化かし066 願望
「えっ、これ全部がお墓なんですか?」
オトリが声を上げる、彼女の見る先には緑の茂る山のような地形がある。
「古墳ってやつさ。昔の大王のお墓だね。最近は作らなくなったけど、あたしが翼を持ったころはまだ作ってる所もあったね。空から観れば、意図的に土を盛って作ったものだってよく分かるよ」
「風水的にはただの盛り土はお勧めできないわね。陽ノ気が散っちゃいやすいから」
一行は、帶走老仙が現れると推測される、いにしえの墳墓を訪れていた。
ギンレイ曰く、老仙は付近に点在する廃村や打ち棄てられた施設を日に一ヶ所づつで回っており、順当にいけば本日にはここへやってくるだろうとのことである。
調査時はヒサギ少年は同行せずに近所の村に残るのが常だということだ。
「どうしてこんな大きなお墓を作ったんでしょうか?」
「権威を示すためだよ。俺にはこれだけ慕ってくれる人がいるんだぞーってね。この墳墓はこのあたりじゃ大きいほうだけど、もっと大きいのもあるよ」
「ふうん……。うちはお墓は里で一ヶ所にまとめてます。遺体を土の壺に入れて埋めてますね」
「オトリの里って、ずっと昔からあの場所なんだよね? お墓が溢れたりしないの?」
「うちの流派では黄泉國からの使者がご遺体を持って行っちゃうんですよ。だから、そのうちに消えてなくなります。ひとりひとり寿ぎの祝詞をあげるのですけど、もうひとつ尊い生きかたができなかったかたは魂も下へ取られちゃいますね」
地面を指差しながら言う古流派の巫女。
「黄泉からの使者って、醜女みたいなのが来るの?」
「ううん。陰ノ気で作られた蟲の群れだそうです。見たことはないんですけどね。浅いところだと、蟲が神様がたの加護を嫌って遺体が溜まってしまうので、深く掘って埋めちゃうんです」
「へえ。黄泉國にも役割ってのがあるんだね」
「うちの里でも極稀に大悪人がでたりするんですけど、そういうかたの魂は“意図的に下へ贈る祝詞”をあげて、強制的に出て行ってもらってます。放っておくと悪霊になって悪さをしますから」
「地獄送りみたいなもんか。おっかないなあ。悪霊なら祓っちゃえばいいんじゃないの?」
「ミナカミ様のご意向で、里で生まれて死んだ者の魂はたとえ悪人であっても意図的に滅ぼす行為は禁止されているんですよ。小さいころに教え込まれるんです。悪いことをすると、くさーい黄泉の女神様のところに贈られるよって」
顔をしかめ鼻をつまむオトリ。
ナムチの隠れ里では黄泉國に通じる黄泉路の監視を行っていたが、穴とその周囲は鼻が曲がるほどの悪臭を放っていた。
「あんなくさいところに行くのは御免ね」
ギンレイも顔をしかめる。
「ギンレイ様の霊魂でしたら、祝詞を上げれば高天國が道を開いてくれますよ。行いもご立派ですし、お綺麗ですから」
「ま、当然ね」
胸を張る白髪の女。
「私が死んだら、オトリちゃんに送って貰うわね」
「私より長生きなさる気でしょうに……」
「じゃあ、宗旨替えしようかしらね。死んだあとに自分で自分を寿げる仙術でも研究しようかしら」
ギンレイが肩を竦めて言った。
「お約束ってのがあってね。そういうことを言う奴から先に死んじゃうんだ」
ミズメは笑いながら言った。
「オトリちゃんは高天って決まってるんだし、ミズメももし死んだらそうして貰いなさいな。上でも皆揃って楽しくやりましょうよ。高天は神様が“ちょっとあれ”なだけで、豊かで良い国らしいじゃない」
「良いね。毎日宴会でもしようか」
からからと笑う師弟。
「この前も言ってましたよね。ふたり揃ってもう……。見送る私の身にもなってくださいよ……」
肩を落とす巫女。
「あれ? 見てください。何か積んでありますよ」
はたと行く先を指差す。
何やら壊れた土器や土人形が積み上げられている。
「お祈りの道具でしょうか。それとも、神代かな? 変な顔……でも、ちょっと可愛いかも」
土人形のひとつを手に取るオトリ。
「それは埴輪だね。王様と一緒に死後の世界に行くんだよ」
「これがですか?」
「もともとは、王様と一緒に生きた人間を埋めてたんだよ。だけど、自分から進んで埋まる人ばかりじゃないから、代わりに埴輪に“王様が死後も幸福に過ごせる願い”を掛けて一緒に埋めたのさ」
「そうなんですね。ここの王様は慕われていたのかもしれませんね。生贄に埋めたりなんかしたら、悪霊になって魂同士が喰い合っちゃいますよ」
「今は昔の話だけどね」
「だけど、掘り返されちゃったんですね」
オトリは人形の埴輪を置き、割れた馬型の埴輪を手に取る。
「荒らされてないって聞いたんだけどなあ。開発のために片付けるのか、泥棒か。どっちにしろ王様の魂魄が残ってたら、怨まれそうだね」
「もう、なんの魂も霊気も残ってませんよね。草木が生えてきていますし、いつか全てが自然に還るのかもしれません」
丘を見上げる巫女。
「悪神の祟りがあるって話だったけど、何も気配がないのよね。この調子だと、あいつも当てが外れるんじゃないかしら」
ギンレイが不安げに言った。
「祟りを起こす神様、居ないのかな。来なかったらどうしようかね」
来ると踏んでの待ち伏せである。追わねばならなくなると、動向の調査に加え、邂逅の場所の設定もやり直さねばならない。
「いや、居らぬはずはないのだがなあ」
男の声。
――じじいか!
心の臓を縮みあがらせ振り返る。
……・しかし、そこに居たのは墨色の狩衣姿の壮年の男であった。
強面の髭面。腰には太刀。堂々たる佇まいからは荒事への自信が感じられる。
それから、彼の手のひらの上には羅経盤が乗せられていた。
「陰陽師か」
「おまえたちは何者だ? 妖、神、人の三拍子が揃ってるようだが」
男はそう言って、腰に結わえた巾着に手を突っ込んだ。
「待ってください、私たちは怪しい者じゃありません! 都からも活動許可を得ています!」
オトリが懐から巻物を取り出す。
「免許の話をされると弱いなあ。だが、俺を相手にそんな反応をするあたり、都の阿呆どもとは違うようだな」
巾着から取り出した何かを口に放り込む男。ごつい顎が上下すると軽快な音が聞こえてきた。
「煎り豆だ。おまえらも食うか?」
「結構よ。それより、あなたはここで何をしているの? 気配も感じなかったけど」
訊ねるギンレイの声は固い。
「それはこっちが聞きたいのだが。不審な存在相手に堂々と近付くのは流石に迂闊だろう」
男は豆を食うばかりで霊気も練らずにいる。
「あたしは水目桜月鳥って名前で、元人間の鳥の魂の入った物ノ怪だ。こっちは、水分の巫女の乙鳥。そっちは鳥の物ノ怪出身の仙女で、あたしのお師匠様の銀嶺聖母だよ」
容易く名乗るミズメ。翼までも背から生やして披露をした。
腹を割るのが得意の彼女であるが、男を見て、都で世話になった三善文行を思い出したのが理由である。
「翼か。便利そうだな。俺も見たままの陰陽師だ。……と言っても、“もぐり”のな。名前くらいは聞いたことがるだろう。“蘆屋道満”と呼ばれる者だ」
蘆屋道満。播磨晴明と並べられる日ノ本最強の陰陽師である。
「ところで、三人とも鳥に縁があるのだな。やっぱり豆を食うか?」
差し出される煎り豆。
「だから要らないって」
苦笑い。
「蘆屋道満さん……。野良の陰陽師は免許持ちと仲が悪いんですよね?」
囁くオトリ。
「でも、このおっさんからは嫌な感じはしないよ。ミヨシのおっさんの話でも、どっちかというと都の陰陽師のほうが張り合って吹っ掛けてるって言ってたし」
「ミヨシ……地相博士の三善文行か?」
「ミヨシ様をご存知なんですか?」
「鬼を相手に共闘をしたことがある。都の陰陽師にしては珍しく張り合ってこなかった。俺も、おまえたちとことを構える気でここに来たわけではないぞ」
そう言って陰陽師はまた豆を食った。
「じゃあ、何をしに来たの?」
ギンレイは警戒を解いていないようだ。
「あまり細かな事情は話せぬが……。ここの神が余計なことを繰り返すせいで、何度も“晴ノ字”の尻拭いをしておってな。いい加減煩わしくなったから、近所の村の頼みにかこつけて悪神退治に来たのだ。このあたりで噂を聞かなかったか? “なゐの神”が祟って地震を起こすというものだ」
「なるほど、面倒を片付けるついでの善行ってわけだ。ついでの仕事で神殺しができるなんて、とんでもないおっさんだね」
ミズメは笑い掛ける。
「おっさんおっさん言うな。普段は免許持ち連中の取りこぼした雑魚の相手や田舎の問題解決ばかりをしているがな。たまには身体を動かすかと思って張り切って来たのだが、神の気配が無くなって、代わりにおまえたちが居たというわけだ」
「なるほどね。……ふたりとも。あたしの、あたしたちの事情をドウマンのおっさんに話しちゃってもいい?」
ミズメは連れ合いを振り返る。
それから、自分たちの主義やこれまでの善行、これから邪仙と疑わしき者と会うことや、それにまつわる挿話を掻い摘んで聞かせた。
蘆屋道満は興味深げに相槌を打ち、悲話のくだりでは豆を勧めてきた。
「なんとなくだが、言ってることに嘘はないと分かる。俺は石敢塔が倒れなければそれで構わんし、じじいと戦うなり盃を交わすなり、好きにするとよいだろう。なゐの神が消えた以上、もう用事もないしな」
「石敢塔ってなんですか?」
オトリが首を傾げる。
「古流派の石術と風水の複合で作った結界……の一部だな。畿内を覆う大結界の支柱なのだ。俺はセイノジに頼まれて結界の修復と管理の手伝いもやっておる。場所は言えぬが、神の地震のせいで何度も支柱が歪んで困っておったというわけだ」
「セイノジって、播磨晴明様ですよね? 犬猿の仲って噂されてますけど」
「噂は噂だ。あいつとは共同で術式の研究もやってるし、都の酒と田舎の地酒の交換だってしてるぞ。あいつは朝廷お抱えの陰陽師ゆえに、行動に自由が利かんからな。俺が無免許連中相手を束ねて、都の陰陽師が軽視するような仕事を引き受けているのだ」
「共存共栄だね」
ミズメはドウマンに笑い掛ける。
「役割分担は結構だが、セイノジは依頼や命令に従うばかりなのが気に入らん。真面目過ぎるのだ。今日も都で貴人の家のお祓いでもしてるんだろうよ」
「仕事が多くて忙しいんじゃないの?」
「陰陽寮の役と播磨守を兼任しておるのは、スメラギに気に入られてるからと言われておるが、奴を畿内に縛り付けるための朝廷の方便であろうな。実際の播磨守の仕事は代理の権守が仕切っておるし、妖しの案件も俺たち任せだ。本来ならば、やつほどの陰陽道の力は日ノ本の全てを良くできるはずなのに」
ドウマンは不愉快そうに言った。
「そのぶん、ドウマンのおっさんたちが頑張ってるんでしょ?」
「まあな。ま、あいつもいつか変わる日が来るやもしれんがな。人と物ノ怪の狭間たる存在が善行をするというのだから」
強面が溜め息ひとつ。巾着に手を突っ込むも、滓がくっ付いただけであった。
「では、俺はこのあたりで失礼させて頂く。ミズメよ、おまえもじじいと美味い酒が飲めると良いな」
ドウマンは手を払って言った。
「ありがとう、またどこかで」
「おう、また会う気がするな」
ドウマンは立ち去って行った。
「少し焦ったわ。この場でああいう使い手を戦う羽目になったらどうしようかと」
ギンレイが息をつく。
「へーきだよ。あたしらは都の陰陽師にも知り合いが居る。鬼や元藤原氏にだってね。案外、どんな奴とでも分かり合えるのかもしれないよ。お師匠様の言う共存共栄だよ」
師を見れば微笑が返される。
「ミズメさん、本当に邪仙を赦す気なんですか?」
オトリが訊ねた。
「そのほうが良いでしょ。極悪な物ノ怪じゃなきゃ、だけどね。でも、ヒサギは何も知らないだろうし、退治しなきゃならなくなったとしても、説得のひとつでもしてからにしてやりたいね」
「私は、なんとなく嫌な予感がします。悪い物ノ怪の改心が信じられないのもですが、人の心の根についた怨みというものは、簡単に消せるものじゃありませんから」
くちびるが結ばれ、真っ直ぐなまなざしが投げ掛けられる。
「心配しないで。あたしは二、三歩歩けば嫌なことと都合の悪いことは忘れる性分じゃん? それに、お師匠様やオトリだって居てくれてる」
ミズメは見つめ返す。
「万が一、ミズメさんが鬼に成るようなことがあったら……」
逸らされる視線。
「鬼に成っても、今みたいに付き合えるかもしれないわよ。うちの山には鬼と鳥の物ノ怪のあいのこだって居るんだし」
「否定しませんが、やっぱり心配です。ギンレイ様は心配じゃないんですか?」
「勿論、心配よ。でも、この子の好きにさせてやりたいの。殺すっていうなら私も手伝うし、赦すっていうならそうするわ。私が祈るのはあなたたちの幸せだけよ」
「おふたりには悪いですが、あんなことをなさったかたが、改心するなんて思えません。でも、復讐で鬼に成るかもしれないのも心配です」
オトリは表情を緩めない。
「相変わらず悲観的だなあ。ま、あたしも正直なところ、当てにはしてないよ。ヒサギのことを気にしてやってるだけだし。アガジイさんを良い人間だって信じてるなら、知らせてやりたくない。なんていうか、まあ……お師匠様と同じで“願い”みたいなもんさ」
「願い……。そうですね、アガジイさんが良いひとでありますように……」
寂しげな微笑み。
それから三人は墳墓の頂上へと登り、帶走老仙の到着を待った。
「……誰か来た。年寄りだ」
ミズメは耳と霊感を研ぎ澄ませる。
矢張り、ただの老爺のふりをしているのか。近付いてくる気配は常人のもので、墳墓を登る足の立てる音はじれったい。
腕を組み、今か今かと待つミズメ。
徐々に近付く気配。一同は揃って丘の下を睨んでいた。
「久し振りじゃのう。“梓丸”や」
耳元で声。鼻に掛かるは不快な吐息。
ミズメの真横に、直垂と烏帽子姿の老翁が居た。
「いつの間に!?」
オトリが霊気を練り始める。
「隠形ノ法じゃよ。鬼と同じで、仙人も姿を消すのはお手のものじゃ」
「アガジイ、さん。仙人だったの、かい?」
驚きも相まって言葉が上手く出ぬ。
「白々しいのう。そこの鴻鵠の女が嗅ぎ回っておったじゃろうに。おまえを拾ってやったお爺様じゃないか。忘れたのかい?」
哀しげな枯れ声。
「い、生きてたんだね。てっきり、死んだと思ってたよ」
身体が震える。これは恐怖か。ミズメは老爺の声を頭に入れながらも、彼を視界には入れていなかった。
「尸解ノ法を使ったんじゃよ。わしは不老不死の研究に余念がなかったからのう。他にも擬死の術や魂を生き長らえさせるすべをいくつも知っとるぞ。じゃが、おぬしを再び見つけた時は、さすがに魂消たがのう」
笑う仙人。
「隠す気もないのですね。あなたの過去の所業はミズメさんから聞きました。彼女はそれでもヒサギさんのためにあなたを赦したいと仰っています」
オトリが言う。言葉冷静に、霊力満ち満ちて。
「おお! この醜く憐れな糞爺を赦してくれるというのかえ? ありがたいことじゃのう。山伏の格好をしておるから、厳しい不動明王の教えのもとに裁かれるのかと覚悟しておったんじゃが、どうやら見聞一致の観音菩薩様だったようじゃ」
手を擦り合わせる音。
「おまえへの悍しき行いの数々を、ずっと悔やんでおったのじゃ。その女に罰せられ、なんとか生き長らえてからというもの、観音様に手を合わせ続ける毎日じゃった。ヒサギを拾い育てておるのも、償いの一環じゃよ」
「そ、そうかい。じゃあ赦すよ」
変わらず宙を見て言う。
「ミズメ! ちゃんとそいつの顔を見なさい!」
声を荒げる師。
促され老爺の顔を見れば、額には猿のごときの深き皺、大きく笑み開いた口には白い犬歯。
「赦してくれるのなら、また吸わせておくれ」
笑顔。
「い、嫌だよ。美濃で会った時は放っておいたんだし、あたしはもう要らないんでしょ?」
全身の肉より力が抜けてゆくのを感じる。だが、さかしまに“男”は首をもたげた。
「嫌じゃあ。おまえの精が良いんじゃあ」
笑顔の笑顔。老爺の声は愉しげである。
「今は、ヒサギがいるんでしょ……?」
思考が定まらぬ。これは邪仙だ。虐げられた陰陽の子は無垢な少年を贄に捧げるか。
「ミズメ、自分の心に嘘をつかないでいいのよ。できないのなら、私がやってあげる」
空気が凍え始める。師の手には氷結の大刀。
「そうですよ。無理はなさらないで。赦せないのなら、忘れてください。私が代わりに退治してあげますから」
草木が乾いた音を立てる。
「ほっほ、良い家族に巡り合えたようじゃのう。わしもな、“傑作”ができあがったんじゃよ」
「傑作? 何か作ったの?」
「そうじゃ。墓を掘り返してのう。死体を繋ぎ合わせて、人形を作ったんじゃ。それはそれは美しい顔をした童男なんじゃよ」
――あれが死体だって?
彼と行動をともにする大力少年ヒサギの顔が浮かんだ。
「死者を操る邪法ね」
ギンレイが吐き捨てるように言った。
「ヒサギはわしの長きに渡る研究成果のひとつじゃよ。あやつには魂がない」
「ヒサギさんは確かに人だった……」
オトリが呟く。
「本当に確かめたのかえ? 死体はわしの隠した仙気の糸で動く、傀儡なんじゃがのう?」
「それは“感無し”だから見えないんだと思っただけで……。でも、自分の意志を持ってるように見えたわ!」
巫女の霊気が乱れる。
「そうじゃ。持っておるぞ! ゆえに傑作なのじゃ! おかしかろう? 仙気を当て過ぎたせいか知らぬが、墓から偸んだ腐った肉片が生意気にも心を持ち、わしをじつの親のように慕うようになったのじゃからな!」
穢き高笑いをする醜き翁。
「心がある相手を……赦せない」
ゆらり提げ髪。
「あれは今も村でわしの飯代を稼ぐために手伝いをしておる。自分を人間だと信じ込んでおる。本当のところはわしを助けてくれる便利な道具に過ぎぬというのに!」
「黙ってください!」
緋色の袴が激しくはためく。
「わしを殺せば、あれは哀しむじゃろうて」
翁の貌が悲哀を装う。
「ミズメさん。どうしよう……」
霊力萎えさせ、苦悶の吐息を漏らす相方。
「ミズメ、答えを出しなさい!」
怒鳴る師。
「出来損ないの仙人は黙っておれ。貴様が恐ろしくて監視にも知らぬ振りを通しておったのじゃが、何やら随分と力を落としたようじゃな。魂も人並みまで削れておる。霊気もそこの生娘以下じゃ! 三百年前の怨みは容易く晴らせそうじゃのう!」
猛るじじいが跳躍し距離をとった。睨視と共に差し向けられる杖。
「アズサマルよ。わしの道具に戻れ。共に定命の者の悲願を究めよう」
杖の先がゆらゆらと揺れる。
「……お断りだね。あたしは、お師匠様の子で、オトリの親友なんだ。じじいと棒を握り合う仲じゃないんだよ」
「女共の操り糸なぞ、わしが切ってやる。今度は主従無く面白おかしくやろうぞ!」
――やっぱり駄目だったね。
赦せそうもない。その必要はない。今も“ひとのこころ”を弄ぶ滓である。あまつさえ我が師と友を虚仮にした。
――ありえないって分かってたのに、赦すだなんて。あたしは何を考えてたんだろうね。
ミズメは心の中でみっつ数を数えた。
それから、堰を切るかのように哄笑。
「あーっはっはっは!」
響く天狗の高笑い。
「ミズメさん……翼が」
ひらり漆黒の羽が舞う。
『どうじゃ、わしの“しる”は暖かろう?』
蘇るじじいの言葉。果たして幻聴か。
「少し落ち着きなさい。敵は雑魚じゃないのよ」
師の警告。
『またくだらぬ生臭坊主じゃったのう。真人の精を受けても、肉も魂も有象無象と変わらんかった。おまえはこんなにも頑張ったのにのう。可哀想なアズサマル』
幾度と見た、夜の相手の死骸。
歯ぎしりひとつ。
全身から鬼のごとき陰ノ気が溢れ出る。
「恐や恐や。いつの間にか立派な気を練るようになったんじゃな」
「あたしは昔のあたしじゃない」
「それが残念じゃ。何も知らぬ無垢な子供のこころが美味かったというのに」
『……』
思い出すは、やめてと言えずに従い、忘れるように努めた自分。
「……仕方がないのう。物ノ怪に穢された魂なぞ不要。その“入れ物”だけでも返してもらおうかのう」
杖を振り振り翁が笑う。
「あたしは、あたしのもんだ」
世界を夜に落とさんばかりの黒き靄をまとった腕が、星降りの小太刀を掴んだ。
抜けば黒光る復讐のやいば。
正眼に構え、憎き仇と重ね合わせる。
そしてミズメはこう願った。
「死ね」
*****
なゐの神……地震の神の総称。
石敢塔……魔除けの石碑。




