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化かし060 保食

保食(ウケモチ)様! お客様になんてことを!」

 巫女のスズメが駆け寄ってくる。

「ミズメ様、だんにゃーですか?」

 泥だらけの巫女は、肥料をたっぷり含んだ畑に躊躇なく袴を浸して侵入し、こちらに小さな手を差し出してきた。

「う、うん。だんにゃー……」

 ミズメは手を借りて立ち上がるが、ウケモチと呼ばれた女神は、眠たそうなまなこでこちらを睨みつけている。


「助けちゃだめよぉ。そいつは殺し屋よぉ。こいつから、ツクヨミの気配をびんびん感じるわ」

「ひょっとして、これかな……」

 ミズメは手が堆肥で汚れていたので躊躇をしながらも、懐からツクヨミの荒魂を司る八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を引っ張り出した。


「ひいいっ!」

 女神は後ずさり悲鳴を上げると、全身を光り輝かせて牛の姿へと変じた。


「このツクヨミの神器が問題を起こさないように、破壊か封印をする方法を探して旅をしてるんだ。あたしたちはツクヨミの使いとは反対の立場だよ」

「ほれ見たことですか。だから、わぁーしが先にお話を聞いてきますって言ったのに! お客様に謝ってください!」

 スズメが牛を叱る。

 しかし、牛は「んもぅ」とひと啼きすると、そのあたりに生えていた草を齧り始めた。


「まぁた、牛のふりをしなさる。……とにかく、ミズメ様の身清めをしましょう。それから、うちの神様のことをお話しいたします」

 ウケモチの巫女は溜め息をついた。


 一行は糞まみれになったミズメを清めたのち、スズメの暮らす小屋へと招かれた。

 藁ぶき三角屋根の、なんの変哲もない造り。内部には特に神職らしい調度品はなく、矢鱈と多くの農具が立て掛けてあること以外は、これぞ農民の住まいといった様相である。

 五人で囲炉裏を囲えば、少々窮屈であった。


「まだ、くさいわね」

 ミズメの隣に座するギンレイがぼやく。

「あたしのせいじゃないっつーの」

 腹いせに霊気で風を操り、臭気を師の鼻へと送った。ギンレイはむせかえった。


「先程はうちの神様が大変失礼をいたしました」

 小さな巫女が床に両手をついて謝る。

「ごめんなさいねぇ」

 間延びした声の謝罪。悪びれていないように聞こえる。


 さて、このミズメに頭突きをお見舞いした保食神(ウケモチノカミ)

 彼女は五穀豊穣を祀る、いにしえの国津神(クニツカミ)で、遥か昔に月讀命(ツクヨミノミコト)によって刀で刺し殺された存在なのだという。

 刺し殺されたがそこは神。死してもなお、その魂の一端を遺し、牛や馬に化けて今日まで生き長らえていたのだという。


「あの、ウケモチ様って、あのウケモチ様ですか? アマテラス様がツクヨミ様を遣わされたっていう言い伝えの」

 オトリが訊ねる。

「そうよぉ。当時は私が地上の食べ物を管理しいて、今でいう稲霊(イナダマ)の長の立場にあったから、アマテラス様が国造りのために相談したいって。でも、殺されちゃったの。酷い奴よねぇ」

 嘆き身体を揺する女神。彼女の動きに合わせて豊かな胸が揺れた。

「なるほど豊穣の神様……。ツクヨミ様はどうして刀を向けられたのですか? いくら気紛れな天津の神様でも、理由も無しにそのようなことをなさるとは思えませんが」

「私は食事を出しただけよぉ。スズメ、器を出してちょうだい。おもてなしをしなくっちゃ」

 女神は笑顔で言った。

「あの、よしたほうがええかと」

 躊躇する巫女。

「どうしてえ? お詫びも込めて、私の()によりを掛けたお料理を用意するから」

 スズメはしばし沈黙したのち、葛籠(ツヅラ)からいくつかの皿や椀を取り出して差し出した。


 そしてウケモチは椀を受け取ると、


「おええっ!」


 口から椀の中へ“白くてどろどろした物体”を吐き出した。


「はい、どうぞぉ」


 その椀がミズメの前に置かれる。


「はっ?」

 女神の顔を見つめるミズメ。


「どうぞ召し上がれ。都で流行りの白米のおかゆよぉ」


 ウケモチは楽しげに言うと今度は皿を手に取り、


「うっ、うおおおええっ!」


 なんと、口から大きな鯛を吐き出した。

 神の力で生み出された鯛には、すでに焼き上がった状態で香ばしいにおいを漂わせていた。表面に光る白い粒は塩だろうか。


「次は(シシ)を出すわねぇ」

 そう言って後ろを向く女神。嗚咽と共に肩が大きく上下し始めた。


 しばらくすると獣のうめき声が聞こえ始め、一頭の猪が現れたかと思うと、小屋の外へと走り去ってしまった。


「間違って、生きたままのを出しちゃったぁ~。もう一回頑張ろぉっと」


 ミズメたちは何も言葉を発せなかった。


「だからなんですよ。こうやっておもてなしをしたので、気持ち悪いと言われて刺されたんだそうです」

 女神の背をさするスズメ。

「うっ、おえっ。お食事、いっぱい出すからね」

 ウケモチは涙目で頑張っている。


「あたしもいっとく?」

 腰の小太刀に手を掛けるミズメ。


「こらえてくだしゃー……。へんてこなかたですが、尊い神様なんですよ。この地はいつも豊作ですし、お出しになる食べ物も、うみゃーですよ」

「あんた、食ったのか……」

 絶句する。


「せめて人目のにゃーとこで出してくれればいいんですけど……。そんなだから刺されるんですよ」

 スズメは溜め息をついた。

「それにしたって殺すことはないわよぉ」

 食物の神は口をもごもごさせながら言った。


「……先程も説明しましたが、私たちはイザナミ様を地上に招く企みを阻止しようと旅をしているんです。ウケモチ様が恐れる必要はありませんよ」

 オトリが説明し直す。彼女の前におかゆの椀が置かれた。

「信用できないわぁ。その勾玉の気は、ミズメちゃんにかなり馴染んじゃってるしぃ」

「あたしに馴染んでる?」

「ミズメちゃんってひょっとして、“どっちも有り”か、“どっちも無し”じゃないかしら?」

 半陰陽を言い当てる女神。

「そうだけど、なんの関係が?」

「アマテラス様の“弟”なんて言われているけど、本当はツクヨミも同じ半月(ハニワリ)なのよぉ。それと、あいつはふたつの勾玉に分かれて不完全な状態だから、葦原中國(アシハラノナカツクニ)に強く干渉しようと思ったら神代(カミシロ)が必要なの。あいつは普通の“男”や“女”の身体には降りられないのよぉ」

「へえ……同じねえ。あたしの身体にツクヨミを降ろせるってこと? 凄い偶然だね。この石もたまたま見つけて拾っただけなんだけど」

 もぬけの殻の秋田城に落ちていたところを拝借しただけである。

「ツクヨミは予知の力にも長ける神だから、あなたが拾うことも全部見越してたのよぉ。だから、私のおもてなしも知ってたでしょうし! 初めから殺す気だったに違いないのよぉ!」

「わぁーしは予知してにゃーところに“おもてなし”があったから、お怒りになったんだと思いますけど」

 スズメがぼやく。


「人の身体と翼を得れば、瞬く間に地上を混乱に陥れられる……。それに、ツクヨミ様ほどの神様に憑依されれば、抗うのは難しいです。二度と身体を返してもらえないかも」

 オトリは不安気にこちらを見た。


「三貴神の一柱とはいえ、私のミズメはくれてやれないわね。絶対に渡したりなんかしないわ」

 ギンレイが真剣なまなざしでこちらを見つめる。


――私のミズメ、ね。


 愛に反吐(ヘド)を吐くミズメ。

 彼女は“自身の肉体を奪われる”という大事をよそに、胸のうちに渦巻く“別の疑念”に気を取られていた。

 

 銀嶺聖母はもとは仙女の弟子の物ノ怪であり、仙人に片足を突っ込んだ存在である。

 仙人を目指すとは不死を目指すのとほぼ同義であり、彼女もまた例外でなく、老い(クズオ)るのを嫌い、不老長寿にまつわる術や薬などの研究をしていた。

 ときおり口にする“健康法”もその一環である。


 物心つく前のミズメを拾い、夜すがらの淫靡な地獄を与えた(シコ)き翁もまた、“彼”の身体を利用していた。

 長きに渡って朧げになっていたその記憶は、影鬼隠垉(オンホウ)の術により、その姿を鮮明に蘇らせた。

 ミズメは、陰陽両の性を持つというある点において究極の存在である。それは真人(シンジン)とも呼べよう。

 真人にまつわるものには不老長寿の噂も付きまとう。

 血を啜れば若返れるだの、肉を喰らえば不死になるだの、精を吸えば寿命が延びるだの……。


 思い出された記憶の中に、「翁がミズメの“男性”を不老長寿に利用している旨」を語るくだりがあった。

 そして、銀嶺聖母もまた、物ノ怪と月満ちの引き合いによって疼く身体を慰めるために、ミズメに対して身体上の要求を行うことがあった。


――そうならそうだって言ってくれれば良かったのに。


 元より気楽な性分であるからか、ミズメは翁に貴人や僧侶と袖をかわし合うことを強要された過去があろうとも、師との肉の交わりを拒絶することはなかった。

 刹那的な快楽は、長き生を歩むうえで必要不可欠である。

 旅しかり、酒しかり、博打しかり。悪を挫いて弱気を助ける善行も、友人とのじゃれ合いもまたそうである。


 だが、師はミズメを求めながらも、彼女には他者との交わりを禁じていた。

 それは、物ノ怪の身体ゆえにということであったが……本当は翁が交接者を殺害していたのと同じ理由、つまりは不老不死の(タネ)を独り占めしたいからではないか?


――“私のミズメ”のためなんて嘘っぱちだ。


 放浪の旅を許すのも、ミズメがお土産と称して健康や不老不死にまつわる品を持ち帰るからではないか?


 けだし、醜きじじいを斃し地獄から救ったのも、何百という害鳥から魂を分け与えさせたのも、普段の邪魔くさいほどの愛や甘えも、全てはこの身が不老長寿に繋がるための道具と見ているからであろう。

 ゆえに、オトリに退治されそうになったさいに、彼女を殺さんばかりに力を振るい割り込み、旅も監視をしていたのだ。


 ミズメは銀嶺聖母を愛していた。

 それは命の恩人への感謝であり、生の導き手への尊敬であり、師弟あるいは親子の絆であった。

 あらかじめ「不老長寿のために」と明白に言い渡されていれば、精の続く限り淫靡な交わりをしても平気なくらいには深いものであった。

 しかし、師はことごとく別の理由をつけて隠していた。


 なにもかも初めから、自身の長寿のために利用していただけだったのではないのか。

 愛など偽りで、あの邪仙のじじいと同じなのではないか。


――それでも、恩はあるし、あれよりはまし。でも……。


 思考を弄ぶうちに“最悪の疑念”までが浮かび上がっていた。


 仙人は千の術を操る存在である。その術によって、雲のごとく空を飛び、狐狸のごとく変化をし、一人で千人居るかのように見せかけることも可能である。

 仙術の中には“尸解ノ法(シカイノホウ)”と呼ばれる擬死の術がある。

 擬死といっても狸や穴熊のそれとは違い、頭が爆ぜようとも、焼かれ骨になろうとも、土に埋められ肉が(トロロ)こうとも、のちに何食わぬ顔で姿を現すというものだ。


 これらの術を駆使すれば、斃される憎い翁と、突如現れた救い主を同時に演じることも可能なのではないか?

 仙術を扱う道士にも練度というものがあるだろうが、翁は海千山千の邪仙であり、銀嶺聖母は一応は仙女の弟子どまりだという。

 見習いが本物の邪仙を(シイ)するのと、邪仙が一人二役をするのとではどちらが簡単か?


 ミズメは曲げた人差し指を強く噛む。


「……」

「珍しく固まっちゃってるわね」

 ギンレイはいまだにこちらを覗き込んでいる。

「しっかりなさってください。私もミズメさんを取られたりなんかしたくありません」

 オトリが優しく手を重ねてきた。ミズメの神経は師の視線とは違って暖かな体温を拒絶しなかった。


「はい、綺麗な髪のおねえさまもどうぞぉ」

 ギンレイの前におかゆが置かれた。

「おねえさま……」

 ギンレイは咳払いをひとつした。

「ウケモチ様、ツクヨミと関わったことがあるのなら、勾玉の破壊の助けに心当たりはないかしら? アマテラス様でも破壊できなかったの」


天照大神(アマテラスオオミカミ)様! あのかたも嫌いよぉ。私の死体から出た食べ物を喜んで国の皆に振る舞ったんだから。心配のひとつでもして欲しかったなぁ」

 げろげろと粥を吐き出し、自身の巫女の前へと供する。


「ウケモチ様、お訊ねになられてますよ。なにかご存じありませんか?」

 スズメは困り顔で促す。

「葦原中國を救うのに一番手っ取り早いのは、“器を壊しちゃう”こと。あなたみたいな子は滅多に現れないから、それでしばらくは安心ねぇ」

「それって、ミズメさんを殺せってことですか!?」

 オトリが立ち上がる。

「そうねぇ。でも、刺されたり斬られたりすると、すっごく痛いし……。やっぱり嫌よねぇ。私としては、ツクヨミには二度と出てきて欲しくないんだけど……」

 目を閉じ頬に手を当てるウケモチ。


「この子を殺すって言うなら、容赦はしないわよ」

 ギンレイの白髪が揺らぐ。


「おねえさま、怖い……。ミズメちゃんに痛い思いをさせたくないのなら、やっぱり玉を壊すしかないわねぇ」

「それができないから旅をしてるんです」

 オトリの声も固い。

「できるわよぉ?」

 ウケモチが首を傾げた。

「どうやってですか? アマテラス様よりも格上の古ノ(イニシエノ)大御神(オオミカミ)をお招きになれるんですか?」

「それは無理。でもぉ、その玉が頑丈なのは、ツクヨミの気が籠ってるからだし、それを削いでしまえばそう難しくない話でしょぉ?」

「ああもう、その話しかた、いらつくわね。ミズメを助ける方法があるなら、さっさと教えなさい!」

 ギンレイが声を荒げた。

「ギンレイ様、落ち着いて下さい。一応このかたは日ノ本ができあがる以前からいらっしゃる、古ノ大御神様の一柱ですよ」

 オトリは宥めながらも、ちらと粥の入った椀を偸み見た。

「一応ってなぁに? おねえさまもオトリちゃんもひどぉい。牛に化け過ぎたせいで、牛みたいな喋りかたになっちゃったのよぉ」


 間延びした声の女神の話を要約するとこうだ。


 勾玉が破壊できないのは材質の問題ではなく、込められた神気の問題であり、神気は“ツクヨミそのもの”である。

 ミズメは勾玉の干渉を受けて憑代として成熟していっており、ツクヨミはその肉体を奪うつもりでいる。

 奪うといっても、巫女が行う通常の神降ろしと同様のもので、肉体に魂が居座るだけであり、外から追い出すことも不可能ではない。

 現時点ではツクヨミの力は不完全であり、いかに三貴神ほどの存在とはいえど、この世に引きずり出せば滅してしまうことは可能である。

 アマテラスはツクヨミを滅ぼせば万物が乱れると言ったが、それは調律を司る和魂の話であり、不完全な荒魂の一端を滅ぼしても大した影響はないはずとのこと。

 倦怠の日々を送る女神にとって面白い展開に流れるように意図的に情報を隠したと推測される。

 

 解決方法としては、ツクヨミの力の弱い今のうちにミズメの肉体へあえてそれを引きずり出して滅してしまうこと。

 そうすればツクヨミは力を蓄え直しとなる。その隙であれば、尋常の手段を用いて勾玉を破壊することも可能だろう。


「天津の神様たちは本当に勝手なんだから!」

 オトリが声を荒げる。

「ほんに、てんごが過ぎますね……」

「だけど、解決法が見えたわ。いささか危険な方法だけど」

 ギンレイが不安げに言った。

「そうですね。前に鬼のクレハさんに都攻めをやめさせたのと同じような作戦です」

 オトリがこちらを見る。

「失敗したら、私もまた刺されちゃいそうねぇ」

 牛女が溜め息をついた。

「絶対に刺されますよ。今の日ノ本は、稲霊(イナダマ)たちの力が弱くなっとると宇迦之御魂神ウカノミタマノカミ様から聞いていますんで、わぁーしはしゃっても反対です」

 スズメは頑として反対らしい。

「そうねぇ。私が死んだら五穀の育ちは悪くなるわねぇ」

「五穀を生んだとされる太古の神が(カム)去れば当然かね……」

 ミズメは頭を掻いて小さな巫女を見る。

「ウケモチ様は元の力と比べれば、ほんの芥子粒ほどの存在に成り果ててますが、今はこの村の田んぼを(サキワ)ってくんなってますし……」

「田んぼの心配じゃなくて、私の心配をしてよぉ」

 嘆く女神。


「おふたりには申し訳ありませんが、私たちはやろうと思います。田畑をやる大地や人間にも危機が訪れるんですから。ね、ギンレイ様」

 オトリは鼻息荒く言った。

「勿論よ。たとえ邪魔をされてもね。ミズメもツクヨミに身体を渡したくないわよね?」

 ギンレイも穀物の神と巫女へ厳しい視線を向けている。


「そーだね」

 ミズメは気の無い返事をした。

 くれてやる気はさらさらない。じじいも師も神々も、人の身体をなんだと思っているのだ。


「ごめんね、スズメちゃん」

 オトリが申し訳なさそうに言った。

「そんな顔しにゃーでください。オトリ様のおっしゃる通り、田畑をやれるのは人が食べて耕すからですよ。日ノ本全ての危機となれば、わぁーしもお手伝いします。わぁーし程度では、ほえにゃーかもしれませんが」

 小さな巫女は微笑んだ。

「ありがとう。でも、危険な戦いになると思います」

「だんにゃあですよ。普段は土弄りばかりしてますが、埴ヤス大地(ハニヤスダイチ)の扱いには自信がありますから」

「この子ったら、暇があったらずっと土を弄ってるのよぉ。近所の荘園にもお手伝いに行ってるし、山の木にも詳しいし、牛の世話も得意だし。いっつも泥だらけなのぉ」


「泥だらけなのは、わざとですけどね」

 スズメは頬の泥を掻いて言った。


「わざとなんですか?」

「はい。つい最近、山向こうの巫女が朝廷の命令で宮中に召されてしまったんです。火術の扱いに長けたかたで、村には立派な(カマド)の神様もいらっしゃったんですが、巫女が召されてからはすっかり弱ってしまわれて。召されるのは若くて美人のかたばかりなので、お役人様や旅人の目に留まらにゃーように、不細工に見えるようにしてるんですよ」

 そう言ってスズメは、白目を剥き顎をしゃくれさせた。


「それで村の人たちが変な顔をしてたんですね……。ウケモチ様もいにしえの伝説に語られるような女神様ですし、存在が知られればスズメちゃんも危ないですね」

「“これ”を始めたのは村のかたたちなんですけどね」

 しゃくれ顔のスズメが言う。

「知らにゃーうちに流行ってしまって……。オトリ様も気をつけて下さいね。べっぴんさんですから」

「えへへ、そうかなあ」

 頭を掻くオトリ。

「オトリちゃんは変な顔が上手ねぇ」

「えっ、今は普通の顔をしてましたよ!?」

 声をうわずらせ頬が染まる。


「うふふ、冗談よぉ。狸さんみたいで可愛いわよぉ」

「ウケモチ様ったら……。あの、スズメちゃんを借りてもよろしいですか? この覡國の全ての平和が掛かってるんです」


 オトリの問い掛けにウケモチの表情が鋭くなった。


「うちの子を貸すどころか、私も手伝うわ。あなたたちが居れば、うん万年ごしの仕返しもできそうだから」

 確かな神の気配が荒ぶり始める。


「さすが、命を生み出す太古の女神ね。桁違いの神気だわ」

 仙人くずれの女の顔に汗が伝う。


「ふふふ、おねえさまほどではありませんわぁ」

 不敵な笑み。



――当人を放って勝手に盛り上がっちゃってまあ。

 己の身の危機だというのに、さかしまに心が冷える。

 この使命が終わったら、月山を去ることにしようか。相方が希望に乗っかり、何も考えず善行の旅を楽しむのが良いだろう。


「……おええええっ!!」


 真面目くさったウケモチの貌が一転。またも何かを吐き出した。

 口から出てきたのは猪の丸焼きである。


「ふう、すっきりした。私は神威(カムイ)があるように見えて、じつは“これ”しかできないから当てにしないでねぇ……」

 ウケモチは唾液を拭いながら言った。


「ええ……」

 ギンレイが肩を落とす。


「はは……。むしろ、足手纏いなんじゃないの」

 ミズメもいい加減に突っ込みを入れた。


「そんなことないわよぉ。降りるか降りないかはツクヨミ次第だし。あいつだって、私とのことでアマテラス様と喧嘩したんだし、私をオトリにすれば怨みに思って仕留めにでてくるはずよぉ」

「なるほど。じゃあ、ウケモチ様も守らなくっちゃ。しっかりと準備をして、本気の力でやります!」

 オトリは帯を締め直し言った。


「本気は結構だけど、気をつけてよね。あたしの身体なんだから」

 ミズメは気重である。ツクヨミに憑かれるという話よりも、オトリの本気とやらのほうが心配だ。

 かつて蹴りの一撃で骨をへし折られていたが、蹴った当人曰く、あれも本気ではなかったらしい。

 そのうえ、一度里に戻ったさいにミナカミから罰として課せられた修行も経ている。


――今度は手足の五、六本は覚悟しとこ……。


「そっか。ギンレイ様が北に来たがらなかったのって、このことだったんじゃ?」

 オトリが訊ねる。

「やっぱり占か何かで、悪い相が出ていたんじゃありませんか? ミズメさんの命と、この世の平和を天秤に掛けなくてはいけなかったのなら、言いだせなかったのも無理がありません」

 愉しげに師弟の顔を見比べる娘。


――そうなの、かな?


 こころが揺れた。

 しかし、長きに渡る付き合い、それ自体が否定を導き出す。


「……お師匠様は卜占(ボクセン)はやらないよ。あたしと同じで、先のことは分からないのが好きだから」

 ミズメは絞り出すように言った。


「そうね……」

 師もまた、寂しげにそれに同意した。


*****

だんにゃー……だんない。平気、大丈夫。

葦原中國(アシハラノナカツクニ)……神の国である高天國と死者の国である黄泉國のあいだの世界。人間の国。この世。覡國と同義。

てんご……いたずら。

しゃっても……絶対に。

ほえにゃー……頼りない。

記紀……古事記と日本書紀。

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