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化かし067 傀儡

「ふたりは手を出すなよ!」

 風に乗り踏み込み、黒き一閃を放つミズメ。


「さすが我が子! 良い太刀筋じゃあ!」

 ひらりかわす帶走老仙(ダイゾウロウセン)


「“陰”に傾き過ぎています!」

 巫女の警告。

「わざとさ! あたしは平気だよ!」

 黒きつむじ風起こし、じじいを吹き飛ばす。

 枯れ葉のごとく舞う嘲笑いはゆるりと着地し、気も練らずにただ杖を地に突くのみ。


「今のは陰ノ気の風術! 駄目です! 待ってください!」

「待たない!」

 邪気を込め(クウ)を横薙ぐミズメ。じじいはひょいと身を屈めた。あたりの木々がやいばに触れずに切断される。


「待って! こんなのあなたらしくない!」

「これもあたしだ!」

 鋭く斬り込むも緩慢に回避される。


「ほうれ」

 じじいが杖を地に着けて走り、ミズメの周りに円を描いた。


――陣か!?


 円の中で足を止めるミズメ。


「馬鹿者め」

 回り込まれ杖で後頭部を小突かれる。

 振り返るが、せせら笑いはまた背後へ。


「今のは術でもなんでもない! 一旦離れて頭を冷やしなさい!」

 師も声を上げている。


「よいのかのう。女どもは待てと言っておるが?」

「待て待てうるさいんだよ。あたしは犬じゃない!」

 烈しく回転して刀を振るう。顎の下に笑顔が忍び込む。じじいはただ笑うのみ。

 達人たるミズメ、敵は常人の動きのはずだが捉えられない。


「犬じゃないのかえ? 先はわしの犬。今は仙人崩れの犬じゃろう?」

 鳴き真似と共に突き飛ばされる。


「犬みたいに舐めてたのはおまえだろがっ!」

 斬。再び木立が崩れる。巫女が飛び退き、師が翼を羽ばたかせた。


「また舐めてやろうかえ?」

 黄ばみ汚れた舌がだらり。

 噛み千切れと、顎を目掛けて膝を叩き込むが空を打つ。


「いらつくなあ!」

 怒鳴りをやいばに込めて叩きつけた。土も石も区別なく、大地に一筋の線が描かれる。


「ミズメ! 周りを見て戦いなさい! 無闇に力を振るうと余計な怪我人を出すわよ!」

 人里は遠いものの師が戒める。


「やかましい鳥じゃのう。アズサマルよ、良いことを教えて進ぜよう。あの銀嶺聖母などと名乗る女は、不老不死の源となる真人だと見抜いておったゆえに、わしからおまえを奪ったのじゃ」

「どうでもいい。今はあたしのお師匠様だ」

「物ノ怪に変えたのも、長きに渡ってに精を吸えるようにするためじゃろう」

「うるさいよ」

 無感情にひとこと。刹那に()斬り。全てが空を斬る。


 老爺はわらべ遊びのごとく片足で跳ねて距離を取った。

「アズサマルちゃん、あーそーぼう」

 老爺が呼び掛ける。


「遊んでやるよ」

 つるぎに霊気を込めて飛翔。


「今度はあたしが一方的に(ナブ)ってやる」

 地に立つ老爺へ、翼の物ノ怪が特技で攻める。


「あ、ひょい」

 老爺は愉しげに回避する。再び飛翔、急降下。空からの一方的な攻撃。


「あ、ひょい」「ひょい」「ひょい」「ひょい」

 しかし繰り返される回避。


「うるさいじじいだ。避けるばっかりじゃなくって、本気を出せよ」

「小僧相手に仙術なぞ不要じゃよ。代わりに、くたびれたじじいの棒をくれてやろう」

 愉しげに杖を回す老爺。


 しかし、唐突に余裕の笑みが崩れ、またも飛び退いた。老爺の立っていた位置には無数の氷柱が突き立てられている。


 更に視界を横切る紅白の流星。烈しき蹴りを受けた老爺は彼方へと吹き飛んでいった。


「邪魔をするな!」

 怒鳴るミズメ。妖しき風をともがらへと向ける。


「今のあなたは殺しては駄目!」

 叫ぶ相方。

「物ノ怪なんだから殺してもいいだろ」

 ミズメは相方に卑屈な笑みを向けた。

「駄目です。そのままでは、邪気に取り込まれちゃうから……」

 オトリは花がしおれるように俯いた。


「よいのかえ? 折角の助太刀を無碍にして」

 いつの間にかじじい。


「もう戻ってきた!? 確かに手応えはあったのに!」

縮地ノ術(シュクチノジュツ)よ。ミズメ、意地を張るのはやめなさい。あいつは私よりも格上の邪仙なのよ」

「三人同時ならばともかく、小僧独りには術も不要じゃがのう」


 それでも単身斬り込むミズメ。

 老爺は溜め息をついた。


「馬鹿犬は躾けねばなるまい」

 妖しげな笑い。ミズメは唐竹割りの構え。懐にじじいが入り込む。

「ほうれ」


 じじいが突いた。


 鈍い痛みが背に抜ける。

 腹を押さえ呻くミズメ。


「どれ、昔のように杖でしごいてやるかのう」

 振り上げられる右腕。

 老爺の顔が猿のごとくにゆがむ。


 その手首から先が……無い。


「貴様、いつの間に!?」

 更に斬撃。敵はまたも緩慢に下がるが、ミズメは降り切らず切先を向けたまま踏み込む。眉間に刺さる鈍色のやいば。

『こっちだよ』

 己の声がじじいの背後から聞こえる。敵を前にして振り返る背中を斬りつけた。


 邪仙の姿が掻き消え、瞬く間に遠方に出現。

 ミズメも同じく瞬息(シュンソク)の間にそれへと追いすがる。


「貴様も縮地を!?」

 邪仙は悲鳴と共に懐から巨大な紙人形を引きずり出す。仙気を纏った紙が斬撃を受け止める。


 翼広げて飛翔。同じく飛び上がり追撃する紙人形。じじい目掛けて急降下を繰り出すミズメ。

 鋭利な紙切れの先が迫るも、身をよじり回避。紙と身体のあいだに風を起こし、更に加速をした。


 邪仙の左肩から先が空へと撥ね上げられた。

 草鞋擦り切れんばかりの着地と共に振り返り、超下段の横薙ぎ。


 音震宿したやいばが、じじいの片足をぬるりとすり抜ける。血の焦げる香り。手応えあり。

 もう一方の足に届く前に邪仙の姿が消えた。


「気配も消えたね」

 にも関わらず、ミズメは邪気を練り上げ黒い風を巻き起こす。

「逃げたんですよ! もうやめましょう! 仕切り直しです!」

 哀願するオトリ。


隠形ノ術(オンギョウノジュツ)だっけか。姿と仙気は消せるみたいだけど、“そこにいる”のは変わらないみたいだね」

 ミズメは“すでに弦から手を放していた”。どこからともなくの矢は、巫女の背後の空間へと突き刺さった。


 (キタナ)き悲鳴と共に、転げ回る老人の姿が現れた。


「何故分かった!?」

「なんとなく、かな。今度はオトリを使ってあたしを困らせてやろうってところかい?」


 ミズメはにやりと笑うと消えた。


「隠形ノ術まで!? 貴様も仙人か!?」

 右目に矢を立てた老爺が血泡を吹く。だが、いつの間にやら斬られたはずの腕や足は元通りになっている。


「仙人じゃなくって天狗だよ。これは、あたしの秘法、山彦ノ術(ヤマビコノジュツ)さ」

 邪仙の背中を見下ろすミズメ。翼でゆっくりと空気を抱く。

 懐へ手を入れ、いつか師が持たせてくれた蛙の紙人形を引っ張り出す。それは見る見るうちに大きくなり、邪仙へと飛び掛かった。

 続いて蛙に向かって矢を射る。


「猿真似しおって!」

 邪仙が振り返り睨むと、紙の蛙は萎えて地に落ちた。蛙が去れども蔭から矢の追撃。

 またもじじいの眼窩が羽を咲かせる。

 矢を番えもせずに弓を構えれば、じじいは釣られて飛び退いた。


「爺さんは蛙みたいにしか飛べないのかい?」

 ミズメは邪仙の無様を鼻で嗤いながら地表すれすれを滑空。太刀に手を掛ける。邪仙消えるも、彼女もまた消え、戦場は静寂に包まれた。


「あの……ギンレイ様」

 オトリが声を上ずらせる。


「やられたわ。あの子、全然正気を失ってないじゃない。あいつも込みで皆、騙されたのよ」

 呆れ声と共に地へ降りる師。


『敵を欺くにはまず味方からってね。前に尼の婆さんと一緒になってあたしを騙してくれたお礼だよ』

 矢張り誰かを化かすのは気分の良いものだ。

 ミズメは音術を繰り、どこからともなく弾んだ声を響かせた。


――いかに邪仙とて、一度心を切り崩せば、あたしの手中だ。


 邪気と共に邪仙が腕を振る姿が現れる。

「そこじゃ!」

 その破れた衣から覗くは毛むくじゃらの腕と鋭き爪。

 しかし、邪仙が切り裂いた空間には誰も居ない。


 ミズメは続いて、そよ風に己の“におい”を託す。においへ向かってまさに野猿のごとく飛び掛かる邪仙。

 滑稽な猿は背中を晒した。


――ようやく正体を現したね。


 心の中で静かに嗤い、心臓の裏を目掛けて三立羽(ミタテバ)を送り込む。

 矢を()てられ、短く息を吐き倒れる猿の物ノ怪。


「これで分かったろ。あたしは人の子の梓丸じゃない。物ノ怪の水目桜月鳥だ」

 ミズメは攫猿(カクエン)の背を踏んづけた。


「狐狸をも化かし、坊主も裸足で逃げる出羽(イデハ)の天狗の怪とは、あたしのことさ。このまま震旦(シンタン)に尻尾を巻いて逃げ帰るってんなら、命だけは助けてやってもいいぜ。それとも、邪気を祓って改心できるか試してみるかい?」

 高らかな勝利宣言。しかし天狗娘の腕は、油断なく霊気の籠った星降りの小太刀を突き付けている。

 そのやいばの輝きは黒に非ず。お人好しの巫女と変わらぬ白である。


「我を失ったふりをしておったのか? このわしをまやかしたというのか?」

 邪仙の声が震える。

「そうだよ。あんたがむかつくのは嘘じゃないけどね。思い出せば、いくらでも黒い気が沸き上がるってもんさ」

 白翼瞬く間に黒く染め妖しく笑う娘。

「怨みを糧にするなど。魔に落ち鬼に変ずるがよい」

「お断りだ。あたしが鬼の大力なんて得たら相方の出番がなくなっちゃうんでね」

 笑いそのままに、身体より醸す黒き靄を白きに光に転じてみせる。


「翼が白く……。陰陽両方の気を使いこなしてるんだわ!」

 巫女が批難するかのように声を上げた。


「思い出は悪いもんばかりじゃないからね。ここ最近は特にね」

 ミズメは相方へ笑い掛けた。 


「小僧が調子に乗るな!」

 足元のじじいが消えた。

「おっとっと」

 “どこからともなく”取り出されたる真巻弓(ママキユミ)。指先を滑る矢羽根を感じて、ただ流れに任せて意識を(ヤジリ)へ託す。


 またも穢き猿の悲鳴が上がる。


「かくなる上は!」

 泡を吹く老人は十指を光らせ両手を地へ着けた。

 邪気とも仙気ともつかぬ奇妙な気配。


「気をつけなさい。妙な仙術を使うわよ」

「もう遅いよ、お師匠様!」

 なんぞ術を企んだじじいの首と胴体が分離した。

 転がる首。血走った目が恨めしそうにこちらを見る。


「ヒサギには悪いけどね」

 ミズメは僅かに己の表情が翳るのを感じた。


 それでも、蘇れぬようにもう一撃、更に一撃。脳髄散らせ、心の臓を穿つ。



「これで終わりだよ」



 血を払い、刀を納めるミズメ。

 復讐の果ては喜びでも鬼でもなく。ただ一陣の風がこころを凍えさせるのみか。


「ミズメさん!」

 オトリが駆け寄って来た。


「平気、平気。あたしの勝ちさ。どうだい? 格好良かっ……」


 ミズメの視界がぶれ、乾いた音があたりに鳴り響いた。頬に痛み。


 ついでに、師が笑いを漏らす声も聞こえた。


「心配したんですからね!? もう騙したりしないって約束したのに」

 親友は自身の手首を握り、瞳いっぱいに涙を溜めている。


「ごめん。ありがとう」

 物ノ怪の娘は巫女を抱き背をさすった。

 同じように背を優しくされる。


「よっ、お熱いね!」

 茶化す銀嶺聖母。


「お師匠様も騙してごめん。こういう形じゃないと、勝った気がしなくってさ」

 武士とは武士として、鬼とは物ノ怪として戦い、騙すものへは天狗の力を知らしめるのがミズメの流儀。

 ならば加害者には被害者として対峙し、過去と今の記憶を糧に打ち破るべきだと考えたのであった。


「しょうがない子ね」

 微笑む師からも先刻までの焦りや不安の気配が消えていた。

 「よしよし、お次はお師匠様に抱擁だね」と、ミズメはオトリの背から腕を解いた。

 しかし彼女は離してくれない。


「悪かったって。これで最後だからさ」

「騙したのはもういいです。でも、鬼に成っちゃったらと思うと」

 胸の中の娘は涙声である。


 ミズメは今度は何も言わずに強く抱きしめる。

 しばらくの抱擁。

 そのうちにオトリのほうから放してくれた。


「そいじゃ、次はお師匠様……」

 腕を広げて師へ駆け寄るミズメ。

「あんた、衣が鼻汁でびちゃびちゃじゃない」

 師は一歩引いた。



『喜んでおるところに悪いのう』



 じじいの声。


「……やれやれ。予想はついてたけどね。あたしの気は晴れた。ここから先は“退治”だよ」

 溜め息と共に振り返ると、オトリが小さな悲鳴と共に飛び上がっていた。


 足元から現れたのは、人の腕。


 ずるり、地中より這いいずるは人間。

 それは全身が醜く腐り(トロロ)いていた。


「他にも居るわよ!」

 氷の大刀が新たに現れた(ムクロ)をまっぷたつにした。

 それは身体を左右に分けながらも、いまだに(ウゴメ)いている。


 次々と現れる無数の死体。

 ミズメも攻撃を加えるが、肉を斬る手ごたえこそあるものの、敵は悲鳴ひとつ上げず、気の揺らぎすらも感じられない。


「黄泉の鬼!? それとも呪術!?」

 疑問を口にしながらも巫女が発光。あたりが巫女の祓えの気に包まれる。


 浄化の光が治まれど、死体どもは平然と立っていた。


『やれ』


 死者の群れが襲い掛かる。

 各々、武器と術で対抗し退けるも、その肉塊は何度でも立ち上がり、腕だけになろうとも地を這いずり追いすがってくる。


「斬っても斬ってもきりがない!」

 面倒臭いと嘆くミズメ。

 やいばには祓えの力を込めているはずだが、斃される敵には特に霊験が顕れていない。


「邪気を感じない。でも、このにおいは確かに人の肉の腐ったにおい……」

 袖で鼻を押さえ、屍人(シビト)を蹴飛ばす巫女。


「墓を漁ってたのはこれのためだったのね。僵尸ノ術(キョウシノジュツ)だなんて悪趣味な。ふたりとも、これは邪気や悪霊が死体に入り込んだのとは違うわ。隠した仙気を送り込んで、直接動かしてるの」

「あいつが生きてる限り終わらないってこと?」

 ミズメは舌を巻いた。


「ふたりとも、飛んで!」

 ギンレイの指示に従い、ミズメとオトリは宙へ飛び上がった。

 次の瞬間、白い翼の女の足元から霜が広がり、草木や屍人どもを凍結させた。


「死体に込めた仙気の量が足りなかったわね。ミズメにやられて力が落ちたのかしら?」

 白い息を吐いてギンレイが微笑む。どこからともなくじじいの唸り声。


 女が指を鳴らすと、氷漬けの屍人どもは全て砕けて塵と化した。


「あの、それってもしかして、邪仙を斃すとヒサギさんも死んじゃうってことですか?」

 オトリが声を震わせた。


『間抜けな巫女め。ようやく気付きおったか。左様じゃ、わしを殺せばヒサギは長くは生きられぬ!』

 じじいが嗤う。


 巫女の表情が歪んだ。


「オトリちゃん。ヒサギ君は人じゃないのよ。死体の繋ぎ合わせに過ぎないの」

「でも、ちゃんと話もしてましたし、人の心がありました!」

「じじいも魂はないって言ってたけどなあ……」

「いくら仙人の技といったって……邪仙があれを演じてたとでもおっしゃるんですか?」

「いやあ、それは気色悪いね」


 ミズメは頭を掻いた。


――弱ったね。


 じじいはこの手で斬り伏せた。化かし合いでも一応の勝利は収めた。

 人の身であれば何度も殺害に至る手応えも相まって、ミズメのこころの奥底の霖雨(リンウ)はすでに去り、晴れを迎えていた。

 相方が曇り顔になるのであれば、生かしてやる手もなくはない。だが……。


「放っておいたらまた悪さをするし、狙われ続けるかもしれないよ。どうする? オトリの決めた通りにするよ」

「でも、ヒサギさんは……」

 迷いを見せるミズメの北極星。


『甘っちょろい生娘め! ここまで股座の血のにおいが漂ってきてかなわんわ!』


 ミズメは舌打ちをした。

 姿を見せぬまま親友を煽る邪仙へ、怒りが再燃するのを感じた。

 情動が新鮮なぶん、怨みよりもこちらのほうが抑えるのに苦労しそうに思える。


「お師匠様、本当に魂無しで人は動けるものなの?」

「仙人でも専門外の術だからなんとも……。でも、魂魄(コンパク)とは……“たましい”にして魂にあらず。魂と魄のふたつで成すものなり。それ則ち精神と“こころ”なり。けだし、迷い彷徨うのが“こころ”ならば、道をゆくのが精神であろう……ってね」

「そっか、精神が無いから術を扱うための霊感がなくって、武器の扱いも力任せだったんだね」

 大力少年を思い返すミズメ。

「それでも、“ひと”には違いありません。生まれながらにしても身体に瑕疵があっても、鬼でも物ノ怪でも、“ひと”なんですよ。たとえ、魂が形を成さなくったって……」

 巫女の髪が戸惑いに合わせて揺れる。


 ミズメは弓を取り出すと深く息を吸い、空へと矢を放った。


 しばらくしてから矢が降り、またも邪仙の姿を暴き出した。

 更に矢を番え、無心に放ち続ける。


「ミズメさん!」

 批難を孕んだ叫び。


「オトリ。はんぶんこだ。あんたはあたしの怨みを半分持ってくれるって言ってくれた。じじいを退治してヒサギが死んだり、怨まれたりしても、それはあんただけのせいじゃない。ふたりで背負おうよ」


 番える矢。無心でなく、意志を込めて弦を引き絞る。


「……はい。一緒に」


 あたりの空気が乾いた。輝く水球が宙に浮かぶ。


「あばよ、帶走老仙」「さよなら」

 ふたりが別れを告げると、矢と水弾が老爺へと襲い掛かった。


 額の穴から血を流し、膝を突き倒れる老人。



 その胸から、赤黒い魂が這い出てくるのが見て取れた。



「今度こそやったのね……」

 呟くギンレイ。


 邪仙の霊魂は抜け殻の上で佇んでいる。



「……ま、“お約束”ってやつだよね」

 ミズメは溜め息と共に顔を上げた。



 視線の先、倒れた老人の向こう側には立ち尽くした少年の姿があった。



「これはお爺様……? ミズメさんとオトリさんが……。どうして?」

 問うヒサギ。


「あなたのお爺様は邪悪な物ノ怪で、ミズメさんの仇だったんです」

「ごめんな、ヒサギ」


「嘘だ……信じないぞ! お爺様は僕を拾って育ててくれた優しい人なんだ! 誰かに恨まれるようなことなんて、絶対にしない!」

 射貫くような少年の瞳。その奥には怒りの焔が燃え滾っている。

 怨みが怨みを呼び、復讐が復讐を呼ぶか。


「その死体が証拠よ。あなたのお爺さんは震旦の物ノ怪、攫猿が修行を積んで仙人になった存在だったの。正体は性根の腐った邪仙だったのよ」

 ギンレイが言う。


 魂を失った老爺は不気味な猿の死骸へと変じていた。

 それを見れば少年の瞳の焔は弱く揺れ動き、眉が泣いて口は笑った。


「本当は事情を説明して納得の上で戦うべきだったのかもしれません。でも、ごめんなさい。私にとってのミズメさんも、とても大切な人だったから」

 オトリは少年の肩に手を掛けた。

 しかし、手は振り払われる。


「し、信じないぞ! おまえが、おまえがお爺様を殺したんだ! どうして!? いつも一緒だったのに! 今日だって、僕が作った夕餉を楽しみにしてるって言って、お仕事に出掛けたんだ!!」

 ヒサギに胸ぐらを掴まれ、揺さぶられるままにするミズメ。衣の中で首に掛けた勾玉が何度も胸を叩く。


「あいつが死んだから、隠されていた仙気の糸が切れ掛かってるのが見えるわ」

「じゃあ、そろそろヒサギさんは……」

「お爺様を返せ! 返せ!」


 ミズメの胸へ少年の嘆きが刺さる。しかし、それ以上に深く、相方の哀しみが“たましい”へ沁み込む思いがした。


「痛っ!」

 唐突に首の後ろに痛みが走った。


 こちらも糸が切れたか。目の前の少年の手には勾玉の首飾りがあった。


「おい、それは……」

 疑問と共に手を伸ばすも、勾玉を手にした少年は後ろへと飛び退き逃げた。



 そして、哀しみの貌が一転。



「できたよ、お爺様。親を殺された男の子の役。上手だったでしょう?」


 老爺を愛するヒサギ少年。それはそれは、とても無邪気で屈託のない笑顔をしていた。


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