化かし059 疑念
「オトリ、術を使ってもいいからお師匠様を捕まえてよ」
「人違いだったら揉めますよ」
「大丈夫。あの格好は見たことがある。絶対にお師匠様だ」
逃げる女の背を見て言う。あれは昔、一緒に街を見て回った時に師が化けた姿と瓜二つであった。
「うーん。間違ってたら……謝まればいっか」
オトリは唸ったものの、加速して女に追いすがる。
「げっ!」
女は振り返り、背から白い翼を生やした。
しかし、水術の大力と早駆けの前にあっさりと捕縛されてしまう。
「こらっ! あたしたちのことを千里眼で見てただろ!?」
「み、見てないわよ」
変化ノ術か、妖しげな靄を吹いたかと思えば見慣れた霜色の長髪に変ずる女。
「じゃあ、なんでここに居るんだよ? 東から回るって言ってたじゃん。それに、翼はどうしたのさ?」
問い詰めるミズメ。
「つ、翼の隠しかたを思い出したんで、変装してちょっと街を見学してたのよ。退屈だったし、ほら、さっきの胡散臭い薬売りが“不老長寿のお薬”なんて謳い文句を言ってたから、気になっちゃって」
「言いわけになってないよ。本当は翼の隠しかたを忘れたなんて、嘘だったんでしょ」
「なんの話かなあ? 忘れちゃった」
白い歯を見せとぼける師。
「呆けたご老人じゃないんですから」
オトリが溜め息をつく。
――お師匠様め、もう覗きはしないって約束したはずなのに。何を考えてるんだか。
ただの覗きか、新しい遊びか健康法か。師の奔放に眉をひそめるミズメ。
「オトリ、こんな覗き魔は放って百足衆の皆に挨拶しに行こうよ」
約束を破る師に憤慨する弟子。口調はやいばのごとし。
「ああん、怒らないで」
「あっち行け!」
ギンレイが追いすがるも、ミズメは乱暴に突き放した。
「素直に話してしまったほうが宜しいのではないでしょうか。ミズメさん、本気で怒ってますよ」
オトリが困り眉で言った。
「なんか知ってるわけ?」
「ギンレイ様は心配で、また見守っていらしたんですよね?」
「え? あ、そうね。心配だったもんで。ほら、オトリちゃんにミズメを更生させてってお願いしたでしょ? 私が居なくてもちゃんとしてるかなーって」
白髪を掻くギンレイ。
「また見てたって何? 前にも居たってこと?」
尖る口をますます鋭くする。
「ギンレイ様は、紀州への旅の途中から見守っていらしたんです。確か、信濃のあたりからでしたっけ。私たちが石室に閉じ込められた時にお札を忍び込ませてくれたり、寝ているあいだに大蜈蚣を退治なさってくださいましたよね?」
「そうよ……。赤ん坊の寿命を借寿ノ術で伸ばしたあとに、あなたたちのあとを追ったの。そしたら、ミズメはオトリちゃんと喧嘩別れしちゃうし……。戻るようにお願いしたらふたりして捕まっちゃうし、心配で。赦してちょうだい」
哀願する銀嶺聖母。
「それなら、オトリも黙ってないで教えてくれたら良かったじゃんか」
「ふたりだけの秘密にしておいてくれって言われたもので。私は赤ちゃんが化け猫の魂を借りて生き長らえた話を聞いたら、満足しちゃって」
オトリは「にゃん」などと言って誤魔化そうとした。
「ふたりだけの秘密ねえ」
高まるいらつき。
「ほら、ミズメには更生だけじゃなくって、お友達も作ってもらいたかったし、私が居るとちょっと邪魔かなあって……」
「オトリとはもうかなり前から友達になってたじゃんか。そのあとにお師匠様も来たんだから、今さら隠れなくたっていいだろ」
「ギンレイ様は気を遣ってくだっさったんですよ。私がその……焼きもちを妬いたので」
「それにしたって、見てたんなら、この前は出てくるべきだったんじゃないの? 神実丸は馬鹿みたいに強かったし、借寿ノ術まで使えたんだから、お師匠様だって黙ってるべきじゃなかったろ」
下手をすれば、ふたり揃って神童に切り捨てられていた。仙人の領分の術を無垢な子供が濫用するのも捨て置くべきではない。
「そんなことがあったの? 私もずっと見てたわけじゃないし……」
首を縮める師。
「あたしたちがあれだけ気を練っても気付かなかったって言うの? 影の術を操る鬼の時は、危なかったんだからね」
……反芻される影鬼の引き出した記憶。
『さあ、精を分けてちょうだい』
重なる糞爺と師の言葉。
ミズメはギンレイを睨みつけた。
「そんなに恐い顔、しなくてもいいじゃない」
哀しみに満ちた表情。しかしミズメは目を逸らす。
「もういい。早く天橋立に行こう」
「ね、ねえ。北に行くのはよさない? 天気が悪そうだし」
「旅の目的を忘れたの? 一応はこの世の平和が掛かってるんだよ。天気なんて、風水術や水術でどうにでもなんでしょ? そろそろ暖かくなってきたし、あたしは濡れ鼠でも平気」
気まぐれか企みか。
師の行動へ重苦しい疑念が沸き上がる。
見守ってくれていたと捉えるべきか、遠回しに自分を人形のごとく操った気でいたと考えるか。
銀嶺聖母はミズメの恩人であり、百年単位の付き合いであったが、これだけの不審を抱いたのは初めてのことであった。
「じつはね、橋立はもう見てきちゃったの。何もなかったわ」
「そうなんですか?」
オトリが首を傾げる。
「だから、淡路の幽宮か、イザナギ禊の地のある日向国に行きましょう」
――……。
「嘘だ。見てきてない。まだ、何か隠しごとをしてるでしょ」
「……」
ギンレイは返事をしない。
「付き合いが長いんだから分かるよ。お師匠様は嘘が下手だ」
「ごめんね……」
謝るが次の句は続かない。
「ミズメさん。風水や八卦の相が悪いのかもしれませんよ。オテントウさんも縁起が悪いって言ってましたし」
取り成すオトリ。
「例えそうでも、その程度で行き先を曲げる人じゃないよ。あたしと出掛ける時も、天気が悪くても気にしないじゃんか」
「お願い、北には行かないで」
師は懇願する。
「理由を言ってよ」
「……」
またも沈黙。
「言わないなら、あたしはオトリと橋立に行くから」
ミズメはそう言って、オトリの腕を引いて歩き出した。
「ミズメさん……」
なされるままのオトリ。
それから、一行は北を目指した。
ミズメとオトリのふたりが先行し、ギンレイはとぼとぼと遅れてあとを付いて来た。
ミズメは師を思い消すことに努め、オトリはことあるごとにふたりの仲を取り持とうとした。
ギンレイはわけを話さず謝るばかりであったが、それは受け入れられないまま丹後国へと到達した。
月日は進み如月。
霜は消え、雪解けはささやかな清水を生んだが、彼女たちのわだかまりは一層に積もった。
「田舎っぽい村がある。そろそろ屋根が恋しくなったし、里山伏の真似事でもして泊めてもらおう」
村の手伝いを提案するミズメ。
「村からは強い神気を感じますよ。神様が立派なら巫覡も立派でしょうし、出番はないかも知れませんけど」
「泊めて貰えればいいよ。小さな村でもふたりぶんくらいなら、なんとかなるでしょ」
「またそう言う。ギンレイ様が可哀想ですよ」
「話さないほうが悪い。あたしたちには秘密なんて要らないんだ。なんでも腹を割って話せばいいのに」
「何か事情がおありになるんでしょう。いくら、師弟の関係だからって、そこまでされたら傷付いちゃいますよ」
少し強い非難。
「傷付くのはあたしだって同じだよ」
ミズメがそう返すと、哀しげな顔と共にオトリの説得は打ち切られた。
なんの変哲の無い村。
険悪な雰囲気の旅人たちと不釣り合いな長閑な風景が広がる。
先程に降ったにわか雨が土の香りを漂わせ、まだ青い紫雲英の原に気の早い蝶が舞い、満開の梅の枝では鶯が法華経を唱える。
遠く畑には牛に犂を牽かせる農民。
草花摘みの帰りか、負い籠を満たした年長の少年が児童たちを率いて歩いている姿も見える。
風だけが少し強かった。
「綺麗な景色」
呟く巫女は寂しげに鬢の髪を耳に掛ける。
「豊かそうだね。見てみなよ。小さな村なのに牛をあんなに持ってるよ」
草を食む牛の群れの姿がある。神にゆかりのある扱いなのであろうか、背の低い提げ髪の娘が牛に向かって白い紙をつけた御幣を振っている。
「私と同じ古流派の巫女ですね」
「そうなの? 農民か土地の呪術師かと思った。オトリの衣装とは色が全然違うけど」
背の低い巫女の衣装は土色に見える。
「泥で汚れてるだけのような……」
そう言われてみれば、袴の茶色に、緋か茜が覗いているように見えなくもない。
「あっ」
ギンレイが声を上げた。
振り返れば水汲みの若い女性たちが談笑をしながらこちらのほうへと歩いている。
彼女たちはこちらの存在に気付くと話すのをやめ、急に顔を歪めた。
歪めたといっても、不快感を示す仕草とは違った。
何やら、顎をしゃくれさせたり、唇を極端に突き出したり、白目を剥いたりしている。
その奇妙な顔をこちらへ向けたまますれ違い、しばらくすると元の顔に戻ってひそひそとやった。
「なんだろ。村の風習かな?」
ミズメは首を傾げる。
女たちが振り返り、こちらと目を合わせるとまたも“変顔”を披露した。
いつの間にやら近付いて来た子供たちも、年長の少年を除いて一所懸命に変顔をしていた。
上手くできないのか、何人かは自分の手を使ってまで顔を歪めている。
「歓迎されてない……のかな?」
ふたりは首を傾げる。
「そうかも。私たちが近寄ったら、神の気配が一瞬だけ棘立ったわ。怒ってるというより、恐がってるって感じだったけど」
ギンレイが言った。
「恐がってる?」
「確かに不安そうな気配です。巫女さんもこっちに気付きましたよ」
背の低い巫女が、こちらに向かって駆けて来る。
小さな彼女は水溜まりを踏んで泥に足を沈め、溜め息をついてから歩調を落とした。
それから、両手を前後に大きく振って田畑に沿って流れる灌漑を飛び越えて……。
比較的歩きやすそうな畦道ですっ転んだ。
「大丈夫ですか?」
オトリは駆け寄って手を差し出し、巫女が立ち上がるのを助けた。
「……あいててて。また転んちゃった。だんにゃあです」
巫女は頭を下げる。
「霊験のある巫女様ですね。私も古流派なんですよ」
「手をつかえたら分かりました。がっしゃー綺麗で見事な霊気です。あなたは宇迦之御魂神様のお使い様ですか?」
「え、伏見稲荷様の?」
オトリが首を傾げる。
「その衣から感じる気配は、伏見玉殿と同質のものですから」
伏見玉殿は稲荷の神の使いの筆頭の名である。
「あっ、そっか! お使い様の筆頭の娘さんから頂いたものです。彼女とは、お手伝いを通じてお友達になりました」
「にゃるほど……。いかさまに尊い巫女様だ」
巫女はもう一度礼をした。
「畏まらなくっても平気ですよ。私はただの旅の巫女です。巫女名はオトリ。乙女の乙に飛ぶ鳥の鳥と書きます」
「“わぁーし”は“スズメ”といいます。字は……分からにゃーです」
自己紹介をするふたりの巫女。
「あの、神様を驚かせてしまいましたか? 私たちはその……妖しい者ではないのですけど」
オトリがこちらを振り返る。
「ひとりは物ノ怪さん……にしては、割りかた綺麗な気をしとりますね。もうひとりは精霊様でしょうか? 物ノ怪の気と神気が混じっとります」
「山伏の衣装のかたは私のお友達のミズメさん、白髪のかたはそのお師匠様で、仙人に近しい銀嶺聖母様です」
オトリが紹介をすると、スズメはこちらを見て小さく手を振った。表情はゆるい。ミズメも手を振り返す。
「物ノ怪のご友人と仙人様ですか。さてはオトリ様は、何か重大なご使命を抱えていらっしゃりますね?」
「はい、そうなんです。神々の父母や、月讀命様とのいざこざに巻き込まれてしまって……」
事情を説明し始めるオトリ。
「あらら、あっさりと話すわね」
「流派も近くて子供みたいな巫女だからね。オトリはああいうのには甘いんだ。駄目な神仏の使いには厳しいけど」
神は怒ってるわけでなく恐がっているという。だが若い巫女は歓迎の雰囲気だ。村人の顔が変なこと以外に問題はない。
今宵はここで屋根を借りようか。
ミズメは欠伸をひとつした。
「んもぉ~~~っ!!」
突如、牛の群れからけたたましい啼き声が上がった。
そのうちの一頭が、泥を跳ね上げながら猛然と駆けて来る。
「わっ! あかんですあかんです!」
スズメは牛の進路に躍り出て両袖をぶんぶんと振る。
「スズメちゃん危ない!」
オトリが小さな巫女を引っ張り抱きすくめた。
猛牛はふたりを掠めて突進を続ける。
「なんでか、こっちに来てるわね……」
「こーふんしてるような……」
子弟は背から翼を生やして半歩下がった。
「「逃げろっ!」」
ミズメとギンレイは空へと逃れる。
牛は猪のごとく直進……せずに跳躍した。
「へっ?」
ミズメの鼻先に牛の青くさい息が掛かる。
頭蓋に強烈な痛みと振動。それから風を切って落下し、柔らかな畑へと墜落した。
「痛てて、なんて牛だよ」
堆肥のにおいと、回る世界に吐き気を催しながら身を起こす。
「もぉ~っ」
牛らしき声が頭上に聞こえる。
「肥溜めの中で牛に殺されるなんて勘弁だよ……」
追撃をされてはかなわないと、慌てて立ち上がろうとするが、泥と糞に腕が沈んで自由が利かない。
「もぉ~っ。勘弁して欲しいのはこっちよぉ。あなたたちぃ……ツクヨミに命じられて、私にとどめを刺しに来たんでしょぉ……」
いやに間延びした女の声。それから、鮮明で強烈な神の気配が漂ってきた。
「とどめ?」
見上げるミズメ。
彼女の目の前に立ちはだかっていたのは、牛ではなくひとりの女神の姿であった。
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紫雲英……紫色の小さな花。レンゲ畑のレンゲ。古代渡来説と江戸渡来説がある。
犂……畑を耕すための農具。大型で牛にひかせる。
だんにゃあ……大丈夫。
がっしゃー……とても、非常に。
わぁーし……私。




