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化かし063 銀嶺

(キタナ)き女め。まだ生きておったか」


  陰陽二色(フタイロ)の気をまとい、生える翼が同色に染まる。

 “ミズメ”は右目燃やして声色低く愚痴を零すと、おもむろに立ち上がった。


「おえええっ」

 保食神(ウケモチノカミ)は口から滝のように五穀を吐き出して挑発した。


「……黄泉國(ヨモツグニ)へ送ってくれようか。母上は悪食ゆえに、そなたの力も喜んで頂けるであろう」

「あんなくさいところに行ったら吐いちゃうわよぉ。遠慮しておくわぁ」

 ウケモチは口から桃の実を吐き出して投げ付けた。首を曲げて回避される。

「どうしてこう、女神には不愉快なやからが多いのであろうな」

伊邪那岐(イザナギ)様だって女神じゃないのぉ。お母さんが良いっていうなら、私のお乳はいかがぁ?」

 衣をはだけさせるウケモチ。

「今一度、刺し殺してくれよう」

 星降りの小太刀を抜き放つ“ミズメ”。陰陽の大翼が開き、飛翔と共に突きを繰り出す。


「ウケモチ様じゃにゃーで、わぁーしが相手です!」

 背の低い巫女が片足で地面を叩くと、ウケモチの周囲に八体の土饅頭がせり上がった。

 それらは手足を生やし、人の形を成す。


「戯れだな」

 “ミズメ”の刀の切先が無数の三日月を描くと、土の人形(ヒトガタ)たちは一斉にばらばらになった。

「あとは任せたわぁ~」

 ウケモチは牛に化けると森の中へと走り去って行った。

「巫女を捨てて逃げたか。……そなたらの話はすべて聞こえていた。あさはかにも私を滅しようと考えているようだな」

 土人形が再生し“ミズメ”に殴りかかった。“ミズメ”はゆらりと身をかわし、頭から半月に叩き割った。

「そなたらがこの肉体を殺せぬことも知っておる」

 “ミズメ”は緩慢に人形を斬り捨て続ける。そのやいばの輝きは鈍く、身のこなしは人のそれと変わらない。


「勿体ぶってないで早く力を出しなさい。陰に染めて消し飛ばしてやるわ」

 白翼の女がじれったそうに言う。

「そうだな。私も戯れに来たわけではない。計画に差し支える存在を滅さねばならぬのだ」

 “ミズメ”は翼を光り輝かせ空へと舞い上がる。

 滞空していたギンレイは身構えたが、神気を帯びた光の羽は地上へ向かって射出された。


「こっち狙いですか!」

 オトリは輝く水を繰り、飛び掛かる羽を払い落す。


「そなたが一番厄介なのだ。その身は姉上の子飼いの器として成熟しつつある」

 繰り返し放たれる光の羽。

 地上より土の蛇が現れて“ミズメ”とオトリのあいだに割って入った。

 次々と現れる土蛇。八匹の蛇が鳶を狙う。


「煩わしい」

 くるり一回転。神々しく輝く翼が蛇たちを斬り払った。


「今よ!」

 神の気に向かって手を翳す銀嶺聖母。

 “ミズメ”の翼の白い輝きが黒へと転じた。


「はっ!」

 発気(ハッケ)の掛け声と共にオトリが祓えの気を放出した。

 翼の放つ黒き靄が霧散する。


「こそばゆいな。矢張り愚策。この程度では月の満ち欠けを八十(ヤソ)と繰り返すほどに続けねば、私を滅することはできぬぞ」

 挑発するかのように神気を高め、その身を輝かす“ミズメ”。

 光はすぐさま白より黒に転ずる。


 すかさず巫女は周囲に祓えの玉で星図を描き、さかしまに天へと昇る流星群をお見舞いした。


 黒い鳥人を聖なる爆発が包み込む。

 邪気は散ったが“ミズメ”は相変わらずの涼しい表情。


「仕返さねばな」

 地に降り立つ“ミズメ”。オトリに向かってまばゆい光を放つ小太刀で突きを繰り出した。


「遅いですよ」

 常人離れした後ろ跳び。

「ミズメさんの太刀筋はもっと格好良いのに。翼の使いかたもなってません!」

 オトリは再度の突きをいなして突き飛ばす。


「憐れな。この身体はそなたを突きたがっておったぞ」

 愉快そうな笑いと共に起き上がる“ミズメ”。


「お月様の神様なのに、無粋なかたですね。慣れにゃー身体では、私たちには勝てにゃーですよ」

 またも土人形と土蛇が飛び掛かる。

「月の満ち欠けのごとく、きりがないな。しかし、土くれだけでは花は育つまい」

 穢れに転じた神の腕が土人形の打撃を止めた。

 しかし、土はそのまま“ミズメ”の腕に伝播し、這いずりまわり、全身を覆い尽くした。


「清めの土です」

 土人形が光り輝き破裂した。中から穢れを失った鳥人が現れる。


早乙女(サオトメ)は地に這いつくばっておれ」

 “ミズメ”はスズメに向かってこぶしを突き出すと、親指を人差し指と中指のあいだに入れた奇妙な形で握り込んだ。


 すると、スズメは苦悶の表情を浮かべ、下腹部を押さえてうずくまった。

 彼女の土術で操られていたすべての傀儡がただの土へと還る。


「スズメちゃん!」

 オトリが駆け寄る。

「女が月に抗えるはずがなかろう」

 不敵に笑う“ミズメ”が空に向かって手を翳す。


 ふいに、夜空に広大な光の円が点滅して現れ、神気の球体を作り出した。


「あれは……月?」

 巨大な球体は静かに浮かんでいるが特に何も起こらない。


「なんだか知らないけど好機ね!」

 震旦(シンタン)生まれの物ノ怪女が腕を振り上げ印を結ぶ。


 ギンレイは漆黒の焔に包み込まれ、その黒焔が龍の姿を取った。

 穢れの黒龍は神の生んだ月の周囲を素早く駆け巡り、瞬く間に凶星(マガボシ)へと変じる。


「すごい、邪龍を生んだ……。私も頑張らなきゃ!」

 巫女が発光し清めの柱を展開する。


「ぶっとくて立派な柱ね。私までお浄めされちゃいそう」

 しかし、柱は広がり続けて黒き月の前まで迫ったが、消えてしまった。


 オトリもまた胎を押さえてうずくまっていた。


「戯れは終わりだ」

 “ミズメ”が先程よりも強く親指を握り込むと、オトリは悲鳴ではなく絶叫を上げてのたうち回り始めた。


「その子に乱暴しないで貰える? 私の大切な弟子のお友達なの」

 氷の針が“ミズメ”のこぶしに突き刺さった。


「その大切な弟子の肉体を傷付けるか」

「あの子なら赦してくれるわよ。むしろ、そうまでしても助けなきゃ嫌われちゃうわ」

 ギンレイは氷の柳葉刀(リュウヨウトウ)で斬り掛かる。星降りの小太刀がそれを受け止める。


「そうやって三百年間も機嫌を取り続けてきたのか? 余程、真人(シンジン)の精は(アタラ)しいと見える」

「そうね。ミズメと寝れば身も心も若返るわね。でも、あの子に嫌われたら千年分は老けるわ」

 宙で斬り結ぶ二羽の鳥人。

「そなたは鳥の物ノ怪であろう? 鳥獣の分際で人のような欲を持ち、生に執着するのはなにゆえだ?」

「鳥って多情なのよ? 焼きもちも妬くし、決まった相手と死ぬまで連れ合うのだって珍しくないわ」

「興味がないな」

「花鳥風月ってひとまとめに言うじゃないの。あなたは月でしょうに。同僚にも興味がないのかしら?」

 ギンレイが手を翳す。


 すると風が吹き、山々から新緑の葉や花びらが舞い上がった。

 無数の葉は鋭利なやいばに変じて“ミズメ”に襲い掛かる。


「風花とはいえ、これは“不自然”だ。私は月の意志そのものぞ」

 発光する翼が身体を包み込み、草花の嵐から神の身体を保護する。


「花に嵐という言葉があったか。同僚といえば、月を司る女神の一人に、震旦の出の者があったな。その女は元は優れた仙女で、人里に下りてその力を披露し、持て囃され、夫や多くの弟子を得たという。しかし、俗世に染まったために不老不死を失った」

 星のやいばが振り下ろされる。氷の刀身が打ち砕かれた。

「仙女は不死の秘薬を偸み出そうとして国を追われ、月へ逃れた。そして月を見上げる者たちに祀られて神となった。そなたも不老不死を求めていたであろう。弟子に見放されれば、どこへ逃げる?」

「……そんな人もいたわね。見放されたのは弟子のほう。そして、弟子が逃げた先で出逢ったのがあの子よ。“ここから先”はないの。“ここ”が私の終着」

 ギンレイは結晶のつるぎを再生させる。それを翳すと吹雪が吹き荒れ始めた。


「肉体を共有するゆえ、私にははっきりと分かるぞ。そなたの弟子は、そなたの愛を未だに疑い続けておる。人の心は移ろいやすい。いくら月讀(ツクヨ)み日を拝もうとも、玉響(タマユラ)の間に愛憎転じることも珍しくはない。見るがよい、そなたが塗り替えた月を」

 “ミズメ”が指差す先。


 巨大な黒。邪気でできた月は静かに佇むばかり。


「月は化生を呼ぶ。それが夜黒ノ気(ヤグロノケ)でできておれば、なおさらな」


 地上で悲鳴が上がった。


「オトリ様、しっかりしてくんにゃー! 物ノ怪がいっぱいこ来てます!」

 スズメはツクヨミの攻撃から復帰をしているようだ。土人形や土蛇を繰って、黒き靄を纏った山犬や大蛇、巨鳥と交戦していた。

 一方でオトリは気を失ったか、倒れ伏したままである。


「あの者たちを救えねば、そなたは嫌われてしまうな? どうだ、母の計画に加担せぬか? ことが済めばこの者の肉体は返してやる。そなたらほどの使い手であれば、この地に混乱を起こすのも容易かろう」

 誘う“ミズメ”。

「折角だけど、お断りするわ。あなたの家族の問題なんだから、他のひとを巻き込むのはよしてちょうだい」

「我らが父母の問題は計り知れぬのだ。そなたの国ではこういうのであろう? 燕雀(エンジャク)(イズク)んぞ鴻鵠(コウコク)(ココロザシ)を知らんや、とな」



「燕には燕の、雀には雀の生きかたがあるのよ」

 ギンレイの手にした氷の柳葉刀の柄が伸び偃月刀(エンゲツトウ)へと変じた。



「それでどうしようというのだ?」

 嘲笑い。しかし一転、苦悶の表情に。



 小太刀を握った腕が地面へと落ちていった。



「本当は傷付けたくないのだけれど、オトリちゃんが動けない以上、仕方がないわ」

「弟子の腕を斬り落とすか」

「月は欠けどもまた(ミツ)るもの……でしょ?」

 ギンレイは再び大刀を振るい、残った腕を斬り落とした。

 “ミズメ”は男声で苦悶の声を上げる。


「さっさと再生しなさい。再生には相当な霊気を消耗するんじゃないの? だけど、その半月(ハニワリ)の身体はとても貴重なもの。惜しいのはあなただって同じでしょう?」

 偃月刀構え、宙に無数の氷柱(ツララ)を出現させるギンレイ。


「お見通しか。仙人崩れ程度であれば、容易く抱きこめると思ったが、甘かったようだな」

 “ミズメ”は切断された腕を再生させた。


「獅子は我が子を千尋(センジン)の谷に突き落とすってね!」

 斬りつける師。その頬を鮮血で汚す。


「泣いて馬謖(バショク)を斬るか」

 “ミズメ”は羽ばたき距離をとる。追いすがる巨大な氷柱群。陰陽二色の羽を飛ばして相殺する。


「その程度で精一杯? 憑依できるってだけで、身体の相性はいまいちなんじゃない?」

「今はな」

「私とその子の相性は完璧だったわよ」

「……だが、女は女だ」

 “ミズメ”は右のこぶしを銀嶺聖母へと向け、親指を腕が震えるほどに握り込んだ。


 追いすがる女が獲物を振るい右腕を斬り落とす。

 月神舌打ち、左こぶしを構え右手を再生。斬り落とされる左腕。すかさず右を構え左を再生。またも切断。

 右、左、右、左、右、左、右、左。

 切断のたびにギンレイの頬を返り血が濡らし、雫が伝う。


「なぜ効かぬ!?」

 明らかな焦燥。


「私にこれ以上ミズメを斬らせないで。大人しく滅されて頂戴」

 答えぬギンレイ。


「さては石女(ウマズメ)か。物ノ怪め。胎が虚ならば、私の術が効かぬのも……」

 宣う舌が凍結して砕け散った。


「あの子の口でつまらないことを言わないで!」

 その子の喉笛掻き切るギンレイ。“ミズメ”が血泡を吹いて落下していく。


「やり過ぎた!?」

 思わずか、急降下し手を伸ばすギンレイ。その腹に光の羽が突き刺さった。

 更にどこからか鳥の物ノ怪が飛来し、鉤爪で背後から襲い掛かった。


「今のは騙し討ちだ。どうだ、“あの子”らしく後ろ(キタナ)かろう?」

 天狗の笑い顔。


 ギンレイが魔鳥の群れに呑み込まれる。鳥たちは凍結し、砕けて赤い霧氷となり空に散った。

 高まる仙気。吹雪烈しく、空が光り雷鳴が轟いた。


「絶対に赦さない」

 噴出する陰ノ気。邪龍纏い、鬼の形相。


「仙人とはいえ、邪気の使い過ぎはこころを滅ぼすぞ。そなたの嫌いな不健康というものだ。それに、不老不死の種のために命を賭けるのは矛盾というものではないか?」

 愉しげに笑う“ミズメ”。


「そんなものはついでよ。ミズメは私の大切な家族なの。あなたなんかにくれてやらないわ!」

 風水師が両腕を向けると、月神の身体が白く霜に染まってゆき、動きを静止した。

 更に投げ付けられる霊苻。呪縛のいかづちが弾けて凍った標的を縛る。


「加減が分からないけど、勘弁して頂戴ね!」

 立て続けに口の中で異国の呪文を唱え始める道士。

 袖の中から(イバラ)が伸びて、これも“ミズメ”を取り押さえに掛かる。


「ふたりは!?」

 道士が下を見れば閃光。穢き断末魔と清廉なる光の柱。あれだけ群れていた魔物たちは影も形もない。

 ふたりの巫女が空を見上げている。

「やっと起きたわね。動きを封じてるうちに速攻で決めるわよ」

 ギンレイは更に上昇すると、その身体より二頭の邪龍を生み出した。龍は脈打ちのたうち、宙に固定された“ミズメ”に向かって叩きつけられ、神の色を黒へと染め変える。


「お祓いが追い付かない!」

 ふたりの巫女が袖振り閃光を浴びせるも黒が優勢。


「風水を弄るわ! 祭祀場の中央に立ちなさい、龍脈の力を借りるの!」

 黒龍を繰りながらギンレイは叫ぶ。


 そして、自身の顔の前に手を持って行くと、大きく口を開き、“何かを摘まみだすような仕草”をした。


 口の中から青白い炎のようなものが現れる。

 それは霧に変じ、あたりに薄く広がっていった。


「ギンレイ様! 今の術は!」

 オトリが声を上げる。


「いいから! 動きを止めてるうちに全力で祓えの力を注ぎこんで!」

 口から魂の煙を吐き続けるギンレイ。


「……それ清陽(セイヨウ)は天となり五行(アラワ)し、濁陰(ダクイン)は地となり八方定めし、万物に妙用をいたす。願わくば花咲き、鳥(サエズ)り、風そよぎ、月を満ち欠かんことを。青春、(セイシュン)朱夏、(シュカ)素秋、(ソシュウ)玄冬、(ゲンドウ)。我が稀人(マレビト)たる魂をもって春を日ノ本に招かん。精霊どもよ、急々に律令のごとくに応えよ!」


 刹那、吹雪がやんだ。雷雲が穏やかな叢雲を残して立ち去り、暴風はそよ風へと変じた。


 続いて雪を被った大地から無数の芽が顔を出し、見る見るうちに伸び始めた。


「おとろっしゃー! 冬になったと思ったら、もう春なっちゃったねーぇ!」

「植物が生長していってる!」

 巫女たちが声を上げる。


 森が膨らみ始めた。若木は太くなり枝を伸ばし、蕾ふくらみ、草花が生い茂る。


「ふたりとも、決めるわよ!」


 返事代わりにオトリの極大の祓え玉が天に打ち上げられる。黒き月が爆ぜて代わりに鎮座するその姿は太陽か。

 うらうらに照れる光に誘われ朝と間違ったか、二羽の雲雀(ヒバリ)が現れ、枝に腰掛けた。


 山々は春。桜の花が開花した。


「良いものを見せてもらった。鳥の化生のくせして、やりおる。ほんのいっときとはいえ、月神であるこの私を封じ、春を招くとは。神のごとき所業であるな」

 札燃え落ち、茨切れ、月讀命(ツクヨミノミコト)の封印が解け始める。


「オトリ様! 大地の精霊の力が、えりゃあ強くなってますよ! こんなことができゃーなんて、まるで神様みてぇーです!」

「お力、お借りします!」

 白き祓えの柱も太く烈しくなり、龍のごとくうねる。


 “ミズメ”を中心に陰陽二頭の龍がぶつかり合い、渦を巻いた。


「口惜しいがここまでのようだな」

 口を歪める“ミズメ”。陰陽の渦が消え、ゆっくりと翼を羽ばたかせ、地へ下りた。


「まあよい、最期に意趣返しといこうか。神が滅されるのであれば、器は不要であろう?」


 “ミズメ”は羽を一枚抜き、頭上に掲げた。


「やめて!」

 白き翼の女が急降下。風が(ハシ)り、桜吹雪を巻き起こす。


 伸ばされる腕。


 指先がミズメの胸へ届き、師から弟子への烈しき抱擁。


「弟子と心中する気か? 虚しき人の世で生きるよりは(サカ)しき選択であろうな」

 自害の羽は一層長く鋭く変じる。


「ギンレイ様!」

 巫女の叫び声が桜と共に流れる。



 べちゃり。



 ……ツクヨミの頭に“何か”が衝突した。



 地面でのたうつのは、一尾の(タイ)



「……忘れておったわ」

 僅かに残った神気を陰に染めて不快感を表明するツクヨミ。

 手にしていた羽根は投げられ、一頭の牛の眉間へ突き刺さった。


 牛は頭を爆ぜさせ、地面に横倒しになった。


「お帰り願います!」

 オトリが駆け付け、祓えの光を一閃。



 “ミズメ”から男の表情が消えた。



 それから、ミズメは聖母の背へと両腕を回した。


「お師匠様。ずっと聞こえてた。大好きだよ」

「私もよ」


 残雪と桜の野の上で鳥人たちが抱き合う。


「良かった。でも……」

 オトリが寂しげに呟く。


「そうだ。ウケモチ様が!」

 ミズメは師から身を離し振り返った。


 血の海に横たわる頭の無い牛と、その前に佇む、泥だらけの巫女の姿。


「あたしたちの身代わりに。ごめんよ!」

 ミズメは駆け寄り、ウケモチの亡骸と巫女に頭を下げる。

「お気になさらにゃーでください」

「そんなこと言ったって……」

 牛の死骸からは生気も神気も感じない。


「ほたえにゃーでください。ウケモチ様」

 スズメは溜め息をつくと、森のほうを向いた。


「だってぇ。なんか良い雰囲気だったし、お邪魔かなぁーって」

 桜の木の陰から女神が現れる。


「生きてたの?」

「死ぬかと思ったわよぉ。森に逃げ込んだのに、物ノ怪や獣に追い回されちゃうしぃ。でも、ツクヨミは斃せたみたいで良かったわねぇ。仕返し完了よぉ。これで私もしばらくは安心して暮らせるわぁ」

 表情をくるくると変えるウケモチ。

「この牛は? あたし、ツクヨミに憑かれてからも、途切れ途切れに意識があったんだよ。ウケモチ様は牛に化けてなかった?」

「その牛はウケモチ様が吐き出した牛ですね……。お祓いの気を練ってる最中に、“それ”を吐いてる姿が見えていたので、集中するのに物凄く苦労しました」

 オトリが苦笑い。


「ミズメ、勾玉を見せてちょうだい」

 師に促され、首にかけていた八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を差し出す。


「……気配が消えてる。あとは石を砕くだけね」

 勾玉が返される。

「すぐ砕かないの?」

「ちょっと力を使い過ぎちゃったから、しばらくは無理ね」

「ギンレイ様はお疲れなんですよ。勾玉は他の手段で砕きましょう」

 オトリが割り込むように言った。


「それに、春の陽気で風水を強化するのに借寿ノ術(シャクジュノジュツ)で魂を削ったから、百年くらい老けたわ」

 けろりと話すギンレイ。

「ギンレイ様」

 オトリは目を丸くする。


「ほんとだ、しわが増えてる」

 ミズメは師を見て笑い、小突かれた。


「魂が大幅に削れてしまったんですよ? 心配しないように隠すのかと思ったのに。ギンレイ様の寿命はもう……」

 オトリは言葉を詰まらせ鼻を啜った。


「じゃあ、また伸ばせばいいんじゃないの?」

「伸ばすって」

「あたしの精があるじゃん」

 腰に手を当て歯を見せる。

 巫女の娘は真っ赤になって黙りこくった。


「ま、そんなことは後回しにして。それより、やらなきゃいけないことがあるでしょ!」

 ミズメは恥じ入る相方を見て笑う。

「そうよ、オトリちゃん。ツクヨミの一端を滅ぼしたのよ」

 ギンレイも窘めるように言った。

「そうでした。急いで戻って、ミナカミ様か天照様にお頼みして石を砕きましょう。それが駄目なら、ナムチさんたちのところの炉で……」

「そーじゃないでしょ」

 ミズメは両腕と翼を広げた。ぼろぼろの衣の脇を桜のそよ風が駆け抜ける。


「えっ?」

 首を傾げるオトリ。鼻先に花びらが乗っかった。


「この“べこ”も料理してあげにゃーといけないですね」

 スズメが言った。

「私も()にふるいを掛けておもてなしするわぁ」

 早くも嗚咽を漏らすウケモチ。

「ウケモチ様はお酒も出せるの?」

 ミズメが訊ねる。

「出せなくもないけど、飲むほうが好きねぇ」

「そういえば、口食(クチハ)み酒ってのがあるね。神事で出されるものだから、あたしは試したことはないんだけどね」

 そう言ってミズメは“どこからともなく”酒瓶を取り出した。


「あの、なんでお酒を?」

 相方は花びらを乗っけたまま、またも首を傾げた。


「オトリちゃんはまだ分からないの? お花見よ。お花見」

 ギンレイが言う。

「面倒臭いことは後回しにしてさ。まずは神殺しの祝いといこうよ」

 花びらをつまみあげる。


「そうですね。でも、神殺しじゃなくって、荒魂(アラミタマ)を鎮めたって仰ってください!」

 オトリは笑顔で答えた。


「これを(サカナ)に飲まなきゃ、罰が当たるってもんだよ」


 あたりを見回せば、一面に広がる桜の海。師や親友も満開の表情で並ぶ。

 星空は西へ去り、東雲(シノノメ)が明けの訪れを告げている。


 力無き石を胸にしまい、ミズメは今日の宴へと思いを馳せたのであった。


*****

早乙女(サオトメ)……田植えをする若い女。

花に嵐……良いことには必ず邪魔が入ることへのたとえ。

鴻鵠(コウコク)……大きな鳥や大人物を指す。あるいは白い鳳凰。燕雀~の下りは偉大な人物の行いは矮小な者には理解できないということ。

稀人(マレビト)……端的に言えば来訪者を指す。客人(マロウド)現人神(アラヒトガミ)

おとろっしゃー……驚いた。

ほたえる……ふざける。

べこ……牛。特に仔牛を指す。

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