化かし055 脱皮
さて、オトリが提案したのは、とてもお人好しの巫女の発想とは思えない強引な手段であった。
「藤原唯直を攫う?」
「はい。問答無用でとっ捕まえてここへ連れてきます」
「あたしは構わないけど、手間取ると国外でも追われる羽目になるよ」
「ミズメさんから聞いた話からは、タダナオさんは抵抗をなさらない気がします。幻術を見破っても太刀すら抜かないんですもの」
「まあねえ。でも、能ある鷹は爪を隠すっていうからね。鬼じゃないけど、術力や剣力を隠し持ってる可能性は否定できないよ」
「そこは私も同じです。待っててくださいね。すうぐに連れてきますから」
巫女の娘はにこりと笑うと、図抜けた霊気を練り始め、風と共に人里へと走り去った。
程無くして、藤蔓で巻き取られた人間を担いで戻ってくる。
ミズメは無謀な相方を見送り、音術にて騒ぎを拾って助太刀する予定でわくわくしていたが、空回りに終わってしまった。
「何者だ。隠垉の手の者か? それとも昼間の山伏か?」
攫われたというのに、悠長に問うタダナオ。不利も気にせず溜め息まで披露する。
「里の皆さんもご存知の、大悪党の巫女ですよ!」
オトリはタダナオの縄を解いてやりながら言う。
「大悪党? 僧侶どもに目を着けられた間抜けか」
「その間抜けな巫女の間抜けなお願いです。あなたに会っていただきたい人が居ます。……カノトミさん!」
オトリが声を掛けると、隠れていたカノトミが木の陰から、ちらとこちらを覗き込んだ。
「状況は呑めたが……その女がくだんの私を想う人とやらか。滝の空気に不釣り合いな気配だな。巫女や山伏と並べると、物ノ怪だとはっきり分かる」
「化かしやしないよ。力づくで攫って、正体もばれてる状態で化かしても面白くもなんともない」
天狗娘が言う。
「ほら、カノトミ。あんたがどうしてこの男に惚れたのか、唯、真っ直ぐに話してやりな」
化かしもなければ小細工も無し。
カノトミは恥じらいながらタダナオの前へ進み出て、己が蛇であったころから今日までのことを全て打ち明けた。
果たして蛇の実直な恋路はどこへ通ずるか。
「にわかには信じがたい話だな。蛇の化生など、人を害するものばかりではないか」
タダナオは投げるように言った。
「嘘ではありません。あなたのことを本当に想っています」
哀しげな顔の蛇女。
「お尋ね者と蛇の物ノ怪の言うことなど信じるか。想われるだけでも迷惑だ」
拒絶の追撃。
カノトミは息を呑み、地へ視線を落とし、大粒の雨を降らせ始めた。
「タダナオさん!」
オトリが声を上げる。
「オトリ、ここはあたしたちの出番じゃないよ。滝まで来てもらったんだ。神様に一枚噛んだ責任を取って貰おうよ」
ミズメは滝のほうを見やった。
『藤原唯直よ。カノトミの話は真実である』
滝の音に紛れて神の声が木霊した。
「これは……霊声か? 陰陽師の識神の声は聞いたことがあるが」
タダナオは目を丸くして滝を見た。
「あんたなら分かるだろ、この気配が神聖なものだって。話に出てきた滝の神様だよ」
「となると、この女は神の使いなのか? 神からの命ならば、さすがに私も断れはせんな」
タダナオはしぶしぶカノトミへと向き直った。
「使いではありません」
カノトミは顔をあげて首を振る。
「わたくしは蛇の化生です。物ノ怪なんです。滝神様には人の姿になるお手伝いを頂いただけです。でも、何も関係ありません。わたくしはあなたに助けられて、どうしようもなく好いてしまった、それだけなんです」
「神が蟲の願いを叶えたというのか」
『神は人のためだけにあるものではないからな。とはいえ、我は信者も碌に持たぬし、この滝が死ねば共に消える幽やかな存在だ。こやつの言う通り、僅かに手助けをしただけじゃ。願いを叶えたなどと言う大層なものではない。我を動かしたもの、人の身に変じたのも、おまえたちふたりの力によるものといえるであろう』
「名をカノトミと言ったか……」
タダナオはカノトミを見つめた。
「おっ、もう一押し。いやもう、押し倒……」
無粋な天狗は相方に口を塞がれた。
「おまえは、どうしてそうも真っ直ぐと前へ進めるのだ? 助けたのも、ほんの気紛れに過ぎないというのに」
「わたくしは蛇でございますから、執拗くあるのだと思います。……いいえ、分かりません。蛇だからだと思っていました。人の身になってもますます酷くなるばかりで、あなたに拒絶されようとも、この想いが身を焼き続けてどうしようもないのです」
「偽りは見えぬ。このような者に逢ったことはない。おまえがそうまで望むというのなら、流されてみるのも良いかもしれん」
男は手を差し出した。女は手を伸ばすが、すんでのところで止めてしまう。
「本当に偽りなくあるには、この手を取る前にひとつ、打ち明けなければならないことがあります。わたくしは人の姿こそしてはいますが、性根と胎に蛇を残しております。添い遂げて子をなせば、赤子ではなく卵を産みます。そこから産まれる者もまた、蛇となるでしょう」
「本当に化かす気がないのだな。どう見ても美しい娘であるのに。おまえもまた、生まれを背負う運命であるのか……」
星明かり降り注ぐ森の中。滝の飛沫がまたたきの音を静かに奏でる。
「くちはなと この身にからぐ うつせみを 蛻けなむやと たづさひけり」
タダナオは一首詠じると、蛇女の手を取り、その身を掻き抱いた。
「わあ……」
オトリが感嘆の声を上げる。
――ことなかれで逃げていた割にはやるじゃんか。
口を塞がれっ放しのミズメもまた、心で男を称賛した。
しばしの抱擁ののち、静かでささやかな祝いが行われた。
神の滝を御柱に巫女が音頭を取り、祝福の詞を授ける。
主役のふたりは星の滝壺に笑顔をきらめかせ、天狗たる娘も“どこからともなく”秘蔵の一献を引っ張り出して振る舞った。
かくして、人と蛇との異種婚譚は幸福な結末を迎えた。
かのように思えたが……。
「ミズメさん。早く起きてください! 大変なんです!」
ミズメはタダナオの屋敷にて相方に揺り起こされた。
「珍しく早いね。あたしは耳が良くてね。隣の部屋の“脱皮の音”が喧しくて寝付くのに時間が掛かったんだよ。お尋ね者なんだし、陽が沈んでからの出立でいいでしょ?」
「確かに衣を脱いじゃってましたけど……。そうじゃなくって、カノトミさんが目を覚まさないんです」
「慣れない人間の身体で頑張ったからじゃないの? それに蛇の交尾って長いし、濃いもんだよ。処女の巫女さんにゃ分からないだろうけど」
身を起こして欠伸ひとつ。
「違うんです。巫女だから分かるんです。彼女、魂が削れていってるんです」
オトリの声は昏い。
「魂が削れてる?」
「心配したタダナオさんが看てくれと仰るので霊視をしたんですが、魂が蛇の部分を残してどんどんと小さくなっていってしまってるんです」
「蛇に戻ってしまうってこと?」
「タダナオさんはそれでも一緒に居るっておっしゃいましたけど、それだけで済むとは思えません。あのまま削れ続ければ、死んでしまいます。今でもすでに人より物ノ怪の気が強くなっているので、どうにかすると悪い性分が勝ってしまうかもしれません」
オトリに急かされ、タダナオの部屋へと急ぐ。
カノトミは衣を着せられ、静かに目を閉じて眠っていた。
「世の中、上手くいかぬものだ。これが呪われた血の運命なのだ」
タダナオは陰鬱に言った。それでも、眠る女の手を固く握って。
「原因はなんだろ?」
「分かりません。でも、彼女は滝神様にお力添え頂いて人の姿に成った身です」
「滝神様になんかあったってことか?」
「そうか……そういことか。僧侶どもだ。連中は荘園を広げるために田畑の水を欲している。常にどこかで土木工事だ。大方、それが滝神様に害を為したのであろう」
部屋に満たされていた陰鬱な空気が、霊感持ちの男によって明確な陰ノ気へと変じ始めた。
「駄目です。悪い方向に考えないでください。ただ、彼女のことを想い続けて! 今のあなたたちの繋がりはすごく強いから、あなたの陰ノ気に毒されてカノトミさんが魔物になってしまう!」
巫女が叫ぶ。
「共に物ノ怪に変じてしまいたい。ようやく、手放したくないものを見つけられたというのに」
「だったら、しゃんとしなよ。坊主どもを蹴散らしてこの地を平らげるくらいの気概を見せてみなよ!」
ミズメが煽る。
「憎い血だ……。冷たき世の中だ……」
タダナオは呟くやくばかりで返事をしない。
握られたふたりの手から、目に見えるほどの邪気が漂い始めた。
「下手したら鬼に成るよ」
「私たちが行って工事をやめさせるしかありませんが……。聞き入れてくれるとは思えません」
坊主相手に手を上げたとなれば、一方的なお尋ね者は公式の指名手配犯へと変ずるであろう。
「いいよ、付き合うよ。実力行使上等。面倒なことを考えるのは後回しだ」
「ありがとうございます!」
ふたりは屋敷を飛び出すと、人目もはばからずに水術の早駆けと物ノ怪の翼を使って滝を目指した。
涼しげな音色を奏でていた滝壺は沈黙の池と化しており、神の気配は幽かにあれど声は拾えず。
先日まで滝であった岩場を登り、枯れた清流を追えば、大きな川の別れ目に当たった。
そして、滝に向かって流れる支流は土石によって塞き止められていた。
法術を用いて工事を行っていたのは袈裟姿の四人の法力僧。
一人は深き緇衣の老年で、残りはみすぼらしい糞掃衣を身に着けている。
「お願いです! 水の流れを変えないでください! こっちの下流には滝の神様がいらっしゃるんです!」
息を切らして巫女が希う。
「滝の神? 我らが頼むは神ではなく仏だからのう」
老年の黒僧が首を捻る。
「この水汢に掛かれば、神などおらずとも治水は容易いことである」
こちらの法力僧は水術の使い手か、水を川から宙へと引きずり出して丸めてみせた。
「風の噂で聞いた。おまえは、くだんのお尋ね巫女であろう? 神の名を騙って我らの領民を惑わそうという魂胆であろうが、この風穃の鼻は誤魔化せぬ」
手を仰ぎにおいを嗅ぐ仕草。彼からもまた霊気を感じる。
「私は何も悪いことをしていません。みなさんの役に立ちたかっただけで!」
オトリは声を上げる。
唐突に金属音。更に別の僧侶の手から何かが放たれた。
ミズメは咄嗟に星降りの小太刀を抜くと、飛来物を弾いた。
宙に跳ねるは一枚の銅銭。
「金橸は手が早いのう」
黒衣の僧侶が楽しげに笑った。
「役に立ちたいだけならば、報酬に衣を要求していたのはなにゆえだ? 漂泊の巫女など、所詮は売女に過ぎん!」
金橸と呼ばれた大柄な僧侶が河原の地面を蹴飛ばした。霊気を孕んだ数多の小石がこちらへと飛び掛かる。
立て続けに、宙に浮かんだ水球からも水の矢が飛び出した。
「坊主の癖に殺生かよ!」
ミズメが文句を垂れる。法力僧からの術攻撃は巫女の光の壁により弾かれた。
「どうやら、霊力のある本物の巫覡のようじゃな。……消せ」
黒衣の僧侶が命じると、三人の法力僧が一斉に霊気を練り始めた。
河原の石を巻き込むつむじ風が起こり、同じく石を孕んだ濁流が川から宙へと離れた。
「これは憑ルベノ水と道返ノ石、それに科戸ノ風です!」
「坊主が古流派の術かい。節操のない破戒僧どもだね」
「自然術をこんな乱暴な使いかたをしたら、大地が死んでしまう! あなたたちは本当に仏様を目指す人なの!?」
怒気を孕んだ巫女の声。
「ふん、我らはこの世の全てを浄土に変えてやろうと考えておる。さすれば、みな仏よ!」
ミズヌタが鼻で嗤う。
「こんな水術!」
オトリが袖を振り上げると土石流は瞬く間に収まった。
「風はあたしが!」
ミズメが両手を翳せばつむじ風が消え、石が地面へ転がる。
玉響、風穃と水汢の姿が消えた。
星降りの小太刀と霊気の籠った掌底が法力僧たちのこぶしを受け止める。
「オトリ、こいつら拳闘の心得があるよ。水術で勝ってるからって油断するなよ」
「負ける気はしません」
同じ身体強化の術を用いた拳士を軽くいなすオトリ。
「そういうことじゃないぜ。なまじ強いぶん、手加減してやるのが難しいって話!」
ミズメは素手相手に防戦一方。刀を出したが相手は丸腰、法力僧とはいえ生身の人間である。
「数はこちらがまさっておる!」
風水の二僧が飛び退くと、入れ違いに霊気の籠った石礫が降り注ぐ。
結界の展開が間に合わず山伏と巫女は石の雨に打たれた。
「この人たちを倒すより先に、滝の神様を助けないと!」
オトリは川の支流を塞き止めている土の山へと飛び、両手を当てた。
積まれていた土石が崩れ、川の水が引き寄せられる。
「我らの仕事を!」
金橸がオトリに向かって駆けて行く。鈍足のようだが、その手には柄から先までの全てが金物製の鋤が握られている。
「水も清めさせていただきます!」
蘇った川の流れは未だ濁っている。そこへ水分の巫女の指先が触れると、瞬く間に澄んだ流れへと変じた。
「流れを無理に変えたから、水の中に穢れが生まれてる。滝壺はあんなに綺麗な水だったのに!」
自然の怒りの代弁と共に、祓えの発気。光の波があたりを駆け抜けた。
すると発光で目が眩んだか、僧侶たちは袖で顔を覆って怯み立ちすくんだ。
――違う、一人は逃げた。法力僧がお祓いを恐れるはずがない。
「秘法、山彦ノ術!」
ミズメはオトリの祓えを木霊させた。
再度の発光。間近で祓えを受けた風穃は穢き悲鳴と共に吹き飛んだ。
邪気は読めぬが、祓えで打撃を受けるのは聖に非ず。
「化けの皮が剥げたかな? あんたら、鬼だろ」
星降りの小太刀を向け、翼を広げるミズメ。やいばと羽が見る見るうちに白く塗り替えられていく。
「私たちは共存共栄を掲げて全国を行脚している巫女と山伏です。例え鬼であろうとも、言いわけくらいは聞いておきます」
川中に立つ相方も霊気を練り上げる。彼女が触れる清流は遠くまで淡い輝きを放っている。
「鬼呼ばわりとは、心外じゃのう」
黒衣の僧が言った。三人の法力僧は彼のもとへと退却する。
「鬼じゃなきゃ、なんだってんだい。野心の過ぎる化け狐かい?」
「先程も言ったが、わしらはこの覡國の全てを浄土に変えるために身を粉に働く者じゃ。それが母の願いでな。親の言はよく聞けと言うじゃろう?」
「ミズメさん、今の、聞きましたか?」
巫女が訊ねる。
「はっきりと聞いたよ。訳ありの鬼人じゃなくて良かったよ。嘘が下手過ぎ。東大寺に浄土信仰はないよ。あんたらが本当に信じてるのは黄泉の母だろ」
ふたりは霊気を一層強く練り上げる。
「鬼の次は醜女呼ばわりか。困った連中じゃのう」
黒衣の僧侶は懐から白い紙人形を取り出すと、おもむろにそれを破いた。
――識神? それとも、お師匠様と同じ、なんとかって仙術か?
紙の正体に思考を巡らせる。
刹那、ミズメの視界に“思いもよらぬ者”が現れた。
――いつの間に。
思考追い付かず。闖入者の姿が消える。
直後、鋭い痛みが腹部から背を貫いた。
後ろへ跳び、腹より血を零し転げる翼の娘。
「良かった、間に合ったみたいですね。隠垉様は尊い聖で、法力は扱えれども身体の弱いお年寄りです。それに武器を向けるとは、なんと酷い物ノ怪なんでしょう」
痛みの中、耳に届くはあどけなさの残る声。
腹を押さえて顔をあげるミズメ。
「覚悟してください。次はまっぷたつです」
神懸った一閃を披露した者の正体は、体躯に不釣り合いな太刀を構えた童子であった。
*****
緇衣……墨染めの衣。
糞掃衣……ぼろで作った僧衣。
今日の一首【タダナオ】
「くちなはと この身にからぐ うつせみを 蛻けなむやと たづさひけり」
(くちなわと このみにからぐ うつせみを もぬけなんやと たずさいけり)
くちはなは蛇。からぐは縛る。からは抜け殻の意も。うつせみは世間。蛻は脱皮。
この場合の蛇はカノトミを指す。タダナオは一緒にこの煩わしい世の中から抜け出てくれないかと、むしろ彼女の手を取った。




