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天狗、月に哄笑ふ(てんぐ、つきにこえわらう)  作者: 鳥遠かめ
破ノ章

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化かし064 日和

 明朝、戦いを終えた一行が祭祀場を下り村へと戻ると、村人たちは既に宴の仕度をしていた。

 当初から祝勝の宴の予定があったというわけではなく、村から程近い場所で繰り広げられる怪異に恐れをなし、何か得体のしれない神の祟りかと心配をし、鎮めて祀り上げようと支度をしていたのだそうだ。


 本来村で祀られている保食神(ウケモチノカミ)と巫女のスズメが事情を説明し、問題は解決したと伝えると、村人たちは晴れの笑顔と共にその場で一杯やり、仕度の続きへと戻っていった。


 それから昼下がり。


「春風に 遊ぶ小鳥と 吹き立つは 真昼の月の 桜叢雲(サクラムラクモ)


 山の祭祀場。早咲きの桜に遊ぶ春告げの(ウグイス)たち。

 ミズメは花びらをいっぱいに浮かべた(サカズキ)を受け取った。

 本日は花見日和なり。

 爛漫絢爛(ランマンケンラン)の春陽のもと、一首詠じて料理に舌鼓を打つ。

 ぐいとひと呷りしてから横に座する師へと盃を回す。


「勝てたのはともかく、その衣をなんとかしないといけないわね」

 ミズメの衣は両肩から先が斬り落とされており、横から覗けば腋や胸が露わとなってしまっている。

 脚絆(キャハン)もぼろぼろ、山伏の頭襟(トキン)もいつの間にか失われてしまっていた。


「山火事の件ではお世話になりましたし、おりゃーをしたいですねーぇ。衣装を用意させましょう」

 スズメはギンレイより盃を回されると、ぐいと呷った。

 彼女は一度でなく、二度三度盃を傾けた。


「スズメちゃん、お酒飲んでも平気なんですか?」

 オトリが訊ねる。彼女の手元には湯呑み。

「この子は村で一番飲むわよぉ」

 ウケモチも盃を呷る。

「意外と大人だなぁ。こういう時くらい、私も飲めると良いのですけど」

 オトリは盃を受け取るも首を傾げ、ミズメへとそのまま回した。

「意外も何も、この子はそろそろ……」

「ウケモチ様! 歳の話はしにゃーでください!」

 小さな巫女は袖を振り上げて制止した。


「衣装を仕立てるとして、どんなのが良いかな。私、お裁縫は結構得意ですよ。うちの里の巫女は機織(ハタオ)りも憶えますし、水術を利用した染め物の秘技なんかもあります」

 オトリは茣蓙の上で足を延ばして布を織る仕草をした。

「村には柿の木もいっぱこあるので、柿渋(カキシブ)もとってありますよ。ここからじゃ見えにゃーですが、村の反対側の麓には藍蓼(アイタデ)が、たーっと咲いとります」

 スズメが腕を振り振り遠くを示す。

「それで染めたら可愛くできそうですね」

「あたしは可愛いより、動きやすいのが良いかなあ。もうそろそろ暖かくなるし、いっそ(サラ)しを巻いてこのままで済ませても良いかな」

「駄目ですよ。ちゃんと衣を用意しないと。織るのは時間が掛かっちゃいますけど……」

「このあたりは旅人の通り道にもなっとるんで、着物や布を持ってくるかたもいます。余った牛や作物と交換をしているので、丈夫な革の引敷(ヒッシキ)(クツ)なんかもありますよ。あんばよう、前のミズメ様と似た服装にできるかもしれにゃーです」

「むむむ、だったら染め物は必須ですね。ちょっとでもお手伝いした物を着て欲しいな」

 オトリが唸った。


「皆で手を入れた物ってのも良いわねえ。私も織物は得意。羽を抜いてそれを使って反物を織るの」

 ギンレイは自身の白翼から羽を一本抜き、

「決して、覗かないでください」

 引き戸を閉めるような仕草をした。


「その羽で織物ができるんですか? 素敵だなあ」

 オトリが目を輝かせる。

「オトリ、今のは冗談だよ。お師匠様は縫物や編み物はするけど、羽で布は織ったりはできないよ。羽毛なら、集めて衣に縫い込めば暖かいけど」

 ミズメは訂正する。

「そうなんですか? 羽毛で作った(ムシロ)(フスマ)を使って寝たら、気持ち良さそう」

「日がな一日中寝てそうだね」

「暖かくなって来たので、余計眠たくって。今日も今朝に少し寝ただけですし」

 大きな欠伸をするオトリ。


「しまった。ツクヨミの再生の力を使えば、羽毛や羽根も(ムシ)り放題だったじゃないの。忘れてたわ」

 師が悪戯っぽく笑う。

「いやいやいや。やめてよ人の身体で。腕を斬られた時も、もの凄く痛かったんだよ!」


 ミズメはツクヨミに憑依されていたものの、夢うつつに意識や感覚が残っていた。

 戦いは並々ならぬ苦痛であったが、怪我の功名か、同時に師の命を賭した愛情も感じることができていた。


「ところで、あたしの斬られた腕ってどうなったんだろ?」

「さあ? その辺に落ちてるんじゃない? 山犬の餌でしょ」

「拾って来てくっつけたら便利そうじゃない?」

阿修羅(アシュラ)じゃないんだから」

「阿修羅だったら三面六臂(サンメンロッピ)だから、首も二回斬り落とさないと」


「おふたりとも、とんでもない話をしてますね……」

 オトリは子弟を見て苦笑した。


 冗談や四方山(ヨモヤマ)話に花を咲かせ、一同は盃を回し続ける。


――やっぱり、酒は良いもんだね。


 ミズメの胸中を支配していた胡乱(ウロン)の悩みは朧げになっていた。

 だが、くだんの老爺生存の疑念は立ち去るどころか、一歩こちらへ近づいてきている。


――ま、なるようになるさ。


 身構え真面目に立ち向かうよりも、酔いと談笑に紛らせ軽く扱うほうが性分に合っている。


 ミズメは話の切れ目を突いて、師へ率直に疑念を投げ掛けた。

 すると、「そうなのよ、生きてたのよあいつ。私も驚いたんだけどね」とあっさりと返された。

 半ば予測がついていたとはいえ、重大な告知は思いのほか心に響かなかった。


 宴に添えられる話は一変して不穏な議論。復讐すべきかせざるべきか。

 師への疑いも患っていたころは、心に怒りが渦巻き、じじいの頭蓋砕き(ハラワタ)喰い千切らんばかりのつもりでいたが、日ノ本混乱の難事の解決の偉業せいか、愛と友情に囲まれたせいか、あるいは酒と春の陽気のせいか、今一つ復讐に気乗りがしなくなっていた。

 オトリは「したくないなら無理にしないほうが良い」と心配顔を見せ、ウケモチは「仕返しのひとつでもしたほうが、すっきりするわよぉ」と追加の料理を出しながら言った。


「奴の名前は“帶走老仙(ダイゾウロウセン)”」

 銀嶺聖母が口を開く。


 語られるは邪仙、飛鳥の都の時代にて、ミズメを拾い扶養と虐待を行った老爺の正体。

 帶走老仙は銀嶺聖母と同じく、大陸が震旦(シンタン)より日ノ本へ渡った仙道であり、その生まれは人に非ず。

 攫猿(カクエン)なる物ノ怪が仙術を身につけて仙人と成った存在であるという。


「む、人じゃないなら“復讐”ではなく、“退治”してしまえばいいんじゃ?」

 オトリが腕を組み唸る。

「攫猿は大陸では珍しくない化生でね。人の怨みを受けて力を強めるの」


 攫猿はその名の示す通り、猿の物ノ怪で、猿らしく集団で暮らしている。

 しかし、その中に雌が含まれないため、人間の女を攫い、落花狼藉の限りを尽くす存在なのだという。

 それが更に力をつけて仙人と化したのが、かの(シコ)き翁の帶走老仙である。


「そんなの、退治でいいじゃないですか!」

「できれば良いんだけどね……」


 邪仙とは性根がよこしまなる点を除けば、仙人と同等の存在である。その称号に恥じぬ神に等しい霊力と、千の術を操る海千山千の存在。

 銀嶺聖母が彼を討つことができたのは偶然なり。

 ツクヨミとの戦いで力を失った今ではさてはて。


「自分より強い相手っていう割には手を出したんだよね?」

 ミズメは首を傾げる。

「あいつとのあいだに、ちょっとあってね。勝てるかどうか分からなかったから、放っておいてもよかったんだけど……」

 銀嶺聖母もまた、邪仙と確執があった。

 仙人見習いであったギンレイの師事していた仙女は、地上で不老不死を失ったのち、仙薬の窃盗を行い、地上や桃源郷より追放されていた。

 そのさいに仙女に窃盗を唆した上に通報を行ったのが帶走老仙なのだという。


 帶走老仙は仙人と成る以前は“仙女食いの攫猿”と呼ばれており、人の女だけでなく、仙女までも攫ってその力を吸い取るほどの実力者であった。

 ギンレイの師が追放されたのちは、同門の道士なども被害に遭っていた。

 だが、彼女は仇討ちを志して追ったわけではなく、窃盗犯の弟子として追われ日ノ本へ逃れていた身であったために、邪仙に気付かれて追撃や密告をされること恐れ先手を打ったに過ぎない。


「次も勝てるかどうかは分からないわ。今は消耗してしまってるし……」

 不意打ちからの勝利。元より仙女食いの邪仙と仙女の弟子という決定的な差があった。三百年経ってしまえばその差は不透明である。


 ミズメとオトリが月山を下り、紀伊国を目指す旅に出て暫く経ったのち、ギンレイはそのあとを追った。

 弟子とその友人の成長を陰ながら見守っていたが、状況は一変。

 邪仙が生存しており、今もなお、なんらかの研究と思しき活動を行っていることを知ったのである。


尸解ノ法(シカイノホウ)で一杯食わされたのよ。本当はあなたのために、きちんとけりをつけてあげたかったのだけど。勾玉の件もどう転ぶか分からなかったから、監視だけに留めていたの」

「じじいは今は何をしてるの?」

「各地の遺跡を回ったり、物ノ怪や神に手出しをしてるみたい。私が見つけたのも、ただの爺さんだと思ってた旅人が岐神(フナトノカミ)を殺したのを見たからよ。その時の気配ではっきりとわかったの」

「神殺し……。岐神様が悪神ということは滅多にありません! やっぱり退治しなくっちゃ! ギンレイ様の力が弱っているのなら、私が頑張ります」

 鼻息荒い巫女。

「うーん……オトリちゃんには無理じゃないかしら」

 師の表情は浮かない。

「やっぱり強いんですか? 水瓶一杯のお水があれば、黒金(クロガネ)だって穴だらけのばらばらにできますよ」

「霊気や力押しだけの話なら勝てるかもしれないけどね。あなたは、自分の知り合いを哀しませることになっても平気?」

 ギンレイが問う。

「知り合い? 物ノ怪が哀しませたのはミズメさんでしょう?」

 オトリは首を傾げる。

「もしかして、じじいはあたしたちの知り合いなの?」

「そうよ。蜈蚣(ムカデ)退治のことを覚えてる? 怪力の童子を連れた老人がいたでしょう?」


 大力少年の(ヒサギ)と、その扶養者である(アガタ)の翁。アガジイと呼ばれていた長髭の男である。


「嘘っ!? ヒサギさんのお爺さんが?」

「ほーれみろオトリ、怪しいところはいっぱいあったじゃん。さすがに邪仙だとまでは思わなかったけどさ。あたしは、なーんか妙だとは思ってたんだよな」

「あれはミズメさんがご老人が気に入らないからって疑っていただけじゃないですか。実際に不思議だったのは、蜈蚣退治のあとに現れたことくらいで。近江まで一緒に旅をしてたけど、他に不審な点はなかったでしょう? 人形(ヒトガタ)を使った劇だって見事でしたし」

「向こうはあたしに気付かなかったのかな? 邪仙は気配や姿を変えれてもおかしくないけど」

「三百年経てば顔や姿は忘れるでしょうし、名前も違う。魂は鳥のものが入って別の存在になってるから気配でも気付けないかもね。でも、あなたが“真人(シンジン)”であることには変わりはない。それを見抜けなかったとは思えないの。それでも手出しをしなかったのは、“その必要がなかった”からかもしれないわ」

「すでに不老不死ってこと?」

「魂は大きかったけど、普通の仙人の範疇に思えたわね。不老不死を維持するための“代わりのもの”を見つけたってところでしょうね」

「代わり、か……」


 大力の玉無し少年を思い出すミズメ。霊力に依らない不思議な怪力と、一切の霊感を持たない体質。

 不老不死や仙人の事情には明るくないが、ヒサギ少年が尋常の存在でないことは分かる。


「ヒサギさんがミズメさんと同じような目に遭わされてるってことですか?」

 訊ねるオトリの声は固い。

「よーし。さっさとばらばらにしてやろうよ。ヒサギも、じじ離れの良い機会だ。あたしが邪仙の頭を持つから、お師匠様は右足を引っ張って、オトリは左足ね」

「馬鹿なこと言わないでください。引き千切るなら手足じゃなくて、股座(マタグラ)ですよ。男の子相手でも、そういうことは許しません」

 邪仙がその場に居ないというのに霊気を練り始めるオトリ。ミズメは股間が縮こまった。


「それがね。ずっと監視してたんだけど、帶走老仙は彼に何もしてないのよ。ヒサギ君のほうも、よく慕ってるし。本当に良いおじいさんと孫息子みたいにして暮らしてるの。厳しいのは芸の稽古くらいなのよね」

「じつは別人ということは?」

「私があいつの魂を読み違えることはないわ。でも、あいつがヒサギ君に接してる姿を見ると、ミズメを助けてやったばかりのことを思い出すようで……」

 ギンレイは溜め息をついた。

「じじいが善人になった可能性があるってこと? あたしさ、無理に復讐しなくてもいいかなって気がしてるんだよ。変な話だけど、あのじじいのお陰でお師匠様に逢えたんだしさ」

 ミズメは酒気を吐きながら言う。

 スズメはずっと黙って酒を飲み干し続けている。ウケモチはげっぷをした。


「本当に善人になったのなら、斃すべきじゃないのかも知れませんけど。殺された道祖神も善神ではなかったのかも知れませんし。でも、ミズメさんはそれでいいんですか?」

「相手が物ノ怪と分かった途端、いやに退治を推すね。オトリと逢えたのも、じじいのお陰だ。三歩歩いて赦す手もあるんじゃないかな。共存共栄ってね」

 ウケモチから盃を受け取る。注いだ様子はないのに酒の池は青空と桜の雲を映し出していた。


「私が言うのもなんだけど、ヒサギ君との関係は利害の一致だけかもしれないわ。不老不死の種を抱き込むにしても、あなたにしたような扱いはあまり賢いとは言えないし、方針転換しただけかも。私だって、ミズメの精に頼っていたのは事実だし、長生きの術は今でも探してる。それに、オトリちゃんがミズメを退治しようとしたとき、本気で殺す気で術を向けたのよ」

「お師匠様のことは信じてるよ」

 ミズメは師の膝へと寝転がる。

「……ありがとう」

 髪を撫でられる。


「私は納得できません」

 オトリが声を上げる。ミズメは盃を差し出すが、押し退けられてしまう。

「アガジイさんには丁寧な謝罪を求めるべきです。善人になったのなら、過去の悪行を悔やんでるはずですし、彼のためにもなるでしょう」

「オトリちゃん。これはミズメが決めることなのよ」

 師が窘める。

「ギンレイ様も共存共栄を謳うのなら、帶走老仙が邪悪なままだった場合のことも考えるべきです!」

「私はオトリちゃんのことも気遣って言ってるのだけれど。世の中にとって毒の存在だとしても、ヒサギ君にとってかけがえのない存在なら、あなたは殺せて?」

 手痛い指摘か、オトリは「ぐぬぬ」と唸ると茶を飲み干してから器から骨付きの肉を掴んで齧りついた。

 ウケモチが口から同じものを出して補充する。


 ミズメは声を立てて笑った。


「良いね。なんだか、いつも通りに戻ったって感じだ。オトリがじじいに謝罪を押し付けるってんなら、あたしも(クツ)を舐めさせてやろうかな」

「なんで一番の被害者が他人事なんですか!」


「それが“あたし”だからじゃんか」

 ミズメは身を起こす。

「帶走老仙……アガジイさんとヒサギはここから遠くないところに居るんでしょ? 会って確かめようよ。それで斬るか斬らないか決める」


「ヒサギさんはどうするんですか?」

「謝らせる場合は黙っておいてやろう。知らぬが仏ってやつさ。知られた時はー……お師匠様に任せた!」

「物忘れの仙薬でも煎じてあげればいいのかしらね。私も普段は遁世してる上に物ノ怪の身だし、人の心の事情には詳しくないから、それが円満解決なのかどうか自信がないけど」

「お爺さんが死んでも、忘れてしまえば“まし”なのかな……」

 オトリは腑に落ちないという表情である。

「あたしとしては面倒にもなってきたから、適当に赦して、手出しも無理にしないほうが良い気がしてるけどね。月の石ころを持って霧の里に帰って、オトリを叱ったミナカミ様をぎゃふんと言わせるのが楽しみなんだよ」

「お赦しになっていただけるでしょうか……」

 不安げなオトリ。

「赦すどころか、里を乱世から護った英雄だよ。あたしやお師匠様だって同格だ。これで勘弁して貰えないなら、オトリを里から攫って駆け落ちてやるよ」

「ミズメさん……」

 娘の頬が朱に染まってゆく。


「お師匠様、今晩一緒に寝ようか。ツクヨミ退治で力を使い過ぎてるんだ。じじいに挑むかもしれないのなら、精をつけておいたほうが良いでしょ」

 人目をはばからず夜の誘いをするミズメ。

「……遠慮しとくわ」

 ギンレイは盃を呷り言った。

「どうしてさ? あたしは別に嫌だったわけじゃないよ」

「寿命はまだ残ってるし、問題なのは貯えていた仙気や邪気を使い果たしたことだから。それに、あの子が焼きもちを妬くわよ」

 オトリを見て笑う師。


「焼きもちじゃなくって、その……」

 真っ赤な顔をして言葉を詰まらせるオトリ。

「まあ、お師匠様が言うんならいいけど。こう飲み過ぎてちゃ、()つもんも勃たないしね」

 品の無い冗談を飛ばすと、相方からは溜め息が返された。


――……。


 ふと思い付き、再び師の膝へと頭を預けてみた。ちらとオトリを見れば、何やら不満げな表情である。


「どうして、そういうこと平気で言えるのかな」

 不満は言葉にも表れた。

 性分や経験の違いなのだが、口に出せば揉めそうである。

「オトリ~。ちょっと飲み過ぎたみたい。酔い覚ましを煎じてよ」

 師の膝から発ち、巫女のもとへと移る。柔らかな腿の感触が緋袴越しに伝わる。

「飲み過ぎですよ」

 ミズメの頭が揺れた。口を尖らせながらも頭が収まりやすいようにオトリの足は組み替えられた。

 師がくすりと笑う。


「三人とも仲良しなのねぇ。うちの子は大根(オオネ)蓮根(レンコン)ばかりを相手にしてるのよねぇ」

 ウケモチが自身の巫女を見て笑った。

「ほたえんといてください。わぁーしは巫女れすよ。神に仕える身なので、色恋にうつつを抜かしてる場合じゃにゃーのれす」

 呂律の怪しい巫女が反論する。

「あなたの神である私としてはぁ、別に憑代にも妻や夫にもする気はないからぁ、好きにして貰っていいんだけどぉ? 泥を落としたら見れなくもないじゃないのぉ」

「結構れす! わぁーしは山や畑と結婚します!」

 赤い頬のスズメは盃を手に鼻息を吐いた。

「よく見ると、スズメちゃんのお肌って綺麗ですよね。泥だらけにしておくのは勿体ないですよ」

「さかしまなんれすよ。肌理(キメ)の細かい泥を塗るとお肌が綺麗になるんれす。皆さんも、じゅるい田んぼに浸かって、べっぴんになればいいんれすよーぉ」

 ぐいぐいと盃を傾けるスズメ。

「知らなかった。私も田植えしてみようかな」

「良いこと聞いたわね。顔面田植え美容法!」

 ギンレイが何か言った。

「顔面ってなにさ……」

 ミズメが突っ込む。

「こう、口で苗を咥えて泥に……」

 ギンレイが顔面田植えの仕草を披露する。


「本当に土いじりのことばっかりなんだからぁ。あなたもそろそろ、さんじゅ……」

 女神の顔面に盃が命中する。

「うるさい! げぼでも吐いてろ!」

 スズメは目が座っている。


「どぼじでぇ~。おろろろろ!!」

 女神は口から酒らしきを吐き出し、盃に注ぎ込んだ。

 スズメがそれをひったくり飲み干す。


「神様を相手にすごいなあ……。うちの神様にそんなことをしたらどうなることか」

 オトリが苦笑する。

「オトリも飲もうよ。酔っ払ってさ、嫌なことなんて全部うっちゃらかしちゃおうぜ!」

「結構です。スズメさん(・・)のぶんも榛実(ハシバミ)を煎じてあげないと」

 オトリは懐から袋を取り出し、薬草を検め始めた。

天竺(テンジク)では鬱金(ウコン)って植物の根茎を煎じて酔い覚ましにするそうよ」

 ギンレイが言う。

「もうちょっと酔っ払っていたいなあ。オトリ、口食み酒やって」

 口を開けるミズメ。オトリはまたも頬を染めてそっぽを向いた。

「そんな大口開けて。鳥の雛みたいですよ。苦いお薬を入れちゃいますよ」

「燕も鴉も似たようなもんじゃんかー」

「違います。ミズメさんは、もう少し恥じらいを持つべきですよ。足も広げて座りますし、衣も破れてるのに気にしないなんて」

「半分は男なんだからいいじゃんかー」

「よくありません! 私より立派なものをはみ出させてて何をおっしゃってるんですか!」

 どさくさに紛れて乳が突かれた。

「オトリのが足りてないだけだろー」

 仕返しにオトリの衣の袂を引っ張ると、額が引っ叩かれた。


「そうらぞ、乳もにゃーくせにーっ。わぁーしは泥ららけなのにぃー。衣を“かえこと”してくんにゃー! 稲荷様の衣、いかめいよーぉ」

 泥まみれの酔っ払いが指をさして憤慨する。


「これはお使い様から頂いた大事な衣です。スズメさんはスメラギ様に目を着けられないように泥だらけなんでしょうに」

 衣の袂を直すオトリ。

「そう言えば、さっき村の人から聞いたんだけどぉ、山向こうの村の巫女が帰ってきたそうよぉ」

白炭(ハクタン)様でしたっけ? それは良かったですけど、どうして戻って来られたんでしょうか?」

「なんかぁ、スメラギ様の隠処(クミド)に招かれたんだけどぉ、粗相があったそうでぇ、それで追い返されたんだとかぁ」

「粗相って? 竈神(カマドカミ)の巫女だし、摩羅(マラ)を火術で炙ったりでもしたのかね?」

 ミズメが訊ねる。

「火じゃなくって水だってぇ。朝起きたら、寝床が水浸しだったそうよぉ。彼女の悪癖は村でも有名な話らしいわぁ」


「あっはっは!」「ぎゃはは!」

 酔っ払い二人が笑う。


「人の悩みを笑うなんて良くありません!」

 オトリが非難する。

「それとねぇ、ギンレイおねえさまが風水を弄ったさいに、あっちのほうまで草木が伸びたからぁ、焼けた森も少しはましになったみたいねぇ」

「そっか、向こうの村も安泰か。さっすがお師匠様だね」

「ギンレイ様は火事や禿山のことまで計算に入れて借寿ノ術(シャクジュノジュツ)を?」

「さて、どうかしらね?」

 微笑むギンレイ。

「案外、その巫女も村に帰るためにわざと寝小便をやったのかもしれないね」


「わぁーしの寝床は牛の糞がくっついてるぞーっ!」

 スズメが何ぞ叫んだ。


「もう、その話はやめにしましょう」

 オトリが柏手を打つ。

「ともかく、何もかも上手く行っているということで。ミズメさんの衣装だけ直したら、アガジイさんとヒサギさんの様子を見に行ってみましょうね」

「そうだね」

 返事と共に笑顔を上へと向ける。ミズメは相変わらずオトリの膝に頭を置いていた。

 相方がこちらを見下ろす。なかなか微笑みを返さないその顔に、しつこく視線を送る。


「……」「……」

 なんと無しに見つめ合うふたり。


 オトリは咳払いを一つすると、ミズメの頬をつねった。


*****

引敷(ヒッシキ)……獣の皮で作った腰巻。

(ムシロ)(フスマ)……蓆は敷物。通常は藁や(ガマ)などで編で作る。衾は寝るとき用の厚手の衣。

いっぱこ……いっぱい、たくさん。

岐神(フナトノカミ)……道祖神の一種で、牛馬の守護、魔除け厄除け、旅の安全を司る。道の分岐点などに祀られて村落に悪いものが入るのを防ぐ。

かえこと……取り替えっこ。

じゅるい……ぬかるんだ。

いかめい……うらやましい。


【今日の一首・ミズメ】

「春風に 遊ぶ小鳥と 吹き立つは 真昼の月の 桜叢雲」

(はるかぜに あそぶことりと ふきたつは まひるのつきの さくらむらくも)

……春風を受けて舞い上がったのは遊んでいた小鳥と、真昼の月に見立てた盃に叢雲のように掛かっていた桜の花びらである。

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