」
ミズメは観念し、話を戻そうとした。
「どうしてそんな話をするんですか!?」
オトリは赤面して悲鳴を上げた。
「あれだけ女陰を連呼しておいて、なんで、そこでまた怒るのさ!?」
「ミズメは思いやりが足りないわねえ。残念だわ。折角、友人を作って“ひと”として心を成長させて欲しいと願って旅へ送り出したのに」
師が溜め息をつく。
「えっ、あたしが怒られるの!? いやさ、オトリが男嫌いなのは知ってるよ。でも、話の流れ的に気になるじゃんか! 摩羅が駄目なら、乳の話をしてよ乳の」
「胸も駄目です!」
「オトリちゃんは、自分のお胸が小さいのを気にしているんでしょう。お姉さんが良いことを教えてあげます。胸の大きさとお乳の出は関係ないのよ。将来に絶望するのはまだ早いわ」
諭すギンレイ。
「こいつもそれは知ってるでしょ。自分で言ってたし」
「あら? じゃあ、何が駄目なのかしらね」
衣をはだけさせるギンレイ。オトリは顔を覆った。……がいつぞやと同じく目のあいだから監視をしている。
「な、なんだか恥ずかしくないですか?」
「そりゃあ、無闇に肌を出すのは品がないと思うけどさ。貴人でもなきゃ気にしないでしょ。あたしとお師匠様が“する”話にも照れてたし、オトリの里の習わしかなんかかい?」
「えっと……そういうわけじゃないですけど。おふたりは子弟なんですし、そういうのは良くないと思います。なんというか、子弟というよりは、親子に見えちゃうんですよね」
「念のために言っとくけど、あたしとお師匠様は別に血は繋がってないよ。それに子作りとしてするのでもあるまいし」
「親子か……」
師は微笑んでいる。
「狭い里で夫婦のやりくりをしてるオトリの里のほうが禍を生じやすいんじゃないの?」
生物が本能的に親兄弟と交わるのを避けるのは当然である。都でも、余程に“家”や“血”を問題にしない限りは近親者の婚姻は避ける。
田舎の村でさえ、試し食いの風習を除けばそういったことは行われない。
獣だってそうだ。そのあたりに奔放なのは神くらいのものである。
「うちはそのあたりは厳しいんですよ。多重婚も駄目ですし、浮気は勿論、男性が女性を襲うと“あれ”に雷が落ちます」
「ひえ、おっかないね。玉が縮こまるよ」
神の落雷を受けたことがあるぶん、生々しく想像ができてしまう。
「玉だなんて言わないでください! はしたないですよ」
「あたしは両方だっての」
「女の子っぽいから駄目です!」
「またそう言うだろ。久し振りに、脱いで見せようかい?」
脚絆の腰ひもに手を掛ける。
「結構です!」
今度はしっかりと顔を覆いそっぽを向いた。
「さてはオトリちゃん……」
師の視線が鋭くなる。
「さては?」
「女の子が好きとかかしら? 胸は見て摩羅は駄目なんでしょう?」
「それこそ変ですよ! 私はその、大きな胸が良いなあって」
オトリは背を向けたまま言った。
「乳の出には関係ないし、オトリは里のしきたりで子供も持てないんじゃないの?」
「それはそうですけど……」
オトリの頭が下がる。
「別にいいのよ。誰だって心の中に色んな自分を持ってるものなのだから。私もオトリちゃんの相手なら喜んでするわよ」
「だから違いますって!」
「ないでしょ。あたしのこと女として見てるって言ってたのに、一緒に旅がしづらくなるじゃんか」
からからと笑うミズメ。
「まあ、胸で喜ぶなんて赤ん坊くらいよね。あっ、オトリちゃんの心の中には赤ちゃんが住んでるとか?」
「処女の巫女の中に赤ん坊。それはそれで神懸った話だね」
「あ、あの、この話はやめましょう。今は修行ためのお話の時間です!」
「あたしが最初に話を戻そうとしたんだけど……ま、いいや」
話題が打ち切られると、オトリは大きく息をついた。
「さて、話を風水と陰陽に戻します。全ての事象は互いに関係し合い、それぞれに表裏があるものです。その理を読み取り、本来の力以上の効果を得るのが風水術です」
枝をふりふり語る師。
「あの、ひとついいですか?」
オトリが手を挙げる。
「龍脈を活用する地形について教えて頂いても、実際に地形を調べるのは大変ですよ」
「オトリちゃんは霊感に優れるし、土術も使えるから精霊の読みに長ける。ミズメは翼を持っているから、空から地形が見れるでしょう?」
「なるほど。でも、いつもいつも都合の良い地形があるとは限りませんよ。術を使うたびに、ツクヨミ様を鎮めた時のように地形を弄るなんてことできませんし」
「そうね。オトリちゃんは人の身で巫女。陽ノ気で術を使うから、陰穴じゃないと駄目ね」
「あ、そうか。陰陽ってそういうことか。あたしなら陽穴も使えるってわけか。ふたりで分担してやれってことだね」
「陰ノ気を扱えても、ちょっと心配だな……」
オトリが不安気に見る。
「邪気を使うのって、気分の良いもんじゃないけどさ。こつがあるんだよ。気を練り上げるというよりは、溜まっちゃった気を吐き出すように使うんだ。案外すっきりするもんだよ」
「ふうん……でも、穢れは穢れを呼びますよ」
「それは、オトリが祓ってくれるんでしょ? 平気だって。同じ術だったら、オトリの身体の強化を真似た時のほうがきつかったよ」
「霊性による霊気の動きは真似できても、霊気の量や肉体の慣れに差がありますからね。私のほうで手加減をするか、繰り返して身体が慣れれば変わると思います」
「手加減のほうで頼むよ。オトリの水術は大袈裟過ぎるよ。戦いかたも力づくで直線的だしさ」
「あなたは武器術にも通じていらっしゃるからそう言えるんですよ。ミズメさんのほうが慣れてください」
ふたりは口を尖らせる。
「そういうことよ。お互いに得手不得手があるもの。旅の最初に言ったでしょう? 補い合いなさいって。この大地だって同じよ。風水五行の相剋や生成、陰陽の反転や食い合いによって成り立ってるの。これからはあなたたちもそれと同じだってことを意識してね」
「お話はおしまい」と柏手を打つ師。
「わざわざここまで来て、これを説明しただけ?」
ミズメは首を傾げる。
「まさか。わざわざ広い場所に来たんだもの、実際に術を使ったり組手をしたりするに決まってるじゃない」
「ちぇっ、結局それか。お師匠様の術を教われると思ったのにな」
「文句を言わない。仙術や風水の利用は簡単じゃないのよ」
「ミズメさんの武術を教えてくださいよ」
「それも一朝一夕にいくもんじゃないよ」
「ツクヨミの復活も思ったより早そうだし、のんびりしてる暇は無いわよ」
「お師匠様の氷術をオトリに教えるのは? 氷は水からできてるでしょ?」
「あれは陰ノ気と陽ノ気両方を加えて均衡させて、水気を完全静止させることで凍らせてるの。陰陽両方の気の扱いに長けてないと使えないわ」
「オトリはミナカミ様みたいな雷術は使えないの? あれ強かったじゃん」
「理屈は分かるのですが、陰ノ気も扱う上に、天と地の両方で気を操らないと駄目なんですよね。天まで届きませんよ」
「なんかこう、簡単に敵をやっつけられる術とかはないもんかねえ」
どうやら逃げ道は無いらしい。がっくりと肩を落とすミズメ。
オトリを相手に組手や術比べを繰り返せば、邪仙たちと戦う前に死んでしまいそうだ。
――治ったばかりなんだけどなあ。まーた、ぼこぼこにされるのかね。
視界の隅では師匠がこちらを向いて手を合わせている。
「よし、良いことを思いつきました!」
オトリが声を上げた。
「何を思い付いたの?」
「新しい技や術の発明ですよ。ミズメさんも時々、新技をやってるじゃないですか。私と一緒にやるような大技を考えましょうよ!」
「必殺技か。良いね、それなら面白そうだ」
ミズメとオトリは顔を見合わせて笑った。
「特訓が済んだら、私は帰るわね」
「えっ、もうですか?」「早いよ!」
「技の開発の話もそうだけど、今後はあなたたちふたりの連携がものをいうようになるから、私が居たらかえって良くないわ」
「別に邪魔もの扱いなんてしないよ」
「ふたりきりが一番良いの。もっと、息を合わせるようにしなさいな。鍛錬は勿論、寝起きや食事なんかもね」
「それは、ふたりで旅をしてた時もやってたよ」
「分担だけじゃなくって、お互いの領分にも手を出して得手不得手を知りなさい。歩くにしても歩調も合わせてみなさい。もっと沢山のことを話し合って、喧嘩もしなさい。それから、必ず仲直りもね」
「そこまでするんですか?」
「肉的にも精神的にも一緒になって混じり合い、かつ、決して混じわらずに別々の存在でもあり続けるの」
胸を張り鼻を鳴らす師。
「言ってることが滅茶苦茶だよ」
「あの……私は里に帰って巫女頭になる予定もあるので、“そういうの”はちょっと困るんですけど」
「別に“しろ”って意味じゃないと思うけど。あたしだってお師匠様以外とは寝ないよ」
苦笑するミズメ。見なくともオトリのほうから熱を感じる。
「とにかく、今日の話はよく覚えておいて。きっと、あなたたちふたりにとって大きな助けになると思うから」
そう言って銀嶺聖母は微笑んだ。
茅原に風が吹く。
弟子たちを見つめる師匠の貌は、どこか蕭然としたものであった。
*****
女陰……女性器である。
太極図……陰陽のシンボルである白黒の円。




