化かし065 牛歩
ミズメとオトリ、銀嶺聖母の三人は保食神と巫女スズメの暮らす村を発ち、北を目指した。
ギンレイは帶走老仙が次に訪れる遺跡の予測をつけており、一行はそれを目標に歩を進める。
「茂みも歩きやすくなったね」
ミズメは草木の茂る湿地に足を踏み入れ、枯れ木を小太刀で払って満足げに言った。
スズメに仕度して貰った脚絆は、低木や鋭い草に負けない頑丈な逸品であった。
革の引敷を動きづらいと厭ったために、解体して脚絆に縫い付けて補強をし、藍で染めて貰った。
衣は別のものを山伏の鈴懸風に仕立て直してもらい、それを柿渋で染め上げている。
結袈裟には師匠の羽毛が使われており、頭には三色の羽をあしらった飾りを加えた新たな頭襟が添えられていた。
ミズメはこれも「頭に煩わしい物はないほうが良い」と言ったのだが、「旅の善行では霊験のある術師と思わせ無ければいけません。それにはこういった飾りがあったほうが良いですし、何より可愛いから!」と、オトリが頑として譲らなかったのである。
「私が一所懸命作りましたからね!」
友人の衣装の多くを手掛けたオトリは機嫌良く言った。
「手甲だけ、なんかにおうんだけどね……」
結局、斬り落とされた腕はギンレイによって捜索、回収されていた。
さすがに骨肉は打ち棄てたが、握られたままであった星降りの小太刀や、使い慣れて馴染んだ弓懸などは手放すには惜しかったのである。
「オトリちゃん、あっちに姫薄荷が生えていたわよ」
ギンレイが空から呼び掛けた。
「ありがとうございまーす。きっと、薄荷の油で揉んだらにおいも消えますって」
オトリは草を摘む手を止めて、指し示された方角へと駆けて行った。
一行は道草を食っていた。
旅の道や人里の多いこの近辺で帶走老仙とことを構えるのを避けるため、老仙が人気の少ない遺跡に踏み入るのを待っての鈍行である。
師曰く、現在は港町の付近に逗留しているらしく、このまま北上すれば人里で鉢合わせることとなる。
そういった事情で、時間潰しも兼ねて、巫行で使う薬や仙薬の材料は無いかと、道を外れて山間の湿地を探索していた。
「草花摘みは性分に合わないね。眺めてぼんやりするほうがいいや」
ミズメはふたりの仕事が終わるまで昼寝に勤しもうかと、草木を相手にする仲間を尻目にあたりを見回す。
「このあたりは黒松も生えてるね」
黒松にはときおり枝や幹が大きく湾曲したものがあり、腰を掛けたり背を預けるのに丁度良いものも多い。
天狗たる娘のお気に入りの種類の樹木であった。
人目がないことを確認して木によじ登り、空を眺める。
鼻は松の香りを感じ、耳は遠くで師と友人が薬草に関する知識を語らうのを拾う。
――お師匠様、元気そうだね。
ミズメは師の気配を探る。それは村を発ってから癖のようになっていた。
「んもぉ~~っ」
唐突な牛の鳴き声。
ミズメは驚き、悲鳴を上げて枝から落っこちそうになる。間一髪、足を引っ掛けてぶら下がり、ことなきを得た。
逆さまの草叢の中には牛が一頭佇んでおり、草を食んでいた。
――こんな場所に牛か。さては、ウケモチ様かね?
「また頭突きでもされるかと思ったよ。ここまで追い掛けて来たの? また難事があったとか? それともツクヨミ関係? ふたりには世話になったし、火急の用なら手伝いに戻るよ」
ミズメは枝から飛び降り、首に掛けている勾玉がしっかりとただの石として存在していることを確認しつつ牛に話し掛けた。
「いや、おめえ。なんで牛に話し掛けとるんや。行のし過ぎで頭おかしなったんとちゃうか」
呆れ声が飛び込んでくる。牛の陰には旅姿の男。よく見れば牛の背には荷物が結び付けられていた。
「……知り合いと間違えたんだよ」
頬を少し熱くしそっぽを向く。
「山伏様には牛に知り合いがおるんか」
「あんたは何してたの?」
強引に話を逸らすミズメ。
「何って、牛に道草を食わせとるだけや。港町から近江へ荷を運ぶのに牛が足らんかったから、あっこの山向こうの村から交換してもろて来た帰りや。向こうは早咲きの桜がえろう綺麗やったで」
「道理で見覚えのある牛だったわけだ。あたしらもその村から北海のほうへ行こうと思っててね」
「天橋立の見物かい?」
「それも良いけど、遺跡見学をしようかとね」
「へえ、山伏さんの考えることは分からんねえ。あの辺は古い墓場は多いが、荒らされたもんばっかやぞ。昔のお宝を偸むもうとする輩が多いんや。一個だけ、古い神さんがおるから、いらうと祟りがあるっちゅーところがあって、そこくらいは無事かもしらんな」
「その墓を見学しようと思っててね」
北海沿いには港町が多く、古来より海の民や日ノ本の外より渡来した人々が根を下ろしていた。
今でも大陸と日ノ本を繋ぐための海路の中継地のひとつとして、ゆっくりと開発が進んでいる。
そのため、大王や日巫女の時代の遺跡や廃村も次第に姿を消していっていると聞く。
邪仙はその“祟りのある墓所”を目指して旅をしており、恐らくは仙人としての利を得るための行動であると推測される。
だが、師が言うには“ただのアガジイ”として行動しているらしく、港へ至るまでも老人と少年は牛歩の旅を行っていた。
それはヒサギが、アガジイが邪仙であるのを知らぬことを予感させた。
誰かにとっての仇が、誰かにとっての恩人。
ミズメはお人好しの巫女の歩調が落ちたのをありありと感じていた。
彼女は大蜈蚣の巣穴にて、ヒサギの大力の世話にもなっている。
旅団で同じ釜の飯を食っていたころの思い出も多い。
それでも、自身自身の因縁と天秤に掛けたすえに前へと足が出ているのは有難くもいじらしいくも思える。
引き換え、師は保食の村を出てから一度も追跡の取りやめを提案していない。
あまつさえ、「今さら引かないでしょ?」とふたりの背を押し始めていたのである。
彼女もまた、愛する弟子が虐待者との決着を着けるのを望んでいるのであろう。
――あたしは幸せ者だね。
そして、当の主役は春の陽気の中で、草を食む牛を眺めて欠伸をした。
「泥巫女さんとこから来たんやろ? 牛に追っつかれるなんて、えろうのんびりした人らやな」
笑う牛牽きの男。
「ま、遊覧も兼ねた旅だからね。港には美味いもんがあるんだろうね」
酒や飯のことを思い浮かべるミズメ。港町ならば名品や隠れた逸品も期待ができるだろう。
さて、牛をせっつく男と抜きつ抜かれつ、ミズメたちは海へと到達した。
「あれが天橋立ですか。変わった地形ですね。でも、神気も何も感じません」
苦笑する巫女。師も「やっぱりね」などと同じ表情をしている。
天橋立。
太古の昔に、伊邪那岐が高天國へ登るための梯子をこしらえたが、神々と遊んだ娘たちが登りたいとせがんだために倒壊したという伝説のある地である。
その正体は、沖より押し流されて来た土砂が堆積しただけの浅瀬であり、景色として面白いというほかに、特筆すべきことはなかった。
もっとも、道中で偶然ウケモチと出逢い、ツクヨミの件を片付けられたのであるから、結果としては橋立を目指したことが目的の達成に繋がっていた。
離れたところに佇む師を見やる。どこか寂しげな白髪の女。
師への疑いが橋立への旅を強行させ、疑念を生んだ近江での遭遇は、某色事師から逃げたおかげである。
こういった因果こそ神の思し召し、天橋立の御利益なのやもしれぬ。
「はあ……ミズメ、オトリ。麿はそちらの姿がまぶたに焼き付いて離れぬのじゃ。空の物ノ怪と高天に仕える巫女……。この橋立が倒れておらねば、そちらのもとへ行くことができたのじゃろうかのう……」
はて、何やら聞き覚えのある声がした。
潮風に混じって嗅ぎ憶えのある塗香の香りも鼻に届く。
「ハリマロさんですよ!」
ミズメとオトリは顔を見合わせた。
「打ち渡し……いやいや、射干玉の……」
恋する男は橋立を見つめて歌を一首捻り出そうと唸っている。
どうやら、ここに長居はしないほうが良いらしい。
「ギンレイ様を連れて、早く逃げましょうよ!」
これもまた、面白き因縁かな。ミズメは苦笑いと共に、貴人の立ち寄らなさそうな漁村へと避難をした。
「なんや、またおうたのう」
そこで牛を連れていた男と再び出くわした。
「おっさんはこの村で仕事かい?」
これも何かの縁かと、彼とその仲間たちの仕事を見学する。
彼らはこの地に住む人間ではなく、近江国、播磨国、摂津国、河内国を股に掛けて旅をし、物品の交換で生計を立てている集団なのだそうだ。
多くの地を巡り、特産品や工芸品を扱う者たちと顔見知りになり、いつかは日ノ本一の商い名人を目指すと息巻いている。
「ここはええ干潟があるから、塩が有名やねん。せやけど、塩の煮出しは難儀するもんでなあ。鉄鍋使えば錆びが出るし、土器や陶器を使えばすぐ“わや”になるやろ? そこでうちらがこの石鍋を持って来たったってわけや」
海岸では海水を入れた石鍋が炊かれており、一層濃い潮の香りを漂わせている。
できあがった塩は壺に入れられ紙で封をされて運び出されたり、その場で加工食品の材料に利用されたりしているようだ。
風通しの良い場所では、さまざまな干物が吊るされてずらりと並んでおり、そのそばではまだ新鮮な魚を塩と共に桶へ入れている者の姿もある。
「ああいう塩っけのあるものを見ると、一杯やりたくなるね」
「また飲む気ですか? 酔い覚ましの材料だって見つけるのは楽じゃないんですよ」
溜め息をつきながらも巾着を検めるオトリ。
「塩焼き鍋のために器づくりが盛んやから、もうちょい山のほうやと盃や酒瓶も作っとるで。瀬戸内に比べたらちょいと負けるかもしれへんけどな」
「良いね、あたしもちょいちょいっと見てこうかな」
「気楽なんだから」
「オトリも、気に入った湯呑みや茶碗があったら言ってよ。お金も多少はあるからさ」
「でも、そんなもの持ち歩いたら割ってしまいそうです」
と、言いつつも表情を緩める相方。
「大丈夫だよ。あたしが大事に仕舞っとくから」
ミズメは“どこからともなく”酒瓶を取り出してみせた。それから茣蓙や弓矢、杖などを次々と取り出しては仕舞う。
「ほんと、それってどうなってるんですか?」
「それは言わないお約束。物ノ怪なんだし、不思議の一つや二つはあるもんさ。なんなら入れ物のように使ってくれても結構だよ」
妖しげに微笑んで見せ、相方の手を引き村を出る。
それからふたりは木地挽きや鋳物師の仕事場のある村を見て回った。
買い付けに来る者は少なくなく、保食神の村の者や、竈神の村の者とも出くわした。
「見てください。私のお茶碗、上手に可愛くできたでしょう?」
鼻先を粘土で汚したオトリが言った。気の良い仕事人が自分の腕前を自慢するついでにろくろを触らせてくれたのである。
「随分と綺麗に形がとれてるね。あたしはちょっと歪んじゃったよ」
土色の茶碗が二つ並ぶ。
「ミズメさんってなんでも得意な印象ですけど、これは私の勝ちでしたね」
「巫女のお嬢ちゃん、ずるっこはいかんなあ。俺は土を視れるから分かるぞ。ちゃんとろくろで作らんと」
木地屋の男が笑った。どうやらオトリは土術を使って形を整えていたらしい。
「えへ、ばれてしまった」
舌を出すオトリ。
「おっちゃん。これって、焼き上がるのにどのくらい掛かるんだい?」
「うちでは焼きはぱっぱとやっちまうが、乾燥に短くても三日は掛かるな」
「それじゃ、焼いてもらうのは無しかなあ」
「私が水術で乾かしましょうか? ついでに他のぶんも乾かしてあげます!」
「霊験のある巫女さんなんだな。だけど、じっくりと乾かさないとひび割れしちまうよ」
苦笑いと共に却下される。
「あとから取りに来るかなあ……」
茶碗を見つめ呟く。
「ミズメさんも少し、迷ってますね」
オトリが言った。
「うん。お師匠様が万全じゃないからね。それでも見失わないうちに蹴りをつけようって言うから」
ミズメには師が何かを焦っているように見えていた。
昔は満月のたびに寝床に招かれていたが、今はこちらからの申し出も断られている。
此度の海沿いの村々の遊覧にも参加せず、邪仙と戦うことになった場合の策を練りたいと言い、今もまた彼女は邪仙の動向を調べに単独行動を取っている。
――あたしやオトリのため、だけじゃなさそうなんだよね。
それが何かは分からない。
幾度も袖を交わし合った相手である、強く問えば聞き出せたやもしれぬ。
あるいは、邪仙をさっさと捕まえればいいと空を走れば判明するであろう。
だが、そうすべきではないように思えた。
「最初はお師匠様は、絶対にこっちに来て欲しくないって感じだったのにね」
旅を共にした友人へ軽く訊ねる。
今は独りで考え込むよりもこうするのが心地良い。
「ギンレイ様にも思うところがあるのでしょう」
オトリはそう言って茶碗を土塊に戻した。それからもう一度ろくろを回し、形を整え始める。
「このままお師匠様が力を蓄えるまで、のんびり旅をするのもありかな。万が一、負けるようなことがあるといけないし」
「でも、アガジイさんとヒサギさんがまた百足衆や、どこかの人里に腰を落ち着けたら困りますよ」
「お師匠様もそれを言ってたね」
「何かが心配なのはきっと、私たち三人とも、皆一緒ですよ。ギンレイ様が戻って来たら、彼女にもお茶碗を作って貰いましょう」
粘土に指を滑らせるオトリ。頬に泥をつけた横顔は真剣である。
「そうだね。……おっさん。後でもう一人にも茶碗作りをやらせてくれない? それからあたしたちの茶碗を焼いてよ。お礼はちゃんとするからさ」
――これで揃って飯を食おうかな。
自身の茶碗を見つめるミズメ。
同じ先のことを気にするなら、楽しいほうが良い。そのほうが性分に合う。
「よし、できた」
相方が不細工な茶碗を前に頷く。
ミズメはいっそのことと、じじいやヒサギも交えて盃を交わす日を想像してみた。さすがに無理だろうか。
「それはそれで悪くないかもね」
軽く笑って呟く。
「ちょっと歪んでるのが“可愛い”なんですよ!」
巡る巡る縁の糸。淡い願望の先に待ち受けるは毒蜘蛛か、それとも釈迦か。
ミズメの長きに渡る因縁との決着は目前である。
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北海……日本海の古称。畿内を基準としている。
摂津国……現在の大阪北中部より兵庫の南東部。
木地屋……ろくろを使った陶器づくりをする人。古くは素材を探して各地を旅していた。
鋳物師……鋳造を生業とする人だが、鍛冶師とは違って鍋や鍬などの暮らしに関わる金属製品を主に扱う。




